26 二本の尖塔と銀の満月

 おおまわりにぐるぐるまわる螺旋階段をのぼって、ザウターとティファナはようやく、ベノワの自室にたどりついた。本館をぬけた先にある中庭の奥の鉄扉から尖塔に入り、ただひたすら最上階までのぼってきたのだ。


 中庭に、よだれをたらした灰色オオカミが何頭も哨戒していたが、ティファナが〈銀の鎖〉であやつって飼い犬のように従順にしてしまい、外塀の向こうへとさそいだしてしまった。

 塀は人間ではのぼれないほど高く、すべりやすいものだったがオオカミたちは鋭い爪をたて列をなしてこえていってしまった。


 中庭にいたときすでに日没だったので、すでに暗くなっている。

 ふと窓のそとをみると、浅い夜の色をしていた。遠くの空にはいちばん星もうかがえる。


 地上約100メートルの高さだけあり、強い風が吹き、窓ガラスはガタガタと音をたてている。


 螺旋階段の途中からザウターの額にも汗がにじんでおり、ティファナにいたっては10段ものぼらないうちから「つかれたー、おんぶしてー」とくりかえし、何度も坐りこむ始末だった。


 ティファナの召喚魔法はティファナ自身の精神力に如実に影響されるものだったので、燈明代わりにティファナのまわりをただよっていたホタルたちは、ティファナが疲労を口にするたびに一匹ずつ消えていき、やがて完全にいなくなってしまった。


 視野に変化がないこともあり、拷問のような階段だった。

 かつてベノワが健在だった頃、食事をもってここを往来しつづけたメイドたちに同情したい気持ちになった。

 ベノワ当人もめったに階下におりなかったのではないだろうか。


 ベノワは晩年居室にひきこもっていたそうだが、部屋がそんな高所にあれば自然とそうなるとザウターは汗をぬぐった。


 ベノワの部屋にたどりつくやいなや、ティファナはベッドに跳びこむようにして倒れこみ、うつぶせのまま「汗かいたー、お風呂入りたーい」などと不平をもらした。


 部屋は20平方メートルほどで、いくつかのパーティションで区切られていて、思ったよりもずっと広かった。


 無数に蜘蛛の巣がはり、積年のほこりでよごれていることをのぞけば、家具も古式ゆかしく立派で、調度品や絵画、書物で埋められた本棚、だれかの胸像のようなものまであった。

 ティファナが跳びこんだベッドのスプリングも、長い年月ずっと放置されてきたものとは思えないほどしっかりしていた。


 窓の向こうを確認することにして一歩踏みだしたところで、ザウターはふとみずからの靴音がしなくなったことに気づき、足もとをみると、うすい赤色の絨毯に毛氈がしかれていた。

 繊維質が厚いため、音が響かなくなったようだ。

 気候条件を加味して保温性を意識したのではないかと想像したが、足音がしないのはやや不気味だった。


 ザウターは周囲をうかがいながら、窓に近寄る。

 とりあえず室内には、すぐに稼動しそうな罠はなさそうだった。

 ベノワも自分の生活空間には罠はしかけなかったのだろうと思ったが、それでも油断は禁物だと気をひきしめる。


 窓からは城門や巨大な本館さえも俯瞰することができた。

 高い外塀にかこまれた中庭がちいさくみえ、もう暗くて細部はうかがえず、尖塔の高さを実感した。ティファナが文句ばかり言っていたのも納得できた。


 ザウターがたてつけの悪い窓を少しだけ開けると、風としめっぽい夜の大気がどっと室内に流れこんできた。

 窓枠に積もっていた綿のようなほこりのかたまりが風に吹かれて舞いあがって、ベッドでうつぶせ状態のティファナのマジックハットのつばにふりかかったが、ザウターは黙っていることにした。


 ふと、窓のそとにある桟橋に気づいた。

 尖塔を見あげたさいにもみえていたが、間近にみてもやはりふしぎなものだった。


 桟橋には、部屋のすみのちいさなドアからでられそうだった。

 橋はそこから延びて、もう一棟の尖塔の最上階へとつながっている。ザウターは山間部や谷間などにある吊り橋を連想した。


 幅員は3メートルほどで、もう一棟の尖塔のドアまでは20メートルぐらいだった。

 石造りで頑丈そうで、強い風のなかにあってもびくともせず、屋根はなく胸ほどの高さまでの手すりだけが両側についていた。


 桟橋のドア以外に、もう一棟の尖塔にはどこをさがしても入口がないのだと聞いていた。つまり、もう一方の尖塔に入るには、この桟橋をわたっていくしか方法がないということだ。

 向こうもベノワの居室ということになるのだろうかと、ザウターは桟橋の先をにらんだ。


「さて、どうするかな――」


 ザウターはつぎの行動を模索した。


「ちょっぴり眠たい」とティファナがシーツに顔をおしつけたままもごもごしたが、ザウターは意見をもとめたわけではない。


 ハーマンシュタイン卿の命令は定められた時間にこの場所にいることで、要するにあとは、もうしばらく待っているだけだった。

 〈荒城の月〉をさがせとは指示されていない。

 つまり、ティファナのように寝転がっていても問題はないはずだ。


 それでもザウターはやはり、腰を落ち着けることはやめることにした。

 いざなにか起きたとき対処が遅れそうだったし、なにより心に隙をつくってはいけないと思った。


「ちょっと向こうをみてくるから、ここで待ってろ」と、ザウターはうつぶせのまま死んだふりでもしているかのようなティファナに告げ、返事を待たずにかがんでちいさなドアに手をかけた。


「えー、ザウターはいっしょに寝ないのー」というティファナのくぐもった声がしたが、ティファナは上体をそらすどころか顔さえあげなかったので、反対したわけではないようだ。


 ドアを開けると、思わず顔をそむけるほどの突風が吹きこんだ。

 うしろから「むぎゃ」という叫びが聞こえてくる。ティファナも突然の轟音とつむじ風に驚いたようだ。


 あばれる前髪の切れ間に歩道が延びている。ザウターは用心深く観察し、一歩を慎重に踏みだした。

 コツンというブーツが石をたたく音が響く。

 歩道も欄干も当然古びてはいたが、精巧な造りで、なにかの拍子に崩れたりすることはなさそうだった。


 ちらりと確認してから、右手は欄干にかけた。欄干にはうずまく雲のような、流れる河のような青銅製のレリーフが飾られている。


 しばらく歩くうちに風には慣れたが、綱渡りをしているような緊迫感はなくならない。

 欄干は160センチぐらいの高さがあったので、よほどのことがなければそこをのりこえてしまうようなことはないはずだが、ふいをつかれれば対処のしようはなく、落下することの致死率は圧倒的に高いだろう。


 一歩ずつ、ていねいに進んでいく。

 夜の空でうごめく雲は草原で眺めていたものより迫力があり、その隙間にゆれる星々は生きもののように光る。満月はくらげのようにただよっていた。


 やがてザウターは、もう一棟の尖塔の居室に到着した。

 緊張がつづいたせいで、背中と首すじに若干しびれを感じる。


 ザウターはドアに手をかけて、勢いよく開けた。とっさにみがまえたが、特に危険はないようだった。ドアのきしむ音がして、ゆれがおさまる。


 ザウターは部屋に入って、一瞥した。

 念のためにそなえたが、だれかがひそんでいるという気配もなかった。

 室内は最初の部屋とは趣向がちがっていた。グレードがさがっていたとか様式が異なっていたというわけではなく、向こうが学者の部屋なら、こちらは王女の部屋といった具合だった。


 天蓋つきのベッドに、ベッドカバーもソファも淡い桃色をしており、窓にはひだが幾重にもあるカーテンがつけられ、ドライフラワーが飾られ、曲線が多用された陶製のミルク色のテーブルには使われなくなってひさしいと思われる水差しがあった。

 水差しにはひらひら舞う蝶をかたどった銀細工がついており、それが月あかりを反射している。


 おおよそ、ベノワの手記からザウターが感じとったイメージからはほど遠い趣味の内装だった。注視すれば長年の夜盗たちのしわざによってそこかしこが荒れ果てていたが、最初の雑多な部屋よりは、こちらのほうがおだやかな印象だった。


 ザウターは室内をぐるりと一周してみた。足もとには絨毯がしかれており、やはり靴音はおさえられた。

 足音がないと、まるでだれもいないみたいで奇妙だった。

 最初の印象どおりこれといって特に変わったところはなく、ドアのところにもどってきたザウターは、ソファのほこりをはらってから坐ってみた。思いのほか身体が沈みこむ。


 ザウターはふと、ベノワが想いをよせていたミシェル女史のことを思いだした。部屋の様相から想起しただけだったが、ベノワに関係のありそうな女性はミシェルだけだった。


 しかし、たとえばベノワがミシェルのことを想定してこの部屋(くわえて尖塔まで)を用意したというのはいささか無理のある想像だった。

 ミシェルは遠い昔に断崖から身を投擲した。

 その事実をいちばん身にしみてわかっていたのはベノワだったし、もし死者を想うあまりにこの部屋を装飾したのであれば、ベノワはやはり極度の偏執狂だったことになり、ザウターにはまったく理解できないことだった。


 商業の世界から引退し、草原の国に帰還したベノワは、それでもやはりミシェルへの未練を断ちきることができなかったのだろうか――そこまで考えて、ザウターはまぶたを閉じる。

 それがわかったところでどうにもならないだろうが、なぜか気がかりではあった。


 瞬間、すきま風に頬をなでられたような気がして、ザウターはちらりと窓のそとを眺める。

 波打っているレースのカーテンに銀色の満月がみえかくれしていた。

 まるで月にじっとみつめられているような気がして、ザウターは自然と目をそらした。

 しかし、それがなぜか、少しだけ心にひっかかった。

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