第34話 黒仮面とアレクシス嬢

 言いつけを守り大人しく宿に戻ってきたアレクシス。

 ベッドに横たわっていても眠気がやってこない。それどころか、


「お腹……空きましたわ……どこかに食べに行きましょうかしら……」


 ぐうううううう、と腹の虫まで鳴る。


「しかしよくよく考えたら無一文ですわ……」


 上半身を起こし、ある決断をする。


「うん、仕方ありませんわ! イケメンを見て空腹を紛らわすことにしますわ!」


 どんな時でもアレクシスは面食い。イケメンをおかずにご飯三杯は常識。彼女はイケメンで飢えを凌ぐレベルに達している。


「待っててくださいまし、カンタオールにバイラオールの方々! いま、お会いしに行きますわー!」


 そう言ってアレクシスはフラメンコドレスのまま、四階の窓から飛び降りた。

 しかしこの時すでに21時。中途半端な都市ロデオは情熱的でも寝静まる時間。


「いけませんわ! どの飲食店も閉まり始めてますわ! こうなったら通行人でもいいからイケメンを探しますわよ!」


 しかしロデオは現在ココという捕まらない誘拐犯が出没する。フラメンコに関係なくとも自衛のために早々に家に帰っている。


「衛兵!! 衛兵なら夜回りしているはずですわ!!」


 衛兵は、いた。いるにはいるが、


「うえーい、おねえちゃん、もういっぱーい」

「かるめんさまー、そのおみあしでふんでくだせえ」

「あれ、おれのけんどこいった? ……まあいっか」


 みっともなく酔いつぶれていた。


「まあ、なんということでしょう……民は不安で怯えているというのに、衛兵は飲んだくれ……アルフォンス様。お若いというだけでは許せませんわよ」


 もっとも責任を負うべきは言わば摂政の役職にいるウーゴだ。


「与えられた仕事はそつなくこなす真面目な方とお聞きしていたのに……どうしてああも威張るように……ドーニャ・マリカもドーニャ・マリカですわ……まさしく地下時代からのファンでしょうが、どうしてビシッと言い返さないのでしょう……彼女らしくないですわ……」


 考えても情報が足りず答えにはたどり着かない。


「とにかく、問題は明日にはすべて解決するでしょう。まずはイケメン補給ですわ! イケメン、イケメン、るんるんるーん♪」


 アレクシスは歌いながらロデオの街を走り回る。


 そんな彼女を音も立てずに忍び寄る影が一つ。


「……」


 その者は隅々まで黒い仮面マスカラを被っていた。





 黒仮面は獲物を探していた。この者にとって若い平民の娘がうってつけの狙いだた。多少騒ぎになっても帰せば沈静化する。金を握らせればなおさらだ。貴族はだめだ。大きな役割を果たしているわけでもないのに声が大きい。ウーゴが動かざるを得なくなる。

 これは人助けにもなる。女が一人で夜歩きしたらどんな目に合うのか警告になる。これは訓練の一種なのだ。

 そう言い聞かせて黒仮面は獲物を探す。そこにまさにちょうどよさそう娘が現れる。


「イケメン♪ イケメン♪ イケ、イケ、イケメン♪ イケメン♪ どこ、いる? イケ、イケ、イケメン♪」


 奇妙な歌を口ずさみながらルンルンステップで真夜中の道を闊歩する。

 黒仮面は思う。


(なんだ、あのアホは……?)


 酔っ払いのようだがそうではない。運動神経は高く、しっかりとした足取りだ。


(じゃあ素面であの小恥ずかしい歌を……? 正気か……?)


 あまりにアホすぎて攫うことを躊躇してしまう。側にいるだけで周囲の人間の知能を下げてしまいそうだ。


(催眠魔法で眠らせるから知能は関係ないがな……)


 アホならアホで罪悪感が少なくて済む。


(悪く思うな、むしろありがたく思え……貴様のような低知能でも役に立たせてやるんだからな……)


 黒仮面は獲物を奇妙な歌を口ずさむ女に定め、追跡した。


「イケイケイケイケメン~~~♪ イケイケイケイケメン~~~~~~♪ イケイケイケイケイケイケイケーメン、イケメンメン♪」


 どうやら女は男との出会いを求めているようだった。


(この街に住む人間ならこの時間帯には出歩かなくなるとも知らないはずがない。初めて夜歩きする、もしくは観光客といったところか)


 正気と思えない女はどんどんと入り組んだ路地へと進んでいく。


(そろそろ頃合いか)


 絶好の接触ポイント。人目につかないうえ、どれだけ声を大きく上げようと衛兵に届くことはない。

 足音だけでない、気配も消して距離を詰める。

 黒仮面は振り向かれることなく女の後ろに立ち、手を伸ばす。

 女はまるで隙だらけだった。


(いや、おかしい……こんなに隙だらけのはずがない)


 黒仮面の直感は的中した。

 女はくるりと振り返り、


「悪行は今宵まででしてよ、変質者ー!!!」


 華麗な回し蹴りを放った。




 アレクシス嬢の逆時計回りの蹴りを黒仮面は左腕でガードするも止められないと判断するとあえて蹴り飛ばされる。空中で回転し、両手で着地しながらバク転し、勢いを殺す。


「ちっ、なんだこの馬鹿力は……!」


 それでもダメージは大きかった。左腕を振って痛みを和らげる。


「むむむ、受け止められるだけでなく躱されてしまいましたわ! 少し演技が過ぎましたでしょうか」


 アレクシスにとっては一撃で腕の骨一本持っていくつもりだった。


「あなた、ただの変質者じゃありませんわね」


 一度だけの攻防で実力を見極める。

 黒仮面の首から下は黒の燕尾服。しかしアレクシスは見た目で騙されない。


(小柄のお方……そして身のこなしが軽く、しなやかでしたわ……おそらく女性ですわ……)


 淑女の中の淑女は一瞬の立ち振る舞いで何もかも見通す。数少ない情報で黒仮面の正体を探る。


(それと非常に残念ですわ……誘拐犯はイケメンではないのですね……イケメンでしたら仮面の上からでもオーラでわかりますのに……)


 淑女の中の淑女はいついかなる時も面食いだ。


「今ので実力差ははっきりしましたでしょう? 無用の怪我をしたくなければ投降してくださいまし。大人しく罪を認めればアルフォンス様も寛大な心で刑罰を軽くしてくれますわ」

「アルフォンス様……」


 黒仮面は呟いた。


「正気と思えない、頭のおかしい女……これしきで拙が逃げると思うなよ」


 そして拳を固く握り直す。


「む、なにかしらの因縁の気配ですわね。いいですわ、決めました。その分厚い仮面を剥いでアルフォンス様の前に突き出してやりますわ」

「……やれるものなら、やってみろ!」


 黒仮面は一歩で跳躍し、アレクシスとの距離を縮めた。


(この方、速いですわね!)


 もしも最初からこの速度で背後に詰め寄られていたら不意を突かれていたかもしれない。


「ですが今はお生憎様正面ですわ!」


 助走の勢いそのままの右ストレートを手の甲で弾く。

 次にハイキックが左後頭部の死角から襲い掛かってくるのでバックステップで回避。


「これも避けるだと!?」

「次は私の番ですわ! お師匠様より教えていただいた拳法を自己流アレンジした淑女拳法ですわー!」


 左足を軸にして右足を突き出し仮面を狙う。


「ふんっ」


 仮面は顔をずらし、これを回避。

 追いかけて足を何度も突き出すが首を左右に動かすだけで回避される。


(身体能力だけでなく動体視力もよろしくて!? 本当に只者じゃありませんわね!?)


 すると黒仮面が視界から消えた、と思った瞬間に視界がぐらり落下する。


「もらった!」


 回転蹴りでアレクシスの体勢を崩した黒仮面はここぞとばかりに拳を振り下ろす。


「なんのですわ!」


 アレクシスは両手で地面に着き、両足を思い切っり突き出す。


「っ!!?」


 両足の踵は的確に黒仮面の脛を突いた。


「特製のフラメンコシューズで釘が打ちつけられていますわ~! 想像するだけでも痛いですわねー!?」


 そしてアレクシスは両手で地面を叩き、身体を浮遊させる。

 空中で身をよじり、再び回し蹴りを放った。


「何度も通用するか!」


 黒仮面は今度はパンチで回し蹴りの勢いを相殺する。


「これも当たりませんの!!?」


 手加減抜きの攻撃を塞がれる。今度はアレクシスから距離を置く。

 目の前の実力者の正体が気になり、格闘に集中できなくなっていた。


(このまま肉弾戦を続けても負けはしませんが勝ちもしませんわ……それほどの実力者が何故ロデオに……ええ、ありえませんわ。王都でも見つけるのに大変なのに、たかが誘拐犯として野心を持たずにここロデオに? いや、ロデオだからこそですわ……一人だけ私と肉弾戦で並べる人、それも女性がいますわ……でも、まさかあの真面目な方が……)


 ついに一つの仮説にたどり着く。


(カマをかけてみましょうかね……)


 事実を確認するべくアレクシスはマスカラを取り出して睫毛に塗る。


「なんだ、いきなり化粧などして……」

「化粧もしますわ。たくさん汗かいてしまいましたもの」

「化粧だと……女め、ふざけやがって」

「ふざけているのはどちらかしら。あなた、さっきから誰と話していると思ってるの? 夜だから知れませんが、いい加減お気づきなさいな。よおく……


 言われたとおりに律儀に目を凝らしたのだろう。黒仮面の身体が固まる。


「ま、まさか、お前は……アレクシス・バトレ!? 指名手配されているお前がどうしてここに!?」

「どうやら……決まりのようですわね」


 今の答えをもって確信した。事実に行き着いた喜びよりも落胆が大きく肩を落とす。

 ロデオに滞在し格闘だけでなく魔法にも精通している女性は一人しかいない。


「……はっ!? マスカラによる認識阻害魔法!? しまった!」

「もう遅いですわ。いやはやどうしてあなたが……失望しましたわよ」


 指をさし、仮面の下の正体を暴く。


「カルメン・エチュバリア。あなたなのでしょう?」


 カルメン・エチュバリア。アルフォンスの護衛をカルロスから直々に命を下された元親衛隊黒鷲部隊副隊長。戦場で数々の戦果を挙げた彼女には通り名があった。

 小戦争ゲリーリャ。彼女を表すにふさわしい言葉はこの他にない。


「はあ、どうしてあなたほどの方が……カルロス様が知ったらどう思うか」


 知り合いの悪行に止まぬ落胆に大きなため息をついた。


「なぜ悪事に手を染めたのです? これをあなたが守るべきお方アルフォンス様を知っておりますの? それとその趣味の悪い仮面は脱いだほうがよろしいですわ」

「……なんのことだ? カルメン? 人さらいなど人聞きの悪い」

「まあ、この期に及んでとぼけますの? よろしいですわ、今晩はその性根を治すまでとことん付き合ってあげますわよ!」


 アレクシスは拳を握って身構えるが、


「拙は分が悪い戦はしない……」


 黒仮面は夜空を指さした。次の瞬間、周囲が昼間のように明るくなった。


「照明弾!?」


 あまりの明るさに視界が遮られてしまう。


「勝負はお預けだ。次に会う時、貴殿の命を貰い受ける」


 視界が戻らないうちに黒仮面は建物の屋根まで飛び跳ね撤退した。引き際もスマートだった。


「おい、今の光はこっちからだ!」

「不審者だ! おそらく連続誘拐犯のココだ!」


 衛兵たちが集まってくる。


「別に逃げる必要がありませんが……ここは私もおさらばとしますわ!


 アレクシスも騒ぎが起きると面倒なため、早々にその場から撤退する。

 黒仮面は追跡しようと思えばできたが逃げ場所はロデオ城と決まっている。今の状態で敵の領域に踏み込むのはリスクが大きいと判断した。

 そして何より、


「もしも深夜に外出していたとドーニャ・マリカにバレたら怖いですわ!」


 あの手の人間は怒らせたら怖い。

 よく知っているアレクシスだった。

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