25 判で押したような忠告

 気持ちがあせればあせるほどに、みずからの脚は遅く、重たくなっているような気がした。

 湾岸事務所などもう幾度となく来訪していたし、高台から坂道を町に向けてくだっていくこともそのつどこなしてきたわけだが、みずからの動きがまるで泥沼のうえを這っていくかのような速度に感じられてバドはいらだつ。


 息は荒れていたし、肺も心臓も悲鳴をあげていたが、高揚感がそれを覆いかくしていた。

 さながら鞭をうたれる馬車馬のようにバドは駆けていた。


 脳裏にあるのは成功のビジョンだけだった。

 丸石から丸石へと跳びのって遊ぶ子どものように、バドはイメージのなかで段階を経て、時代の寵児へと変身していく。


〈鹿の角団〉でも幹部以上に昇りつめれば、それ相応の影響力をもつ人物として世間に知られるようになるのだ。

 やっと草原の国の傭兵団の徴募に落ちたときの情けなくくすぶっていた自分と決別できた気がした。


 バドは細かい砂利を踏みつぶしながら斜面を駆けおり、港の敷地内に入った。

 その剣幕に驚いて、猫たちが動きをとめ、耳をさかだて、目を大きくしてバドをみた。何匹かにいたってはなにかしらの累をおそれて倉庫群の裏へと逃げだした。

 そんな光景を見やったところで、背後から声がした。


「ちょっとー!! 待ちなさいよ!!」


 勘にさわる声だった。さきほどの女らしい。


「とまりなさいよ! あなたのためなんだから!!」


 バドは憤慨してふりむき、叫ぶ。


「うるせー! なんでおれのためなんだよ!!」


 たちどまって、歯ぎしりをする。

 残っていた猫たちが一目散に方々へと消えた。


 不注意で考えなしのバドに対して、いままで多くの人が忠告をしてきた。

 その枕詞、あるいは結びの文句はたいてい「おまえのため」だった。

 ゆえに、その言葉はいまではバドの着火材のようなものだったし、それを見ず知らずの女にまで使われたことが癪だったのだ。


「あなたね、なにをそんなに泡喰ってるのか知らないけど、むきになって急いでいいことなんか、人生にはなにひとつないのよ?」


「やかましい!! なんだよ、説教のつもりか!? ああ? まさか、さっき、ぶつかったことをまだ根にもってんのかよ!? あれだって、悪いのはおまえらだ!! てか、事情も知らないくせに、ああだこうだいってくるんじゃねェよ!!」


 バドが両腕をふりまわしながらわめくと、ルイはむっとして口をへの字にする。


「事情を知ってようが知らなかろうが関係ないの。とりあえず落ち着きなさいよ。なにがあるにしたって、取り乱して良いことなんかないんだから。これは私の経験則よ」


「おまえの話なんかどうでもいいわ! そんな暇はねェんだ!!」


「だれが私の話をしてるのよ、落ち着いて聞きなさいよ、ばかっていやだわー」


「あ!? さりげなく、ばかとかいったな? ――おまえ、性根ゆがみすぎなんだよ、さっきから!!」


「うるさいわね、短足!!」


「それはこっちのせりふだ、乳なし!!」


「あなたね、よくみないうちから適当なこと言ってんじゃないわよ!?」


 ルイとバドがなんやかやもめているうちに、アルバートが追いついてきた。

 過呼吸ののら犬のように息が切れており、鼻水がたれ、目のきわに涙が浮かんでいる。

 アルバートはなにか話そうとしたが、ぜーはーぜーはー息がつづかず、両膝に両手をついてかがみながら肩で息をし、最終的にはよだれもたらした。


 その一連があまりにも滑稽だったため、ルイとバドは目を点にして一瞬黙りこんだのち、噴きだして、腹を抱えながら笑いだした。


「な、なんなの、ぶざますぎるわよ、王子!?」「なんだよ、おまえ、なんか知らないけど無理しすぎだろ!?」


「ふ、二人を――心配して……追いかけてきたのに」


 アルバートは口もとをぬぐい、眉をしかめる。


「なんだかすごい言われようだ」


「まったく、なんなんだか――」


 バドがひと呼吸おいて、ルイたちを見据える。


「おれを笑わせるためにきたんじゃないよな。わかってると思うけど、用事があって手がはなせないときに部外者にいきなり呼びとめられたり、追いかけられたりっていうのは気分のいいもんじゃないぜ」


 アルバートが息をととのえていて返事ができないため、ルイが応える。


「さっきの事務所にいた船乗りの人が心配してたのよ。あなたがみょうにあせってるみたいだから。しかも、あなたが浮き足だってるときほど、ろくなことがなさそうだって」


 ルイの率直な物言いが気になったが、アルバートは息も乱れていたし、立場も危うかったので口だしできなかった。

 しかし、バドはもうかんしゃくは起こさなかった。


「ふん、どうせおれたちがなにをやってたって反対されるし、文句もでるんだ。あのオヤジたちの世代は、おれたちのことが気に入らないんだよ。偉そうなこと言って、要するにおれたちがあいつらのいうとおりにしないのがまんできないだけさ。自分たちだって、ほめられるような生きかたをしてきたわけでもないくせにな」


 バドはそのとき、家をとびだすまえの無骨な父親の無表情にも似た横顔を思いだした。

 自分の将来像についてバドがどんな意見を主張し、なにを語っても、父親は終始、無言をつらぬいていた。無反応という反意だったのだ。


 くわえて父親以外の大人たちは異論をとなえ、バドの反駁さえも一蹴した。

 バドのまわりの大人たちは、だれ一人「それでいい」とは言ってくれなかった。

 バドは幼いときから不満を感じればそうしていたように、自然とくちびるをとがらせる。


「――まァ、気持ちはわからなくはないけど」


 ようやく落ち着いたアルバートが参加する。


「でも、盗賊やらギャングっていう生きかたは許容しづらいよね、やっぱり」


「ふん、それだって名ばかりみたいなものさ。ギャング団っていっても、たとえば街道で商業馬車を襲ったりしたことなんかは一度もないんだぜ。せいぜい、あくどい金持ちの家からさしさわりがない程度に盗みをしたぐらいさ」


「まだましじゃない」


 ルイがさらっと感想をのべる。


「中途半端だけど」


「わかってるよ、うるせーな」


 バドはふたたび神経質そうに吐きすてた。


「半端者っていえば、そんなのだれだってそうだし、きっとぼくだってそうなんだけどね」


 アルバートがなだめるようにつぶやく。


「よくわかってるじゃない」とルイは笑いとばそうと思ったが、内輪もめなどしていてもバドをひきとめることができそうもないのでやめて、バドをみる。


「なにかあるごとに、あなたがちょっとだけ脚をとめて、冷静になって考えるようなら、だれも反対意見ばっかり言わないんじゃないかしらね。なにをそんなに急いでいるのよ」


「ふん、そんなのただのおせっかいだ。おれはこういう性格だから、仕方がないんだよ。それにおれがすることをずいぶん気にかけてるようだけど、知らないほうが身のためだと思うね」


 バドは斜にかまえる。


「どうして?」


 アルバートが問い、ルイが「そうやってかくそうとするから余計にあやしまれるのよね」とまるで挑発するようにつぶやく。


「ふん、おまえらがどこのだれかは知らないが、少なからず盗賊のたぐいにはみえないからな。かたぎの人間は頚をつっこまないほうがいいのさ」


 アルバートとルイはちらりと視線をかわす。

 おそらく、おなじ疑念が胸によぎったのだ。


「それって、〈鹿の角団〉に関係していることかな?」


 二人を代表して、アルバートが訊ねた。

 すると、バドは思いのほかうろたえた。


「え、なんだよ、おまえら――そんな身なりしてるくせに、まさか賊なのか?」


「あ、いや、ぼくらは君のいうかたぎの人だよ。ただちょっと〈鹿の角団〉に遺恨があるだけで」


 アルバートはなぜか「えへへ」と笑う。

 逆に不信感をもたれそうな軽薄さだった。

 ルイは疑惑の目を向けられるまえに話をつぐことにした。


「〈鹿の角団〉にからもうとしてるなら、悪いこといわないからやめときなさいよ。あいつらはまともじゃないわよ。やけにととのった組織で、一見まともな感じがするから余計にまともじゃないの。わかるかしら。世間が噂する以上に、あなたが思っている以上に、危険な連中なのよ、あれは」


 ルイは瞳でつたえるつもりで、バドをみつめた。

 バドに出逢ってからはじめて、言葉だけではなく意味を理解してもらおうと真摯にうったえた。

 ルイが教訓としてもっている感情をなるべく率直に表現することで、その表層だけでも感じてもらえればと思った。


 しかし、よかれと思うがゆえに、それが逆効果になってしまう可能性は考慮できなかった。

 バドは露骨に顔つきをゆがめ、反感をあらわしたのだ。


「もうそんな忠告やら助言やらはとっくに聞き飽きてるよ! ありがたいことに、どいつもこいつも判を押したようにおなじせりふばっかりだ!!」


 バドが右脚をふりあげ、たたきつけるかのようにふりおろし地面を蹴った。

 あまりに大きな音が響いたので、ルイもアルバートも若干および腰になる。


「耳がすっぱくなるぐらい聞いたぜ!」


 バドは鼻を鳴らす。


「ご教唆いただき、ありがとうございます、だ!」


 そして、にらみをきかせたのち、地面につばを吐いてから二人に背中をむけて駆けだした。


 そのうしろすがたをみつめながら、「うーん、うまくいってると思ったんだけどな、なにかまちがったのかしら」


ルイが渋面になる。大事な花瓶を割ってしまったかのような表情だった。


「いや、言ってることはひとつもまちがってないよね――」


 アルバートはうなずく。

 主張は少しもまちがっていないはずだ。

 まわりの人々から何度も聞かされているならなおさらだ。

 ルイにもアルバートにも、バドのなかにある情動の流れのようなものが把握できていなかっただけなのだろう。


「でも、あの子が〈鹿の角団〉にかかわってることは明白ね」


 ルイが目を細める。


「うん、それも、良いかかわりかたではないね」


 アルバートも同意した。


「まァ、良い関係なんて築けるわけないんだけど」


 ルイはみずからの頬をなでる。


「興味ももてるし刺激的な事態ではあるけれど、あの子の個人的なアクシデントのようだし、あんまり深入りすると私たちもあぶないかもしれない」


「でも――ほっとけないよ」


 アルバートは腰がひけていたが、それなりに強い瞳をしていた。

 しかし、ルイもまたそのつもりだったので、「めずらしく意見が合ったわね。まァ、人生には危険も安全もないもの。渡りに船よ。本物の船で渡れなくて困ってるんだもの、こっちくらいは乗らないと」そういって合図を送る。


「追いかけましょう」


 そして、ルイは駆けだした。


「遅れるんじゃないわよ!」


 かもしかのようにさくさく走るルイのうしろを、言葉にならない返事を叫びながらアルバートがのたのたと追従した。

 高鳴る鼓動と、どことない危機の匂いに緊張しながら走る二人のとなりには、そんなことは露しらずといった午後のおだやかな海がひろがり、白い波をたてていた。

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