31 空間の変容

 ディレンツァはまっさきに、盗賊の女が消えていったドアへと歩みより、手をかけて、そとの様子をうかがった。


 並列する二棟の尖塔をつないでいる桟橋は、入城するさいにも目にしていたが、下方から仰いだ印象よりはずっと頑丈にできており、歩廊のようにまっすぐと、もう片方の尖塔へと延びている。

 向こうの尖塔の入口付近に、人影がふたつあるようにみえた。


「――まったく、〈鹿の角団〉にはへんなやつがいるわね。あんな女みたいのを、これからさきも相手にしなきゃいけないのかと思うといけ好かないわ」


 ディレンツァの背後からルイが話しかけてきた。

 

 ディレンツァはふりむかずに、「沙漠の国を侵略したときの連中はもっと残忍だった。さきほどは女も、まだ余力を温存していたようにもみえる」と応える。


 それを聞いてルイは、舌をだして嫌悪感をあらわにした。

 ルイのうしろでは、アルバートが部屋の点検をしている。

 ディレンツァの魔法による炎のとび火が部屋じゅうの家具でチリチリしていたので、神経質に「だいじょうぶだよね? 火事にならないよね?」などとつぶやいていた。

 ブルーベックはまだ部屋の中央できょとんとしており、状況と展開の整理がついていないようだった。


「でも、あの女は向こうに逃げたのよね。あいつらはあっちでなにをしてるのかしら?」


 ルイが声音をおさえて訊ねる。


「……さがしているのだろう。あるいはもうみつけたのかもしれない」


 ディレンツァが橋の先をにらみながら答えた。

 宝石のかけらのことだということはルイにもわかった。


「ただ、いずれにせよ、向こうの尖塔にはほかに出口はない。もう一戦、まじえることになる――」


 ディレンツァが口調を厳しくした。


「しかも相手は二人だ」


「……いいじゃない。決着をつけるのも悪くないわ」


 ルイは強気をよそおってうなずいた。


「いきましょう」


 ディレンツァはそれを合図に、ドアを開ける。

 しかし、さっと脚を踏みだしたところで、すぐに歩みをとめた。

 あとからついてこようとしていたルイが、ディレンツァの背中に鼻をぶつけて「あいたっ」と声をあげる。


「――どうしたの?」


 ルイが鼻をつまみながら不服げに訊ねたが、ディレンツァは肌で感じとる異様な気配に警戒して返事ができなかった。


「あ、あいつらね?」


 ルイがゆびさしたが、ディレンツァの注意は、盗賊たちだけには向いていなかった。

 あたりが悪い気配に満ちている。


 ディレンツァは奥歯をかみしめた。

 邪悪というよりも、拒絶されているかのような、いいしれない不快感だった。

 ルイが目認した橋の反対側のふたつの人影は盗賊たちにちがいないが、その不可解な空気は、盗賊たちが発しているものではなかった。

 もっと大きななにかがもたらしているものだと感じられた。


 ディレンツァはふと、月に目をうばわれた。

 さきほどまで銀色にきらめいていた満月が、淡くにじんだ赤色になっていた。


 微動だにしないディレンツァの横にならんだルイが「ん、なんだか月がへんだよ!?」と、すぐに察知して叫ぶ。

 

 アルバートが「なになに?」と身をのりだし、ディレンツァとルイのあいだに割りこもうとして、「ちょっと押さないでよ!?」とルイに叱られた。


 そして、だんだんと月が暗黒で汚されているみたいに欠けてきて、視界が暗くなってきた。

 まるで自分たちがいる世界が巨大なバケツでもかぶせられているかのようだった。


 ルイは不安になる。

 まるで世界の終わりに直面したかのような気分だった。


「月蝕――」


 ディレンツァがつぶやいた。

 ルイは「……え?」と少し間をおいてから反応する。


「月蝕?」


「――そう、今夜は皆既月蝕だ」


 ディレンツァが頚半分だけルイをふりかえった。


「あ、そういえばそうだったね。ぼくも街で聞いたよ。月が地球の影に入って、わずかな時間だけ太陽の光を反射できなくなることだよね?」


 アルバートが両手をあわせながら、はずんだ声をだす。


 それをうけてディレンツァが「起きてる現象はそのとおり。つまり、われわれからすれば月がかくれてしまうことになる。そして地域によっては大気の粒子のかげんで赤い光だけを反射するようになるのだという。この地方では加えて10分ほど、完全にみえなくなるそうだ」とうなずく。


 ルイのあたまに疑問符があふれた。


「ちょっとちょっと、ねぇ、なんで二人ともそんなことを知ってるのよ!?」


「なぜっていわれても、街でも、今夜の天体観測をするために王都から派遣されてきたっていう観測団の人たちがいっぱいいたじゃない? ほら、昨日の夜ごはんのときとか、ルイだって声をかけられたりしてたように思うけど……」


 ディレンツァはルイを一瞥したがなにも語らず、うしろのアルバートが答える。


「そういえば……」


 そんなことがあったような気もした。


「その人たちに教えてもらったんだよ」とアルバートが補足する。


 昨夜の酒場でルイは、一刻も早く酒盛をきりあげることしか考えていなかったので、だれかとの会話の内容など少しも記憶していなかった。

 辺境の街とは思えないぐらい混雑していたことと、街の雰囲気にそぐわない学者っぽい人物が多かったことはそれとなく憶えていたが、益体もないこととして認識されていた。


 そうこうしている間に、真黒とはいわないまでも、数メートル先も認識しづらくなるくらい暗くなった。

 ディレンツァは、目線を桟橋に集中させていた。全身にまとわりつくような邪険な気配は、その中央から発せられていたからだ。

 なにかがいる――ディレンツァはそれを見極めようとした。


 そして、月が食甚にいたった。

 全世界が眠りについてしまったかのような暗闇につつまれる。

 月は真っ黒になり全員が沈黙していたが、やがて橋の中央に、空間をねじまげるぐらいの強い魔力とともに全身をローブで覆った人物が出現した。


 身体はべつの方向を向いていたが、あまりにも禍々しい雰囲気に、ルイの背筋は凍りつく。

 ふと歯をかみあわせる音がしてふりむくと、アルバートがぶるぶるふるえながら、「ななな、なんだか穏便じゃないよね……」と涙目でルイをみる。


 いつもならからかっているところだったが、ルイもできることなら逃げだしたいおぞましさがあった。


「ゆ、幽霊? わ、私も、そういうの、わりと……というかとても苦手なのよね――」


 アルバートとルイがおびえていると、ディレンツァが半身だけかえりみて「ベノワだ」と言った。


「出現場所、すがた恰好から推測するに、あれはベノワ本人でまちがいない」


 ルイは、じっくりとみつめてみる。

 しかし、ルイ自身にベノワに関する情報がほとんどなかったので、確信ももてなければ同意もできなかった。

 ただ凝視することで、ベノワの足もとになにかが置かれていることがわかった。


「あれは――あれは?」


 ルイがゆびさすと、ディレンツァが「〈荒城の月〉にまちがいない」と答えた。

 ふしぎな形状のそれは、確かに宝石のかけらといわれればそうみえた。


「こんな状況で唐突にみつかったから、なんていうか、喜んでいいはずなのに、ちっともうれしくないわね――」


 ルイはひるんだ。


「あの……」


 アルバートがそっと訊ねる。


「いきなりでてきたあの人がベノワさんだとして――ベノワさんってもうとっくに亡くなってるんだよね? だとすると……やっぱりおばけってこと?」


 ディレンツァは返事をしない。

 ルイも返答に窮した。

 要するにだれにもわかるはずのない疑問だったわけだが、だれも答えなかったことでまるで肯定したみたいになった。

 いちばんうしろで様子を見守っていたブルーベックが「こわいこわい」と悲鳴をあげながら、部屋の奥にもどってかくれてしまった。


「なんとか――向こうにいる盗賊たちより先に、宝石のかけらを手に入れなくてはならない」


 ディレンツァがつぶやいた。

 ルイはうながされるままかけらをみたが、ベノワが立ちはだかっていたため、おいそれと近寄ってうばうのは、たとえ盗賊たちでもたやすいことではないだろう。


 しかし、ベノワは出現したものの、なんらかの行動(あるいは攻撃)に転じる気配がなかった。


 侵入者たちを認識していないわけでもないはずだったが、まるで無関心のようで、かかしのように風に吹かれてたちつくしている。

 ローブのすそが激しくたなびいているだけで、ベノワ本人の意思は少しも感じられなかった。

 まるでかんちがいでこの世界に迷いこんできてしまったかのような印象さえうける。


「ね」


 ルイはちいさな声で提案する。


「なんだかあの人、だんまりを決めこんでるじゃない。それに、ここの橋って、幅も広いし、手すりも高いから、油断しなければ危険じゃないと思うの」


 アルバートがルイに耳をよせる。

 ディレンツァはふりむかなかった。


「だれかがベノワをひきつけている隙に、私が宝石のかけらをかすめ盗るっていうのはどうかしら?」


 アルバートは露骨に顔をゆがめる。


「えー? それって……」


「そう、おとりよ、おとり」


 ルイはにやりとする。アルバートが真っ青になった。


「え、なにその笑顔。まさか――」


「そう、そのまさか」


 ルイは悪魔のように冷笑した。


「こういうときは、追われるのが得意な王子がおとりになるのがいちばんよね。さ、いって!」


 そう叫んで、ルイはアルバートの腕をひくと、まえにつきだし、おしりをポーンと蹴りとばした。


「うわ、ひどい!」


 アルバートはうめきながら、数歩すすんだところでよろめいて、両手とひざをついてしゃがみこんだ。

 ルイはそんなアルバートをみながら加虐的な笑みをうかべる。


「心の準備くらいさせてくれても……」


 アルバートはそのままの姿勢で頚だけルイをふりかえる。

 しかし、ルイのほほえみはすぐに硬直した。

 ずっとベノワをにらんでいたディレンツァが眉をしかめる。

 ルイとディレンツァの表情をうかがっていたアルバートが、ただならぬ予感にさらに顔色を悪くする。


 蒼白のアルバートが視線をおそるおそる橋の中央にもどすと――ベノワがこちらを向いていた。

 ベノワが身体の向きを変えて、アルバートに対峙していたのである。

 圧倒的なオーラで、もはやおとり作戦どころではなかった。


「あ」


 アルバートがパクパクと口を動かすと、ベノワは地の底から響くような波動を全身から発する。


 まるで無限の魔力が詰めこまれていた箱の鍵を開けたかのようだった。

 うずまく嵐のような魔力の解放に、大気がビリビリとひき裂かれるようにしびれる。

 あまりの衝撃に、アルバートは気絶しそうになり、ルイは絶句した。


 ディレンツァがかろうじて、「王子、立つんだ!」と叫び、まえにとびだしてアルバートの手をつかみ、起きあがらせようとする。


 突如噴出した魔力によるものか、はたまた強風のせいかはわからなかったが、ベノワの顔を覆いかくしていたフードがめくれる。

 アルバートはにじんだ瞳でベノワの容貌をみた。

 こけた頬、嗄れた肌、おちくぼんだ眼窩にぎらつく両眼――それはさながら、幼少の頃、絵本かなにかでみた死神の様相をていしていた。


 そのままベノワは、木の葉をまきちらす旋風のように鋭敏に、アルバートを強襲した。

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