9 夢みる少女の蹉跌

 メオラは水の国の湖水地方のちいさな村の出身で、両親はともに農業をいとなみ、デュアンと正反対にそれほど富に恵まれた家庭とはいえなかった。


 メオラは幼い頃より、村にやってくる行商人から王都のできごとをつたえ聞くのが好きで、やがて王都に住み移ることを夢みるようになった。

 華やかな街並みに着飾った人々、明るい音楽のしらべや驚くようなエピソードに満ちていると噂される太陽の都に興味をもった。


 そして16歳になったとき、メオラは両親の許可を得ないままに単身王都にくりだした。

 周遊している行商人の荷車にのせてもらい、夜のうちに離郷したのだ。


 メオラが三人兄妹の末っ子だったこともあり、家族たちはメオラに対して厳格なことはあっても、決して愛情を欠いた対応はしていなかった。


 メオラが王都に向かうことを反対した理由は、家計の貧窮もあったが、なによりメオラが世間しらずだったことを両親が危惧していたからだった。


 故郷が遠ざかるにつれて、メオラはだんだんと淋しさにつつまれた。

 夕食後に家族でだんらんしていた子どもの頃のあたたかさや、野外で遊んでけがをしたときに家族が駆けつけてくれたときの安堵感といったもので胸がいっぱいになり目頭が熱くなった。

 それでも涙に暮れているような余暇はなかった。


 メオラはみずからが茨の路を選択したことをすぐに思い知った。

 王都の建築物や尖塔などがみえるところまでやってきた頃、行商人から運賃として、操を売ることを要求されたのだ。


 行商人は性格を変貌させてちからずくでせまってきたわけではなかったが、メオラは提示された交換条件に少なからずショックをうけた。

 無論隣国とはいえ、(特にそのときのメオラにとっては)遠い距離を、無料で運んでもらうことに気おくれする部分もあったのだが、やはり予想外の展開だった。


 メオラはすぐに自分の見込みが甘かったことは納得したが、行商人の善意に裏があるとも思っていなかった。それでも遠くにゆれる王都の光をみつめながら、メオラは人生の通過点というものについて考え、やがてその条件をうけいれることにした。


 そこでなめる辛酸は叶えたい夢にもつながっていると、(無根拠ながら)あたまのどこかで打算的に判断してもいた。


 メオラの夢は舞台女優だった。

 少女の頃に王都の劇場と、そこで催されている演目を紹介する挿絵つきの冊子をみることで、そして人づてに聞くことによって、舞台女優たちの絢爛な人生に強いあこがれと関心をいだいたのだ。


 幸いメオラはみずからの容姿がわるくないこと(むしろ、異性を惹きつける要素が多いこと)、幼い頃より身体つきひとつとっても、どこか艶麗な雰囲気をかもしだしていることを自覚していた。


 行商人がメオラを王都につれていってくれる約束をするまえも、男がメオラをそういった目でみていることをうっすらと理解してもいた。


 将来的に大勢の人間を魅了しなくてはいけないのだから、ここで人生のステップアップをするべく、男の欲求をうけとめることはきっと糧になるにちがいない。

 メオラはそう結論づけた。


 伝記で知った著名な女優の人生にもまた、そういった経験があったことを思いだした。歴史上の人物と自分に共通点ができたように感じられた。


 メオラは、目をぎらつかせながらみずからに覆いかぶさってきた男を、せめて精神的に支配下におこうと脳裏でコントロールしながら、必死に運命に耐えた。


 すべてが終わる頃、メオラはみずからの、王都随一の舞台にたって観客たちを歌や演技といった魔法につつみこみ魅了するという夢は半分以上叶ったような気がしていた。


 しかしメオラの本当の苦悩はそこからはじまる。当然ながら夢の入口でどれだけ夜明けを迎えた予感だけ味わっても、それははじめの一歩ですらないのだった。


 王都に到着したメオラは、あふれる人波に驚いたり、街のひろさに面食らったりしたものの、勇んでいちばん規模の大きな老舗の楽劇場へと向かった。

 劇場の外観は冊子でみるよりもずっと荘厳で、まるでメオラを押しつぶそうとしてくるような迫力があった。


 それでもメオラは深呼吸をしてから、チケット売場へと顔をのぞかせ、みずからの来意を告げて担当者との面会をもとめた。

 

 売り娘は満面の笑みをうかべたメオラを無表情のままみつめていたが、しばらくしたのち、支配人に話を通してみるが、現在女優の募集はしていないため、女優はおろか、劇場の団員として働くことも難しいだろうと返事をした。


 そして長い時間を待たされたのち、支配人の代わりにでてきた担当者に、売り娘が話した内容とおなじ意味のことを、とてもていねいな表現で説明された。


 メオラは長時間待たされて辟易していたうえ、慇懃無礼で事務的な回答に自分の笑顔が凍りついていったことがわかった。


 そのときの笑みはまるで仮面のようにメオラの顔面にはりついて離れなくなってしまった。

 それ以後、メオラは緊張の局面にはことあるごとに、内心を覆いかくしたその笑顔をうかべるようになった。


 女優の募集は半年後におこなわれる予定があるので、希望するならそのときに必要な条件を満たして来場するようにと、担当者はすっかり落胆してしまったメオラに、去りぎわにチラシを手渡して教えてくれた。


 メオラは沈んだ気持ちのままそれについて考え、一瞬だけ光明が射したような気がしたが、劇場から離れた路地のかたすみでチラシを吟味して、ふたたび絶望することになった。

 募集要項はメオラ自身の能力とはおよそ関係なさそうな、かつメオラ自身にはどうにもできない項目であふれていた。


 故郷を捨てて単身王都をおとずれたメオラには申込用紙に記載する住所もなければ、演技や歌唱経験の履歴もなかったし、推薦人などもいなければ、判を押してくれる保証人もいなかった。

 そして募集に応募するだけの費用さえなかった。


 メオラは夕暮れの雑踏のなかで途方に暮れた。

 そもそもその夜に宿泊するところさえなかったのだ。


 中央広場の噴水のへりに腰かけ、メオラは林立する建築物の隙間にみえる暮れゆく空をみつめていた。突発的な不安にともなった心痛はだんだんなくなっていったが、それとひきかえにどんどん空虚な気持ちになった。

 自分を除いたすべての人々が成功者であるような錯覚がした。


 メオラはぼんやりと往来を眺めながら、心の空漠をふさぐように胸に手をあてる。そしてくちびるをかみ、そっとまぶたを閉じようとしたそのとき、ふと肩に手を置かれたような気がしてわれにかえった。


 その相手はメオラのとなりに坐っていたが、男がじっさいに肩にふれたのかどうかはわからなかった。白昼夢から醒めたみたいに鼓動が高鳴っていた。


 男は20歳そこそこと思われ、清潔感があり、切れ長の目には似合わない温和な印象を漂わせていた。くわえて親しげな笑みをたたえており、それがそのときのメオラには好意以上のものに思われた。


 メオラはすぐにもみずからの窮状を話して聞かせたい衝動にかられた。

 それでも初対面の人(特に異性)には気をつけなくてはいけないと入口で学んだことを想起し、口をつぐむ。


 しかし男はメオラの背負っている重荷を見透かしていた。男は慎重に言葉を選びながらあいさつと自己紹介をして「さきほど失礼ながら君が広場に現れたときから君の様子をうかがっていたんだ。それはつまり君がとてもきれいだったから……」とはにかみながら話した。


 メオラは苦笑しつつも、本心はわるい気はしなかった。


 男はつづけて「君は劇場のオーディションを受けたいけれど、時期を誤って困っているといったところだね」と指摘した。

 

 メオラは一瞬そこまで盗み見られていたことにむっとしたが、あまりにも図星だったので思わずうなずいてしまった。


「泊まるところがないの?」


 男は単刀直入に訊ねてきた。メオラは躊躇したものの結局首肯した。

 ここまできてしまったら、もう守る自分もないような捨てばちな気分にもなっていたのだ。メオラはそのとき疲弊しきった(内心を糊塗するための)笑みをうかべていた。


 すると男はたちあがり、「君に仕事を紹介するよ。君にとっても悪い話じゃないと思うんだ」と、メオラについてくるようにうながした。陽はどんどん暮れてきており、王都の夜に取り残されることがおそろしかったメオラは、ここで一人のまま夜を迎えてもおなじことではないかと考え、そのさそいに応じた。


 メオラは王都の裏街に案内された。そこは幼い頃、夢見ていた街とは別世界だった。

 王都にきたばかりのメオラには、その一帯はうす汚く、危険で、腐敗した瘴気に満ちているようにみえた。男はメオラを一軒の酒場にみちびいた。


 そしてメオラをバーカウンターにいた女将に紹介し、女将の迫力に思わず黙りこんでしまったメオラの代わりに情況を説明した。


 女将はまるでドラム缶のような体型で動作もにぶそうにみえたが、メオラをみつめる瞳はするどく、あたまの回転も早いようだった。


 男の話を聞き終わるやいなや、「働くところがないなら、ここで雇ってやる。住むところがないなら空き部屋を貸してやるよ。そのかわり、ここでの給料の四割を天引きするかたちでいいね?」とメオラをにらみつけるようにしながら提案してきた。


 そしてメオラが「え?」と同意すること(あるいは理解すること)さえできないうちに、「さ、契約が済んだら、あんたはここの従業員なんだ、さっさと準備をしな」と、あごをしゃくって、メオラに奥にいくように指示した。


 困り果て、および腰になっているメオラに男が「女将さんのことを信頼して働けば、君は夢に近づけるはずだよ、がんばって」とほほえみかけた。


 そうしてメオラは王都の裏街にある酒場で、慣れない化粧をして、きわどい衣装に身をつつみ、接客業にいそしむこととなった。

 あとから知ったことだったが、給料は四割ではなく三割引かれており、男に紹介手数料としてさらに一割ぬかれていた。


 しかしそのときのメオラには選択肢はなかったので、メオラは男や女将をうらむことはしなかった。賃金がなかなか貯蓄にまわらなかったこともあったが、なにより他の誘惑(買物や同僚とのつきあい)も多かったため、メオラは女優募集に申しこむ手数料をなかなか貯めることができなかった。


 それなりに充実した日々になっていったことも、それに拍車をかけた。

 そして気づけば5年の歳月が流れ、その運命の夜に、デュアンに出逢ったのだった。メオラは21歳、デュアンは23歳だった。

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