7 見過ごせない痴態

 バドが町の地下にひろがる暗闇に吸いこまれた頃、トレヴァはカーテンの切れ間から射す朝陽に照らされて目を醒ました。


 昨夜抱いた言葉にできない不安をよそに深く眠った。

 悪い夢をみることもなかったし倦怠感も少しもない。

 

 昨日難破船の撤収作業を強いられて、重量のある木材をかついだり、ひきずったりして、ふだん使わない部位を酷使したけれど、筋肉痛などにもなっていなかった。


 トレヴァはベッドのうえで腕をのばしたり、頚をひねったりしたところで、ふととなりのベッドをみる。

 バドは帰っていないようだった。

 

 その奥にあるソファにもだれもいない。

 トミーはいつもそのソファをベッド代わりにしていた。


 つまり飲酒のために〈夕凪館〉に向かった二人は、そのまま家にもどることなく夜を明かしたのだろう。


 トレヴァはゆっくり上体を反転させて、ベッドサイドに脚をおろす。

 バドもトミーも幼稚な一面はもっていたが、年端もいかない子どもというわけではないので、とりたてて二人の身の安全を気づかうことはなかった。


 むしろ二人が乱痴気騒ぎを起こしたり、たがのはずれた退廃的でみっともない状況におちいっていたりしていないかが気がかりだった。

 

 湾岸事務所の所長代理のようにトレヴァたちの境遇をこころよく思っていない人たちは町には大勢いる。

 つまらないことでめだってしまうのは不本意だった。

 ただでさえほとんどない信頼を完全に失い、町から放擲されてしまうようなことも、このタイミングではないともいいきれない。


 そのままトレヴァは靴に足首をつっこみ、靴ひもをむすぶ。

 いつもなら朝食の準備にとりかかるところだったが、心が落ち着かなくなってきたので〈夕凪館〉の様子をうかがうべく外出することにした。


 起床した直後はすっきりしていた胸のうちが、ほんの少し思いわずらっただけで不透明によどんでいた。


 家をでる頃には、起きぬけの不安の解消がただの錯覚だったことに気づいた。

 寝ぼけているあいだだけ、憂慮すべきことを忘れていられただけだった。

 身体を酷使したあとに熟睡したので、未来のことをわずかな時間だけ先送りにできていただけだろう。


 トレヴァはまだ、そうやって人生を過ごしていくことが常套なのだと思えるほど淪落してはいない。

 それはもともとトレヴァが(それほど位は高くなかったが)貴族の出であり、厳格な父親に教育されていたことにも一因があった。


 ドアを開けて踏みだし、しばらく歩いた。

 朝の空気は澄んでいたが町はそれほど静まりかえってはいなかった。

 どうやら町はずれの一角で朝市が開催されているようで、住人たちや関係者たちがそこに集まっているようだ。

 かれらがなにを話し合っているのかは聞き取れなかったが、喧騒が遠くから響いている。


 トレヴァは、思いつきでデュアンとメオラの家に立ち寄っていくことにした。

 家から〈夕凪館〉の距離より近いこともあり、バドやトミーがそこに滞在している可能性もなくはないからだ。

 仮にいなくとも、夜のうちに接触することでデュアンたちがバドたちの居場所を知っている可能性もないことはない。


 デュアンたちの住居は、トレヴァたちが築年数もわからないほどのぼろ家であることとは対照的な瀟洒な一軒家だった。

 デュアンたちも〈はずれの港町〉の出身ではないので借家だったが、近年亡くなった老貴族の住まいを借りうけたかっこうになるらしい。


 トレヴァたちが三人で町はずれのせまく汚い家にいて、デュアンたち二人が豪華な住居で寝泊りしている理由は、デュアンがギャング団の統率者だからであり、そもそもデュアンが王都の侯爵家の血筋にあたっていたからだった。


 そんなふうにたまたま上下関係ができてしまっていたが、それでもトレヴァとデュアンの境涯は似ているところがあった。

 トレヴァはバドに、デュアンはメオラに出逢ったことで、本来あったはずの人生の軌道からそれていったということも似通っているといえた。


 デュアンたちの住家に到着し、トレヴァは呼び鈴を鳴らしてみた。

 しばらく反応を待ってみたが、物音ひとつしなかった。

 

 つづけてドアノブに手をかけてみる。

 鍵はかかっていなかったが、どうやら掛け金が降りているようだ。建物内にだれかしらがいるのはまちがいない。


 胸の息を吐いたあとドアを二度ほどたたいてみたが返答はなかった。

 コツコツというげんこつが木製のドアをノックする音がむなしく響いただけだった。


 トレヴァはドアの木目をみつめながら数秒考えたが、再度ドアをたたくのはやめにした。

 デュアンたちが寝静まっている可能性を踏まえてのことだった。

 バドたちのゆくえを訊ねるだけのために起こせば、関係がぎくしゃくするに決まっている。


 デュアンは不快感を催したときに声を荒げるような人物ではなく、むしろ表向きはその逆で、腹立たしさを顔にだすようなことはいっさいないが、その代わり、鼻持ちならないと感じたことはその後もなかなか忘れずにいるといった粘着な性質をもっている。


 しかしそんな顰蹙をかいそうな性格をしていたとしても、デュアンの元貴族の令息らしい陽だまりのような社交性と、清涼なそよ風のように端正な微笑をまえにすると、女性だけでなく、トレヴァやバドでさえも、軽蔑の念さえもてなくなってしまうぐらい、デュアンは磨きぬかれた風格をもちあわせていた。


 トレヴァやバドがデュアン率いるギャング団に不満を抱いても、なかなか別離できない理由はそこにもあった。


 トレヴァは思いつきで住居のわきにまわってみる。

 カーテンが閉じられていないかぎり、そこの窓辺から客間の様子をうかがい知ることができるのだ。


 仮にバドやトミーが寝ているとしたら客間にちがいない。

 べつだん起こすためにきたわけではないのだから、ころがって寝ているバドのまぬけ面でも確認できれば、怒りや徒労感はわくにせよ、昨晩からの言葉にしづらい心のもやもやが多少はすっきりするだろう。


 トレヴァは無意識に下くちびるを噛みながら客間の窓のもとに立った。

 若草色のカーテンは8割がた閉じられていたが、少し背伸びをしてそのわずかな隙間から室内をのぞきこむことができた。


 しかし焦点を室内の光景にあわせたとたん、トレヴァは面食らって、うしろにころびそうになってしまった。


 思わず「わっ」と声にだしてしまったが、あわてて口を手のひらでおさえる。

 

 客間のソファにトレヴァがまっさきにみたものは、長い髪がたれた白い素肌だった。それはメオラの背中だった。


 トレヴァが注視したことで気づいたのは、デュアンとメオラがソファにおいて情事におよんでいるという事実だった。

 ソファに深く沈みこんだデュアンのうえに、メオラが馬乗りにまたがるかたちで陶然と身体をゆらしている。


 メオラのやや反り身になった背中をみて、トレヴァは驚きの声をあげてしまったのだ。

 たとえそれがどんなにグロテスクなものであっても、あまりに極端なものには人間の目というのは惹きつけられてしまうもので、トレヴァは息をのみながらしばらく二人の痴態を見入ってしまった。


 恍惚のうねりにあわせてメオラが身体をおりまげる。

 それにより肩甲骨が浮きでたり、かたちのよい背骨がみえたりした。

 トレヴァはみずからの鼠蹊部が痙攣するのを感じて、ふとわれにかえると、唾棄すべき現状を呪いながら室内から目をそむけ、デュアンたちの家をあとにした。

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