14 人生の分岐点
バドは幼い頃から夢見がちな少年だった。
しかし夢想癖があると呆れたのはまわりの人たちばかりで、本人はいたってまじめだった。
バドの認識としては、それは夢ではなく、自己のすがたの延長としての目標だった。
バドの夢(目標)は英雄だった。
勝気な少年ならだれもが夢見るような勇ましく美しく、歴史に名をきざむ偉人である。
貧しい平民出身だが、そこから成りあがって国の救世主となったり、風雲児としてあつかわれた英傑たちをバドはたくさん知っていた。
いにしえの悪魔を封印することで、いち司祭から建国王になったマルサリス一世の抒情詩なども愛読したし、偉大な〈魔法使いキャンベルの奇蹟〉や、〈怪盗リリの事件簿〉といった毛色のちがう英雄たちの物語も読んだし、永遠のリベルタンと呼ばれた麗人〈ジルジャンの放浪記〉などは耽溺しすぎて、もはや自分自身の物語のような気さえしていた。
それらの人物が自分とは異なるなどという発想は、いっさいなかったのである。
周囲の人がどれだけ冷めた目を向けてきても、バドは未来の自分をみつめることに夢中になってそれに気づかないでいた。
自分の人生にはどこかで転機がおとずれるだろう。
清貧を貴ぶせいで満たされることのない家に生まれ、平凡な子どもとして育ったけれど、いつか運命の強い糸によってひっぱられ、確かな足どりで栄光の道を進んでいけるはずだ。
みずからの長い人生の向こうには、朝陽が射すような強く大きな光が待ちかまえており、幼少期(いま)のあやめもわからない暗闇はいつか消え去る悪夢のようなものにちがいない。
バドはいつでも心のどこかで、そんな鷹揚な考えかたをしていた。
それでも15歳で学校での義務教育を終え、同級生たちがそれぞれの道(神学校への進学や家業の継承や職業への従事)へとちりぢりになっていったとき、バドはようやくそれまでの認識にあやまりがあったことに気づいた。
みずからをどこか遠くへとみちびいていく使命など降って湧いてはこなかったし、人生の分岐点となりうるような決定的なできごとなどなにひとつ起こらなかったのだ。
バドを待っていたのは実直で寡黙な父親(母親はすでに他界していた)にならって、昼間は建築現場での下働きをこなし、夜は酒場で同輩たちと酔っぱらいながら管を巻く生活だった。
いつからはじまったのかも、いつ終わるのかもわからない、そして終わったところでだれ一人として気にとめることはなく、昨日と明日の区別もつかない、そんな毎日だった。
息つく暇もないせいで、まるで息絶えているような日々だった。
バドは崖っぷちにしがみついているようなあせりにふるえた。
それは夜中に顔がほてり、背筋を冷やし、わきから汗がふきだすような危機感だった。
重労働でつかれていても、熱がでたみたいに身体が燃え、眠りにつけない夜が多くなった。
しかしバドは粗末な生家のがたついた窓から蒼白い月をみつめながら決断をする。
思いちがいやかんちがいがあったのだとしても、それがまちがいであるとはかぎらない。
自分が正しかったかそうでなかったかなど、人生の幕を閉じるときに判断すればいい。
機会がなかったのであればそれをもとめて行動するしかない。
まだなにも手に入れてないのだから失ってもいないはずだ。
冷たいベッドのうえで、芯さえ凍えるような虚無感を味わいながら、バドはこぶしをにぎりしめた。
そしてバドはトレヴァにだけ相談をし、酒代をおさえることで少しずつ貯金して準備をすすめた。
バドは伯爵都で公募されていた直属傭兵団の試験をうけるつもりだった。
草原の国では公式の戦争はあまりなかったが、開拓エリアでの紛争は絶えず起こっていたから、優秀な傭兵はつねにもとめられていたのだ。
傭兵団での活躍は、ひいては正規の騎士団(緑色の刺繍があるリボンをつけていることから碧帯騎士団と呼ばれている)への抜擢、徴用を意味している。
雇われの身となることで自由はうばわれ、不便も増えるかもしれなかったが、なんの足がかりもないよりはずっとましで、なにより死んでいるみたいな現状よりは喜怒哀楽の実感が湧くはずだ。
血が通い、心がはずむような生きかたができるだろう。
トレヴァは、バドの意見に渋面をつくったものの反対はしなかった。
適切な助言が思いつかなかったこともあったし、なによりバドの境遇はトレヴァにもよく理解できていた。
バドが泥濘に脚をとられるような毎日を送っていることも、幼いときからなにを望んでいたのかもわかっていた。
そしてなにより、バドの性格をよく知っていたのである。
トレヴァはずっと、バドたちとおなじ学校で教育期間を過ごしたのち、伯爵家(カークランド一族)にゆかりのあるハースト家の末裔として、草原の国の財政をになうべく銀行業をいとなむ父親の会社で事務員として働いていた。
煩雑でしがらみが多く、財源となる機関特有の汚濁した空気のただよう職場だったが、トレヴァに選択肢はなかった。
トレヴァは順当にいけば、そのまま一族の経営を潤滑にするための結婚をし、起伏のない人生をあゆんでいく予定だった。
しかし後述のことだが、トレヴァは結果的にそれらすべてと縁を切り、バドの歩調にあわせた不規則で不安定な旅路へとすすんでいくことになる。
当面の生活資金を貯めたバドは、勇んで傭兵の登用試験をうける手続きに向かった。
新しい世界への第一歩を大きく踏みだしたいと考えていたバドは、ぞんぶんに本領を発揮できる機会に心をおどらせていた。
そんな有頂天になっているバドを傍から観察していたトレヴァはひそかに心配していた。
そもそもバドは騎士をめざすと言い放っていたものの、それ以前の傭兵についてさえ、なんの研究もしてはいなかった。
腕力だけでそこにたどりつけるとは、トレヴァには思えなかったのだ。
そして結果はもっと不運なものとなってしまった。
バドは得意とする腕っぷしを披露することさえできないまま、試験に落ちてしまったのである。
落第の原因は、左右の視力に差がありすぎることだった。
バドは右目が弱視だったのだ。
試験官を任されていた傭兵団副長は、納得がいかないと引きさがらないバドにこう説明した。
「君は確かに体格的にもめぐまれているほうだし、筋力もすぐれているのかもしれない。もちろんそれが役にたつ局面も多いだろうが、傭兵や騎士というのはそれだけで務まるものでもない。兵士はあらゆる状況に対応して行動することがもとめられるわけだ。それにすべてが個人戦ではないし、白兵戦ともかぎらない。
そうだな、仮にこんな局面があったとしようか――王族の姫君をわれらの仲間の隊が護衛する任を担ったとする。そこで、姫君をのせた馬車が蛮族一味に襲われた。いいかね? 蛮族たちはなかなかの手だれがそろっていて、馬車を警護していた傭兵たちは苦戦している。そこに君の所属する隊が後方から追いついてきたところ、姫君が馬車から連れだされてさらわれそうになっていた。君はどうするね?
――われわれが期待する君の行動は、弓矢を使用して蛮族たちの動きを牽制することだ。足どめをして、君のいる隊が駆けつけるための時間をかせぐ。わかるかね? 状況に応じた武器の選択も必要不可欠なわけだ。むろん、姫君に矢が当たるようなこともあってはならない。さじ加減がとても難しい武器の利用になる。
もちろん、君のいる隊には弓矢が得意な者もいるかもしれない。しかし君がそれを当てにしてしまう人材では困るわけだ。君は左右の視力に差がありすぎる。遠近感がとぼしいわけだ。手先もそれほど器用ではなさそうだから弓矢の使用には向かないだろう。わかってもらえるかな? もちろんそれだけが君を徴用できない理由ではない。ただ、現在の国軍には少数でも万能な人材がもとめられているのだよ――」
不条理さと立つ瀬のなさを感じて、くちびるをとがらせたバドに、試験官はつづけた。
「今回の募集ではたまたま君が対象にならなかっただけだ。君はまだ若いし、機会はいくらでもあるだろう。どうしても軍隊に入営したいのであれば、内紛や戦争の多い国や地域にいけば急募がいくらでもあるはずだ。ただ、兵役というのは君が思い描いているようなものではないと私は思うがな――」
バドはそのときの試験官の目つきを忘れられないでいた。
そして八方ふさがりの恐怖感と、歯ぎしりしてしまうようないらだちを発散させようとあばれそうになったバドは、トレヴァに羽交い絞めにされ、会場をあとにすることとなった。
それでもバドは家には帰らなかった。もう帰るところはないと決めていたのである。
トレヴァもまた同様の境遇に置かれていたため、二人は王都をめざして旅にでることにした。
もどるところがないなら、先に進むしかない。
街道の高台から伯爵都をふりかえったとき、バドはそれでも一抹の郷愁を抱いた。
最後まで無言だった父親の顔や、唯一幸せだった幼い頃の誕生日の思い出などが胸に去来し、鼻の奥がつんとした。
むなしい気持ちにつつまれたのはきっと、屈辱の歴史ですら捨て去らねばいけない、みずからのふがいなさのせいだった。
伯爵都を出発してから、いくつかの街にたち寄り、(バドによる)無駄遣いもあって、路銀はあっという間に底をついてしまった。
見知らぬ街をみる高揚感でもって、バドは思いのほか調子にのってしまったのだ。いっしょにはしゃぐことができるトレヴァがついていたこともそれに拍車をかけてしまった。
富豪の出だったが、家を放逐されたトレヴァにも財産はさほどなく、二人はあっという間に無一文になってしまった。なにかしらの偶然のできごとで運命が好転することもなく、二人は坂道をころがり落ちていったのである。
やがて、いきだおれに近いかっこうでもって、半年まえに〈はずれの港町〉までたどりつき、空腹で昏倒した二人をトミーが発見し、デュアン率いるギャング団へと手引きされることになった。
その軌跡は、渡り鳥が春風にみちびかれたというわけではなく、流木が岩塊にぶつかりながら下流へと向かっていくようなものだった。
幼い頃に購入したバドの白いオーバーコートはよごれて灰色になっていた。
なにもかもが夢見たものからは遠かった。
「――どうしたね」
ザウターの声に、バドはわれにかえった。
「あ、いや――ちょっと」
どもるバドに、ティファナが笑みを向ける。
「ぼーっとしてると、ねずみちゃんにかじられちゃうよ?」
あたまをかくバドに、ザウターも口のはじにしわをつくった。
「まァ、君の境遇にもいろいろと変化が起きているだろうからね、思うところはあるかもしれない。だが、配下の者たちが外敵を追いこんでいる部屋までもうすぐだ。そろそろ切り替えていこうか――」
バドは無言でうなずく。
どうせ挫折の連続だった。
回想することで苦悶するような失態は直近のものだけではない。
それでも、何度失敗しても、生きていくために軌道修正をしていかなくてはいけない。
バドは強くこぶしをにぎった。まるで崖から滑落しないためにロープをたぐりよせるかのように。
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