5 光の射さない空間

 港町に夜明けがおとずれ、朝市の開始を告げる鐘が鳴り、寝静まっていた民家からは少しずつ生活の音がし、新しい一日の歯車がゆっくりと回転をはじめた頃、バドは一条の太陽光さえ射すことのない空間にいた。


 そこはランプやカンテラといった照明がなければ、永遠の闇につつまれているところだった。

 

 バドはその円筒状の入口から内部に踏みこむとき、まるで巨大な爬虫類の胎内にのみこまれていくような息苦しさをおぼえた。


 じっさい、はしごにつまさきをかけて降りはじめ、あたまが闇のなかに入るときは、潜水するときのように思いきり空気を吸いこんでしまった。

 

 目が地下のうす暗い通路に慣れるまでのあいだ、バドは目前の案内人が寡黙だったため、いろいろなことを思いかえした。


 最初は昨夕のトレヴァの疑惑のまなざしだった。

 バドがトミーと二人で〈夕凪館〉に飲みに向かうべく家をでていくとき、浜辺でひろった宝石のかけらについて詮索してきそうな気がして、それを目で制したときのトレヴァの目つきだった。


 バドはギャング仲間のトミーに宝石のかけらのことを知られたくなかったのでトレヴァとの会話を避けた。

 秘密にしたいと考えることがトレヴァにとって腑に落ちないことだということがわかったものの、バドは昨晩から家にもどってはいないので、いまだ説明の機会はなかった。


 もっともトレヴァは聡明だったのでわざわざ詳説しなくとも雰囲気で察してくれたかもしれない。

 ただ少なくとも、いまのバドの状況をトレヴァが好意的に解釈していないことは想像できた。


 バドはちいさくため息をつく。

 少なくともここ最近トレヴァとは意見も噛みあわず、感情的にもすれちがっていた。


 しかしすぐに回想がすすんで、トレヴァに関するストレスは消え去った。

 バドは昨日の明け方、波打ちぎわに流れてきた難破船の木片が足さきにぶつかる感触と、暁を反射する宝石のかけらのしずくの形状を思いだした。

 

 24時間まえのことだったが、二日つづけてあまり寝ていないせいもあってか、ずいぶん昔のことのように感じられた。


 バドは〈伝説の宝石〉に関する知識はもちあわせていない。

 「すべてそろえれば夢が叶う」という筋書きをトレヴァに教えてもらったところでまるで現実味がない。

 だから、もしいまバドの人生が、泥濘に脚をとられるようないきづまりをみせていなければ、そんな絵空事は笑いとばしたにちがいない。


 すべてが時機の問題だった。

 バドが人生を展開させるきっかけを欲していたまさにそのとき、宝石のかけらが目のまえに現れ、しかもそれを〈鹿の角団〉が捜索していた。


 運命でも奇蹟でもなんでもよかった。

 ただそれによって、無力さの霧に覆われた夢路のさなかで引き裂かれそうになっていた心が再度、希望の熱でつながれればよいのだ。

 バドは思わず口もとをゆるませる。


 それでも歓喜の興奮は一瞬のものだった。

 そもそも足がかりはあっても、まだ成功を手にしたわけではなかったし、とっかかりだけで悦にひたるにはバドはこれまでの人生であまりにも挫折をくりかえしすぎていた。


 バドの追想はどんどんすすんだが、そこに笑顔になれる要素はほとんどなかった。あたまをよぎる幼い頃からいまにいたるまでの人生には、恥辱や屈服といった負の要素しか見当たらなかったのだ。


 浮かんでくる細かいエピソードのほとんどが、思わず声をだしてしまうような歯がゆい失態や、もう二度とやりなおすことのできないむなしい失敗だった。

 

 そもそもバドは夢につまずき、何度もくじけることで、半年まえに〈はずれの港町〉まで流木のように漂ってきたのだった。


「おい――」


 バドは前方からの声をいったん聞き逃した。


「おい!」


 もう一度、まえの男がりきんだとき、ようやくバドは鼓膜にとどいた声に反応した。


「あ、はい」


「聞こえてるならすぐに返事をしろよ」


 バドを案内していた男がたちどまって半身だけふりかえった。


「あ、いや……」


 バドはうすら笑いをうかべてごまかす。


「ちょっと寝ぼけちゃってさ。最近、睡眠不足なんだ」


「……ふん」


 案内人はバドをしばらくにらんだのち、向きなおってふたたび歩きだした。


「調子のいいやつだ。貴様は生意気なうえに、軽薄で、うわっ調子な人間のようだ。貴様なんかの軽口にのってやったのはまちがいだったかもしれないな」


 男の背中をみながらバドはむっとした。


(おまえだってそんじょそこらの盗賊風情じゃないか。人様に自慢できるような性格してるのかよ)とよほど口にしそうになった。


 案内係によるバドの人間評はあながちまちがいではなかったが、やはり直截的に表現されるといい気分はしない。

 それでもバドは、ここで相手に喰ってかかることが計画の頓挫を意味することは理解していたし、そういった面に関しては昔よりは慎重かつ辛抱づよくなっていた。

 以前ほど一時の感情に流され、やけになって、やりかけのことを投げだすことはしなくなっていた。


 〈鹿の角団〉の男の背格好は、バドとそれほど差異はなかった。

 男はあごひげを生やしており、年齢は17歳のバドのほうが若そうだったが、それでも世代がちがうというほどの差はなさそうだった。

 頚まわりの頑丈さや腕っぷしなら、バドのほうに分があるのではないだろうか。


 バドは昔から腕力に自信があった。

 もっともそれは手先が不器用だったし、とりたてて賢くもなく、機転がきくほうでもなかったので筋力ぐらいしか胸をはれるところがなかったということでもある。


 バドは半年まえ、〈はずれの港町〉でたまたまデュアンたちのギャング団に入ることになって、そういった路地裏の世界や盗賊団連合といったものの存在を知った。

 もともとギャングになろうと思っていたわけではなく、むしろバドの目標は真逆だった。

 それでも不可抗力の運命の波にのまれて町のギャングの一員になり、はじめて〈鹿の角団〉のことも聞き及んだ。


 バドに情報をもたらしてくれたデュアンたち、あるいは酒場でくだを巻いている水夫をはじめとする大人たちはこぞって「〈鹿の角団〉には気をつけたほうがいい」と警告してきた。


「あいつらには、オレらの常識なんか通用しないからな」


 しかしバドは肩透かしをくらった気分だった。

 バドが交渉をもちかけた目前の盗賊は、みんながいうほど警戒が必要な人物にはみえなかったし、最初に声をかけたときの印象も特殊なものではなかった。

 身なりもふつうの町民風で、話題が宝石の話になるまでは表情が愛想よく、にこやかですらあった。


 この盗賊がたまたま、比較的温厚な気質をしているだけかもしれないが、少なくともバドは〈鹿の角団〉の頭目の一人に要求をつたえることができたし、それによってこうして案内されている。


 最初にこの折衝をこころみようと考えたときは、そこにいたるまでに無数の障害が待ちかまえているものと覚悟したが、思いのほか、とんとん拍子で話がすすんでいったのである。


「ふん、黙っていようかと思ったが、おまえの不始末の累がオレに及んでも困るから注意をしておく」


 しばらく歩いたところで案内係の盗賊がふたたび口を開いた。

 バドがどう返事をしようか迷っているうちに盗賊はつづけた。


「まず、余計な口をきくな。質問を質問でかえすな。貴様はへらず口をたたくのが癖のようだからな。それから質問されたこと以外はなるべく答えるな。ただし訊かれたことには端的に、そして的確に答えられるよう努力しろ」


 盗賊が黙ったので、バドは「はいよ」と返答した。

 おなじようなことを子どもの頃、教師に何度も諭されたような気がして苦笑する。


「ふん。この忠告を聞き流すのも自由だし、どうふるまうもの貴様の自由だが、頭目のきげんを損ねたり怒りをかうようなことをしたら、命はないと思え」


 バドが返事をしなかったが盗賊はふりかえることはなかった。

 しかしそのことが「命はない」がうそや冗談ではないことを示しているのだろう。

 バドののどが鳴る。知らないうちに息を呑んでいた


 バドは自分が臆病だということを知っている。

 だからこそ、いつもは勝気にふるまっていた。

 そうすることで、こみあげてくる恐怖心を糊塗しているのである。

 陽気な調子でまくしたてていれば、自分で自分をだますことができた。それはさほど難しいことではない。


 しかしいまは話し相手もいない暗闇だった。

 トレヴァがそばにいないことを淋しく感じた。

 それを口にすることさえできなかったが、盗賊と自分の足音が響く通路には、幼い頃におそれていた眠れない夜のような孤独がひろがっているように思えて、バドは無意識にうす汚れたコートのまえを合わせた。

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