第79話 夜の私室 カルロスとアレクシス嬢

 アレクシスが縮むと手に花束を持っていたことがわかる。


「アレクシス、その花は?」

「これですか? 先ほど宮殿前で渡されましたの。イケメンの花屋さんから、ふふふ」


 カルロスはその笑顔に少しむっとなる。アレクシスの笑顔は好きだがそれが他の男、それもイケメンが理由となると面白くはない。


「すでに結婚している君に花を贈ってくれたのはどこのどいつだい? 僕もお礼を言いに行かないと」

「あ、もしかしてやきもちを焼かれてます?」

「んぐっ……図星だ。君には隠しごとはできないね」

「ご安心ください。これは恋愛感情なしですわ。雨のせいで正気を失っていた時無礼を働いたお詫びですって。別に気にしていませんのに。それはもうすごい勢いで謝られて勢いで受け取ってしまいましたわ。さらに話を聞いてみますと直接渡そうとずーっと朝から私を待っていたようですわ。あの方は全然悪くないのにねえ」


 治りかけていた傷が痛む。

 見かねたカルロスは花に顔を近づけた。鼻をすんすんと鳴らす。


「カルロス様?」

「いい香りだ。君も嗅いでごらん」


 花から顔を離すと爽やかな笑顔を浮かべた。


「それでは私も……」


 アレクシスも真似て花に顔を近づけた。


「ほんとですわ、いい香りですわぁ」


 芳香さに笑顔を取り戻した。


「花瓶を用意しないとですわ。給仕さんにお願いしないと」


 部屋を出ていこうとするアレクシスを、


「ごめん、アレクシス。それは後にしてくれないかな」


 カルロスは手を引いて止めた。


「大事な話があるんだ。君と僕の二人だけで」

「大事なお話ですか。わかりましたわ」


 アレクシスは花束を丁寧に机の上に置いた。

 その間にカルロスは窓のカーテンを閉めた。


「外は眩しくないのにカーテンまで閉めてしまいますの? お部屋が暗くなってしまいますわ」

「誰が見てるかわからないからね」

「そういうものでしょうか?」


 カルロスはベッドに腰を掛ける。そして隣の空いた空間を叩く。


「アレクシスはこっちに」

「あら、座らせてもらえるのですか? 前々からふわふわで乗ってみたいと思ったんです。あとで寝転んでもよろしいですか?」

「……あとでいくらでも寝転んでもらうよ」


 カルロスの意味深な言葉はたいして気にせずにアレクシスはベッドに座る。


「それじゃあ話をしようか。君の──」

「その前にカルロス様。先ほど私に嘘をつきましたよね」


 アレクシスは早々に話の腰を折る。


「……エリック・ベルンシュタインと接触していたのでは?」

「……困ったな、ほんとに隠しごとはできないね」


 カルロスは素直に打ち明けた。鉱石魔術のこと、マリアンヌのこと、そしてアレクシスのことを。


「ふんですわ! エリックの助けなんてなくて私はちゃーんとカルロス様の元に戻りましてよ! ただ、時間はかかるかもしれませんが」

「ただこの一件に関しては彼に感謝しなくてはだね」

「考え直してくださいまし! マリアに星落としを教えたのはエリックなのでしょう!? マッチポンプのほかありませんわ!」

「マッチ……ポンプ……」


 カルロスは首を傾げながらも繰り返す。


「ええ、マッチポンプですわ!」


 カルロスは逡巡する。そして彼は一歩踏み入る覚悟を決めた。


「なあ、アレクシス。一つ質問いいかな?」

「よろしくてですよ。この生き字引のアレクシスになんでもお尋ねください」


 一呼吸置いた後に彼は聞く。


?」

「え、マッチポンプは……マッチポンプっていう意味ではなくてでして?」

「いいや、僕は聞いたことがない」

「あ、あれ、おかしいですわね、聖オルゴール王国の言葉でしたでしょうか……それともドナタソナタだったかしら~?」


 目が泳ぎ始めるアレクシス。これは何かを隠している顔。


「自分で使った言葉なのに説明ができないんだね」

「えと、それは、その、なんと言いますでしょうか」

「アレクシス。もういいんだ。取り繕う必要はない。僕と君は夫婦。これは一生不変の関係だ」

「カルロス様……?」

「だから、全部話してほしい。君のことを。僕は一生かけても語り尽くせないだろう君の全部を知りたいんだ」


 アレクシスの肩がだらりと垂れる。


「カルロス様にも……隠しごとはできないようですわね。わかりました、私も覚悟を決めます。これは両親にもお話していない秘密ですわ」


 何度も何度も深呼吸を繰り返す。胸の前で両手をもみ続ける。

 カルロスはいくら時間が経とうと何も言わず、温かな眼差しを向け続けた。

 眼差しに後押しされて深く息を吐いて顔を上げた。


「信じてもらえないかもしれませんが私の身体の中にはもう一つの人格が、魂が入っているのです。彼女の名前はヤマグチマリ。この国ではない、いえそもそもこの世界ではない場所に住んでいた女性ですわ」

「住んでいたというと……もしかして」

「ええ、彼女は元の世界では死んでいるのです。まるで荷車のような……大きな盾のような乗り物……トラックと衝突して……なんて言っても信じられませんよね?」

「いいや、信じるよ。君が嘘を言っていないと僕にはわかる」


 カルロスはアレクシスの手を握った。

 アレクシスは吐露を続けた。


「時折彼女の記憶が混ざり込んでくるのです。聞いたことのない言葉を口走ったり、覚えのない知識がよぎったり……」

「さっきのマッチポンプもそれなんだね?」

「ええ、まさしくそうですわ」

「そのヤマグチマリさんに一時的に乗っ取られたりは」

「それは絶対にありませんわ。彼女と初めて接触した時のことをよく覚えてますわ」

「初めて接触した時のこと?」

「ええ、あれは五歳の頃ですわ。六歳になる誕生日になるまでちょうど一か月前のことですわ。私は突然高熱に襲われましたの。ただの風邪ではない。解熱剤も効かない、お医者様が診ても原因不明の熱」

「その熱の原因がもしかして接触によるもの?」

「はい、その通りです。彼女とのファーストコンタクトですわ。一つの身体に魂が二つは入りきれません。私たちは身体の所有権を争ったのです。でも私は意識が朧ながら覚えていますの。彼女、ヤマグチマリが必死に抵抗していたことを」

「なんでだい? 彼女は君の身体を乗っ取ろうとしたんじゃないのかい?」

「そもそも身体に入り込んだのも彼女の意志ではありませんでした。転生にしたってそうです。あの時声が聞こえましたの。『こんな小さな命を奪ってまで第二の人生は送りたくない』と。とても強い意志をお持ちの方のようでした。まだ成人にもなっていない、学生の方でしたのに」

「それで彼女は君の身体に記憶だけ定着したと」

「ええ、結果的にそうですわ。それでもこの世の理に反している状態。高熱は一向に下がりませんでした」

「じゃあどうやって克服したんだい?」

「ここで私の祝福された恵まれた身体が関わってきますの」


 アレクシスはため息をつく。


「両親も必死でしたのでしょう。一人娘を助けるためにありとあらゆる手段を模索しましたわ。でも当時はただの庶民。しかも海に囲まれた小さな島だったので有効な治療法は見つかりませんでした。そんな時ですわ。東の方角から来た胡散臭い顔の商人から元気な身体を手に入れる魔導書を借金まで背負って買っちゃったのは」

「それは偽物だったのかい?」

「普通こういう展開は偽物を掴まされるパターンですがところがどっこいその魔導書は本物。無事に私は健康な身体を手に入れました。めでたしめでたし……とはなりませんわ」

「もしかしてその時から筋肉隆々に?」

「本当のことを言わないでくださいまし! カルロス様はいいでしょうが、私は本当に悩んでいたのですよ! 両親は最初はびっくりしてましたが娘が無事なら、健康なら、生きているならなんでもよし! との具合で! 私も命が救われたので文句も言えませんでしたわ! しかも健康の範囲が変に律儀シビアで首から下のみで顔は変化しませんのよ!? そこは〇斗の拳みたいに濃い顔になるんじゃないかい、アホかーーーい!」


 取り乱すアレクシス。また深呼吸を繰り返して頭を冷やす。


「……あーあ、話しちゃいましたわ。これでカルロス様も共犯ですわよ。教会は転生者を蛇蝎の如く、いえそれ以上に嫌っていますわ。かつては転生者と疑われれば即異端審問。連れていかれたら最後生きては帰ってこなかった」


 教会の教えでは死後マナとなった魂は星を一巡りした後に良き魂は天国へ招かれ、悪しき魂は地獄へ落ちる。

 転生者のような死後の人生は教えに反する。

 ゆえに異端扱いとなる。

 また転生者には世界の根幹を揺るがすほどの強力な魔法、スキルをたびたび有することを悪魔のイカサマチートとして侮蔑されている。


「でも今はかつてほど迫害の対象にはなっていないだろう?」

「ええ、ですが王族となれば別ですわ。統治には宗教の力は必要不可欠ですわ。民の安全、安心のためにも。それなのに配偶者が転生者、またそれに準ずる存在と知れたら皆様を不安にさせてしまいます。問題は国内だけでありません、他国からも非難の嵐に晒されるでしょう」


 アレクシスは提案する。


「カルロス様! 今の話、やっぱり忘れてください! 忘却魔法を使えば今の話はまるっときれいさっぱり忘れることができますわ! そうすればもしも将来私が転生者の魂を身に宿していると知られても結婚を無効なり国外追放なり処刑していただければ丸くおさまりますわ! 私はカルロス様のため、国民のためならトカゲのしっぽになる覚悟だってありますわ!」


 教会を敵に回したくない。何より国民にカルロスに迷惑をかけたくない。


「確かに教会も外国も良い目では見ないだろうね。今まで慕っていてくれた国民も動揺するかもしれない」

「ですよね、ですから──」

「だけど、それがどうした」


 カルロスはアレクシスの肩を抱く。


「それしきのことで僕の愛は揺らいだりしない! アレクシス、僕はもう君を離さない! 君が例え、教会から嫌われた転生者だろうと! 実は男だろうと、妖精だろうと、魔族だろうと、ドラゴンだろうと! これから何があっても! 僕は君だけを一生愛す!」

「カルロス様──きゃっ」


 カルロスは勢いそのままにアレクシスをベッドに押し倒す。


「あはは、びっくりしましたわ。頭を打ちましたがベッドがふかふかのおかげで全然痛くありませんでしたわって……カルロス様、どうして上着を、上半身を晒しましたの!!? ここはお風呂ではありませんわよ!?」


 アレクシスはまだ状況を飲み込めていない。

 目の前の男が、一人前の男になろうとしていることにも気づいていない。


「アレクシス……すまない、君の気持ちを無碍にするかもしれないが……僕はどうしてもこうするしかない、いや、こうしたいんだ……」

「あ、あのあののああの、勘違いしていたら大変恐縮なのですがもしやもしやこの流れはこここここ」

「そうだね、子作りとも言う」

「きょじゅくり!? だって私たちまだ結婚もしてませんよね!? それにそういうのはせめて結婚して一か月経ってからで」

「そんなの僕らの愛の前では関係のないことだよ」


 カルロスはゆっくりと顔を近づけていく。


「……僕はこういうことは全く未経験だけど……なるべく優しくするから……」


 そしてゆっくりと瞼を閉じる。


「お待ちになってお待ちになって待って待って待って! 私はまだ心の準備が!?」


 イケメンが眼前に迫りくる。

 いついかなる時も面食いの彼女の頭はオーバーヒート。


「ああ、いい顔! もっと近く見たいけど心の準備が! 顔ちか、心の準備が、顔よすぎ、心、顔、顔顔顔顔顔顔──ぶぱっ」


 そしてあまりのイケメンに耐え切れず喀血。ベッドのシーツにおびただしい量の血が飛び散る。


「──死ぬ間際に……視界いっぱいのイケメンが見れて良かったですわ……我が人生に一片の悔いなし、ですわ」


 そう言い遺して気絶した。


「あ、アレクシス!? こんなことで気絶するなんて君らしくない! いや君らしいっちゃ君らしいんだが、僕の気持ちはどうなるんだい!? お願いだ、アレクシス!! 目を覚ましてくれ!!」


 愛する人の言葉に意識を取り戻すも、


「あれは……おじいさまとおばあさま……? 川の向こうで笑顔で手を振ってますわ……久々に肩を叩きに行こうかしら……」

「よくわからないがそっちに行っちゃだめだ、アレクシス! アレクシーーーーーーーース」


 こうして宮殿内はちょっとした騒動となり、しばらくそういう空気になることはなかった。

 急いては事を仕損ずる。

 哀れ、カルロス。

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