第33話 救われた破産者とひがむ貴族とアレクシス嬢

 ドーニャ・マリカは舞台を降りようとまっすぐ歩いてくる。

 そんなこと露知らずアレクシスは称賛を送り続ける。


「オレー! オレー! オレーですわー!」


 いよいよドーニャ・マリカは実力行使に出る。


「邪魔だよ、あんた! おひねりがもらえないじゃないか!」


 二の腕をパチンと叩いて、アレクシスをどかした。

 客のほとんどが硬貨や紙幣を握った手を振っている。みんな気を引こうと必死で言葉を絞って躍起。

 その中で声を枯らしてまでドーニャ・マリカを呼びかける者がいた。


「ドーニャ・マリカ! 俺を覚えていてくれてるだろうか! ドーニャ!」


 必死の呼びかけにようやく気付く。


「……ベンか? 1年半ぶりじゃねーか! どうした、見違えたぞ!」


 再会の喜びに尻を叩れるも横にふらついてしまう。


「そうだ、ベンだよ。肉屋だった……ベンだよ」


 肉屋という割には体つきは細く、顔の頬は骨が浮き出ている。


「実は……一年前に家業をつぶしちまったんだ……家内にも逃げられて、死のうと思ってたんだ……でもよ、せめて死ぬ前に、あんたの踊りが観たくてよ……遠くから眺めてたんだ……見てるうちによぉ、これがもう二度と見られなくなるのが嫌だなって思ってよぉ……なんとか、がんばって、頑張ってよぉ……」


 ボロリボロリとあっけなく涙を流すベン。

 ドーニャ・マリカは平らな胸を彼に押し付けた。


「あぁ言わなくてもわかるよ。あんたの顔、手を見れば頑張ったってな。どん底から這い上がって来たのか、やるじゃねえか、見直したぞ」


 ベンは顔を離してズボンのポケットを漁る。


「これを、受け取ってくれ! あんたは命の恩人だ!」


 それは恐らく彼の全財産だろう、手のひらばかりの硬貨の山。ほとんどが銅貨で、銀貨は三枚ほどしか見当たらない。ロデオでは一か月分食いつなぐ程度の金額。


「そうかい。じゃあ有難く受け取っておくよ」


 ドーニャ・マリカは、その中の銅貨一枚だけを摘まんだ。


「お、おい! 全部だ! 全部やるつもりなんだ!」

「バカ野郎! 貧乏人から金がとれるか! もっと受け取ってほしいんならね、飯食って安定した暮らしを手に入れて満足に稼いでからにしな! まずは飯食え、飯! 酒じゃないよ!」

「う、うう、ありがとう、ありがとう、ドーニャ・マリカ……」


 泣き崩れるベン。

 ドーニャ・マリカはこれ以上の言葉は必要ないだろう、と口元を綻ばせ、おひねりを貰いに戻る。


「どけぃ! どけい! 庶民ども! 俺を誰だと思っている! どけい!」


 すると人混みを押しのけて豚の腹のように肉を蓄えた貴族が腹を突き出す。


「あぁ、我が愛しのドーニャ・マリカ! 今宵も素晴らしい踊りだ! 十年に一度の出来と思った昨晩をあっさり越えてきたな!」

「ウーゴ……今宵も来てくれて嬉しいよ」


 嬉しい。そう言いながらも表情は舞台に立った時のように笑みがない。


「月が昇らない夜のように、君の踊りに酔いしれない夜はないのさ……うん? これでは新月の夜は酔いしれないようになってしまうか? まあ良いか、些細なことだ! なはははは!」

「私はあなたに会えてもうれしくないよ。いなくなったらいなくなったでちと寂しいくらいさ」

「おいおい、ドーニャ・マリカ~。そんなつれないことを言うなよ。あれか? いつものあれが欲しいのか?」


 ウーゴはズボンのポケットに手を突っ込み、次の瞬間には頭上高く振り上げた。

 すると店中に紙が舞い上がり、ひらりひらりと落ちてくる。


「ほーら、ガレオン紙幣だ!! 偽物じゃない、本物だ!」


 悪趣味な演出。フラメンコの余韻が消え失せてしまうほどに。

 さらに自分でばらまいておきながら一人でも舞い上がった紙幣に手を伸ばそうとすると、


「触るんじゃあない! 触った奴は泥棒で即牢屋行きだ! 俺はカスターニャ第二王子アルフォンス様を支えるウーゴ・アルソ様だぞ!」


 貴族にあるまじき狼藉。

 ドーニャ・マリカが一喝するかと思えば、


「……いつも言ってるだろう、ばらまかれると拾うのが大変なんだよ」


 ほぼ無の感情で静かに諫める。


「大変……といえば最近は巷では噂になっているようじゃないか。ココといったか。なんでもバイラオーラが攫われていると聞く。俺も気が気でない。君がいつ攫われてしまうんじゃないかと心配で心配でシエスタもろくにできないよ。君を是が非でも守りたい。そうだ、こういうのはどうだ? 俺の元へ来ないか? 君がコウモリがいるような洞窟で踊った時期から知る俺ならもっと相応しい場所を用意しよう。ロデオのような中途半端な都市じゃなく、そう、王都にでも凱旋しようじゃないか!」


 ドーニャ・マリカの実力は本物。カフェ・カンタンテよりも大きな劇場で演じるのが相応しいという話は間違いではない。

 しかし彼女の答えは、


「領主ならしっかりと誘拐犯ぐらいは取り締まってくれないとね」


 ひどく現実的なものだった。


「……まったく、今宵も振られてしまったか」


 この茶番やりとりはこれが初めてではない。一年以上も毎晩のように繰り広げられている。


「まあいいさ。君の気持ちが変わるのを待とう。かつては空に二つの月が浮かんでいてそれが日常だった。しかしそれは今では当たり前ではなくなったように、変わらないものなんてないのだから。良い夜を、ドーニャ・マリカ」

「良い夜を、ウーゴ。とか言ってまた当然のように次の店でも顔出すんだろうけど」

「残念だ! 今晩は城に戻らなければなんだ! しかし明日は君のほうから会いに来てくれるんだろう?」

「会いに行くのはアルフォンス様のほうだよ」

「ふふん、このロデオで君の踊りを真に理解しているのはこの俺だけだよ」


 ウーゴはゆっさゆっさと脇腹肉を揺らしながら店を後にした。

 店は騒ぐにも騒げない空気となってしまった。

 ドーニャ・マリカはパシンと手を叩く。


「……なんだか飲みなおしたい気分になったね。お前ら付き合ってくれるかい?」


 そんな粋な計らいに乗っからない者はいなかった。

 当然アレクシスもだった。


「ええ、奢ってくださるのですか!? それでしたら、私、ロデオ特産の白ワインと赤ワインとサングリアを一杯ずつ! あと豚のチェリソーも──」

「お前は明日に備えて今すぐ帰って寝ろー!!!」


 至極当然の反応だった。

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