6 罠にかかる王子の罠

 つむじ風のように走り去ってしまったルイたちからずいぶんと遅れをとってしまったアルバートは、呆然としていつつもやるせない、それでいてふがいないような複雑にいりみだれた気持ちで、とぼとぼとあとを追っていた。


 中心街までもう少しのところにある牧草地だった。

 短めに刈られた草は、草原の国のつらなる丘に茂っている野草よりはずっと歩きやすかった。


 ルイとディレンツァにはアルバートの制止など聞こえなかったようで、みるみるちいさくなっていく二人の背中は途中で頚半分かえりみることさえしなかった。

 薄情のきわみである。木枯らしが通りすぎたような一抹の淋しさが募った。


 しかし、冒険者としては、ただ自分が足手まといになっただけではないかという負い目もあった。

 結果いろんな感情がないまぜになって、存在感がとぼしくなってしまったのだ。


 もともと王族としての矜持はもちあわせていなかったが、ルイはともかくディレンツァは母国では従者だったのだからもう少し気遣ってくれてもいいのではないかと、アルバートはぶつぶつつぶやいてみたが、そのぼやきに反応したのは風にゆれる牧草くらいだった。


 ずっと沙漠の国で暮らしてきて、たまにべつの国へいっても、それほど熱心に徒歩で移動することはなかったので、アルバートはそもそも脚力に自信がなかった。

 くわえて履き慣れない軍用ブーツでの旅もはじめてだった。


 故郷の砂丘もそうだったが、草原の国のところどころひざくらいまで丈がある一面草原の丘は、アルバートには難関だった。


 ブーツに草やつるがからむだけではなく、突然草と草の隙間からヘビがにょろりと顔をのぞかせたり、よくわからないちいさな羽虫が目前にとびだしてきたりして、アルバートはそのたびに驚いて脚をひっこめたり、背筋が寒くなったりした。


 今度の旅はアルバートの人生においても重要な転機といえる。


 自国が滅ぼされ、追いたてられるように〈伝説の宝石〉をもとめる旅にでることになった。

 転機というよりも危機とさえいえる。しかし、アルバートにはふしぎと焦燥感も使命感も、いまだ実感として湧いていない。


 あまりに極端な変化が起きたせいで、心と身体が分離しているかのような状況だった。

 自分をとりまいていたもの、自分が背負っていたものが消滅してしまったのだからもっと焦ってもよさそうだったが、ルイたちと旅をつづけ、知らない土地をおとずれる新鮮さがそれを忘れさせ、むしろ徐々にアルバートの傷心をいたわり、逆に落ち着いてきつつあった。


 祖国の人たちには不謹慎きわまりないことだったが事実なのでしかたがなかった。

 元来、性格もそれほど熱しやすいタイプではない。

 慟哭するよりも熟慮して活路をみいだしたほうがいいのではないか、母国を大事に思えばこそ慎重にたちまわるべきではないかという、みょうな自覚もうまれてきていた。


 ルイにとってはアルバートのそういった部分が歯がゆく、じれったく、ときに腹立たしくみえるようだったが、アルバートにはどうすることもできない問題だった。

 

 ルイは黙っていれば魅力的だったが、アルバートが回想するとき、ルイの顔はだいたい怒っているか不愉快そうな目つきをしていた。


 ふと、太陽が真上にやってきて、アルバートはうららかな陽射しに、ルイに虐げられた歴史が洗い流されていくのを感じた。

 悶々としていた胸のうちがすっきりしてきたような気がする。

 散歩にはそういう効能があるのかもしれないと、アルバートは暢気に思う。

 そんなことを考えていることがばれれば、ルイに罵倒でもされかねないところだったが、幸か不幸かいまは一人だった。


 〈星のふる丘の街〉の領内だったのでオオカミや蛮族に襲われる危険もなかったし、悪い精霊などの気配もなかった。

 遠くから野うさぎが鼻をひくひくさせながらアルバートの様子をうかがっているくらいだった。


 あくびがでそうな気配に、アルバートが伸びをすると、瞬間――ブーツのつまさきになにかがひっかかる感触を味わった。


「ん?」とアルバートが怪訝な顔をするやいなや、両足が強いちからで後方にすくいあげられて、前のめりにうかびあがったアルバートはそのままバンザイをするかっこうで転倒してしまった。


 あっという間のできごとで、アルバートの視界は一瞬暗くなり、打音と振動が鼓膜とあたまのなかでこだました。

 なにかにつまずいてころんだのだろうかという疑問が湧いてくるまでにだいぶ時間を要した。


 おでこをしたたかに打ちつけたようだったが、おいしげる草がクッションになったためけがはなく、むしろ驚きのほうが大きかった。


 するとぐわんぐわんと脈打つ耳の奥に、子どもの歓声が聞こえた。


「よーし! やったぜ!!」「大成功だ」


 子どもは二人いるようで、二人とも男の子のようだった。

 そして、声変わりもしてない二人のげらげらくすくす笑う声に、アルバートは状況を察した。


 二人の少年はひもか縄を利用した罠を草原にしかけ、近くに身をひそめてだれかがやってくるのを見張っていた。そこへアルバートが通りかかり、思いどおりにひっかかった――そんなところではないか。


 しかし、推理はさておき、子ども二人のいたずらにたやすくやられてしまったことはふがいないし、情けない話ではある。

 ルイがいたら指をさされて嘲笑されそうな事態だった。


 草いきれが鼻をついたが、アルバートはうつぶせになったまま悩んだ。


(うーむ……どうするか――)


 もりあがっている子どもたちをよそに、アルバートは考えたすえ、死んだふりをすることにした。


 子ども二人をこれ以上調子にのらせない方法や自分の面子をたもつ手段として、最善の方策はそれしかなかった。

 動くのが億劫だったという理由も少しある。

 アルバートはまぶたを閉じたまま口をつぐんだ。鼻の穴も閉じたいぐらいだった。


 しばらくすると案の定子どもたちは、アルバートが微動だにしないことに疑問をいだき、不安にかられてきたようだった。


 こそこそと耳打ちをしているささやきがアルバートにも聞こえる。


「やばい、打ちどころがわるかったのかな?」「たしかに、へんな音がしたけど」「でも、あれしきで人間ってしんじゃうのか?」「わからない」「とりあえず、息をしてるかだけ確認してみるか」「しんでたらやだなぁ」


 アルバートは聞きながらふきだしそうになったが、その内容に少し腹もたってきた。存分にしかえしをしてやろうと思った。


 子どもたちがおそるおそる近寄ってくる。

 草を踏む音が大きくなってきた。不足の事態が生じたら即座にとんずらしそうな腰のひけかたを感じて、アルバートはふくみ笑いをする。


 やがて二人の子どもがすぐそばまできたことが耳で感じとれると、アルバートはすかさずがばっと立ちあがり、野生のヒグマのような雄たけびをあげた。


「ぶぁああ!」


 アルバートのあたまの横にかがんで様子をのぞきこもうとしていた少年たちは、目玉が破裂するくらい驚愕し、口をあわあわさせながらしりもちをついた。


「うわぁぁっ!?」「いきかえった!?」


 アルバートはそれをみてしたり顔になって、少年二人をゆびさしながら哄笑した。


「あははは、いい表情だよ、君たち」


 げらげら笑うアルバートを、目を点にしてみつめていた少年たちは、しばらくしてアルバートにいっぱい食わされたことに気づいてふてくされた。


「なんだよ、人のこといえないぜ。さっきのころびかたっていったらなかったよ」


「いい大人が子どもをだますなよ」


 それでも子どもたちは恥ずかしそうな、安心したような表情だった。


 子どもたちのかもしだす独特の親密な雰囲気に、アルバートはふと故郷で過ごした少年時代を回想して、少しだけなつかしい気持ちになった。


 アルバートはにんまりと笑って、自己紹介した。

 少年たちも休戦をうけいれて、おしりをはらって立ちあがった。


「へんなやつだよな、じっさい、あんた」


 栗毛のよくしゃべるほうが、にらむようにアルバートをみる。みずからをブラウンと名乗った。


「あんなしょぼい罠にひっかかったのって、あんたがはじめてだよ」


 もう一人のくせ毛の少年が腕組みをして「うんうん」と同意した。名をチャーリーというらしい。


「君らは、街の住人だね? こんなところで、いつも悪さばっかりしてるのかい?」


 アルバートの問いかけに、ブラウンとチャーリーは顔を見合わせる。

 しばらく無言の打ち合わせがあり、ブラウンがべろをだした。


「最近、ひまだからさ。ここで狩りをして遊ぼうぜってなったのは昨日からだけど、一日やって成果がねずみ三匹さ。それで、旅人をはめるほうがおもしろいんじゃないかって、今日は人間に的をしぼったんだけど、あんたぐらいどんくさい人じゃないとひっかかりそうもないから、もうやめようかなって話してたところだよ」


「うんうん」とチャーリーが口をへの字にした。

 ひどいいわれようだったが、アルバートはそのへんは言及しないことにした。

 ブラウンが頚のうしろで手をくんだ。


「午前中に通りかかった人たちは、ひっかからないどころか、見抜かれてにらみかえされたしさ。びっくりだった」


「あれ盗賊だよ、ぜったい」


 チャーリーがうなずく。


「ああ、そうかもな。目がこわかったし。ちびるかと思っちゃったぜ?」


 ブラウンはそう言ってけらけら笑ったが、アルバートには聞き捨てならないせりふだった。


「――盗賊? 盗賊がここにきたのかい?」


 アルバートが真剣な顔をしたので、ブラウンもチャーリーもおどけるのをやめてまじまじとうなずいた。


「〈鹿の角団〉だと思うよ。ふんいきからして」


 チャーリーがくせ毛をいじった。


「うん、二人組でさ。一人はつめたい感じの男の人だった。長い剣をもってて、なかなかかっこよかったけど、近寄りにくいオーラだったよ。で、もう一人はきれいなおねえさんだったな。にこにこしてて美人で、魔女みたいな帽子をかぶってた。なにより、きわどいかっこうだったし、おっぱいが大きかったな」


 ブラウンが満面の笑みになると「うんうん」とチャーリーも満足げにうなずき、二人で顔を見合わせると、ふきだして笑いだした。


 アルバートもつられて半笑いになったが、ふざけている子どもたちの騒ぎが聞こえなくなるくらい、深く記憶をたどっていた。

 祖国を蹂躙されたことで、アルバートは〈鹿の角団〉に因縁があった。旅にでなくてはならなくなった要因であり、決してゆるすことのできない存在だった。


 しかも、アルバートは二人の少年が語った盗賊二人組を見知っているような気がした。

 アルバートは、盗賊の背格好や特徴について、もっと多くを知りたいと思ったが、笑顔の少年たちをみていたら訊ねづらくなってしまって、なんとなくやめてしまった。


 しばらくすると、チャーリーとブラウンの笑いの波がおさまった。

 アルバートもつられていた半笑いをやめる。


「とにかく、いたずらもほどほどにね。悪さっていうのは、いつか自分にかえってくる。そういうものだとぼくは思う」


 あれこれあってひと息ついた感があり、アルバートが深呼吸しながらそう諭すと、少年二人は「ふふん」と鼻を鳴らした。

 反省しているのかどうかはわからなかったが、さきほどよりはアルバートを甘くみていないようだった。

 それにアルバートの心が少しだけ二人に近づいたことは確かだった。


「ローチが病気だからつまらないんだよ」


 ブラウンが草原をみつめながら、右の鼻の穴にひとさし指をつっこんだ。


「ん?」


 アルバートは訊ねた。


「ローチ?」


「それにブルーベックのやつもどっかに行っちゃったしな……あいつ、からかうとなかなかおもしろいんだけど――」


 チャーリーもブラウンにつられて風のわたっていく丘に目を向ける。

 アルバートは無言のまま、二人にならって遠くをみつめた。

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