2 難破船の秘密

 二人の若者が朝を迎えた砂浜は〈はずれの港町〉という名の湾岸都市だった。

 草原の国の領内に属し、その港町が面している海は王都および水の国の領海にも接していることから、通称で内海と呼ばれている。


 はずれという呼称にはふたつの意味がこめられており、ひとつは大陸北東部の(辺境である)草原の国への内海を通じての唯一の入口というもので、すなわち、大陸北東のはずれへと向かうための門がまえという王都からの見方を表すもの。

 

 もうひとつの含意は、草原の国の伯爵都(開拓伯カークランドの城がある首都)からみた国内において南西のはずれに位置しているという地理的な条件を表していた。


 原意は前者だったが、王都の建国王マルサリスの宣誓、そしてカークランド伯の辺境開拓事業着手から100年が経過したいまとなっては、それらの真意を気にかけたり問いただす者はまずいない。

 長い歳月が名まえをただの文字面として定着させており、それはたとえばナイフやフォークといった名詞にだれも疑念を抱かないこととおなじだった。


 王都やほかの地域から草原の国に向かう経路はふたつしかなく、ひとつは内海を、円を描くように流れる潮に船でのる海路で、もうひとつは〈ひざまずく者の山〉と呼ばれる大陸中央にある広壮な山脈郡をこえていく陸路だった。


 潮流の問題や海賊、海底からのモンスターの出現など、航路にも危険は少なからず存在したが、つらなる山稜を登攀していくよりは所要時間の面でも諸経費の面でみても利便性が高く、基本的に草原の国をおとずれる人々は海路を選択することが多い。

 近年は海洋の研究もすすみ、航海経験の蓄積、また造船技術の向上などもあいまって海路の安全性も高まってきていた。


 しかし一ヶ月ほどまえから、内海ににわかに問題が発生していた。


 それは当初、漁師や貨物船員たちを困惑させていただけだったが、被害の規模が徐々に大きくなってきたため、やがて王都の中央にも陳情書が提出され、書面を勘案した枢機院によって調査団が派遣させられることになったという事件である。


 その問題というのは、漁船や航行船が突如、なんの前触れもなく消息を絶つという珍事だった。

 

 不慮の事故をこうむった船は、悪天候に見舞われたわけでも、急激な潮流の変化に対処できなかったわけでも、季節性の強風にあおられた高波に巻かれたわけでも、水竜や大王イカといった海洋生物による凶行に遭ったわけでもなく、沈没してしまい、船員たちは一人残らず行方不明になっているのだった。


 船の難破が判明したわけは、事件後しばらくして内海沿いの湾岸のどこかしらに、ゆくえをくらました船の残骸がうちあげられるからだった。


 事故現場の目撃談はほとんどなく、聞きとり調査は要領をえず(というのも現場に 直面した船員たちは残らず消えてしまったから)調査団の原因究明はなかなか進捗しなかった。

 団員のなかには「まさに難航だな」という冗談ともぼやきともとれない言葉を吐いた者もいた。


 しかし航路の不通による経済損失などをかんがみると、手早い実態の洗いだしが要求された。

 やがて団長補佐をつとめていた魔法使いが、海辺に残されていた廃船から感知したかすかな魔力と水の国の半島の突端にある断崖について寄せられていた報告から、手がかりといえる情報をたぐりよせることができた。

 それによる復命書を記述した調査団長の考究によると、航行船の原因未詳の海難事故は水の国の半島に生息していた人魚に起因しているのではないかということだった。


 王都の中央には暫定報告として同様の内容がつたえられたと噂されていた。依然内海の危機は解消されていなかったが、草原の国の窓口である〈はずれの港町〉でも一刻も早い災厄の解決が望まれていた。


 そんな〈はずれの港町〉の領内にあたる浜辺に、沈没した木造船が流れついたという報せが町の湾岸事務所にとどいたのは、その日の正午に近い頃だった。


 注進におとずれたのはトレヴァで、いかつい顔をした漁師組合員でもある所長代理は怪訝な表情を固定させたままトレヴァの情報を聞きとり、やがて昼食休憩からもどってきた事務所長に調書としてまわした。


 トレヴァは終始いかがわしいものを横目でみるようなあつかいをうけたが、眉をひそめることもなく落ち着いてポーカーフェイスをつらぬいた。

 トレヴァの態度に最低限の品位を認めたため、所長代理も報告をぞんざいに処理することはしなかった。

 調書に目を通した所長もまた最近の内海騒動の一環だということはすぐに承知し、即座に人足をつどい砂浜へと向かった。


 当然のことながらトレヴァも同行を強要され、発見したときの状況を根掘り葉掘り訊ねられた。

 厳格な所長代理には執拗に情報の真偽を問われ、不愉快な想いを味わわされたが、トレヴァはこぶしをにぎってがまんした。


 しかしトレヴァはふたつだけうそをついた。

 それは発見者を自分だけにしたこと(バドの名まえをださなかったこと)と、なにひとつ漂流物を盗んでいないと告げたことだった。


 トレヴァがこの非常事態を報告したいと思ったのは、生来の正義感と道徳心によるものだったが、その二点について目をつぶった理由は、バドが友人であったことと、そのバドが断固としてトレヴァの通報を容認しようとしなかったことに起因していた。


 トレヴァは誠実な心をもっていたが、それが多少なりとも日和見的であることは自覚していた。

 だからみずからの判断が中途半端であってもそれはしかたがないと考えることができた。


 なにより夕方まで自由をうばわれ(しかも木片の回収作業を手伝され)、くたくたになって解放されたときには、自分よりもバドのほうがある意味では正しい選択をしたのではないかと思えるくらいに心がゆれていた。


 トレヴァが心身ともに疲弊した理由は、所長代理が顕著にみせていた軽蔑の態度だった。


 トレヴァはおもねるほど愛想よくしたわけではないが、慇懃に礼節を欠くことなく終始対応した。

 それにも関わらず所長代理がトレヴァをさげすんだのは、トレヴァが堅気の商売に従事していないからだった。


 もっといえばトレヴァ(そしてバド)は〈はずれの港町〉ではちいさなギャング団に属していた。


 湾岸事務所の所長は、王都の中央から派遣されてきた年嵩ながら柔軟な思考をもっている人物で、かつ、それ以上に他者にそれほど関心をもたないタイプだったので、トレヴァたちをとりたてて問題児としてあつかうことはなかったが(なにより王都は人口が多いのでそういった若者たちにいちいち注意をはらっていたら暮らしていけないほど無法者は多い)、生まれたときから港町にいて、頑固者の父親にならって漁業一筋で働いてきて定年を迎えたのち所長代理となった男にとっては、トレヴァたちのような実態の捉えづらい少年たちは非常にうとましかった。


 勤勉さを欠き、忍耐力をもたず、情熱のない不真面目な社会悪として常々けむたがっていたのである。


 もっともトレヴァたちもその意見や偏見に強い反発をおぼえているわけではなかった。

 トレヴァにしても、いくら歯噛みしてみたところで、みずからの存在が半端者であることは理解していたし、たとえばバドにしてもいまのままでは人生がたちゆかないことも痛感していた。


 場末のギャング団の一員としてちぢこまった生活を送ることは、少なからず精神の苦痛をともなっていた。

 そもそも町のギャング団は、たとえば大陸全土にあまねく勢力を拡大している盗賊組織〈鹿の角団〉などとくらべれば、あまりにもその規模がせまくちいさかった。


 組織図にしても当の〈鹿の角団〉はすぐれた従卒を管理する幹部たちで構成されていたが、トレヴァたちの集団には統率者が一人いるだけで、そもそもトレヴァとバドを除くと、常駐しているメンバーは三名しかいなかった。


 〈鹿の角団〉がときに王都とも対等に取引をするほどの国家規模の権威をもっていることを踏まえれば、良くて便利屋のごろつきでしかないトレヴァたちが一般住人たちから軽視されることなどなんらふしぎではなかったのだ。


 夕闇の空にまたたきだした星をみつめて、胸にたまった息を無意識裡に吐きだしながら、トレヴァが住処である町はずれのあばら家のドアをあけると、ちょうどバドがコートを羽織りながらでてこようとしているところだった。


 敷居をはさんで対峙したバドは一瞬ぎょっとしたものの、相手がトレヴァだということを確認するとかすかに口角をあげる。その顔は居心地のわるさをともなった怯えのようにもみえなくはなかった。


「遅いから、今夜はもうもどらないのかと思ったよ」


 バドは本気か冗談かわからないことを、本気か冗談かわからないトーンでつぶやいた。

 その態度が鼻についたがトレヴァは憔悴していたこともあり、バドと揉めるつもりもなく、そんなことは億劫でしかたがなかったのでもう一度わざと嘆息してからうなずいた。


「まァ、留置されてたようなもんだよ。おまけに奴隷みたいに撤去作業を手伝わされたし。朝おまえが言ってたとおり、あんな沈没船のことなんか放っておけばよかったかもしれない。わざわざ事務所に報告なんかしなくてもだれかがみつけただろうしな……」


 トレヴァはそうつぶやきながらバドのわきを通って建物内に入ろうとする。

 バドが自然と身体をかたむけて道をゆずったが、バドのうしろにトミーが立っていて、トレヴァは突然目前に現れたトミーの陰気な顔に面食らってしまった。


 もっともトミーはいつでも曇天を連想させられるような翳のある表情や態度をしていたのでそれが常態だった。トレヴァが一驚したことで、トミーはにやりといやらしい笑みをうかべる。

 なにがおかしいのか不可解だったが、トレヴァは気にしないそぶりで目をそらしてトミーのわきを通過した。


「……もう夜でもコートはいらないかもしれないな」


 トレヴァはフロックをぬぎながらバドに訊ねた。


「ところで、いまからでかけるのか?」


「あ、ああ。ちょっと〈夕凪館〉で一杯やってくるよ」


 バドの声はなぜか意表をつかれたかのようにうわずっていた。


「……そんな金あるのか?」


 トレヴァは戸口をふりかえる。

 するとバドではなくトミーがみずからのマントコートのポケットに手をつっこみながら答えた。


「オレがもってる。調達してきた」


 トミーが得意げに片目を大きくしたので、トレヴァは怪訝そうに眉をひそめる。


 そんなトレヴァをみて「いや、悪さをしてきたわけじゃないよ。要するにデュアンに無心したってわけさ」と、バドがあわてて弁明した。


 デュアンはバドやトレヴァが所属しているギャング団の統率者だった。

 トレヴァたちが住居としている陋屋を提供したのもデュアンだった。つまるところデュアンにはそれなりの資産があるわけで、バドの言葉を疑う余地はあまりなかった。


「それで……そのデュアンとメオラは?」


 トレヴァはそれでも、デュアンが気まえよくトミーに金を渡したことを少しだけふしぎに思った。


「飲みにいくのにさそわないのか?」


「ああ、そりゃもちろんさそったさ――でもむしろ逆なんだよ……」


「……逆って?」


 いちいち訊きかえすのが億劫だったが沈黙はもっと鬱陶しかったので、トレヴァは合いの手をいれる。

 それによりバドはなぜか安堵したように声のトーンをさげた。


「おれたちだけで一杯やりたいなんていったって、デュアンも相当気分がよくないかぎり面倒みてなんかくれないだろ。だからデュアンたちを煽ってそれに便乗しようかと思ったんだよ」


「ククク、ご相伴にあずかろうって寸法さ」


 トミーがひきつぐ。

 その話しかたも癇にさわったが、トレヴァはなにより二人のあまりに矜持のない姿勢にいらだった。

 しかしそれを指摘したところで関係がこじれるだけだったので、トレヴァは強引なつくり笑いでうわべを糊塗した。


「それでどうしてデュアンが金だけよこして自分たちは不参加なんだ? もう向こうで待ってるとか?」


「いや、ちがうんだよ……」


 バドは言いよどんだが、トミーが口笛をヒュゥと鳴らしたので、呼応するようにうっすら笑みをうかべた。


「ん?」とトレヴァが聞く姿勢をみせると、「お楽しみの最中だったのさ」とトミーがニヤニヤと笑った。


 下劣な表情だったがデュアンとメオラが恋仲で、恋狂いでさえあることはトレヴァも知っていたので、トミーたちを非難する気にはならなかった。


 じっさいトレヴァも用事でデュアンたちの住居をおとずれたさい、お取りこみちゅうだったことは一度や二度ではない。

 要するにデュアンたちが二人の世界に没頭しているときに、トミーが邪魔者として登場したため、デュアンは酒代をめぐんでやることでさっさと追いはらおうとしたという経緯があるようだ。


 そんな対応をしたデュアンにも失望したが、それで満足して酒場にくりだそうとしているバドたちにもトレヴァは幻滅した。

 しかし終日労働に従事してきたことでつかれていたので、トレヴァは口論する気にもならなかった。トレヴァは口をつぐんで二人に背をむける。


「……おまえはいかないのか?」


 バドが機嫌をうかがうように訊ねてきた。

 トレヴァは語気が強くならないように努めながら「いや、おれはいいよ。だるいし、つかれた」と手をふる。


「そうか、まァ、気が変わったらこいよ」


 バドたちがドアを開けた音がした。


「夜は長いしさ――」


 そうつぶやいて走りでていこうとしたバドを、ふいにトレヴァはふりかえってひきとめた。


「あ、そういえば……」


 いままさに戸外にでたばかりのバドとトミーがふりかえる。


 トレヴァは、バドがこっそり持ちかえった〈伝説の宝石〉のかけらをどうしたのか訊ねようと思ったのだが、呼びとめられたバドは渋面をしてくちびるを噛んでいた。

 バドはあきらかにトレヴァの質問内容を察しているようだったが、それを踏まえたうえでまるで「黙っていてくれ」と訴えかけているかのような瞳をしていた。


 トレヴァはその目に圧されて黙りこんだ。

 無言でみつめあう二人をトミーが疑りぶかい目つきでみつめる。


 トレヴァはしばらくしてから「いや、なんでもない……」とうなずく。


「たいしたことじゃない」


「そうか……それじゃ、行くぜ」


 バドがふたたび気忙しくドアに手をかけたので、状況を把握できず目を細めていたトミーも渋々ついていった。


 トレヴァはバドの意図がよくわからず立ち尽くしていた。

 おそらくトミーには宝石のかけらの話はしておらず、むしろトミーにつたえたくなかったからトレヴァを制止したのだろうが真意は不明だった。

 トレヴァはため息をついてから窓のそとをみる。

 まばらな星空に不吉にたなびく雲をみたような気がした。

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