27 歓迎できない流れ

「――まったく、どうしてああいう軽率で無分別で短絡的なやつって、やたらと体力があったり脚力があったりするのかしらね」


 ルイが息をみだしながらぼやく。

 顔が上気して紅潮しているのは心拍数があがっているせいもあるが、ふつふつと湧いている怒りにも起因しているだろう。


 ルイが口走った内容には偏見が多くふくまれていると考えられたが、アルバートはルイ以上に心悸がはげしく、のどもなにかがつまっているのではないかと思うくらい苦しかったため、返事をすることも不同意を示すこともできなかった。


 ルイとアルバートは港から脱兎のごとく駆けだしたバドをずっと追跡していたが、(それほど裕福ではない)住民たちの居住区域に入ったあたりで見失ってしまった。


 もっとも、アルバートはルイのうしろをこけつまろびつしていただけなので、ルイの舌打ちでその事実に気づいた。


 路地裏にひろがるちいさな平屋住居の群れはいずれも雑然とちらかっている。

 どの建物にも必要なものとそうでないものの区別がないらしい。


 敷地の境界もわからないぐらいこまかなものがあふれ、しかし掃除やかたづけとは無縁で、それらは例外なくふれる気がうせるほどよごれたり、潮風に錆びていたり、一部が損傷していたりした。


 路地にとびこんだところで、ルイがバケツのふたを蹴って割ってしまったが、仮に蹴らなかったとしても最初からバケツをふさぐ役割は果たせないぐらい決定的に欠けているような代物だった。


「ああ、もう!! うしろすがたもみえなくなっちゃったわ!」


 ルイが鼻息をもらす。そして、きょろきょろと周辺をうかがいながらつぶやく。


「たぶん、あいつはここらあたりにいるわよ。あの汚らしい恰好からして、このへんの住人であることはまちがいないわ。いわば縄張りよ。家にでも向かってるのかしら。私たちを巻くためにうろちょろしてるとは思えないし」


「――そうかもしれないけど、酷評だね」


 アルバートが頬をこすりながら苦笑いする。


「まわるわよ」


 ルイが無視して目を光らせる。


「ん? なにが?」


「まわるのよ。あいつにくっついていけば事態が展開するわ」


「……なんでまた?」


「私の勘よ」


「なんだ……」


「でも、あいつが目の色を変えている感じが、なにかを物語っているのよ。それが私たちにも無縁ではないような気がする」


「まァ、〈鹿の角団〉がらみのようだしね」


「――そういうことが言いたいわけじゃないんだけど」


 ルイが目をほそめて路地のさきをみつめる。

 横顔がまじめだったので、アルバートは口をつぐんだ。


 すると、アルバートは目前の家のまえに立つ子どもに気づいた。

 子どもはうすよごれた肌をしており、髪もあぶらっぽく服装も雑だったため、廃忘とした風景にあまりにも馴染んでいた。


 アルバートと目があっても、表情ひとつくずさず右のひとさし指で鼻をほじっている。男の子か女の子かさえよくわからない。


「ねえ、君、いまこのまえを人が通らなかったかな?」


 それでもアルバートはせっかくだから問いかけてみることにした。

 それに気づいて、ルイも子どもをみる。

 おおかたの予想では無反応かと思ったが、子どもはこっくりとうなずいた。


「それって、短足で筋肉ばかっぽいやつ?」


 ルイがかさねて訊ねる。

 あまりにも批判的な言いぐさにアルバートは頬をひきつらせる。

 子どもはあごを20度くらい左にかたむけた。肯定か否定かはっきりしない。


「あーもー、じれったい!」とルイが発狂しそうになる。


「ぼくらがさがしてるのは、バドくんっていうんだけど知らないかな?」


 アルバートが辛抱づよく語りかける。

 すると、子どもは右鼻につっこんでいた指をそっとひきぬく。

 そして、その指でそっと路地の奥をゆびさし「二軒さきを左に曲がって、つきあたり」とつぶやいた。方向を指し示したそのひとさし指には真珠のようにきれいな鼻くそがついている。


「あ、ありがとう」


 アルバートがたじろぎながら感謝する。

 それからふりかえろうとすると、ルイはもう駆けだしていた。

 

 アルバートは言葉にならないぼやきをあげてからあわてて追いかける。

 それでも去りぎわに子どもに向けて「鼻をほじるのはあまりかっこよくないよ」とわざわざ声をかけた。

 子どもは鼻を一度だけスンとすすった。


 路地を左に折れたところで、ルイがゆびさす。


「あそこね! あの家だわ。なんだか貧乏くさいうえに、まともじゃない雰囲気をかもしだしてるもの!!」


 あいかわらずひどい言いようだと思ったが、そのツタがからまった建物がみえるにつれ、アルバートも(ルイの意見の後者については)似たような印象をもった。


 敷地に入ったところで二人はたちどまる。

 庭もまた一帯の様子とおなじく雑然と散らかり、雑草などもはえるがまま放置されていた。

 ところどころ夏草が顔をのぞかせており、このままにしておくと余計に荒れ果てていってしまいそうだった。


「この土地だけ周辺よりひろいのに……もったいないね」


 アルバートがつぶやく。手入れがいきとどいていないことをいっているのだろう。


「ひろけりゃいいってものじゃないのよ。大だって小を兼ねないことはあるわ」


 ルイが口をとがらせる。

 すると、住居のドアがまるで爆発でもせんばかりの勢いで開け放たれた。


 ルイもアルバートも焦りをうかべながら思わずみがまえる。

 アルバートはなぜかファイティングポーズをとった。殴り合いなど生まれてから一度もしたことないだろうに。


 ドアからとびだしてきたのは(ルイたちが一瞬脳裏で想像したような)廃墟の幽霊でもこわもての盗賊でもなく、猛り狂っているバドだった。


 猛牛のようなテンションだったため、激突を避けるべく道を開けようとしたが、ルイが相手がバドだと気づくやいなや、その目前に手をさしだして牽制しようとした。

 もともとバドの暴走をとめるために追いかけてきたのだから、ルイにとっては自然な行動といえる。


 しかしそれによって、バドの左半身がルイの右半身にぶつかるかっこうになって、結果ルイははじきとばされ、しりもちをついた。


「痛っいなぁもう!」


 ルイの怒声に、たちどまったバドは一瞬青ざめたものの、相手をルイだと視認すると「なんだよ、またおまえか!」と吐きすてる。


「あなたね、前方不注意にもほどがあるわよ! 目はみえてるの!? ただの節穴!?」


 ルイはアルバートに起こされながら毒づく。


「バッファローだってそんな無駄な体当たりしないわ」


 ルイは全身がしびれていたが、バドは左肩をさすっている程度だった。


「うるせえな、おまえらが金魚のフンみてぇにおれにつきまとうからだろ!?」


 ルイたちを睥睨したのち、バドはわきにペッとつばを吐いてから、ふたたび走り去ってしまった。


 アルバートがなにか応えようとしたが、バドの暴挙にルイが逆上しそうになってあばれたため、言葉をかけられずじまいになってしまった。

 ルイたちとバドとの溝はふかまるばかりである。


 すると、ドアから思いがけない人物が顔をだした。

 ディレンツァだった。


「あれ、こんなところにいたんだ――」


 アルバートは思わず声をかけたが、ディレンツァにとって自分たちもまったくもって同様にみえたにちがいない。

 ディレンツァはルイとアルバートを数秒ずつ凝視したが、そのままなにも話さず、バドの背中を追いかけるように路地のほうへ目をそらした。


「……役者がそろったってことは」


 ルイが微笑する。


「この流れでまちがいなかったってことよね」


「え? ん? まぁ」


 アルバートがあいまいに同意する。


「でもまさかディレンツァも、あの子にかかわってるなんて思わなかったよ」


 ディレンツァがゆっくりと二人に視線をもどす。


「私はたまさか、あの少年の友人と知り合っただけで、王子たちがなにをしてきたのかはわからないが、あまり歓迎できる流れとはいえない」


 ルイとアルバートはディレンツァをみる。

 すると、その背後からもう一人少年が現れた。

 その少年はルイとアルバートをみると、居心地がわるそうな顔をした。

 確かにバドとおなじ世代だと思われたが、倦みつかれた表情は大人のようですらある。


「建物のなかに死体があった」


 ディレンツァが少年の背中に手をまわし、二人のまえに押しだす。


「このトレヴァと、いま二人が遭遇したバドの仲間のものだ」


「え……?」


 アルバートが挙動不審になる。


「死体って――」


 ルイも二の句が告げられなくなる。どういうことなのかわからない。

 しかし、ディレンツァにもそれが理解できているふしはない。


「とりあえず、おたがいの情報交換は途中でするとして、バドを追いかけないといけない」


 ディレンツァが少年の肩に手をおく。


「そうだろう?」


「あ、ええ。そうです。このままだと――」


 トレヴァと呼ばれた少年がうなずく。その少しうるんだ瞳で、そのさきの言葉は聞かないでも想像できた。


「中心にいるのは〈鹿の角団〉だ――」


 ディレンツァが走りがけに、だれにというわけでもなくつぶやいた。

 しかしそれによって、全員が息を呑む音が荒れた庭に響いた気がした。


 よくない気配にルイのうなじの産毛が敏感になる。

 ディレンツァがもたらした「死体」の情報にもよるのかもしれないが、まだ日も高いのに、まるで墓場からよみがえった亡霊たちがこの町をとりかこんでいるかのような、そんな気持ちがした。

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