7 歳月によるすれちがい
ブルーベックが〈星のふる丘の街〉に現われたのは、三年まえのことだった。
ローチやブラウン、そしてチャーリーが7歳の頃で、ブルーベックもまた同世代だった。
ゆえに、大人たちにかこまれると羞恥のためにその来歴さえ語ることはできなかった。
街の領内のちいさなみずうみで、早朝釣りをしていた住人が、湖畔でたたずんでいるブルーベックを発見した。
ブルーベックはゆるやかに波紋のたった湖面をみつめながらぼんやりとしており、釣り人が話しかけても返事はまるでしなかった。
それから牧師にひきとられるかっこうで、街に住むことになった。
一年ほどのあいだは、ブルーベックが巨人族であることにはだれも気づかなかった。
火の国の山嶺地帯に点在する巨人族の集落から〈星のふる丘〉まではだいぶ距離があったし、子どもだったブルーベックがそこから単独でやってくるなどだれにも想像できなかった。
それに身長もまだ極端に高いわけではなかったし体重も同様だった。
無口で意思表示があまり上手ではないことをのぞけば、一般の子どもとそれほどたがわず、めずらしい子どもでもなかった。
性格も温和で教養ももちあわせていたため、大人たちもブルーベックの面倒をよくみたし、ローチたちの手引きもあって、ブルーベックは自然に街にもとけこんでいった。
協調性もあり、すすんで大人たちの手伝いもかってでたため、悪さばかりしていたブラウンやチャーリーよりかわいがられていたと言ってもさしつかえなかった。
二年が過ぎて9歳になった頃、ブルーベックは牧師の家からでて、街の隅にあるバラックに移り住んだ。ブルーベックが自分で決断し、実行したことだった。
心意はだれにもいわなかったが、牧師に迷惑をかけないように自立に努めたのではないかと、牧師は考えた。
その頃からブルーベックの身体が急成長をはじめたのだ。
ともに暮らす牧師たちが不便や窮屈を感じないように配慮したにちがいない。
ブルーベックは大きな体格とおなじくらいおおらかな、そばの人を気遣える繊細な心をもっていた。
しかし、そうして街の長たる牧師のもとを離れたこと、街はずれに住むようになったこと、身体が急変して巨大化したこと、さらにたまたまその年、春と秋に虫害がでて不作だった(しかも不運にもブルーベックが手伝いをした畑の多くが深刻な被害をこうむった)ことが災いして、ブルーベックはだんだんと街の人々から忌避されるようになった。
牧師は人々のそういった傾向をとがめたが、まるで夕闇が大地を覆っていくような刻々とした心境の変化だったため、だれもがブルーベックを蔑視している認識さえないような状況だった。
「よくないことがかさなると、だれもが心のなかに悪魔をみいだします。なにか原因をつくらなければ納得しなくなるのですね。私はそのために信仰があり、女神に祈ることの重要性を説きましたがなかなか通じませんでした。私のちから不足にほかなりません」
白く長いひげをたくわえた牧師はまぶたを閉じて、胸にさげた銀のペンダントにふれた。
ディレンツァがルイにだけ聞こえるように小声でささやいた。
「大柄な風貌が畏怖につながり、くしくも辺境であったことがそれに拍車をかけたということか。排斥や排他という体制は確かに地方ほど強い。民度が異なるという意味ではないがね」
ルイは「でもさ」と喰ってかかった。
「だからって、ローチが病気になったのも、いつもそばにいたブルーベックのせいになってしまうわけ? ただのやつあたりじゃない?」
ルイは訊いてから、ディレンツァや牧師に文句をいってもしかたがないし、それこそやつあたりだと気づいた。
むなしい心地がする。
ルイの問いかけにはディレンツァも牧師も返事をしなかったので広いリビングが静まりかえった。
そこはローチの家のリビングで、ソファにルイとディレンツァ、椅子に牧師が坐っていた。
街道沿いの〈月影亭〉の草むらでローチをみつけてから、一行はローチの家までやってきた。
ローチを寝かせたのち、ルイとディレンツァはローチの両親に名乗り、感謝され、呼びだされてきた街の長である教会の牧師から、ローチとブルーベックについて教えてもらったところだった。
ブルーベックが街にある日突然現われてから、暮らしになじみ、やがて軋轢がうまれ、ローチが謎の熱病になり、ブルーベックがゆくえをくらました現在にいたるまでをかいつまんで説明された。
ローチの両親は、王都から招請したという医師とともにローチの部屋にいる。
だから、蛇足のない情報を聞けたといえばそのとおりだった。
しかし、それゆえにルイにはおさまりがつかなかった。
時間とともに少しずつ変化していった関係性を、わずか数分で唐突に理解するのはただでさえ難しいことにはちがいなかったが、内容が内容だったのでルイには容易にはうけいれがたいものだった。
想像できなかったのではなく、許容できなかった。
激昂したところでなんの意味もなかったが、ルイはディレンツァのようにいつでも冷静でいられるほど大人ではなかった。
「わざわざ名のある医師を呼んだということは重病ということでしょうか。確かに、ひどい熱がでていたようですが」
ディレンツァがふと、沈黙をやぶった。
牧師は落としていた視線をあげた。
「ローチの身体のなかで、なにかの異常が起きているということしかいまのところわかりません。きっかけもなかったようですし、もう発熱してから二週間近くになります。症状は悪化するばかり。治る見込みがあるのかどうかさえわかりません」
牧師はふたたび、目をふせる。
「世界には、そういった不運に見舞われる者が少なからずいます。しかしローチはあまりにも若い……その悲劇を、ローチの父親をはじめ、認められない者も多数いるのです」
ルイは歯噛みする。
だれかのせいにするのが都合がよく、その相手をブルーベックにすることで納得しようとした人がいるという事実は、ルイにとっては卑劣のきわみに思えた。
「でも――」
とルイがしゃべりだそうとすると、ルイの肩にディレンツァがポンとやさしく手を置いた。
ルイはあたまにのぼった血が、すっと冷めるのを感じた。
「ルイ。世の中にはたくさんの思想や生活の機構がある。それはひずみのようなものだ。おなじ言語で話すから、いつでも通じ合えるというものじゃない」
ディレンツァの低い声に、ルイはこぶしをにぎる。
ルイは、高熱に瞳をうるませながらブルーベックを呼んでほしいと懇願していたローチの顔を思いだしていた。
牧師が沈痛な面持ちで、そんなルイをみる。
「私も現状に甘んじていていいとはずっと思ってこなかったですし、いまも思ってません。ローチをさらに苦しめることにもなっていますし、そもそも本当はこんなことをだれ一人望んでいないのではないかとすら思っています。身体的特徴で人を中傷することは相手が巨人族にかぎったことでもないですし、そもそもそれは人としてあってはならないことです。ブルーベックを批判する少数派たちはたまたま偶然がかさなったことで、ローチとはちがう意味で熱病にかかっているのです。なんとかしなくてはならないのが、私の長としての責務でしょう……」
ルイは言うべきことを見失って、口をつぐんで天井をみつめる。複雑な木目が刻まれていた。
ディレンツァがルイの肩から手を離す。
「――ところで」
牧師は咳払いをした。
「あなたがたは沙漠の国の出身者で、そこから来訪したといいましたね? 沙漠の国はたいへんな騒動に巻きこまれたと先日聞き及びました。あの噂は本当なのでしょうか?」
ルイはディレンツァをみる。
鋭敏な目をしたディレンツァは、牧師をみたままゆっくりとうなずいた。
牧師は眉をよせる。
ディレンツァはルイをちらりとみてから、牧師に視線をもどした。
「ここまでつたわってきた噂がどういうものかはわかりませんが、話に尾ひれがついていようがいまいが、沙漠の国が陥落したのか? という問いならば、それは正しいとしか答えようがありません。〈鹿の角団〉は、沙漠の国の国宝を奪取するために夜襲をしかけ、制圧しました。おそらく追って王都からも書簡かなにかが届くでしょう。あまりに容赦なく残酷なやり口は、問題視されているようです。国の民も多くがやられました。逃れた者もいるかもしれませんが、私たちには確認できていません……」
牧師は無言でうなずいた。
「おそらくは――」
ディレンツァは淡々とつづけた。
「私と王子が、王族関係者としては唯一の生き残りでしょう」
「……というと、あなたは――」
牧師はまぶたを大きく開く。
「私は宮廷魔法使いとして王の側近を勤めていました。騒動があった夜はアルバート王子の外遊にともなって、王宮を離れていたのです。帰還直前だったため近くまでもどっていたのですが、盗賊団の第一陣には間に合いませんでした」
「……そうですか。それはたいへんなことでしたね」
牧師は何度もうなずいた。そして銀のペンダントにふれて、女神に祈りをささげた。
「それで、渦中のアルバート王子は、無事なのですか?」
「えっと……」
ルイはふと、アルバートを街の入口付近で置いてきぼりにしてきたことを思いだした。
「いまちょっと、ここに来られないだけ。でも、だいじょうぶよ」
言いながらアルバートを心配するべきか悩んだが、とりあえず気にしないことにした。
「……そうですか」
牧師は少し考えこんだ。
「それでは亡命のために、草原の国をおとずれたのですね? いずれ王都へ向かうのでしょうか。まずは、私のほうから伯爵都に使者をだしたほうがよいですか?」
「いえ、そういう意図で、この街をおとずれたのではありません。王都はいずれ訪問したいと思っていますが、私たちのいまの目的は、〈月の城〉に向かうことです。だから、辺境伯への使いもいりませんし、私どもを王族としてあつかっていただく必要もありません。むしろ、なるべく秘密裏に行動したいと考えています」
「……はぁ。〈月の城〉ですか」
牧師は眉をひそめる。
「〈荒城の月〉がほしいのよ」
ルイが割って入る。
「牧師さんはご存知?」
「……ええ、名まえだけは存じております。夢を叶える不可思議なちからを秘めているとかいう宝石のかけらのことですね。でも、私は実物をみたことがありません」
「〈月の城〉にかくされているっていう噂があるんだけど……」
ルイはディレンツァの顔色をみながらつづけた。
ディレンツァは会話をとめようとする気配はみせない。
「城の建築主をご存知でしょうか」
牧師はルイをみて訊ねたが、ディレンツァが答えた。
「ベノワですね。名誉貴族となった有名な商人」
「そうです」
牧師はディレンツァをみる。
「私が知るところでは、ベノワ卿の収集品のなかに、〈荒城の月〉をみたとかいう口伝があるくらいです。でも、ベノワ卿が逝去してから城には多くの人の手が入りましたが、いまだに発見されていないということです。眉唾か、あるいはもう盗まれてしまったか、そんなところじゃないでしょうか」
「そう……でも、さがすだけさがしてみたいのよ。私たちは宝石のかけらをすべて集めて沙漠の国を復興したいの。それがアルバート王子の希望なのね」
ルイが声を張ってみたものの、牧師はいぶかしげな顔をした。
それでも牧師は考えこんだのち、「そうですか」と二度うなずいた。
「もし、なにかお手伝いできることがあれば遠慮なく申しつけてください」
ディレンツァが牧師をみる。
「――とりあえず、私たちのことを辺境伯に報せることも不要ですし、だれかに城の探索を手助けしてほしいとも思っていません。私どもがいることでこの街になるべく迷惑がかかることがないよう、用事が済んだらすぐにたち去ることにします」
「……そうですか」
牧師は深く息を吐いた。
ルイとディレンツァが礼をのべ、ローチの家からでようとしたとき、牧師がふと思いついたように呼びとめてきた。
二人がふりかえると、牧師は訴えにくそうに話した。
「ブルーベックは、〈月の城〉に向かったことが推測されます。この街には昔から、城で流れ星をみつけた者は幸せになるという迷信があります。ブルーベックは、幸せになれるということはローチを救えるということだと考え、城へと赴いたのではないかとローチが話していました。もしあなたがたが城に向かう道程でブルーベックをみつけたらつたえてくれませんか。街にもどってくるように私が望んでいると。それになにより、ローチが逢いたがっている――と」
「……はい。そうします」
ルイは笑みをうかべて返事をした。
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