第4話 攻めすぎたかな?

「……ここならいいかな?」


 周りに誰もいないことを確認して、神坂は胸を撫でおろす。

 

「ありがと、御影くん。気を使ってくれたんでしょ?」


「まあ、しんどそうにしてたからな。お節介じゃなかったか?」


「とんでもない。助かったよ」


 昨日と同じようにどこか疲れた様子の神坂は、息を吐きながら壁に寄りかかる。


「いやぁ……さすがに朝からあのテンションに囲まれるのはちょっとしんどいね」


「なんか……熱気が違うよな」


「そう、そうなんだよ御影くん。君はよく分かってるね」


「お、おう……」


 よくぞ言ってくれましたとばかりに、俺の背中を叩く神坂。 

 よほど苦労が溜まっているのだろう。

 彼女の言葉には、しみじみとした哀愁のようなものを感じた。


「ここにも温度差みたいなものがあってさ……なんていうんだろ、期待のされ方? みたいなのがちょっときつくて。別にまだドラマに出れるって決まったわけじゃないのに」


「あー……」


 期待するなと言っても、彼らは謙遜だと思って聞き入れてはくれないだろう。

 これで神坂がオーディションに落ちれば、彼らはきっとガッカリする。

 勝手に期待されて、勝手に失望されるなんて、彼女からすればたまったもんじゃないのに。


「期待されるのは嬉しいけど、私の本業って結局モデルだし……ドラマとか映画とか、最近では歌とか? 全部事務所が勝手に私にやらせようとしてるだけだし。まあ、全部私がまだまだ新入りなのがいけないんだけどね……事務所の方針に逆らえないからさ」


「そいつは災難だな……」


「仕事って割り切れる歳でもないじゃん? それでなんか色々言われてもどうしようもないし……って、ごめん。なんか色々愚痴っちゃった」


 神坂は申し訳なさそうに顔を手で覆う。

 相当鬱憤が溜まっていたようだ。

 昨日うちの店で吐き出した分じゃ全然足りなかったんだろうな。


「俺、やっぱり神坂のこと誤解してたよ」


「誤解?」


「いつも冷静で達観してるように見えてたけど、ちゃんと苦しんでたんだな。……お前はよく頑張ってるよ。めちゃくちゃえらいと思う」


「……」


 俺がそう言うと、神坂はきょとんとした目になった。

 そして少しずつ、その目尻に涙が浮かび始める。


「なっ……⁉ 悪い、俺変なこと言ったか?」


「あっ、違う違う! ごめんね、変なところ見せて」


 神坂は自分の手で涙を拭う。

 その表情は傷ついているというより、どこか嬉しそうにも見えた。


「仕事の内容を褒められることはあるけど、努力を褒められるのって初めてだったから……感極まっちゃっただけ。むしろ嬉しいよ」


「ならよかった……みんな、もっと努力を誉めてくれたっていいのにな。神坂だって――――」


「しずく」


「え?」


「しずくって呼んでよ。御影くん……じゃなくて、純太郎にはそう呼ばれたい」


「っ!」


 彼女の潤んだ瞳が俺を射抜き、心臓がドクンと跳ねたのが分かった。

 いつものクールでかっこいい印象から打って変わって、上目づかいで見つめてくるその姿は、あまりにも可愛らしい。

 このねだり方で落ちない男がいるなら、ぜひ連れてきてほしいと思った。


「……分かった、じゃあ……しずくって呼ぶ」


「っ! うん、約束だからね?」


 そんな風に話し込んでいると、一限目の予鈴が鳴り響く。

 どうやらだいぶ時間を食ってしまったようだ。


「やばっ! 戻ろう、純太郎」


「……ああ」


 名前を呼ばれるだけで、どうして俺はこんなに動揺するのだろう。

 苦しいくらいに高鳴っている心臓を落ち着けながら、俺は神坂――――もとい、しずくと共に、教室へと戻った。


「ちょっと……攻めすぎたかな?」


「……?」


 しずくが何かつぶやいた気がしたが、俺はその声を聞き取ることができなかった。

 


◇◆◇


「ふぅ……」


 六限目が終わり、ようやく放課後が訪れた。

 寝ることなく授業を終えられた自分を褒めつつ、俺は帰り支度を済ませる。

 今日も今日とてバイトだ。

 俺は誰とも会話することなく、教室を出る。


 ちなみにしずくは放課後になってもクラスメイトに囲まれていた。

 一応目配せしたが、どうやら朝ほど困っているわけではなないようで、黙って首を横に振られた。

 

「おい、御影」


「真宮先生?」


「違う、アキラちゃんだ」


「……」


 廊下を歩いていると、突然そんな声に呼び止められる。

 振り返ると、そこにはどこか疲れた様子の女教師、『真宮まみやあきら』先生が立っていた。

 担当教科は現代文。

 それなのに白衣を着ているところと、不健康そうな隈が彼女の特徴だ。

 そして生徒には、何故か自分をアキラちゃんと呼ばせている。

 ただ年齢が二十七であることから、引いてしまっている人もいるとか、いないとか。


「……教師に対してアキラちゃん呼びはすごい抵抗あるんですけど」


「黙れ、呼ばなきゃ殺すぞ」


「とんでも教師だ……」


 とても教師が生徒に吐いていい言葉だとは思えないが、彼女はこれでも人気の高い教師だ。

 相談すれば親身になってくれるし、授業も分かりやすいことから、大多数の生徒から慕われている。

 地味で目立たない生徒である俺のこともちゃんとフルネームで呼んでくれるし、彼女が生徒思いなことは間違いない。

 それとよく見れば美人であることも、人気の理由の一つらしい。

 隈で分かりにくいが、確かに顔立ちは整っていると思う。

 

「お前、神坂と同じクラスだったよな?」


「はい、そうですけど」


「だったらこれ、渡しといてくれるか?」


 手渡されたのは、前回の授業で使ったプリントだった。


「前の授業の時、あいつモデルの仕事がどーとか言って休んだだろ? その時のプリントを渡しそびれてたんだ」


「分かりました、渡しておきます」


「そんじゃ。……それとあいつに言っとけ、働きすぎて体壊すなよって」


 素直じゃない先生だ。

 プリントなんて次回の授業で渡せばいいのに、わざわざその言葉を伝えたいがために遠回しな方法を選んでいる。


「……優しいですね、真宮先生」


「アキラちゃんだ。じゃ、頼んだぞ」


 俺に背を向けた真宮先生は、手を振ってから去っていく。

 

 今ならまだしずくも学校にいるかもしれない。

 踵を返した俺は、そのまま教室へと戻る。

 

「……遅かったか」


 しかしそこにしずくの姿はなかった。

 鞄もないし、どうやら入れ違いで帰ってしまったらしい。


(連絡先、交換しとけばよかったな)


 チャンスはあったが故に、少し後悔する。

 まあ渡すのは、最悪明日でもいいだろう。

 俺はプリントを丁寧に鞄にしまい、教室を後にした。


◇◆◇


「――――やあ、また来ちゃった」

 

 その日の夜、俺のバイト先の喫茶店に、再びしずくが現れた。



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