3 宝石をめぐる旅人たち

 あくる日の早朝、〈はずれの港町〉の大通りに一台の荷馬車が到着した。


 馭者がたづなをひいてなだめるように声をかけると、荷車をひいていた三頭の馬はそれぞれいななきながら脚をとめた。

 馬たちの鼻息は荒かったが、まだ走り足りないかのようにひづめを地面にたたきつけている。

 昨晩トレヴァが剣呑な夜空にみたうす暗い雲はすがたを消して、空は晴れわたっていた。


 馬たちがひく荷台には辺境の街で栽培された豊かな農作物がところせましとならんでいる。


 青々とした葉をニワトリのとさかのようにしげらせた大根の群れにまざって腰かけていたルイはいち早くたちあがって、そのせいで大根が二本ほど荷台からころがり落ちたのだがまるで気にすることなく、するりと地面に跳ねおりた。


 そして大きく伸びをして全身をほぐしてから馭者に向けて「ありがとう、助かったわ」とにっこりほほえむ。


 馭者もまた売物がぞんざいにあつかわれたにもかかわらず非難がましい顔はいっさいしないで相好をくずした。


 ルイが落とした大根は、ずっと馭者のとなりに坐っていたはずのディレンツァがそよ風のように自然に降りたち、ルイのうしろにまわりこみ、ひろいあげて、砂ぼこりを払ってから荷台にもどした。


 ルイはなかなか降りてこないアルバートを確認するため、にらむように荷台をみつめる。


 馭者がルイに対して腹をたてなかった理由は、ルイが屈託のない性格だからでも器量よしだからでもなく、馭者がルイたちのことを信頼していたからだった。


 ルイたちは丘陵地帯にある〈星のふる丘の街〉から〈はずれの港町〉に向けて徒歩で出発したところ、まる一日が経過した頃、おなじく〈星のふる丘〉の農場から港町の朝市に農作物を配達するべく移動をしていた馭者の率いる馬車に遭遇した。


 馭者は出立時間が遅れてしまったこと、日常的におなじルートをたどっていること、また、行路を急ぐあまりリスクに対する準備を怠っていたことなどが災いして、空腹をもてあました草原オオカミの群れにマークされてしまっていた。


 オオカミたちの狙いは、荷台に積まれた野菜の下に防腐剤をひたした草葉でつつまれてしまわれていた総量50キロにおよぶ豚肉のかたまりだった。

 いくらかくしてあってもオオカミたちの過敏な嗅覚をあざむくことなどできはしない。

 オオカミたちはまるで焦燥する馭者たちをもてあそぶようにじりじりと粘着性をもって馬車を追従し、ときに威嚇してきた。


 豚肉もまた商品であり、馭者にとってそれを放棄することは相当の減収を意味していたが、馬たちは動揺し、時間の遅れもまたかなりのストレスだったため、馭者は豚肉を放擲しようかと考えた。

 そして馭者が判断をくだそうとしたちょうどそのとき、ルイたちが現場に鉢合わせしたのである。


 立ち往生し、困窮している馬車を遠目にみつけたのはアルバートだったが、救助を提案したのはルイで、じっさいなにもできなかったルイとアルバートの代わりにオオカミたちを魔法による轟音をともなう突風で追いはらったのはディレンツァだった。


 驚き、絶句する馭者に、アルバートは一行の来歴をおおまかに話した。

 アルバートの低姿勢でどこか人懐こい折衝術は生まれながらの性格に由来するものだったが、やがて馭者を落ち着かせ、最終的には信用させるにいたった。


「……そう、魔法なんですよ、いまのは。ディレンツァは魔法使いなものですから、ええ、頼りになるんです。ぼくも祖国にいる頃からいまにいたるまで、いつも助けてもらってばっかりで。あ、はい、ぼくはですね、アルバートと申しまして、沙漠の国の出身なんです。それで、ちょっと祖国がたいへんなことになったものですから。あ、はい、そうです、ご存知ですか、城郭都が〈鹿の角団〉に夜襲をうけてしまいまして。はい、もう滅亡の一歩手前というか、ぼくもよく生き延びられたなって。ええ、それで、なんとか逃げだして、草原の国まで。はい、亡命ではないんですけど、ちょっと〈星のふる丘〉の〈月の城〉に用事がありまして。ええ、だから〈星のふる丘の街〉の人たちにもすごくお世話になったんですよ。あそこの水はきれいだから、食べものもおいしいですよね。この荷台にある野菜も抜群なんでしょうね。ん、朝市ですか? 〈はずれの港町〉で? ああ、なるほど、じゃあ、たくさんの人たちが馬車の到着を頚を長くして待ってるわけですね? いえいえ謙遜なさらず。あ、ぼくたちですか? はい、ぼくたちも港に向かってるんですよ。え? 乗せてってくれるんですか?」


 結果、一行は荷馬車に便乗できることになり、そのまま〈はずれの港町〉まで同乗させてもらった。

 道中ルイはあけすけに、そしてディレンツァも寡黙ながら察しの効いた自然な態度で馭者に接し、まるで全員が旅の仲間であるかのようだった。

 ゆえにルイが大根を落としたくらいでは、馭者は不愉快な気持ちにはならなかったのだ。


 早朝の空気が澄んでおり、伸びをした全身がほどよくほぐれて心地よかったため不機嫌ではなかったが、馭者に笑顔を向けてから一変して、ルイは刺すような視線で荷台をみつめ、「王子、いつまで寝てるつもり? 着いたんだけど」と冷たく声をかけた。


 するとうずたかく積まれたキャベツのわきに寝そべっていたアルバートが「あ、お、う」とあわてて取りみだしながら上体を起こした。

 アルバートはよだれをたらしていたのか、口もとをしきりにこすりあげている。


「だいじょうぶかね、王子さま。まァ朝も早いし、ずっと移動してりゃ眠りも浅くなるし、安眠はできないわな。そこの果物でもなんでもよければひとつ食べなよ」


 馭者はアルバートの寝ぼけまなこをみつめて笑いながら荷台をゆびさす。


「目が醒めるぜ」


 アルバートはへらへら半笑いになって「えへへ、ありがとうございます。すみませんね、あ、おはようございます」とだらだらしたあいさつをしたあと、ようやく荷台から跳びおりた。

 着地した直後にふらふらとよろめいたのはいうまでもない。

 ディレンツァにいたっては、それを予測して手を差しのべてさえいた。


「わはは、王子さま、酔っぱらっちまったのかい?」


 馭者は豪快に笑い声をあげ、ルイはアルバートのぶざまな様子を眺めながら胸の息を残らず吐きだした。アルバートはルイの慨嘆に気づかず、照れて寝ぐせのついた側頭部をなでている。


 ルイがアルバートの性格(そのよくいえば人のよさ、悪くいえば覇気のなさ)について憮然とした態度をとる理由は、アルバートに対してなんらかの憎悪を抱いているわけでもなければ軽蔑をしているわけでもなく、ひととなりを理解しようと努めていないわけでもなかった。


 むしろ旅立ちからいまにいたるまでのあいだで、アルバートの情けなく、油断だらけで、ゆらいでばかりの気質については充分すぎるほど認識していた。


 それでもルイはアルバートの旅の従者として、旅の主役であるアルバートにはもっと抜け目なく、芯が強く、毅然としたふるまいをみせてもらいたいと思っていたのである。


 さきほどアルバートが馭者に説明したとおり、アルバートの郷里である沙漠の国は約一ヶ月まえ、巨大盗賊組織〈鹿の角団〉の幹部ハーマンシュタイン卿の率いる軍勢に進軍され、壊乱させられた。

 ふい討ちの夜襲であり、容赦は一切なく、沙漠の国の城郭都市は一網打尽にされた。


 帰途につきかけていたもののたまたま外遊の途上だったアルバートと、警護係を務めていたディレンツァだけが、波乱の夜をくぐりぬけ、現場に居合わせた王族関係者のなかで唯一の生き残りとなった。


 混乱のなか国の民たちも多くが虐殺され、生存者がいるのかどうかすらあいまいだった。

 沙漠の国の王位継承者だったアルバートは、たった一夜のうちに血縁や肩書き、生活、歴史のすべてを失ってしまったのである。


 舞踏団の踊り娘の一員として王宮に招請されていたルイも、そのときアルバートたちに遭遇しなければ、生き残ることは不可能だっただろう。


 〈鹿の角団〉が戦場における一定のルール(たとえば宣戦布告など)を無視して一連の暴挙にでた理由は、沙漠の国の王宮に国宝として祀られていた〈伝説の宝石〉の6つのかけらのひとつ、〈沙漠の花〉を入手するためだった。


 主犯であるハーマンシュタイン卿の胸中はだれ一人知るよしはなかったが、その行為が巻き起こした国家規模の論争以上に、既成事実として悲劇をうんでいることは確かだった。


 なによりもアルバート王子は、その渦中の人物といえた。

 じっさい被災直後のアルバートは、たたきつけられた現実の過酷さに茫然自失となり、自己喪失の果てに完全な思考停止におちいり、もう少しで命さえ落とすところだった。

 それでもディレンツァのサポートやルイの叱咤によってなんとかたちなおり、祖国の復興を目的とした旅立ちを決意したのである。


 ルイには、アルバートの境遇も感得できたし、どこから手をつけていいのかさえわからず、途方に暮れて、負けそうになる心にも共感できないことはなかったが、アルバートに甘えをゆるすことはしなかった。


 それはひとえに目標がとてつもなく大きなものだったということもあったし、ルイの脳裏に描かれている(いうなれば完璧な人格者たる)英雄像というものにアルバートが少しでも近づかなければ、そんな大望を果たすことはできないのではないかと考えていたからだった。


 沙漠の国を再興させるためにルイが提案した方策は、〈鹿の角団〉の裏をかくというものだった。


 〈伝説の宝石〉のかけらを収集することで「どんな夢でも叶う」のであれば、その能力でもって国を再生させることも可能であり、ハーマンシュタイン卿が卑劣な手段をとってでも〈伝説の宝石〉を手に入れたいのであれば、さきまわりして残りの宝石のかけらを猟集し、〈鹿の角団〉に逆襲しつつ、沙漠の国をもとどおりにすることも論拠薄弱とは言いがたいのではないか――というのがルイの意見だった。


 そもそも〈伝説の宝石〉の筋書き自体も真偽不明だったし、概要だけでもどこか胡乱な夢物語としか思えない内容だったが、ディレンツァがその案をあと押ししたため、アルバートたちはたった三人で、その旅路をあゆみはじめたのだった。


 ディレンツァがルイに賛意を示したわけはたちどまって破滅を待っていてもしかたがないという建設的な思考が最たるものだったが、たとえば宝石の神秘性については、吟遊詩人などに歌い継がれていたり、王都保管の古い文献等にも著述がみられたし、そもそも〈鹿の角団〉が宝石に執着するのであれば、伝説の信憑性をありと判断するのはあながち見当ちがいではないだろうという思索にも因をなしていた。


 ただし、たとえ宝石の神秘性が真実だったとしても、大前提として、アルバートたちを圧倒した〈鹿の角団〉をだしぬかなくてはならないため、薄氷のうえを進んでいくような困難な旅であることは否めない。


 くわえて宝石のかけらは、すべての所在が解明されているわけでもなければ、すんなりと入手できるともかぎらない。

 たとえば所有者がつぎからつぎへと移っているものもあれば、所在地が謎につつまれているものもあったし、精霊王がかくしもっているものさえあった。


 少しばかりアルバートがりきんだところでどうにもならないのかもしれないが、それでも旅をつづけるにあたり、アルバートの軟弱で、頼りなく、あわれむべきところさえある一面を指摘し、罵声をあびせることは、ルイにとって一種の仕事のようになりつつあった。


 つまりルイの行動には、一見幼げにみえる容姿とは裏腹な、加虐的な性分も少なからず見えかくれはしていたものの、アルバートの従者にとって必要な役割と解釈して、その尻を蹴りあげていると思っているようなところがあったのである。


「さて、なんだか別れるのも名残り惜しいが、入荷が間に合わなかったら大損だから、オレは市場のほうにいくよ」


 馭者はたずなを両手でつまびくようにもち、ルイたちをみつめた。


「王子さまたちはどうするね?」


「え、そ、そうですね……」


 まごついたアルバートをよそに、ディレンツァが「私たちは港へ向かってみようと思っている」と、強いまなざしを海のほうへ向ける。


「うん。本当は朝市をのぞいてみたいんだけど、あんまりゆっくりしていてもいけないしね」


 ルイは、馭者やディレンツァやルイをおどおどと頚をすくめながらみているアルバートをよそにほほえんだ。


「ほら、私たちの目的地は王都なのよ」


「そうか。でも王都ってことは、内海をわたるつもりかい? そういえば客船の運航はしばらく延期になってるみたいだけどな」


 馭者は回想するようにななめうえをみる。馬の一頭が強く鼻息をふいた。


「え、そうなの?」


 ルイが面食らってディレンツァをみると、ディレンツァは「最近、内海で事故が多発しているという特報は私も耳にしていた」とうなずいた。


「え、それじゃ、港にきても無駄足だったってこと?」


 アルバートが頓狂な声をあげる。

 ディレンツァはそれを横目でみながら「船の遭難は多いと聞いたが、海路が途絶しているという情報は聞いていなかった」とつぶやいた。

 あいかわらず感情の起伏はなく、まるで淡々とした報告のようだった。


「えー、それじゃ、ここまできて足どめってこと? まさか引きかえして、山越えをするなんていわないわよね?」


 ルイがおおげさに空を仰いだ。


 ルイたちは沙漠の国から草原の国の領土に入るとき、二週間かけて大陸中央の〈ひざまずく者の山〉と呼ばれる連峰の一端をこえてきた。

 〈ひざまずく者の山〉は四カ国にまたがる広大な山脈郡であり、陸路で旅をする場合はかならずその渓谷の一部なり、峠の全域なりを通過しなくてはならない。


 いずれも過酷で危険の多い圏域であり、ルートを知悉している者でもいきとどいた安全を確保することは難儀だった。


 冷徹な山賊や蛮族たちだけでなく、赤い目をした穴居人、動物とまじわった人獣の一族や、つり目で大きな耳をした妖精人たちといった狡猾な亜人種、また、腹を減らしたヒグマやオオカミの群れといった野獣だけでなく、夜になれば死者のよみがえりや骸骨騎士たちといった異界のモンスターの出現さえあるといわれていた。

 森には人々をまどわせる樹木の精霊たち、水辺にさえ大蛇やいたずらな水の精がいる始末で、心を落ち着ける瞬間などみじんもありはしないのだ。


 ルイは山路を回想して、思わずうなり声をあげてしまった。

 

 そのときは運よく旅慣れた傭兵たちを擁しているキャラバンに同行してもらうことができたため、無事に草原の国に入ることができたが、そう何度も、それも今度は三人(しかも役立たずのアルバートを勘定に入れたとして)で、うまくいく自信は露ほども湧いてこなかった。


 しかしディレンツァもルイと同感だったようで、「いや、陸路に切り替えてもメリットがあまりない。どっちにしても時間のロスは大きいだろう。山越えをして一週間以上かけて王都に向かうよりは、なんとか船を手配して内海をわたれば約二日で到着できる。ここで引きかえす判断をするのは早急すぎる」と目を細めた。


 アルバートはそれを聞いて「そうだよね、まだ早いよね」と胸をなでおろした。

単に歩くのがいやだったのだろう。


「まァ、客船の乗船券は事務所に申し込むことになってるんだ。事情が事情だし、なんせ王子さまご一行だしな。機略を話せば、なんとかしてくれるかもしれないぜ」


 すったもんだしているルイたちをみながら、馭者が提言する。


 ルイが「ありがとう、そうしてみるわ」とにっこりすると、馭者はたずなをあやつって、「それじゃ、元気でな」と荷台とともに朝市のほうに向かって去っていった。


 ルイは手をふり、アルバートとディレンツァは無言のまま見送った。

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