8 偉人の後日譚
ローチの家の玄関先にでると、ルイの鼻さきを風が吹きぬけた。
長いあいだ室内にいたせいで鬱積したものがあったのか少しだけ胸が晴れたような気がしたものの、そのせいでルイはローチにもうしわけなく感じた。
それからブルーベックについて考えて、ルイはふと思いついたことを口にした。
「この街につたわっている流れ星で幸せになるってお話、ありがちな物語だけどそういえばなんだか〈伝説の宝石〉の筋書きと似ているわね」
ディレンツァはうなずいた。
「物語のほうは著者でなければわからない話だが、着想やなにかでリンクしているところもあるかもしれないな。幸せになると夢が叶うはニュアンスが異なるが、迷信めいているという意味ではおなじだ」
「昔から世界は、叶わない想いであふれていたってことかしら」
「――そうかもしれないな」
ディレンツァは眉ひとつ動かさず同意した。
あいかわらず、ディレンツァの内面というのは読みづらい。
「ふぅ」と胸にたまった息を吐いてから、ルイは腰に手をすえた。
「さて、このあと、どうしようかしら?」
ディレンツァは目だけ動かして周辺を見渡してから、ルイをみた。
「王子のことも気になるが、私たちがここにいることは王子にはわからないだろうし、王子も移動しているだろうから、さがしにいくのも多少困難にちがいない」
ルイはうなずいた。
「私たちが牧師と知り合いになってるとも思わないでしょうね」
ローチの家は、街の中央にある広場から少しはずれた路地にあり、場所を知っていなければわざわざおとずれないところだった。さきほどの騒ぎのやじ馬から聞かないかぎり、アルバートが追いついてくることはないだろう。
ディレンツァは広場のほうに頚をかたむけた。
ルイもディレンツァの目線につられて、そちらを向いた。
広場では人々が往来し、商店が活気づき、馬車がならび、中央の噴水では4、5羽のハトが水を飲んでいる。
「……王子もまずは広場にやってくるだろう。それを待つあいだ、われわれも少し情報を集めてみるか。私も城についてはほとんど知らないし、やはり地元の名士だけあって豪商ベノワの歴史資料館があるようだし」
ディレンツァが提案した。
そういわれると、ルイにも広場のすみっこにある〈ベノワ記念館〉の看板がみえた。注視しなければわからないような、めだたない看板だった。
「そうね」
ルイは相槌をうった。
「ベノワって、ずいぶん変わり者っていう評判だったんでしょ?」
「――そうだな、後世の記録ではそうなっている」
「それに城もいろいろとあぶない罠があったりするみたいだし、調べておくほうが無難かもしれないわね」
「命を落とす者もいたらしい」
「えー、なにそれ。ミイラ盗りがミイラっていうの? 先行きあやしいわね」
「ちょっとちがう。でも、似たようなものだな」
「……うーん、なんだか、うまくいくか不安になってくるわね」
「いまにはじまったことでもない」
平然と返事をするディレンツァがとても頼もしいのだが、どうも共感に欠ける。
するとディレンツァがちらりとルイをみた。
「まぁ、あまり気に病むことはない。確かに、城には致死規模の罠が数多くしかけられているという。しかし、いままで多くの盗賊たちが侵入して荒らしたあとだから、そのほとんどは知悉されているだろう」
ディレンツァなりの配慮だと思い、ルイはあいそ笑いをうかべて応えた。
「へぇ、そうなんだ」
「だが一時的に解除できても、時間の経過や特定の条件を満たすことでふたたび動作するようになっている罠もひとつやふたつではないそうだ。だからベノワ本人のこともそうだが、城の構造や内情なども可能なかぎり調査しておきたいところだな」
話し終えると、ディレンツァはルイをうながして歩きだした。
ルイはそのしぐさをみながら、本当のディレンツァはとても繊細なのかもしれないと感想をもった。
そして、洞察力や責任感をかんがみると、やはりディレンツァこそ王族向きではないかと思った。
ルイとディレンツァは石だたみの街道に沿って広場に向かった。
あいかわらず空は晴れており、二羽のツバメがルイの上空を横切った。
街路樹もきれいに咲きほこっており、目が合った住人とは会釈をしたりあいさつを交わしたりした。ルイは土地になじむのも悪くないと思って、足どりがかろやかになった。
しかし、〈ベノワ記念館〉までスキップするようにあゆみ、入口ドアを開けたところで、ルイは驚きの声をあげた。
記念館は〈月の城〉を模したという白塗りの外壁で、看板のついている門構えは地味でも内部は整然として清掃もいきとどいており由緒ただしい印象をうけたが、ルイの目に最初にとびこんできたのは、受付の案内係のおばさんのまえで、気弱そうな半笑いをうかべながら説明をうけているアルバートの横顔だった。
アルバートは受け答えに必死で、ルイたちの出現にはまったく気づかない。
受付台のわきの椅子に坐らされ、冊子をまえにして熱烈な歓迎をうけていた。
おそらく施設として多忙なところとは思えなかったので、暇をしていた案内係のおばさんにアルバートがつかまったかっこうだろう。
ルイとディレンツァは顔を見合わせたあと、アルバートの近くまで移動した。
アルバートはまったく気づく様子はなく、案内係のおばさんはベノワの生いたちにはじまり、非凡な才能やら名誉貴族となった経緯、孤独な晩年などを冊子の図説や解説をもとにしてぺらぺらとしゃべりつづけていた。
無理な相槌をうちながらはにかんでいるアルバートは情けないを通りすぎて健気ですらあったが、ルイはだんだんいらついてきた。周囲に同情される王子というのは、やはりルイの美学には反している。
ディレンツァがそれ以上動くつもりも声をかける気もないようなので、ルイはわざと足音をたててアルバートのとなりに立った。
ルイの気配を察して、係のおばさんが口をとめる。
おばさんが沈黙したことで、アルバートも「ん?」という顔をしてから、ようやくルイの存在に気づいた。
頚をかたむけてルイのほうを向いたアルバートは半笑いが固定されたままだった。
「おひさしぶりね、王子さま。元気にしてたかしら?」
ルイが眉間にしわをよせていたので、アルバートは「え、あ、う」と口ごもった。
ただならぬ気配に、係のおばさんはそそくさと退場した。
「ぼ、ぼちぼち元気だったよ……街の人たちともなかよくなれたし」
アルバートは周章しながら答えた。
「ふぅん」とルイが腕組みすると、アルバートはしどろもどろになった。
「あ、いや……べつに遊び半分で観光してたわけじゃなくてさ。そもそもルイたちがぼくを置いていっちゃったわけじゃない? あ、いや、すみません。あのあと、牧草地を歩いていたら、ブラウンとチャーリーっていう子どもたちに逢ってさ。逢ったっていうか、事故だったっていうか。え、どっちでもいい? あ、はい。で、それでいっしょに遊ばなきゃならないことになっちゃって、最初は広場の露店で買い食いしたり、ぶらついたりしているだけだったんだけど、そのうち牧羊犬と羊の群れを追いかけたり、あばれ牛をなだめたりみたいに派手になっちゃってさ。ん? あ、そうそう、この右手の傷はそのときので。え? あ、はい、不注意でした、すみません。で、それから最後にブラウンの親戚のウェルターおじさんとみずうみで釣りをしていたら、子どもたちにボートをひっくりかえされて、びしょ濡れになっちゃって、ウェルターおじさんの奥さんのクリルおばさんに服を乾かしてもらってたら、おばさんのところに近所の奥さんたちが集まってきちゃって井戸端会議に強制参加することになって、そこでとりあえずぼくも自己紹介したんだけど、そしたらベノワや〈月の城〉について知りたいんだったら、この記念館で教えてもらったらいいんじゃないかって、そういう助言をもらってさ、むげに断るのも悪いし、せっかくだから寄ってみようかと思って、それで――」
ルイは、アルバートが最初に遅れをとったことを糾弾しようとしただけで、そのあとなにをしていたかを責めるつもりなど毛頭なかったのだが、アルバートはまるで懺悔するみたいに経過報告してきた。
結果的に合流できたのだから問題なかったし、むしろルイたちよりずいぶん多くのできごとを体験していたようだったので、ルイは「まァ、なんでもいいわよ」とお手あげのポーズでゆるすことにした。
アルバートは「えへへ」と情けない笑みをうかべる。
「――とにかく、ここで少し調査をしよう」
すると、ディレンツァが記念館の奥へと歩きだした。
ルイとアルバートはあわてて、あとにしたがった。
三人はバラバラに展示をみてまわったが、ルイには退屈なものばかりだった。
ベノワの尋常ならざる半生やら奇異な性質やら膨大な偉業やらをみても、あまり関心がもてなかった。資料が文字だらけだったことで余計に興味が減殺した。
ルイの食指が動いたことといえば、ベノワの後年の肖像画のなにか不服そうな表情が気持ち悪かったことと、〈月の城〉をテーマにした絵本ぐらいだった。
物悲しいトーンで一応ハッピーエンドだったが、やはり迷信というか夢物語で、ルイにはただの寓話にしか思えなかった。
ブルーベックが流れ星の幻想を本当に信じていたのか疑問だった。
アルバートはふたたび案内係のおばさんにつかまり、かたつむりが葉のうえを這っていくような速度でおこなわれる緻密で濃厚な案内をされていた。
ディレンツァは城の模型を凝視したり、内部資料があるコーナーで紙面をめくったりしていた。
ルイはすぐに飽きてしまって、受付にもどってあくびをしながらそとを眺めた。
にぎやかな広場のほうがルイには興味深くみえた。
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