13 ねずみの門歯
バドは生来方向音痴だったこともあり、方角さえ見失ってしまった地下空間では、なおさら右も左もわからなかった。
しかも無言でさきを歩くザウターと、野うさぎのように跳ねるティファナの背中を追いかけているだけで必死だった。
適当に進んでいるようにみえて、盗賊二人のあゆみはちからづよく、そして迅速だった。
案内係にみちびかれてザウターたちに出逢い、(裏切り者と称された)元管理責任者の処刑を直視させられてから、バドは入団試験の名目で、基地内に入りこんだという巨大ねずみの退治に向かっているところだった。
バドにとっては怒涛の展開だったので、あたまの整理ができていなかったが、とにかくここまできたら全力でとりくんでザウターたちの贔屓にしてもらうしかないと高をくくった。
よどんだ空気が息苦しかったが、今後は〈鹿の角団〉として生きるのだから、この湿っぽさに慣れていかねばならない。
そういえば、二人は躊躇することなく進んでいるが、どこをめざしているのだろう?
「あの……」
バドが小声で訊ねると、朝顔が開花したような顔でティファナがふりかえった。
「ん? どした? 淋しくなったか」
「あ、いや――」
あいかわらずつかみにくい性格だったが、バドはこれも慣れるしかないと思いなおす。
「ねずみをさがしてるんですよね?」
「そうでチュウ」
ティファナはくちびるをつきだす。
バドは笑えばいいものか迷ったが、とりあえずつづけた。
「その……ねずみの居場所がわかってるんですか?」
バドの問いかけに、ザウターがたちどまって顔半分だけふりかえった。
バドは思わず恐縮する。
「野生動物にはみんな特色がある。今回の敵は大きくてもねずみだからな、行動には制限もあれば規範もあるわけだ。われわれは知識や知恵をもって、それに対応することができる」
ザウターが顔を前方にもどして歩きだしたので、バドも慌てて踏みだす。
ティファナも踊るようにそれにならった。
「たとえばだ。ねずみの門歯は、一生伸びつづける。一生だ。ねずみはそれによって、口内がふさがれてしまわないようにするため、どこでも常に歯をけずるよう気を配っていなくてはならない」
「……そういえば、ねずみって梁とかをかじってますね。夜中に屋根裏から音がしてイライラしたこともある」
バドは貧しかった生家を思いだす。
「歯みがきは大切だよね」
ティファナが前歯を露出しながら横槍をいれたが、ザウターは無視し、バドは反応できなかった。
「仮にねずみがこの地下のどこかで歯をけずった場合、われわれは耳をすませば居場所を特定できるにちがいない」
ザウターは言葉を切る。バドはうなずいたが、さきをいく二人にはみえなかっただろう。
「いまのは一例に過ぎない。つまり、ねずみにせよ、なんにせよ、動物は実在した痕跡をなかなか消すことはできない。だからわれわれは少しずつ残された細い糸をたぐるようにして、相手を追跡していけばいい。知性というのはそういうもののことだろう? ――それにくわえて、今般のねずみについては、配下の者たちに命令し、われわれが向かうところに誘導するよう指示してある」
バドは「なるほど」と返事をしながら、ふと思った。
もし自分がいま死んでしまえば、だれも(たとえばトレヴァでさえも)自分をみつけられないだろう。
なんだかんだで人間がいちばん容易にその残痕さえなく消えてしまえるのかもしれない。
そもそもバドがいままで生きてきた軌跡など、他者からすればあってないようなものだった。
自分がだれかに必要とされたことなどあっただろうか……バドは胸の奥に疼痛をおぼえたような気がして手でおさえる。
「無言で歩いていても不安になるだけだろうね――」
ザウターの言葉に、バドははっとする。
「あ、いや、そういうわけでも」
目前をあゆむティファナが「いひひ」と笑った。
「話しはじめたついでに、君のことを聞いてもいいかな」
半笑いになったバドに、ザウターが問いかけた。
「君の属している組織は少数精鋭だという話だが、全員が君のように優秀なのかな?」
「あ、いや……数が少ないのに、まとまってる感じはないんです。〈鹿の角団〉のように、たくさんの事業にたずさわってるわけでも、社会的な認知があるわけでもないし。おれたちが入ったのは半年ぐらいまえですけど、最近は活動らしいこともしていなくって――リーダーが……デュアンっていうんですけど、デュアンがもともと資産家だったから、それに食わせてもらってるって感じなんですよ。そのデュアンだってきっと昔は秀才だったんだろうけど、王都で失敗して落ちぶれてからは、毎日ガールフレンドの、あ、メオラっていうんですけど、そいつと居住区の豪華な貸家でイチャイチャしてるだけで――」
「いちゃいちゃ? いいないいなー、いちゃいちゃー?」
ティファナが両脇をぎゅぎゅっとしめながら喜んだが、ザウターは無視した。
「おれと連れをデュアンに紹介してくれたトミーってやつもいるんですけど、なんていうか、良いやつだとは思うけど、ちょっと根暗なところやずる賢いところもあったりして、ウマが合うかっていえばそうでもなくて……」
「そうか、まァ集団というやつはなにかと面倒が多いものだ。察するにそこまで分析してるということは、君は君なりに組織に対して善処してるってことなんだろうな。そういう姿勢は好ましい」
ザウターの感想に、バドは少し照れた。
「――しかしそれだけ軋轢があるということは、君は他の構成員たちには相談せずにわれわれと交渉をもったということかな?」
「あ、ええ……」
トレヴァの顔が脳裏にうかび、バドはうしろめたくなった。
「まァ確かに、君たち全員を受けいれてほしいといわれても困るので、私たちとしてはそのほうがよかったのだが、気になったのは、君が仮に〈鹿の角団〉にヘッドハントされた場合、他の構成員たちは納得するのかと思ってね。そういったごたごたはご免こうむるところはあるのだよ」
「――それならだいじょうぶだと思います。おれがおれのわがままで動いてもだれも気にしないでしょうし」
バドは考える。
トレヴァは気にするかもしれないが、それ以外の連中はある日突然バドがいなくなったところで意に介さないだろう。
どっちみちデュアンたちにとってはバドはのら猫のようなものなのだ。
「それに……おれにとってはこのほうがいいんです」
バドはつぶやく。
トレヴァには、落ち着いてから別途接触をこころみればなんとかなるにちがいない。
幼い頃からトレヴァと離れたことがなかったので、バドは漠然とだが今後もそうはならないだろうと見当をつけていた。
「君はわれわれに声をかけることを、新しい希望と考えてくれているということか。光栄のいたりだね。まァ、いままで君がうまくいっていないのだとすれば、それは運がなかっただけなのだろうが――」
ザウターのなにげない言葉に、バドはささいな蹉跌の数々をゆび折り数えるように思いだした。
かつてデュアンたちの王都での任務が不首尾に終わったように、バドもまた草原の国の伯爵都で多くの挫折を経験していた。
〈はずれの港町〉にくるまえ、バドとトレヴァは伯爵都にいた。
二人は伯爵都の出身だったので、バドは(おなじ歳のトレヴァも)17年間ずっと郷里で暮らしてきたことになる。
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