第5話 淹れ方講座
「早速来てくれたのか?」
「うん、ここのコーヒーが飲みたくてさ」
しずくにそう言ってもらえて、俺は嬉しくなる。
この店のコーヒーが褒められると、俺は自分のことのように喜びたくなるのだ。
「っと……悪い、案内しないとな。こちらへどうぞ」
「ありがと」
時刻は二十時前。
この時間、喫茶メロウはあまり忙しくない。
元々客入りが緩やかなため、際立って忙しい時間というのは少ないのだが、閉店が迫るこの時間帯は、長居できないせいか一気に客が減る。
閑散とした中、俺はしずくを一番奥のテーブル席へと案内した。
「ご注文はお決まりですか?」
「ぷっ……クラスメイトに敬語使われるって、なんかちょっと面白いね」
「……仕方ないだろ。一応姿勢だけはそのままじゃないと」
「分かってるよ。じゃあ、昨日と同じホットコーヒーをもらえますか?」
「かしこまりました」
俺はカウンターに戻り、歌原さんにしずくの注文を伝える。
「分かった、昨日と同じでいいんだね?」
「はい、お願いします」
「……せっかくだし、神坂ちゃんにもコーヒー淹れてるところ見せてあげる? 興味ありそうにしてるし」
そう言われてテーブルの方を見てみると、そこにはそわそわした様子でこちらを見ているしずくの姿があった。
俺と目が合うと、彼女は慌てて置いてあったメニューで顔を隠す。
歌原さんの言う通り、確かに興味を持ってくれているようだ。
「お客さんも他にいないし、呼んであげて?」
「……分かりました」
俺はテーブルに向かい、しずくに声をかける。
「コーヒーの淹れ方に興味があるなら、マスターが近くで見学しないかって」
「え、いいの?」
「マスターがいいって言ってるから大丈夫」
「やった……! 昨日自分でドリップコーヒーを淹れてみたんだけど、ここで飲んだやつと比べたらあんまり美味しくなくて……」
「あー、俺も最初は同じことやったな……」
カウンターに戻ると、歌原さんは準備を整えて待ってくれていた。
「今日も来てくれてありがとう。確か神坂しずくちゃんだったわよね?」
「はい。ここのコーヒーがすごく美味しかったので、また来ちゃいました」
「嬉しいわぁ! 私、歌原由美っていいます。このお店の店主です。純くんがいつもお世話になってます」
ペコっとお辞儀した歌原さんに合わせて、しずくも頭を下げる。
「見学に誘っちゃって迷惑じゃなかった?」
「そんな、迷惑なんかじゃないです。あんなに美味しいコーヒーは飲んだことなかったから、むしろ昨日からずっと気になってて……」
「ふふっ、じゃあ見せちゃおっかなぁ~」
コーヒーを褒められて上機嫌になった歌原さんは、豆をコーヒーミルの中に入れる。
一応説明しておくが、コーヒーミルとはコーヒー豆を粉末状に砕くための道具のことだ。
「しずくちゃんは、割と苦みが強い豆が好きみたいね。昨日使ったのは、深煎りのマンデリン。少ない酸味と、柔らかい苦み。強いコクが特徴ね」
「深煎り……まんでりん?」
首を傾げたしずくに、俺は補足を入れる。
「深煎りっていうのは、豆の焙煎時間が長い豆のことだ」
コーヒー豆を加熱乾燥、つまり煎ることによって、風味を変化させることを『焙煎』と呼ぶ。
焙煎には、大きく分けて三つの段階がある。
浅煎り、中煎り、深煎りと段階を踏んでいき、深くなるにつれて苦みが強く、香ばしい風味になる。
逆に浅煎りは、酸味が強く、フルーティさを味わえる。
どの焙煎段階を選ぶかは豆との相性次第であり、どれが良くて、どれが悪いという話ではない。
「マンデリンは豆の種類のこと。コーヒーは、豆の種類によって細かく特徴が変わるんだ」
「へぇ……! 面白いね」
しずくが目を輝かせる。
この話に興味を抱くなら、彼女はコーヒーにハマる素質があると言っていい。
「でも、色々ある中で最初に飲んだコーヒーが自分に合うなんて、すごい偶然だよね?」
「いや、それは偶然じゃない」
「え?」
「マスターは、相手がどんなコーヒーを好ましく思うのか、一目見るだけで分かるらしいんだよ」
俺がそう言うと、歌原さんは得意げにその大きな胸を張る。
正直、最初はこんな話とても信じられなかった。
しかし彼女が新規客の好みをバッチリ言い当てたのを見て、俺はそれが事実なのだと理解した。
「ほとんど感覚だけどね。でもこのお店を任されてから、人の好みは一度も外したことないの」
「すごいですね……超能力みたい」
「もっと褒めて褒めて~!」
喜びのあまり歌原さんがくねくねし始めたので、俺は咳ばらいをする。
ハッとした彼女は、慌てて表情を取り繕った。
「えっと……じゃあ次は挽くところね?」
歌原さんはミルのハンドルをぐるぐると回し始める。
「こうやって、選んだ豆を粉末状にするの。この時も、砕いた粗さによってまた味が変わるのよ?」
「そうなんだ……」
「苦みが強い方が好きなら、できるだけ細かくした方がいいわ。だいたいグラニュー糖の粒くらいかな?」
そう言って、歌原さんは卓上の砂糖を指差した。
「その方が苦くなり過ぎないし、癖のない風味になるから」
粉末状になったコーヒー豆を、ペーパーフィルターをセットしたドリッパーに入れる。
粉の表面を平らにすれば、抽出の準備は完了だ。
「まずは豆を蒸らすために一回お湯を注いで、少し待つの。それからタイマーを用意して……」
歌原さんは、近くにあったキッチンタイマーを三分に設定した。
「この時間は?」
「お湯を注ぐ時間よ。この三分間で、必要な分のお湯を注ぎ切るの」
沸いたお湯を、歌原さんはゆっくりと豆に注いでいく。
その姿を見たしずくが、「えっ⁉」と声を出した。
「三分しかないのに、一気に注がないの⁉」
「ああ、一度に注ぐお湯の量が多すぎると、コーヒーの成分がしっかり抽出される前に下に落ちてしまうんだ。だからまとめては注がない。その代わりに、お湯を細く出して三分間ほとんど止めずに注ぎ切るんだよ」
歌原さんの持つケトルからは、少量のお湯が絶え間なく注がれていた。
そのお湯が描く軌跡は、さながら細い糸のよう。
俺はまだ、この人と同じようにはできない。
お湯をできる限り細く、そして絶え間なく注ぐというのは、見かけ以上に難しいのだ。
細くすることを意識しすぎて途切れてしまったり、逆に出し過ぎて味を損なってしまったり。
常に一定の量を出せるようなるために、俺はそれを毎日遅くまで練習している。
「……はい、終わり」
歌原さんがそう言うのと同時に、キッチンタイマーのアラームが鳴り響く。
この人のすごいところは、お湯の量を一定に保ちながら、三分ぴったりできちんと一杯分の抽出を終えるところだ。
俺がやると、いつも三分手前で抽出が終わってしまう。
まだまだ修行が足りないということだ。
「どうぞ、しずくちゃん」
そう言って歌原さんは、淹れたてのコーヒーをしずくへと差し出した。
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