10 錆びついた心の鎖
デュアンとメオラの心の距離は急速にちぢまり、それは恋と呼ぶにはいささか語弊のありそうなものだったが、二人はことあるごとに顔をあわせるようになった。
そのときの二人の周辺人物たちは、親近感、あるいは連帯感といったものが、二人を動かしているとみていたし、二人もそう思っていた。
メオラは変わらず女将の夜の店で、来客としておとずれる富豪や労働者たちに癒しを提供し、酒を飲ませる仕事をつづけていたが、デュアンの生活は一変した。
いままで厳格な家で、謹厳ともいえる暮らしをしてきたデュアンは、まるで猫に追いこまれたねずみが活路を見いだしたかのようにメオラ一辺倒になった。
かつて父親ら先人たちの訓導にも忠実にしたがい、国の要職をめざすべく熱を入れて勉学に取り組んでいたデュアンはまるで別人のようになってしまった。
メオラとの逢瀬を待ちわび、昼間はぶらぶらと街を徘徊したり、部屋にこもり眠っているだけになった。
家人たちが異変に気づいたときはもう手後れだった。
模擬試験をうけなかった報せを聞き、怒りで青筋をたてた父親が目前にたちはだかっても、デュアンは顔色ひとつ変えなかった。
泡食った父親は息子の豹変について調べあげ、理由を知るやいなや叔父(みずからの弟)を糾弾したが、それもあとの祭りだった。
そもそも叔父がデュアンを街に連れだしたことだけがデュアンの変貌の真因ではなかったし、叔父を責めるのは筋ちがいともいえた。
デュアンが能力の研鑽を放棄したことで、父親とのあいだには埋まることのない溝ができた。
やがて父親はデュアンに対して意見することもなくなり、目を向けることもなくなった。
それは一族からの絶縁を意味し、やがてデュアンは家から放擲されることとなった。
絶縁状をつきつけられても当のデュアンは涼しい顔をしており、黙々と荷物を整理し、ふりかえることなく家からでていった。
デュアンはそのままメオラの住居に押しかけ、二人は同棲することになった。デュアンが失ってしまった光の大きさにとまどったのは、むしろメオラのほうだった。
それでもメオラは、デュアンと彼の実家の確執をとりのぞくような影響力はもちあわせていなかったし、なによりデュアンがそれを望まなかった。
デュアンはそのときの心情を、裏街にいる知人たちには「解放された」と表現していた。
「もちろん淋しいさ、でもその淋しさが自由なんだ」
半年が過ぎるまで、デュアンは自己の人生を制御できている充足感を味わっていた。
それでも太陽がいずれは沈むように、そんな日々にも陰りがみえはじめた。
時間をもてあましたデュアンは、裏街にいる無法者やギャング、ごろつきたちとつきあうようになった。
金づかい荒くギャンブルに興じるデュアンを、メオラは不安げにみていたが、注意すればけんかになるため抑制することはできなかった。
そして裏街のしくみがわかっていなかったデュアンは、草原で優雅に遊ぶ仔鹿のようなもので、時を待たず、隙をうかがって眼を光らせていた狼たちの餌食になった。
自身の破産まで追いつめられたのである。
当座の生活のために用意していた資金もすべて底をつき、デュアンはやがて、メオラの貯蓄に手をだした。
デュアンに罪悪感はなかった。むしろ隘路に迷いこんだ自分たちの未来を切り拓いていくために必要な投資だと考えていた。
メオラがそれを知ったときには、すでになすすべがない状態で、あともどりさえできない状況だった。
デュアンは二人の名義で借金までつくっていたのだ。
ふくれあがった債務に首がまわらなくなった二人は、裏街の構成員たちに、徒党をくんで王城の宝物庫に侵入し、窃盗をたばかることを要求された。
人生を賭けた悪事であり、警備兵に捕縛されれば処刑されるか、あるいは陽の光のとどかないところに一生幽閉されるのが関の山だった。
しかし当然ながら拒否することは選択肢になく、一蓮托生になってしまったデュアンたちは追いたてられるようにして闇夜に踏みだした。
トミーが二人の仲間になったのはそのときのことで、そのときの任務は失敗したが、デュアンとメオラとトミーだけは、王都の警吏の追跡も、裏街関係者の反逆者狩りもくぐりぬけ、やがて内海をこえて草原の国へと逃亡した。
そのとき、逃避行を手引きしたのはデュアンの叔父だった。
叔父は一族から見放された甥に、逃亡後も資金を送りつづけた。
現在デュアンたちが落ち着いている住居の手配も、家賃も生活費もすべて叔父の手によるものだった。
それが贖罪かどうかはわからない。
トレヴァとバドが、トミーの仲介でもってデュアンたちと知り合ったのは、デュアンたちが〈はずれの港町〉に遁走してきてから二年後のことだった。
デュアンもメオラも腹に一物をかかえているのだとトミーは話した。
メオラはデュアンの独善的なところにふりまわされていることに嫌気がさしていたが、デュアンからすればそれは二人の将来のためだったし、メオラがつれなくなればなるほどデュアンの愛情は冷めつつあった。
メオラはメオラで、デュアンの叔父が楽劇場支配人だったことを聞いたとき、どうして叔父にみずからを売りこんでくれなかったのかとデュアンを責めてもいた。
しかし、恨みあったところで失ったものが取りもどせるわけでもないから、二人はいまだに身体をもとめあっていて、それがおたがいの心の鎖をつなぎとめる唯一の方法なのだということだった。
「その鎖がどれだけ錆びついてても関係ないのさ」とトミーはほくそ笑んだ。
しばらく歩いているうちに、トレヴァのなかで、デュアンやメオラに対するいきどおりはおさまってきた。
ただ怒りが消えつつある理由は、デュアンやメオラが暗い過去を背負っているからではない。
デュアンたちのことを考えているうちに、トレヴァは故郷に残してきた恋人のことを束の間、思いかえしたのだ。
それもまた幸せな結末ではなかったし、いつでも満ち足りていたわけではなかったが、海風に目を細めたトレヴァにはふしぎと、彼女といっしょに過ごしていた頃の、晴ればれとしたときめきだけが思いだされたのだった。
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