23 生きる姿勢のすべて

 ルイは目を閉じて、鳥のように風にのって空を飛んでいくイメージをしていた。

 心のなかで翼をひろげるだけで、それはふしぎと解放感につながった。

 

 アルバートはあいかわらずこわもての水夫とにこやかに話しこんでいた。

 水夫が一方的に不満をたれながし、アルバートが受け流しているだけだった。

 不毛にも思える。


「――ったく、なにもかもガチガチに管理されるのは問題だよ。国ができて、社会的な組織がたくさん構築されて、国民がある程度安心して暮らせるようになったのはいいことかもしれないよ。でも、おかげで不自由になっちまったことはいくらでもある」


「安全でも身動きはとりづらいですか」


「ああ。俺は自分のことは自分でやりたいくちだ。責任の意味だって、さすがにこの歳になりゃわかってるつもりだぜ。女房だっているし、ガキだって三人も育ててる。海で不可解な事件が起こってて船がバンバン沈没してるんだから、それが危険だってことも充分わかってるんだよ。でもだからこそ、俺たちみたいな海のプロフェッショナルが動かなきゃいけないんじゃないのかい? 危険を承知で頼んでいるんだし、それでだれかに迷惑をかけるおそれがあるなら、俺たちの組合で保証金を積んだっていいって言ってるんだ。俺たちの船が沈んで、浜辺にうちあげられちまうようなら、それで人を雇ってあと片づけをしてくれりゃいい。それで、ああ、あいつらは言うことを聞かなかったばか野郎どもだって鼻で嗤ってくれりゃいいんだよ。ん? 女房と子ども? 俺たちは俺たちになんかあったときのために、組合共済を設けて資金を貯蓄してきたからだいじょうぶさ。それに船乗りの家族ならそんな覚悟だってできてるはずだ――」


「なるほど。本当はつらいけれど、覚悟はもっていると」


 アルバートは水夫の言葉尻にあわせて、ころころと表情を微妙に変化させていた。そんなところだけはとても器用だ。

 

 水夫の愚痴は典型的な制度批判だった。

 100年まえの建国時、民衆によって国王万歳と諸手をあげて叫ばれ、歓喜とともに受けいれられたさまざまな改革は、歴史書に記録されたり、教会で声高に敬意をはらえと諭されるほど、万人にとって機能的で格別なものではないとルイも思っている。


 水夫になにかを話しかけようかとルイが思った矢先――ふと、湾岸事務所のほうから人垣をかきわけるようにして青年が現れた。

 事務所からでてきたのか、入口付近にいたのかはわからない。その青年にはどこか神秘的なおもむきがあった。


 もちろん森の妖精とか天使とか、そういう雰囲気とはちがう。

 ただ人目を惹きつける独特の求心力をもっているようにみえたのだ。

 ルイの目にそう映っただけかと思ったが、アルバートも目をうばわれていた。


 青年はまっすぐにルイたちのほうに向かってきた。

 目鼻だちもきれいで、適度に日焼けした肌は丈夫そうで、癖のある髪がきれいにととのえられている。


「それだ――」


 ルイたちの目前までやってきた青年は、アルバートの鼻さきにひとさし指をつきつけた。

 冷静にみると、とても無礼で不躾な動作だったが、青年が春風のようにさわやかな微笑をうかべ、瞳に湖面の照りかえしのようなかがやきをたたえていたため、ルイにもアルバートにもそんな批判が少しも湧いてこなかった。


「本当はつらいけれど、覚悟をもっている」


 男はまるでレイピアを鞘にしまうまえのように、ピッと指さきをはらうとうなずいた。


「――それが、われわれが生きる姿勢のすべてだ」


 青年は同意をもとめるかのように、ルイたちを見据えた。

 いつもならアルバートはあわあわと動揺しながらルイに助けを請うのだが、青年のもつどこか圧倒的な雰囲気におされ、それさえもできないようだった。

 

 ルイからしてもめずらしい青年だった。

 突然会話に入ってきたこともそうだが、事務所周辺の雑踏のなかで、アルバートのこぼした単語だけを聞き取ってあゆみ寄ってきたことも、耳ざといをこえて不可解な領域ですらある。


 しかし、青年はそういったあやしさを覆いかくしてしまうようなエネルギーを全身から発している。

 水夫は青年の個性におそれをいだいたのか、そそくさと会話から退場してしまった。

 面倒に巻きこまれる予感がしたのだろう。息巻いて不満をまくしたてるような人物ほど、意外と小心者だったりするのである。


「えっと……あなたはだれ?」


 ルイがようやく沈黙をやぶると、青年はにこにこする。


「失礼。不協和音の混雑のなかにあって、真実の言葉にふれたものだから心が浮き足だってしまったんだ。すまないと思っている。ところで、私たちは初対面じゃないんだ。わかるかい、兄弟?」


 青年は無邪気にほほえみながら、アルバートをみつめる。


「え? 兄弟?」


 案の定、アルバートはたじろぐ。


「えっと――すみません、わからないです」


「そうか、まァ、あのときは人が大勢いた。それに君はえらく緊張しているようだったしね、アルバート王子」


「あ、はい。えっと――どちらさま?」


「私はジェラルド。身分は君とおなじ王子だよ。私の王位継承順位は二番だがね」


 ジェラルドはうすく笑みをうかべる。魅力的な表情だった。


「思いだしてくれたかな?」


「ジェラルド? あ、火の国の代表として王都の建国記念祝祭の予行祭に参加していたジェラルド王子ですね?」


「そう、そのとおり」


 ジェラルドはうなずく。


「まさか、こんなところでアルバート王子に出くわすとは思わなかったよ」


 まさかの人物だったので、ルイは目をみはる。

 草原の国の玄関口で、火の国の王族に遭遇するとはルイだって当然思わない。

 しかし、でまかせでも悪ふざけでもないことはすぐにわかった。

 

 ジェラルドが全身、それこそ頭頂部から足さきまでが発している落ち着き、いうなれば威厳のようなものは、その人が火の国の重鎮であることを充分に物語っていた。

 アルバートと同世代と思われるのに、つまらないことで動揺し、混乱して失態するアルバートとは似ても似つかない平静さをもちあわせているようだった。

 

 ちなみにジェラルドがアルバートのことを兄弟と呼んだ理由は、各国の初代当主たちがみなマルサリス建国王の血縁であったという事実に由来しており、要するに二人は(きわめて)遠縁にあたるわけだが、ジェラルドは半分冗談めかしてそのようにいったのだろう。

 

 アルバートは面食らって、微笑の対応さえできなかったけれど。


「ジェラルド王子はなぜこんなところに? あ、というか、すぐに王子だとわからなくてすみません」


 アルバートはへこへことおじぎをする。

 ルイには二人が正反対の性質をもっているようにさえ感じられた。どちらが貴族的で、そして君主的であるかは論をまたない。


「私はいま、諸国に援助を申しでるために外遊しているところなんだよ。火の国はご存知のとおり、領内のあらゆるパワーバランスが乱れて混沌としている。正義がぶつかりあって複雑に絡み合っているんだ。血も多く流れている。私はそのほつれを解消したい。そのためにちからを貸してほしいと呼びかけている――つまり、まァ、資金集めをしているというわけさ」


 ジェラルドの言いぐさは、まるでおつかいを任された子どものようだった。

 しかし、幼稚で無責任なところは少しもない。しかも、ただみずからの要求を一方的に通しにきただけなのに傲慢であつかいづらい印象もなかった。


 火の国についてのジェラルドの評に誇張はない。

 火の国は建国以降、ずっと議会と教団(火の鳥を信奉する団体)とのあいだで政治的主導権抗争があり、ディレンツァに教えてもらったところによると、さらに議会のなかでも保守派と革新派の不和があり、混乱に乗じた反乱軍の蜂起があり、部族対立の深刻化があるのだという。

 もともと国が誕生するさいに、もっとも多くの派閥や部族の対立地域だったので、問題は山積みなのだ。

 

 そこで王族として(しかも第二王子とはいえ跡取りの一派として)日々、紛争鎮圧のため奔走し、怨恨に耐え、剣をもってたちあがっていれば貫禄のひとつもつくだろう。

 最近になって責任を意識するようになったアルバートとは背負っているものこそおなじでも、背負ってきた期間がちがうのだ。


「――それはそうと、アルバート王子のことも気にかけてはいたんだよ。沙漠の国もずいぶん、してやられたみたいだから。ちょうど伯爵都にいたときに伝令がきた。驚いたよ」


「あ、ええ、たいへんでした」


 ジェラルドが若干声のトーンを落として話題を変えたのだが、アルバートの返事は深刻さの欠けた間のぬけたものだった。

 ルイはうしろから蹴りたくなった。


「〈鹿の角団〉もずいぶん派手なことをやったものだね。もっとも上層部の一派の人間が独断で行動したようで、団内にも混乱があるという噂だが――まァ、さておき、沙漠の国の関係者は全滅したかもしれないといわれていた。しかし、みたところアルバート王子は逃亡に成功したわけだ」


「ええ、へへ、お恥ずかしながら」


 アルバートがへらへらした。

 生き残れただけでも行幸だったのだ。

 ルイはそのへつらうような顔に嫌気がさしてくる。


「いや、逃亡は悪い意味で使ったのではないよ。というか、むしろ私は逃亡が悪いと思ったことは一度もない。そういう選択肢はつねに考えられるし、なによりも大事なのは可能性を見いだすことだからね」

 

 ジェラルドはほほえむ。

 ルイに湧いたアルバートへのいきどおりが、まるで風船から空気がぬけてしまうかのように収縮してしまう笑みだった。


「アルバート王子は死ななかった。どれだけ悪い星のめぐりあわせにあっても、生還した。それが重要だよ」


「ありがとう」


 アルバートは目をかがやかせて感激する。まるで部下といった態度だった。


「それで――アルバート王子がこの港町のこの事務所にいるということは、王都に渡ろうとして立ち往生といったところかな?」


 ジェラルドが声のトーンをもとにもどす。


「もしそうなら、はからずもおなじ境遇にあるということになる」


「そうですね、そのとおりです。沙漠の国からちょっと用事があってこっちにきたんですけど。まさか内海の航路がとまっているとは思わなかったので――」


 アルバートはよろよろとふらつくような説明で、だいたいの来意を告げた。

 ジェラルドはじつに聞き上手だった。態度や表情を微妙に変化させながら、アルバートの言葉をうまくつむがせた。

 ルイが感心してしまうほどだった。


「――なるほど、宝石さがしをするというわけだ。アルバート王子たちの背負っている宿命もまた、とても大きなもののようだ」


 アルバートがひとしきり説明を終えると、ジェラルドは深くうなずいた。


「〈鹿の角団〉がいかに不当であろうとも、社会的、政治的、人道的な見地から個別に復讐などすべきではないという意見はあるだろう。だが、私にはアルバート王子の気持ちがわかる。心の奥底でどうしてもひざを折ることができないという気持ちがね。支援はできないし、議会の敵となりうるときには容赦はできないが、プライヴェートの友人、そして兄弟という立場としては、王子たちを支持させてもらうよ」


 アルバートは反応に困って「あはは」とあたまをかいた。


「たどりつきたいところがあるなら、その過程にどれほどみじめなことがあろうとも、さきをめざすべきだと私は思う。たやすく屈してはいけない」


 ジェラルドは目をほそめて、海のほうをみつめた。


「あの海で、どれだけ荒れ狂う嵐に襲われようとも、果たすべき使命が私たちを当事者に選びつづけるかぎり、私たちは死なないだろう」


 アルバートとルイがその横顔をみつめていると、ジェラルドはゆっくりと視線を二人にもどし、にっこりと笑みをうかべる。


「だから、船をだしてもらいたいものだね」


 アルバートもつられて半笑いになる。


「ジェラルド王子は、事務所の関係者たちに乗船交渉していたんですね?」


 ジェラルドはお手あげのポーズをする。


「ああ、なかなかうまくいかない。だから一度、体勢をたてなおすことにした。町で待っている仲間たちも気になるしね」


「仲間?」


 ルイは思わず声にだしてしまった。


「ああ、世間的には親衛隊とでもいうのかな。だが、私にとっては仲間さ。昨夜、酒場でずいぶんと羽目をはずしたのがいてね、なかなか起きないから、かれらにはそいつを任せて置いてきたんだ」


 ジェラルドはとても自然にルイをみて話した。

 まるでずっと友だちだったかのような親密さがあった。

 そして、納得する。

 確かに火の国の王子が一人で外遊などしているわけもない。アルバートよりずっと堅実な人物であったとしても。


「でもすごいわね、その仲間っていう親衛隊の人たちも、ジェラルド王子が一人で町を出歩くのを許容するって。信頼感というか、なんというか」


 ルイはアルバートをにらみながらぼやく。

 アルバートがその目線に気づき、森の散歩でクマに出くわしたかのようにたじろいだ。


「私はそれなりに注意深く生きているつもりなのでね。自分の能力に見合った行動をとるように心がけていることは仲間も理解している。つまり、独断で無謀な賭けはしないってことさ」


「賢明だわ。自分をよくわかってるってあたりが」


 ルイがほくそ笑むと、アルバートが「なんだよ、ぼくがそうじゃないみたいな目をして」といきりたつ。


「まァ、それでも予想外、想定外というのは人生にはつきものだよ。気をつけるに越したことはない。それに、この町にもねずみがたくさんいるようだ。二人も油断しないよう。忠告されるまでもないだろうがね」


「――ねずみ?」


 ルイが訊ねると、ジェラルドはおどけたピエロのような表情をした。


「ねずみだよ。大きくて、ずる賢くて、暗いところが大好きなね」


「それって――」


「案外、近くにいるような気がする」


 ジェラルドはそう言い残すと、「それじゃ、また」とアルバートの肩をぽんとたたいて、わきをすりぬけて市街区のほうへと向かって歩いていった。

 身のこなしもあざやかで、初夏の風のように自然な流れの動きだった。


 アルバートもルイもあいさつをかえすことさえ忘れてしまった。

 ジェラルドの癖のある髪が波のように潮風にゆれていた。


「――また、って言ったね、いま」


 その背中を見送ったのち、アルバートがふとつぶやく。

 ルイは返事をしなかった。

 約束をしたわけではない。

 しかし、ジェラルドがそういうなら、そのとおりなのかもしれないと思った。

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