第3話 助太刀

「ちゃんと挨拶もしてくれて、いい子だね」


 二十一時過ぎ。

 閉店後の片づけをしながら、歌原さんがそう声をかけてきた。


「クラスメイトだっけ、あの……えっと……」


「神坂です」


「神坂ちゃんね。それにしても美人だったけど、もしかして芸能人だったり?」


「去年デビューした大人気モデルですよ。雑誌とかにもよく載ってます」


「へぇ……! すごいわね! やだ、今のちょっとおばさん臭い?」


「歌原さんがおばさんなわけないじゃないですか。まだまだ若いですよ」


「そう? よかったぁ」


 歌原さんは、ホッとしたように胸を撫でおろす。


 この店のマスターである歌原さんは、現在二十七歳。

 五年前、大学卒業と同時にお祖父さんからこの店を譲り受け、女手一つで切り盛りしてきたらしい。

 去年バイトを募集したのは、ただの気まぐれだと聞いた。

 その気まぐれに飛び込むことができた俺は、本当に運がいいと思う。


「帰る時には顔もすっきりしてる感じだったけど、どんな話したの?」


「モデル業で悩みがあったみたいですよ。俺はほとんど聞いてただけです」


「うそ。口説いてたくせに」


「なっ⁉ だから別に口説こうとしたわけじゃなくて――――」


「ふーん、別にいいもーん。私なんて一度も口説いてもらったことないのに! やっぱり若さなんだ! 純くんのおバカ!」


「歌原さんだって十分若いですって……」


「じゃあ私のことも口説いてくれる?」


「……無理ですよ。歌原さんみたいな美人で優しい人を口説くなんて、とても恐れ多いです」


 第一俺は根っからの陰キャだ。

 他人に対して気の利いた言葉なんて言えない。

 思ったことはそのまま口にしてしまうし、言いたくないなら口を閉ざすしかない。


「……そういうところだよね、純くん」


「え?」


「さーて、片付け片付け」


 何故俺は顔を背けられてしまったのだろうか。

 ひとまず俺は、いつも通りテーブルを拭いて回ることにした。


◇◆◇


 私――――神坂しずくは、家に帰ってきてすぐに台所を漁っていた。


「……あった!」


 探していたのは、お母さんが買ったドリップコーヒー。

 ずいぶん前に買ってから全然飲んでないけれど、悪くなってはいないようだ。


「お湯を沸かして……っと」


 電子ケトルでお湯を沸かし、カップにセットしたフィルターにそれを注ぐ。

 挽いた豆を通して抽出されたコーヒーが、カップに溜まり始めた。

 やがて一杯分注ぎきったところで、私はフィルターを外す。

 

「いただきます……」


 口をつけてみると、きつい苦みと酸味を感じた。

 間違いなくこれは私の知るコーヒーだ。

 しかし、喫茶メロウで飲んだものは、もはや別の飲み物と言われたほうが納得してしまうくらい飲みやすく、そして味わい深かった。

 あれは果たして、本当にコーヒーだったのだろうか?


「早く……また行きたいな」


 御影くんと会えたおかげで、私は衝動的な行動に出ずに済んだ。

 小さな嫌なことが積み重なり、今にも辞めようとしていたモデル業。

 まだ少し、怖い部分もあるけれど、むしろ立ち向かってやるとすら思えるようになっていた。

 

「それにしても……御影くんって」


 頭の中に彼の顔が浮かんでくる。

 髪を一つに結んだ彼は、想像以上に端正な顔立ちをしていた。

 あれで喫茶店勤務は、モテてもおかしくない。

 学校では目立たない男の子の意外な一面を知ったことで、不覚にもトキメキを覚えてしまう。


「御影くんがあそこで働いてるのって……私以外知らないんだよね?」


 淹れたコーヒーを一気に飲み干し、私は自室に戻る。

 苦いはずのコーヒーは、何故か最後にちょっとだけ、甘く感じられた。


◇◆◇


 翌日の学校。

 いつも通り登校した俺は、早々に机に突っ伏した。

 コーヒーというのは奥が深いもので、目当ての味にたどり着くには、日々練習を積まなければならない。

 バイトが終わって帰宅したら、毎日遅くまでドリップの練習をする。

 理想のコーヒーを淹れるためには、洗練された技術が必要なのだ。


(それで寝不足になってるのは、我ながらバカとしか言いようがないけど……)


 あくびを噛み殺しながら、俺は目を閉じる。

 ちなみに言っておくが、俺は眠いから寝ようとしているだけで、ボッチ認定を免れるためにこうしているわけではない。


「しずく! 今度のドラマで『稲盛玲子いなもりれいこ』と共演するってほんと⁉」


 甲高い女子の声で、俺は眠りの淵から現実へと呼び戻される。

『稲盛玲子』という名前で、教室中は騒然としていた。


「稲盛玲子って……あの稲盛玲子⁉」


「それしかいねぇだろ! バカ!」


 男子たちの間抜けなやり取りをよそに、神坂は困ったように頭を掻く。

 稲盛玲子とは、様々なドラマや映画で絶賛活躍中の大人気女優。

 昨年の付き合いたい女優ナンバーワン、憧れの女優ナンバーワンの座に輝き、性別問わず人気であることを世間に知らしめた超人。

 芸能界でも、トップクラスの知名度を誇るカリスマだ。


「参ったな……どこからその話が出たの?」


「玲子ちゃんのオンスタで本人が言ってたよ! ドラマのオーディションで、モデルの『SHIZUKU』に会ったって!」


「あー……向こうの事務所はそういうこと言っていいんだ」


 たははと笑った神坂は、仕方ないといった様子で一つ頷く。


「詳しいことは言えないけど、確かに私は今、稲盛玲子さんと同じドラマのオーディションを受けてるよ。でも役を貰えるかどうかは分からないし、まだ何か決まったわけじゃないから、みんな早とちりはしないでね?」


「えー! すごいすごい! マジですごいよ! しずく! 放送されたら、私絶対見逃さないようにするね!」


「……ありがと」


 今日も神坂は、たくさんの人に囲まれている。

 みんな、彼女の周りで『SHIZUKU』の話をしていた。

 しかしその『SHIZUKU』本人が引き攣った笑みを浮かべていることには、誰も気づいていない。


「……はぁ」


 俺はため息をついて、席を立つ。

 

「神坂」


「え……?」


 俺が声をかけると、途端に周囲が静まりかえる。

 こんなに白けるとは思っておらず、背中に冷や汗が滲んだ。

 声をかけてしまった以上、もう引き下がれないのだが――――。


「せ、先生が呼んでたぞ。昨日の撮影で不審者に絡まれた件で話があるとか……なんとか……」


 昨日神坂から聞いた話を元に、事をでっち上げる。

 もうすぐホームルームが始まるのに先生が呼びだすわけがないし、矛盾だらけではあるものの、ひとまずこれで助け舟は出せたはず。


「わ、分かった! ありがとう、ちょっとその先生のとこまで案内してもらっていいかな?」


「え?」


「ほらほら、そういうのはホームルーム前に済ませとかないと!」


「お、おい……!」


 背中を押された俺は、何故か神坂と共に教室を出る。

 意図は伝わったようだが、どうして俺まで連れていかれているのだろうか?

 しかしここで問答はできない。

 俺たちは職員室へ向かうフリをして、人気のないところに身を隠した。



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