4 標的にされる存在
荷車が大通りを走っていくガタガタ響く音が遠のくと、まわりが急に静かになった。
まだ早朝ということが大きかったが人通りは少なく、ルイにはどちらかといえば簡素な町並みに映った。
もっとも旅の中継点として実務的な新開地ではあっても、観光名所になるようなところとは思えないので、なにか心躍るような刺激を期待するほうがおかしいことをしばらくして悟った。
それでも大通りのところどころには遊興の盛り場といった雰囲気の一角もうかがえた。
ルイはそちらに一瞥をくれてから、ふと海がある方角をみつめてみた。
たちならぶ建物や傾斜といった地形的な要因で海自体はわずかしか視界に入らなかったが、それでもさざなみが聞こえてくるような気がした。
「ふしぎなの。海がみえるところまでくるといつでも、なんだか遠くまできたなって、そんな感じがするのよ」
ルイは、長い髪に手櫛をする。
「……ん?」
アルバートが反応した。
「でもじっさい、ここが海ってことにかぎらず、沙漠の国からしたらわりと遠くまできたなって思うけど」
「ちがうわよ」
ルイは面倒になってぞんざいにあしらう。
「そういう意味じゃないの。物理的なことだけを言ってるんじゃないわ」
かるくいなされたアルバートは不服そうにくちびるをとがらせたものの、ルイの機嫌を無駄に損ねるわけにもいかないので、それ以上なにも口にしなかった。
ディレンツァも黙っている。
その端整な横顔は、まっすぐと港のほうに向けられていた。
潮騒に少しだけ感傷的になっていたルイは、無感動なアルバートに水をさされて余韻にひたっていることができなくなったため、若干むくれながらディレンツァをみる。
建設的な話をせざるをえない気分になったのだ。
「とりあえず、湾岸事務所で詳細を聞いてみましょうか。船の便がとまったいきさつも詳しく知りたいし、結局はどうにかしてでも手配をしなくちゃならないんだし」
ルイの問いかけに、ディレンツァはルイをみる。
「まだ早朝なので事務所も閉まっている可能性がある。内海で変事が起きているならなおさらだろう。さきに情報収集も兼ねて休憩しておこうか。あたたかいものでも口にしておいたほうがいいだろう。そこに喫茶店がある」
「おー!」
ディレンツァの意見に、アルバートは両手を合わせる。
「良いアイデア!」
「王子は単に休みたいだけでしょ」
ルイが下くちびるをとがらせた。
そんな二人から視線をそらしながらディレンツァがつづけた。
「それに治安の問題もありそうだ。往来の少ない時間帯にふらふらするのはあまり望ましくない」
ルイとアルバートがディレンツァをみると、ディレンツァは二人をちらりとみながら「さきほどから何人か通りかかったが、賊らしき気配をもった人間もいくらかいるようだ。草原の国の開口部といえばそのとおりだから、そういった輩の巣窟でもあるのかもしれないな。王都の港にもこういった気風が少なからずある」と説明した。
アルバートが「なるほど」と納得しながら通行人を凝視しようとして、ルイに「そんなに食い入るようにみつめて不用意にからまれでもしたらどうするのよ」とすねをつまさきで蹴られた。
「とにかく様子をみてみよう」
ディレンツァは低い声でつぶやく。
「警戒ばかりしていてもしかたがないが、最近は盗賊の低年齢化もすすんでいるようだからな。意外と身近に敵がせまっていたりするかもしれない。周到に行動するほうが得策だろう。われわれには味方もいないからな」
「そうね、王子がここらをおおっぴらにふらふらしてるのが知れたら、あぶないものね」
ルイがうなずくと、横でのんきな顔をしていたアルバートが「え?」とうろたえる。
「なに驚いてるんだか」
ルイはそれをみて、おおげさに両手のひらを天にむけた。
「そもそも沙漠の国の王子ってだけで無法者たちに狙われる可能性はあるでしょうに。〈鹿の角団〉の連中なんか王子の無事を確認したとたん、標的にしてくるわよ」
アルバートはルイのせりふをじっくりと吟味したあと、脳内で腕利きの覆面盗賊たちに命を狙われたり、拉致されて監禁されたりするところを想像し、じわじわと青ざめた。
ルイは決して針小棒大な物言いをしたわけではなかったが、その話しぶりがさっぱりした冷淡なものだったので余計に蒼白になったのだ。
アルバートはいままで自分の立ち位置をかろんじていたわけではなかったし、むしろ旅立ちを決意した頃は多くのしがらみや難題を考慮しすぎてパンク寸前の状態にあったぐらいだったのだが、いまふたたびルイの一言でそのときのような、目のまえが突然崖になったような心境におちいったのだった。
ルイはいたずら心半分にどこかにぶっているアルバートの心意気を少し刺激するだけのつもりだったのだが、小刻みにふるえるアルバートをみてやりすぎだっただろうかと悩んだ。
しかし〈鹿の角団〉が粗略にあつかうことのできない集団であることは言説するまでもない。
もちろん祖国を追われるきっかけになっただけでも気をぬけない理由としては充分だったが、ルイたちは沙漠の国を離れたあとすでに一度、〈鹿の角団〉の刺客に接触していた。
それもまだその衝突(あるいは競争)からさほど時が経過していないのである。
ルイたちは沙漠の国を出立したのち、草原の国にある宝石のかけら〈荒城の月〉をもとめて辺境の丘陵地帯にある〈星のふる丘の街〉の領内に位置する〈月の城〉に赴いた。
城のどこかに宝石のかけらがかくされているという情報はもちあわせていたが、じっさいのありかは長いあいだ解明されることなく謎につつまれており、その発見はたびかさなる偶然の産物(もっともディレンツァにいわせるとかならずしもそうとはかぎらない)だったが、ルイたちは不可避な闘争としてその場面に出遭わした〈鹿の角団〉の盗賊二人組と、宝石のかけらの争奪戦をくりひろげることとなった(現実には物理的に奪い合ったわけではなかったが)。
結果ルイたちは成果をあげることができず、〈荒城の月〉は刺客たちの手におさまり、ルイたちの奮闘は徒労に終わってしまった。
すべてが一夜のうちに起こり、まさに夜明けの夢のようにどこか曖昧模糊とした印象をうける漠然としたできごとのように思われたが、時が経つにつれてルイの実感として残ったのは、沙漠の国にひきつづき、またしても苦杯をなめさせられてしまったという不快感だけだった。
盗賊団のほうが情報収集力もすぐれているだろうし、団員数を思えば数的にも有利ではあるわけだし、たとえば所在の不鮮明なかけらについて、なにかしらのあたりをつけて行動するのだとしても〈鹿の角団〉のほうがよほど優勢だといえるので、その帰結は当然といえばそのとおりだったが、だからといってそれで納得できるようなルイではない。
たとえ〈鹿の角団〉が、ルイたちに先んじて宝石のかけらのすべてを収集してしまうのが時間の問題なのだとしても、ルイは一矢報いなければ気がすまなかった。
そしてアルバートだってそう決意してしかるべきだろう。
だから旅路でいくら敗北感にさいなまれても、視界が闇に覆われたとしても、アルバートには容易に絶望してほしくはなかった。
悲観や幻滅、失望に慣れることなど一生ないのかもしれないが、どこかでそういった重荷を背負っても毅然としていられるような心に厚みをもってほしいのだった。
ルイが蒼白のアルバートから目をそらすと、ディレンツァも大通りに目を向けているようだった。
港のほうから潮風が流れてきたような気がして、ルイは鼻をこすった。
ふと見やると、少し離れた横丁からよごれたコートに身をつつんだ少年が跳びだしてきた。
それと同時に白む空をつっきるようにカモメが飛んだ。ちからづよい飛翔だった。
ルイはその活力にしばらく目をうばわれた。
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