30 月の裏側
風が吹き荒れる桟橋をつたって、もう一棟の尖塔の最上階にある、もうひとつの部屋に移ってから、ザウターは室内の調査をしていた。
途中、ソファに坐りこみ休んだりもしたが、やはりなにかしらのヒントがあったり、それに類する痕跡を見落としていたりするかもしれないと思いなおし、家具や調度の点検をし、手でふれて確かめた。
宝石のかけら〈荒城の月〉は、仮に城主ベノワがかくしていたとしたら、ベノワ亡きあと20年余り発見されていない計算になる。そのあいだ、多くの盗賊が何千という夜に宝さがしを敢行した。
ここでザウターが少しばかり捜索したところで、これまで発見されなかったものがみつかる幸運などないように思えたが、ザウターはもしかしたらという偶然をみこんで手を動かしていた。
「ただそこにいればいい」というハーマンシュタイン卿の命令を信じていないわけではなかったが、なにもしないでいるのは性分にあわなかった。しかし、さがせばさがすほど、少なくとも物理的にかくすスペースはないと思われた。
ザウターはいったん探索を中止し、部屋の中央に移動して姿勢をただす。
そのまま腕組みをして、右手の親指で無意識にあごをなでた。
宝石のありかを示すだろう「月の裏側」というベノワの手記にあった冗談のような単語があたまをよぎる。
たとえばその言葉が真実だとしても、裏側というニュアンスはこの部屋にもあちらの部屋にもあてはまらないように思えた。
「ここでも、向こうでもない」
ザウターはつぶやいてみる。なにかがわかりそうで、わからなかった。
理解のしっぽが目前の雲間にみえかくれしていた。
ザウターはふと、最初の部屋に置いてきたティファナのことを思いだした。
ティファナのことを心のなかでぞんざいに扱っていたと知れば、ティファナは冬間近のリスのように頬をふくらませてむくれるにちがいない。
ザウターはいったんもどることに決めて、桟橋につながるドアを開けた。
身をのりだしたところで、にらむようにして向こうの部屋をうかがった。
そこで異変に気づいた。
(しまった――)
ザウターは眉をけわしくする。
目を離した隙に、ティファナが外敵と接触したようだ。
室内を影がいきかい、赤いゆらめきが窓からもれていた。
ティファナが本気をだせば、相手がどんなてだれであっても劣勢になるということは考えにくかったが、とにかく一度、ティファナをこちらへ呼びださなくてはならない。
ザウターは桟橋に一歩踏みだした。
すると、幸か不幸かそれだけで窓辺にティファナが確認できた。
ティファナはベッドのうえで手足をじたばた動かしてあばれている。怒っているようだが、まるで感電でもしているみたいにみえた。
「ティファナ! こっちだ! こっちにこい!」
ザウターは手のひらで拡声するようにして呼んだ。
ティファナはすぐ「ん?」と反応し、動きをとめ、きょろきょろとしたあと、桟橋にでてきたザウターをみつけ、にこっと満面の笑みをうかべる。
ザウターが手招きをすると、敏捷な動作でドアから桟橋にとびだし、駆けてきた。
強風や高所の恐怖などものともせず、上機嫌にスキップをしながらザウターのもとまでやってきた。たとえ二万マイル先にいたとしても、ティファナはザウターの声には反応するのだ。
「呼んだ? ね、呼んだ?」
ザウターのまえまできて、くねくねしながらはしゃいでいるティファナのあたまを適当にぐしゃぐしゃした。
「敵が現れたのか?」
「うんうん。なんかね、ちびの女と、まぬけそうな男子と、キツネみたいな目をした男の人と――あと、入口にいたジャンボな子」
「4人か」
「そうそう。それでね、うさみみちゃんにお願いして退治しちゃおうかと思ったんだけど、ちびとかまぬけはねずみちゃんみたいに逃げてばっかりで、そのせいでうさみみちゃんはキツネ男の火の魔法に追いたてられて月に帰っちゃったの。ひどいでしょ? キツネ男、うさみみちゃんを燃やそうとしたんだよ?」
ティファナは全身を使って説明する。
ザウターは行間を読んで、なんとなく理解した。
城門のところで遭遇した巨人の子どもがなぜ同行しているのかはわからなかったが、敵は三人いるようで、なかに一人、手ごわい魔法使いがまざっているようだ。
「とにかく、無事でよかった。そういうときはまず、オレに報せるようにするんだ」
ザウターはティファナのあたまをポンとたたく。
ティファナはうわ目づかいでザウターをみて、もじもじする。
「でもでも、ザウターに内緒でやっつけて、ほめてもらおうと思ったんだよ」
ザウターは「ふぅ」とため息をついたが、ふと強烈な違和感をおぼえて口をつぐむ。
その顔をみてティファナがふしぎそうな顔をする。
しかし、すぐにティファナもその異質な空気を感じとったようで、寒さをこらえている猫のようにザウターに寄り添ってきた。
(なんだこの感覚は……魔法か――!?)
ザウターは身を低くする。
ティファナもそのわきで同じ姿勢になった。
ザウターはそれが、だれかの放ったなんらかの魔法にともなう空間の変容かと思ったが、注意深く観察するとよくわからなくなった。
そもそも視界にはだれもいなかったので、人為的な要因にもとづくものではないようにも思えた。夜風が肌にまとわりつく。
向かいの尖塔のドアから人影が3つ現れた。
ティファナが相手にした敵の一団にちがいない。
しかし、肌をなでられるような不快感はその連中がもたらしたものではないと直感した。
ザウターは、はっとして宙空に視線をあげる。
さっきまで銀色だった満月が、まるで充血するみたいに赤くそまっていた。そして、ぬらぬらとした異変は、それに端を発したものだということを悟った。
月はやがてベールがかかるみたいに半透明になった。
それにともなって、ザウターたちを包みこむ月あかりの明度が徐々に落ちてくる。そして、みるみる視界が悪くなってきた。
ティファナも満月と周囲の暗転に気づき、おびえるようにザウターのわきから背中に移動する。
「なになに? なんなの? どうしたの?」
ザウターは返事ができず、固唾を呑んで少しずつ欠けてきた満月をみつめていた。
それはなにかの兆候のようで確かに不気味だった。さざなみのような小刻みな波動が大気に感じられた。
するとティファナが、ザウターのわきから顔をのぞかせるようにして、桟橋をゆびさす。
「あそこ! かくれんぼの人!?」
ザウターがティファナの指さきにそって橋の中央部をみると、そこには人影があった。
ほぼ暗闇の視野のなかで、それはまるで幽霊のようにうかびあがっている。
全身を覆う茶褐色のフードつきのローブがはためいていた。しかし、それが風によるものなのか、なにかちがうちからによるものなのか、判断しかねた。
人影にはまるで精霊のような雰囲気があった。
フードのせいで顔には影がさしている。その身長はわりと高めで、ローブの隙間からのぞいている細くまっしろな手脚は長い。
ザウターは顔にしびれを感じた。
一瞬攻撃をうけたのかと目を見開いたが、すぐにそれが人影の発している強い魔力が大気をゆらしているだけだということがわかった。
「うー、もしかして幽霊?」
ティファナがさし示していた指をひっこめた。
「……ベノワだ」
ザウターは直感でそうつぶやいた。
ただの勘だったが、どこか確信めいたものがあった。
場所が場所、時間が時間ということもあったが、おそらくフードをとって顔をみれば、肖像画などでみたそれとおなじ容貌にちがいない。
ザウターはそのとき、みずからが思う以上にベノワのことを知っているような気がした。
そして――ベノワの足もとでは、台座に置かれたしずく型をした石が、闇のなかでさらにあやしく黒くたたずんでいた。
〈荒城の月〉にまちがいない――ザウターはひと目みてそう断定し、高鳴る胸を手でおさえた。
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