27 思い出より心づよい足音
全員、黙々と脚を動かしていた。全員が、機械じかけでおなじ動きをくりかえす西方の玩具のようだとアルバートは思った。しかし、玩具のそれとはちがうのは、時間とともに疲弊していくことである。
アルバートはふと視線を足もとから階上にあげたが、ルイのおしりが目に入っただけだった。
のぼり階段は依然つづいている。
そこは尖塔の上階へと向かう螺旋階段だった。段数の多さに辟易して、みんなだんだん声をださなくなっていった。
本館二階で部屋に閉じこめられてしまったルイとブルーベックを救出し、一行はふたたび尖塔をめざして探索をはじめた。
行程としては三階にあがり、隠匿されていたねじれ階段で一階までおり、広間や執務室などをいくつか通りすぎ、中庭をぬけて、尖塔に入ったところだった。
ルイたちを解放するためにアルバートもだいぶ骨を折ったのだが、ルイたちの部屋にもどったアルバートへのルイの第一声は「おそい!」で、トーキックまでおまけについてきた。ねぎらいなど、みじんもない。
アルバートは蹴られたすねをさすりながら、本の妖精の出現や罠の解除に奮闘したことを理解させようとこころみたが、ルイは最初から聞こうとはせず、余計なひじうちをプラスされることになり、アルバートはみぞおちをおさえながらディレンツァに助けをもとめた。
しかし、ディレンツァはすでにべつのことを考えていたようで、明後日の方向をみつめていた。
傍からみていたブルーベックにとっては、亡国とはいえ国王の血筋にあるアルバートが、仲間うちにおいてもっとも低い序列にあることがふしぎでならなかったが、それはそれで親密さのあらわれなのかもしれないと考え、なにも言わなかった。
中庭から尖塔に入る扉のまえで、ディレンツァはカンテラのあかりをすぼめながら上空を見あげた。
「この最上階にベノワの部屋がある」
つられて、アルバートたちも塔を仰ぐ。真下からみると地上100メートルはとても高く、まるで反りかえっているようにさえみえた。
アルバートはそのまま仰向けに卒倒しそうになり、ふらふらした。
尖塔の先の夜空にはうすい雲がたなびいており、その隙間をぬうように星がきらめいている。
「月がきれいだね」
アルバートがふと視界のかたすみにみえた銀色の満月をたたえると、めずらしくルイが賛同する。
「昼間はただのまっしろなかたまりだけど、夜になると神秘的な感じになるのね」
一行は、沈むことのない月を眺めながらしばらく黙りこんだ。
ディレンツァはあかりを消したカンテラを雑嚢にしまった。月あかりが煌々と射していたため視界に不自由はないという判断だろう。
「――でもさ、本当にこの尖塔が、目的地でいいの?」
するとルイが訊ねた。
アルバートはディレンツァをみる。
ディレンツァはルイをみて、「おそらく」と答えた。
「ここにいたるまでで、〈鹿の角団〉の刺客に遭遇しなかった。ブルーベックの話では、二人の盗賊がわれわれより先に城に侵入している」
そこで尖塔を口をぽかんと開けてみつめていたブルーベックが、びっくりしたような顔になってディレンツァをみた。名まえがでたので驚いたのだろう。
「盗賊たちはこの尖塔のうえにいる。だから、ぼくたちがめざすのもそこにあるってことだね」
アルバートはまとめてみた。
「たぶん、〈荒城の月〉はそこにあると」
「うーん、なんだか安易な気もするけど」
ルイはひとさし指をくわえる。
「そう、しかし盗賊たちも、われわれとおなじルートをたどったのではないかと思う」
全員が「なぜ?」という目で、ディレンツァをみる。
ディレンツァはしばらく思案したのち、「罠が少なすぎる」と説明した。
「大部分の罠がすでに除去されていたのではないかと思う」
「でも……それって、長年、いろんな人たちが荒らしてきたからじゃないの?」
すぐにルイが喰いさがった。
しかし、アルバートがそれに反応する。
「そういえばベノワ記念館にあった情報では、罠の多くはいったん解除しても、日が変わるともとどおりになるって話だったね」
「そもそも」
ディレンツァがうなずく。
「われわれはあまりにも容易に本館を通過できた。ルイたちが一時的に閉じこめられてしまったものの、大きなトラブルはそれぐらいだった。罠がいくつか連鎖的に発動したとはいえ、本館はほとんど駆けぬけたに等しい。そんなふうに先に進めるのであれば、ここは盗賊たちにとって、比較的たやすく探索できる城ということにならないだろうか」
ディレンツァをのぞく全員が行路を思いかえした。言われてみればそうかもしれない。
「われわれが通る直前に不可避で、かつ、難儀な罠の数々が停止していたと想定すれば説明がつくようにも思える」
ディレンツァが目を細める。
だれも反論するような材料はもっていなかった。
「ただそうすると」
アルバートはななめうえをみつめる。
「ここをのぼった先にいる盗賊は、けっこうやり手ってことになるよね……」
全員が沈黙した。
しかし、ルイが口火をきる。
「でも、それならそれでいいじゃない? その優秀な盗賊たちがもう〈荒城の月〉を手に入れてるかもしれないんでしょ? どっちみち、おたがい宝石集めをしてるんだから、いずれ雌雄を決することになるわけだし、どうせなら早いうちに決着をつけておくのもいいかもしれないわ」
アルバートは顔をひきつらせながらあいまいに同意し、ディレンツァは無言でうなずいた。
そうしてルイを先頭に血気さかんに尖塔にのりこんだのが、先刻のことだった。
あまりにもおなじ光景でのぼり階段がつづいているので、時間の感覚も鈍化していた。
しばらくは〈鹿の角団〉のことや、旅路の困難さ、宝石の謎や、アルバートの性格について愚痴をこぼしていたルイも呼吸も苦しく、足がだるくなり、だんだんと口数がへってきていた。
アルバートたちのブーツや、ルイのヒールが階段をたたく音だけが、刻々と連続的にこだましている。疲労からかときどき、その音がゆがんで、長く尾をひくみたいに間延びして聞こえて、アルバートは何度かかぶりをふった。
アルバートは瞬間うっすらと故郷の沙漠の国を、まるで夢をみるように思いだしていた。
コツコツと響く靴音の響きは、砂漠にふる雨を回想させた。沙漠の国は国土の大半が砂漠だったが、緑がないわけでもなければ、一年じゅう乾燥しているわけでもない。
年に幾度か雨季はあったし、砂漠に沛然とふる雨が、ちからづよく、生命力にあふれていることをアルバートは知っている。
雨がふる夜に、赤土造りの屋根にザアザアと鳴る雨だれと、それらが雨樋をつたっていくさらさらという流れを、ベッドのなかで目を閉じて聞くのがアルバートは好きだった。
なにか想像もつかない壮大なことを信じられるような気持ちになれた。
そんな沙漠の国で生活していた頃の日常がいまは遠く、まるで別の人生のことのように思われて、アルバートはなつかしく、少しせつなくなる。
沙漠の国で王子だった頃、たくさんの人々がアルバートに笑顔を向けてくれたことをなんとなく思いかえした。
「あ! 明るい――!」
先頭を切っていたルイがかん高い声をだしたので、アルバートの思い出はふいにとぎれる。
「なんの光かしら? もう夜なのにね」
ルイの背中ごしに見やると、最上階の出口をしめす扉があり、わずかに開いた隙間から光がもれている。その光は淡く蒼白だったが、巨大な爬虫類の胎内のような階段のなかにあっては一縷の望みのようにもみえた。
「月あかりかな?」
アルバートは答える。
ディレンツァが「静かに――」と警告したが、ルイはすでに二段とばしで駆けだしていた。
どこにそんな元気があったのかと驚いたが、うしろのディレンツァがルイを追いかけることに決めたようなので、アルバートもつっかえてはいけないと思い、あわててルイに追従する。
思い出の雨音よりも確かな響きが、アルバートの耳を刺激した。その足音が自分のものだけではないことが、アルバートにはとても心づよく感じられた。
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