6 口角をあげる盗賊

 ザウターは丈夫な糸であたまをひっぱられるような感覚を味わい、はっと覚醒した。


 おそらくは刹那のことにちがいないが、自分が椅子に深く坐ったあと、ふと眠りについてしまったようだ。

 それも一瞬とはいえ深い眠りだった。

 まるで熟達した魔法使いにこのうえなく甘美な眠りの誘惑の魔法をかけられたみたいだった。


 目が熱く鼓動がはねあがっていたが、それでもザウターは表面上、平静さを保っていた。

 めざめた直後は不覚をとったようで情けなかったが、原因が不明なわけではなかったからだ。


 ザウターは二週間まえから、〈伝説の宝石〉騒乱の首魁ハーマンシュタイン卿の命令をうけて、頻繁に移動をくりかえしている。

 

 ザウターは卿の片腕であり、ザウターを〈鹿の角団〉にみちびいたのもまた卿だった。

 それゆえに卿が右をむけば同様にするのがザウターの規範であったし、そうすることに疑念や不満いっさいもたなかった。


 二週間まえの月夜の晩に沙漠の国を侵略したときから、ザウターはひたすら宝石のかけらの収集のために奔走してきた。

 沙漠の国で軍勢を率いて〈沙漠の花〉を強奪したあとは、草原の国に入り、月蝕の真夜中に〈月の城〉で〈荒城の月〉を入手した。

 そしてそのまま〈はずれの港町〉まで強行軍でやってきた。


 〈月の城〉でのそれは謎の多い任務だったし、想定外の邪魔も入ったりしたため、いつも以上にストレスがあったことは否めない。

 くわえて旅船を確保し、(卿の待つ)王都にわたるつもりだったが、内海でトラブルが起きているため足どめを喰うはめになってしまった。


 船が動かないことに関してはどうにもならない停滞だったため、ザウターは平常心を維持することに苦心した。


 帰途のルートを変更する案もあったが、べつの行路は日数もかかれば危険も多かったので決断しかねるところがあった。

 しかも、たち寄ったかくれがはべつの問題に悩まされていた。

 

 とにかく度重なる悩ましい状況に気苦労が絶えなかった。

 淡い照明しかないうす暗いところにいることで、疲労からつい居眠りしてしまってもふしぎはなかったのだ。


 すぐにでも王都にもどりたいザウターの神経はささくれだっていたが、それでも滞留のなかにあって、ひとつだけ有益な情報がころがりこんできた。

 

 それはまさに不幸中の幸いと呼べるできごとだった。

 もっともそれは寄せられたネタがガセではなかったとしての話だったが、ただ内海をめぐる問題の進展を待つだけだったザウターには悪い報せではなかった。


 ザウターは地下にあるほの暗い部屋のなかで、その真偽を確かめるべく訪問者を待ちうけていたのである。


「……〈鹿の角団〉はすごいねぇ」


 すると突然ティファナがまのぬけた声をだしたので、ザウターは驚くとともに口もとをほころばせてしまった。


「なぜ?」


 ザウターは両腕をのばしながら訊ねる。一気に脳が活性した。


「だってだって、こんなさ、町の下に秘密基地をつくっちゃうんだもん」


 ティファナは部屋のなかをくるくると、バレリーナのように横回転しながらまわった。


「それにここって下水道と隣りあわせなのにそんなに臭わない」


 ぴたっと脚をとめると、ティファナはひとさし指と親指でみずからの鼻先をつまんでにっこりした。露出の多い衣装に似合わない無邪気なしぐさと表情だった。


 ティファナは〈鹿の角団〉において、幼い頃からずっとザウターのパートナーとして任務を担ってきた。

 盗賊団にはおたがいの過去に関心を抱かないという黙契があったため、ザウターも詳細は知らなかったが、ティファナもまたザウターがそうだったように、紛争に巻きこまれた名もなき村落から卿にひきとられるかたちで〈鹿の角団〉に所属することになったということだった。


 しかしただそれだけでザウターの相棒になるほど〈鹿の角団〉は生易しい組織ではなかった。

 ティファナには(おそらく生来のものである)特異な能力があったため、頭目の地位(ザウターと同様の立場)に抜擢されることになったと推測された。


 ティファナにはふたつの特殊技能があった。

 ひとつは卿に与えられた〈魔女の角笛〉で幻獣を召喚することができるというもの。もうひとつは〈銀の鎖〉をもちいることで猛獣を意のままにあやつることができるというものだった。


 いずれも派手に利用すればするほどそのあとの疲弊がはげしく、ほとんどのケースでティファナは眠りについてしまうという欠点もあったが、それらの能力をいかんなく発揮したさいのティファナにはザウターも脱帽するしかなく、さきの沙漠の国の侵略時には氷のような冷徹な瞳で徹底的で容赦のない攻撃をしかけ、その光景にはザウターも息を呑むほどだった。


 ふだんのティファナはきわめて自由な精神のもちぬしであり、自然体でつかみどころのない小動物のようなあどけなさをもちあわせているのだが、いったんスイッチが入ると殺戮さえ意に介さない戦慄の女王が顔をだすのである。


 そういった二面性もふしぎな性質ではあったが、ティファナに言わせればそれは「女心の賜物」ということだったし、なにより目前でティファナが笑顔ではしゃいでいれば、ザウターはすぐにそんなことは気にかけなくなってしまうのだった。


「ここは町の黎明期、下水道や雨水排水溝の敷設とおなじ頃に並行してつくられた空間だが、直接下水道には通じていないからな。うすい壁一枚でへだてられているだけだが、それでも部外者にすぐに発見されてしまったら意味がないし」


 ザウターは鼻をつまんだままのティファナに説明した。


「それになにより臭気にたえられないようではかくれがの役割を果たせない」


 ティファナは「うんうん、くさいお部屋はいやだよねー」とうなずいたのち、「でも暗いお部屋もいやだなー」とくるくる横回転しながら移動し、ザウターのとなりの椅子にどっかり腰かけた。


 椅子におさまって猫のように目を細めたティファナを横目でみながら、ザウターはつけくわえる。


「ついでにいえば、唐突にわけのわからないものがわいてでてくるような部屋だっていやだろ?」


 ティファナは椅子を両手でおさえてガタガタいわせる。


「でも、かわいいのやおもしろいのだったら、ティファナちゃんがペットにするからだいじょうぶだよ」


 ザウターたちが滞在している〈はずれの港町〉の地下にひろがった〈鹿の角団〉の拠点には、壁や天井の老朽化にともなう懸案事項があった。


 それは経年の傷みでもろくなってくずれたコンクリートの間隙から、下水で増殖した野生動物やそれを捕食する爬虫類、また排水管をつたって(本来町外にいる)怪物などがまぎれこんでくることだった。


 いずれも壁の損傷が確認されてすぐの段階で補修工事の検討をしなかったせいで、ザウターたちが基地をおとずれた直後、巨大まむしに追われて迷いこんだ巨大ねずみによる犠牲者がでた。

 二人の団員が通路を歩行中にふいうちをうけて死傷したのだ。

 けがをした団員は両腕と片脚に裂傷を負い、死亡した団員は胴を爪でえぐられたうえに、頭部を噛みちぎられていた。


 ザウターは基地の代表者を処罰することになっていた。代表者は(自分より権力をもつ頭目である)ザウターたちが来訪したことを知ったその日のうちに逃亡をはかっていたが、追っ手が今朝方捕縛したという情報が入っていた。


 ふとティファナの寝息が聞こえた。

 ザウターが物思いにふけっているうちに、うとうとと眠りについてしまったようだ。

 ティファナもまた頻繁にマジックアイテムを使用しているために疲労がたまっているのかもしれない。


 ティファナの安らかな顔をのぞきみようかと思ったところで部屋のドアがノックされた。

 音にびっくりしてティファナがびくっと身体を痙攣させる。


「失礼します」


 ドアを開けて、あごひげをたくわえた団員が入ってきた。


「例の少年をつれてきました」


 そしてザウターの射るような視線に目があったとたん、さらにかしこまりながら一人の少年をまえに押しだす。

 ティファナはふにゃふにゃと寝ぼけているが、ザウターはすでに団員が引率してきた少年の様子をうかがっていた。


「ごくろうだった」


 ザウターは少年から目をそらさないまま団員の労をねぎらった。

 団員は緊張からか両のこぶしをにぎりしめたまま目礼する。


 しかしザウターは全神経を少年に集中させていた。

 会話をするよりさきに少年の心の奥深くを読みとろうとするかのように、鋭くにらみをきかせていた。


 少年の風貌は、話に聞いていた第一印象とはちがっていた。

 ザウターが想像したよりもずっと童顔だったし、全体的にあまり洗練されていない。

 体躯はりっぱなほうだったが、それでもギャング(あるいはごろつき)だとすればめずらしさはない。


 呆然とザウターをみつめる瞳にも、たとえば奸計を弄するような老獪さは感じられなかった。

 少年の着ている(新品の頃はランプの淡いあかりでさえもキラキラと白銀の雪原のように反射させていたにちがいない)白いコートは色褪せ、まるで路地裏の猫のようにうす汚れていた。


 少年はザウターの刃物のような洞察に動揺したのか、あるいは考えなしなだけなのか、ザウターから目をそらし、室内をみまわしたり、ティファナのあくびに気をとられたりしている。

 

 あごひげの団員がなかなかあいさつをしようとしない少年をうしろから小突くと、少年は不服そうな顔でふりかえり、ぶつぶつと小言をもらした。


 ザウターはこの少年がみずからをおびやかすような存在ではないことを確信し、ハイエナのようにゆっくりと口角をあげた。

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