5 盗賊の第六感

 街路に咲いているヤマボウシが満開だった。

 ザウターのまえを仔猫のように気ままにあゆんでいるティファナは、もう何度も「きれいだね、楽しいね」とくりかえしている。


 きれいと楽しいの相関関係はザウターにはよくわからなかったが、いつもどおりザウターはなにもしゃべらず、ティファナも返事がないことを気にしていなかった。


 しかし、無反応なザウターも草原の国の緑の多さには豊かな季節感をいだいた。

 ティファナのようにはしゃいで喜ばないだけで、ザウターの〈星のふる丘の街〉の第一印象もティファナのそれと似ていて、似通った感情を共有しているといえる。


 殺伐としている王都のスラムなどに比べると、おだやかでやさしい環境だった。

 風にも空にも大地にも、たくさんの精霊力を感じる。


 街道沿いの商店にも新鮮なトマトや枝豆などがならんでおり、住人たちも落ち着いた顔をしている。

 丘のうえの教会から、オルガンの伴奏で合唱している歌声が聞こえた。遠い太古についての詩が歌われているようだった。


 ふと、ザウターのとなりを、二頭の馬がひく荷馬車が駆けぬけた。


 合唱に気をとられて呆然としていたせいで、ザウターは驚いてわれにかえる。

 平穏な街の空気に、知らないうちに油断していたことを自戒した。


 すると、馬車を追いかけるようにして、数人の子どもたちがザウターとティファナのあいだをぬいながら通過していった。

 つむじ風にまかれたように、ザウターの前髪がゆれる。


(この街には子どもが多いな)


 ザウターはそう思った。


(そういえば、街の領内に入ってから最初に遭遇したのも二人の男の子だった)


 踊るように歩いていたティファナがたちどまり、わきを走りぬけていった子どもたちの背中をみつめて、笑みをうかべる。瞳がキラキラしていた。


「仲間に加わりたいのか」


 ザウターは茶化してみた。


「ん? んー、んん」


 ティファナはわかったようなわからないような返事をした。

 ザウターが「いくぞ」と声をかけて先に歩きだすと、ティファナは「はーい」と跳ねるようにしながらあとにつづいた。


 ザウターとティファナは盗賊組織〈鹿の角団〉の団員として、街でもどこでも、影のなかで生きてきた。

 闇の世界を暗躍することが仕事であったし、そうしなければ敵の目にさらされ、危険が倍増してしまうからだ。


 ゆえに太陽が中天にあり、陽射しがまぶしく街路樹にふりそそぐような街道を堂々とならんで歩くなどめったにないことだったので、日頃の鬱憤を晴らしているかのようにティファナは上機嫌だった。


 ティファナは街道に落ちている馬糞をゆびさして笑ったし、そのせいでお気に入りの三角帽子のマジックハットが少しずれていてもまるで気づかないくらいだった。


 いまのティファナの明るい表情は、常日頃盗賊団の一員として活動しているときや、目標を達成するための戦闘にのぞんでいるときの笑みとはちがう純粋なものだとザウターは感じた。


 ティファナは根本的に盗賊の適性がないのかもしれない――ザウターはそんな感想をもったが口にはださなかった。

 そんなことをいえば、ティファナはすねてしまうにちがいない。

 

 二人は幼い頃からずっといっしょにいた。

 ザウターにはいまさら、ティファナを遠ざけるようなことはできなかった。


 ザウターは孤児だったところを〈鹿の角団〉の幹部ハーマンシュタイン卿にひきとられるかたちで盗賊になった。

 火の国のかたすみ、民族紛争が起きて混乱した村のなかで、まだ年端もゆかぬ少年だったザウターが、背丈ほどもある剣をふりまわして死闘をくりひろげていたところをハーマンシュタイン卿に見初められたのである。


 卿は過酷な訓練をほどこしてその才能をのばし、ザウターは盗賊団のなかでも随一の剣の名手となった。


 ティファナが入団したのは、ザウターがひきとられてきた少しあとのことで、おなじくハーマンシュタイン卿の手にみちびかれたかっこうだった。

 ティファナが幻獣をあやつる特異な能力をもっていたことが入団の要因ではないかとザウターは考えている。


 盗賊には過去は必要ない。

 たがいに思い出を語ることはタブーだったので、幼いながらもザウターはティファナの、ティファナはザウターの入団以前のことは詳しく知らなかった。


 それでも問題はない。

 二人にとって大切なのは、やはり過去ではなく未来だった。

 ザウターとティファナが行動をともにするようになったのは、ティファナが自然とザウターに付着して歩くようになったからだったが、ザウターは二人の年齢が近かったことが最大の理由だと理解していた。


 しかし、盗賊団の内部では、そう思っているのはザウターだけというのがもっぱらの評判で、ティファナは自分が好きな相手には犬よりも従順だったが、そうではない相手には猫よりも気まぐれだった。


 つまり、ティファナが一方的にザウターに好意をもっていたため、二人はパートナーとして組むことになったというのが定説だった。


 ティファナの二面性については、ザウターも認識していた。

 ティファナには時と場合によって夏と冬ぐらいの性質の落差がみられる。

 だれかが一本の野ばらを踏みにじったことに対して憤怒したかと思えば、先の沙漠の国の侵略時には〈銀の鎖〉でつないだ猛獣をこともなげにあやつり、多くの兵隊や沙漠の民を容赦なく殺めた。


 そのときの表情は凪いだ海よりも静かでおとなしく、口もとにはかすかな笑みさえうかべていた。

 ティファナのもつヘビのような残忍性には、ザウターもときどき驚かされる。


 ザウターはその驚きに値する性格の変化について、ティファナに問いかけてみたことがあった。

 しかし、ティファナはしばらくくちびるに手をそえて考えたのち「ザウターは女心がわからないんだよなぁ」と両手を後頭部でくんであきれただけだった。

 ザウターにはその意見が正当なのかどうかも、それが女心と関係しているのかどうかもいまだによくわかっていなかった。


「――ローチ! ローチ!!」


 ぼんやりと女心について考えながら歩いていたザウターの耳に、どこか悲哀をふくんだ女性の呼び声が聞こえた。


 ザウターがたちどまったので、少しうしろを跳ねるようにして進んでいたティファナも動きをとめた。

 

 舗装路のとぎれた路肩に、人が集まっている。

 その中心にいる中年女性が叫んでいるようだった。

 街道を通行している人たちも、ザウターとティファナがそうしたように脚をとめている。

 ティファナがするするとザウターのとなりまであゆみ寄ってきた。


「ねね、なにごとかな?」


「――人さがしだろうな、おそらく。連呼しているのは名まえだろう」


「むむ、困ってるんだ?」


「ああ、必死にみえる」


 声をはりあげている中年女性は、過度のストレスのせいか髪がみだれ、目は充血し、疲労が顔ににじんでいた。


「んん、どうしよう?」


「――関わりになるのはよくないな」


 ティファナが同情をこめて訊ねてきたので、ザウターは牽制した。

 甲冑とマントすがたのザウターもそうだったが、とんがり帽子のマジックハットに露出度の高いビスチェを着たティファナはただでさえめだっていたので、ここで騒動に巻きこまれ、余計に注目されるのは危険だった。


 二人はなにより、このあと盗賊団の一員として目的を果たさねばならない。

 ティファナはひとさし指をくわえて、状況をみつめている。ティファナが人助けに興味をもったのは単純に機嫌がよかったからだろう。


 すると、集まった人の群れが、〈月影亭〉と書かれた看板のさがっている施設のわきにある小路に向けて動きだした。


「ローチ! こんなところに!!」と中年女性の感嘆する声が響いた。


 どうやら、さがしていた人物を発見したようだ。

 ザウターとティファナの周辺にいる通行人たちが、顔を見合わせて思い思いに感想をのべはじめる。

 いくらか耳をそばだてると騒動は迷子に起因するもののようで、母親が迷子になった自分の娘を路地でみつけたということらしかった。


「おお、解決したのかな?」


 ティファナが両手を祈りのポーズのように合わせる。


「――そのようだ。迷子がみつかったってことらしい」


「迷子! そうか、仔猫ちゃんは無事でよかったね?」


「――ああ」


「うんうん。よかったにゃ」


 ティファナは猫のしぐさをして、にっこりした。


 路上での噂話によると、迷子の娘は原因不明の熱病に罹患しているうえ、症状が進行しており、母親がとりみだしてうろたえていたのはそれが原因のようだったが、ザウターはあえてティファナにそれをつたえないことにした。


 なぜ病人である娘が迷子になったのかザウターには知りようもなかったし、その事実を知ればティファナは今度はそれを心配するにちがいない。

 面倒の連鎖は勘弁だった。


 建物の影から数名の男女がでてきた。中央には、上気した顔の少女がいる。

 渦中の人物のようだ。足どりもおぼつかず、両肩をさきほどの母親のほか、男女にささえられている。


 ザウターはその光景をみたが、瞬間、なにかいいしれない不穏な予感におそわれ、ティファナの腕に手をかけて強くひきよせた。

 少女の救出劇をじっと凝視していたティファナのマジックハットが、ひっぱられた反動で地面に落ちそうになった。


「んん!? どうしたの!?」


 帽子をおさえながらティファナが抗議をしたが、ザウターは口を閉ざしたままティファナをひきつれて、足早にその場から距離をとった。


 そうしなくてはいけない理由が、ザウターにもよくわからなかった。

 ただ、なにかしらの、そこにとどまってはいけない勘みたいなものが働いた。

 ザウターには昔から、そういう危機回避の嗅覚みたいなものが備わっている。

 だから、ザウターはいつでもその予感にはしたがうべきだと思っていた。


 ティファナもまた、難局におけるザウターの判断はいつでも正しいと信じていたので、やがて一方的に腕をひかれるのをやめて、みずからの脚で歩きだした。


 しばらく歩いて街道をぬけて、中央の広場を横切った頃には、ティファナはもうそれまでのことをすべて忘れているようだった。

 牧場をわたっていく風に吹かれ、猫のように目を細めながら、鼻さきを舞っているモンシロチョウに心をうばわれつつ、ティファナはぴょんぴょん踊るようにしてザウターのまえを歩いた。

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