28 くりかえされる幻想

 人生が呪われている――バドはそう感じはじめていた。


 目的地ははっきりしているのにたどりつく路がみつからない。

 路がみえたかと思いきや、すぐに暗闇に閉ざされてしまう。

 そして絶望寸前にあかりが射したかと思い、喜び勇んで駆けよれば、やはりただの幻想なのだ。

 しかもそれがくりかえされる。

 道化師の笑い声が聞こえてくるかのようだった。


 自分だけがそうなのか?

 いや、トレヴァもそうだ。

 だが、なぜかこの人生の路地裏にさまよいこんだことで苦悶しているのは世界で自分だけのような気がする。

 

 バドはいらだちから奥歯をかむ。

 表通りにでたバドとすれちがった通行人たちはバドの形相をみて、驚いたり、目をそらしたりした。


 無我夢中で獲物を追いかけるオオカミのように、バドは大股で〈夕凪館〉へと向かい、到着するやいなや入口ドアをつきやぶるようにして押し開けた。

 店内に響きわたった大きな打音に、カウンターにいたなじみのバーテンダーが思わず姿勢をただす。


「なな、なんだ!?」


「ああ、トミーは!?」


 バドは息をととのえながら訊ねる。

 せまい店内の、うす暗い湿っぽさのなかにあって、ようやくバドは自分の鼓動がはちきれんばかりに荒れていることに気づいた。ドクドクと脈動が耳もとでする。


「なんだよ、バドか。いきなりびっくりするじゃないか」


 バーテンダーは口もとをゆがめる。


「なぁ、トミーはどこだ? 昨日の夜、おれとここにいただろ?」


 バドは店内に踏みこんでフロアの中央で、きょろきょろする。

 しかし、店内にはもうバーテンダー以外はいないようだ。

 どちらかといえば、もう夕べ以降の営業の準備に入っている時間帯だから当然だろう。


「は? トミーだ? なんだかよくわからんな。朝はトレヴァがおまえをさがしにきて、今度はおまえがトミーかよ。なんだ、おまえら、いい年こいて、かくれんぼでもしてんのか?」


 バーテンダーはクツクツと笑う。

 しかし、バドにはバーテンダーの冗談につきあう余裕はなかった。


「なあ、ふざけてる場合じゃないんだって!? 知ってるのか知らないのか教えてくれよ!?」


 すると、バドはふと背後に気配を感じて、ふりかえろうとすると頭頂部をすっぽりと大きな手でわしづかみにされた。

 しかもぎりぎりと握力が強められ、締めつけられる。


「ぐえ!?」


 バドの(それほどちいさくもない)あたまをやすやすとつつみこんだのは、巨漢のマスターの右手だった。


「おい、だれがふざけてるって……? ずいぶんなごあいさつじゃねえか、バド。うちのドアを壊しにきたんじゃねえよなぁ?」


 マスターはそのまま右手の握力をさらに強め、バドを片手でもちあげて反転させ、自分の目線とおなじ高さにバドの顔をもってくる。

 元船乗りの肩書きはだてじゃない。

 しかもいつ現れたのかわからなかったし、知らないうちに背後をとられていた。


「あ、いえ、お」


 バドは両脚をばたつかせる。

 しかし、目のまえには浅黒く日焼けした豪快なひげ面が待ちかまえていたので自然とおとなしくなる。


「あ、す、すみません」


 バドは素直に謝罪する。

 そうしなければそのままにぎりつぶされてしまうような気さえした。


「もうしません。さっきのは勢いで――」


 マスターはしばらく言い訳しながら謝りつづけるバドをみていたが、やがてにやりとすると、パッと手を離した。

 バドは床に落下して、体勢をくずしてころぶ。


「勢いでやってしまいましたで、なんでもゆるされると思っちゃいけねぇな。つぎおなじことをやったら、蹴り殺す」


 マスターはにこにこしながら軽快に話す。笑顔なのに少しも笑っていない。

 バドがうにゃうにゃと口内でぼやくと、マスターはそのまま左手にもっていたらしいモップで床の清掃にもどった。

 バドが胸をなでおろすと、バーテンダーがクツクツとふくみ笑いをする。


 それをバドがにらむと、「トミーならもうでてったぜ。トレヴァがおまえをさがしにきたとき、一度起きたんだけど、またそのあと酔いつぶれていたから、オレが起こしてたたきだしてやったんだよ。あいつも見るも無残な状態だったからな。マスターが仕入れからもどってくるまえに、店外にだしてやろうっていうオレの愛情さ。そうでなきゃ、いまごろあいつは、おまえよりひどい目にあってる」とバーテンダーが鼻をならす。


「まァ、それもマスターの愛情だけどな。クク」


「え、あ、そうか――」


 バドは落胆する。

 何度も障害にぶつかってきたが、ここにくればなんとかなると、まだ期待していたのだ。

 バドが真顔になっているので、バーテンダーは口をすぼめる。


「そういえば――そのあとメオラもここにきたぞ」


「え? メオラ?」


 バドは顔をあげる。


「ああ、デュアンをさがしにきたんだったかな」


 バーテンダーはバドの真剣な表情を気にしながらも笑みをうかべる。


「おまえら、ほんとにかくれんぼでもしてんじゃないの?」


 しかし、バドはもうバーテンダーの話を聞いていなかった。

 そういえば、トミーがまだ向かいそうな場所があった。

 デュアンとメオラの家だ。デュアンが死んでいて、それをメオラがさがしているという、バドにとってはよくわからない状況だが、トミーがメオラに接触をこころみるということは充分にありえた。


 なぜなら、(バドの勝手な感想だが)トミーはメオラをさりげなく狙っているからだ。デュアンの手前、あまり露骨に態度にはださなかったし、そもそも愛情ではなく劣情のたぐいにちがいなかったが……。


 トミーはメオラを同伴させて〈鹿の角団〉へと交渉をしかけるつもりにちがいない。

 トミーの性格などわかっているつもりだったが、いままで以上に狡いぬけがけだ。


 バドはムッとする。

 もうずっと脳裏は沸騰しているままだったが、またさらに血液がマグマのように送りこまれるのを感じた。


 バドはからかい半分に語りかけてくるバーテンダーを無視して店をとびだした。

 バーテンダーはバドをひきとめるかのように、無意味に空をかく。


「あ、おい? なんだよ……まったく――」


 するとそれから5分もしないうちに、ふたたびドアが開いた。

 バーテンダーが目を向けると、先頭にトレヴァが、そしてそのうしろにはぞろぞろと三人の集団がいた。


 バーテンダーは目を細める。

 背の高い切れ者らしい男、夜の町でもみかけそうな全体的に雅な印象の小柄の女、とりたてて特徴のない平凡な青年。

 三人は扮装や背格好に統一感はなく、不可解といえばそうだったが、(日がなこの店の出入りをしている)ならず者たちが放っているようなほの暗さはまとっていない。


「なんだよ、トレヴァ? 団体さんの客でも紹介してくれるのか? そういや、さっきもあんたらみたいな性別も年齢も似通ってない連中を店じまいだから追いかえしたところだったけど。火の国の関係者だかっていう――」


 バーテンダーが両目を大きくすると、女と青年が視線をかわした。

 しかしそれには答えず、トレヴァが泡食ったように問いかえしてきた。


「ああ、いや、そういうわけじゃないんだけどさ――」


 トレヴァはひたいにうかべた汗をぬぐう。


「バドがこなかったかな?」


「ん?」


 バーテンダーは眉をしかめる。


「またかくれんぼか」


「え、かくれんぼ?」


 トレヴァが問いかえしたが、バーテンダーは手もとにグラスをとって、布巾でぬぐいはじめる。


「なんだかおまえらの行動が執拗すぎて笑えなくなってきたな。なにが笑えないっておまえらの目つきがいやにまじでさ。トラブルなら勘弁してくれよ」


「え?」


「バドならきたよ。すぐにでていったけど」


「え、あ、どこに?」


「知らんさ。冗談さえ聞く耳もたない感じだったけどな、いまのおまえみたいに――」


 トレヴァはすぐうしろのディレンツァをちらりとふりかえる。

 つい依頼心がでてしまったが、当然ながらディレンツァにだって(トミーを追いかけている)バドの行くあてなどわかるはずもない。アルバート王子やルイなどなおさらだろう。


「――そういや、バドの野郎に教えてやろうとしたら話し半分でどっかいっちまったけど、おまえらがくるまえにメオラも店にきたんだよ」


 バーテンダーがふと手をとめて、前髪を横になでつける。


「メオラが?」


「ああ、なんでもデュアンをさがしにきたとか、なんとか」


「え、デュアン?」


 トレヴァがおうむ返しに応える。

 バーテンダーは口もとをゆがませる。


「いちいち反応が大きいな」


 トレヴァは思いだす。

 今朝、デュアンとメオラは二人の家にいた。

 トレヴァはソファのうえで痴態を演じている二人を確認した。

 しかしデュアンはついさっき、トレヴァたちのぼろ家で死亡していた。


 そのデスマスクを思いかえす。

 トレヴァは眉根をよせる。

 かれらの行動がいまいち理解できない。

 それでもメオラの居所を確認する必要はあるかもしれない。


 バーテンダーがフンと鼻をならす。鼻腔にほこりでも入ったかのように。


「メオラがいうには、デュアンがトミーに呼びだされて外出したらしいけど、なかなか帰ってこないとかなんとか――」

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