第31話 門前の小僧習わぬ経を読むアレクシス嬢
「なんでですの、せめて断る理由を教えてくださいまし! 納得できませんわ!」
「うっさいね、教える道理なんて元々ないんだよ!」
「情熱はあります! 情熱だけならだれにも負けませんわ!」
「そんな薄っぺらい言葉、いまどき皿洗い志願でも通らないよ! 諦めて、とっとと帰れ!」
「いいえ、帰りません! 教えていただくまでここを離れませんわ!」
「勝手にしろ! くたばるまで一生そこにいな! ただし邪魔したらそん時は豚と一緒にチョリソーにしてやっかんな!」
渾身の罵声を浴びせて煙草を吐き捨て指導へと戻っていった。
アレクシスは吐き捨てられた煙草を躊躇いなく拾い上げる。
「もう、お年寄りはどうして強情なのでしょう」
「どこぞの村長さんもあんな感じでしたね」
エルメスはそっと袋を取り出す。アレクシスはそこに煙草を捨てる。
二人は忠告された通り、邪魔にならないように離れて練習会を眺める。
参加者は若い娘三人のみとかなり寂しく見える。おまけに三人ともドーニャ・マリカの要求に応えきれていない。
「どう思われます? ドーニャ・マリカのこと」
「口うるさく言葉も下品ですがフラメンコに対する情熱は感じられますわ。見ず知らずの素人を頑なに受け入れないのも真剣さの裏返しだと思います。あとレッスン内容も素人意見ではありますがハイレベルに感じられますわ」
「うん、僕も同意見です。怖い人ですがとても素敵な方だと思います」
「本当に怖いと思ってますの? さっきの態度、とてもそうは見えませんでしたわ」
「そう見えなかったのなら商人としてうれしい限りですね。商人はいつもニコニコと愛想を振りまかなくてはいけませんので」
「なるほど、てっきり怖いもの知らず命知らずな方だと思いましたわ」
「…………それでどう思われます? ドーニャ・マリカのこと」
「同じ質問を繰り返さないでくださいまし。ですが言いたいことがわかります。今のまま指導し続けた結果のことですわよね?」
一人のテンポがわずかに遅れる。それをドーニャ・マリカは見逃さずに一喝する。
「残念ながらこのまましごき続けても実を結ぶとは到底思えませんわ。せめてもう少し要求のレベルを下げなければ……ですがそれを彼女がわからないはずがありませんわ」
「まさしくその通りです。ドーニャ・マリカは焦っているのですよ。明日の公演会で満足のいくフラメンコを披露するために」
「待ってください。今までも公演会を続けているのですよね? それならこれまではちゃんと披露していたのですよね? では今はどうして惨状に……ドーニャ・マリカという名指導者がいながらどうしてこんなに人が集まらないのです?」
エルメスはニコニコと笑う。
「さすがですねぇ。フラメンコの練習会でなければ拍手を送っていました。気になるのであれば事情をお話ししますよ? この程度の情報なら無料で提供します。ですがよろしいのですか? あなたのような心優しい方はなんにでも首を突っ込まなくてはいけない性分だ。たとえ火の中、水の中、ギロチン台にだって。そのお節介でいずれ身を滅ぼすかもしれないと思わないんですか?」
皮肉見せかけた忠告だった。ただでさえアレクシスは忙しい身。これ以上愛する人を後回しにしてもいいかという優しいお節介だった。
それに対し、彼女の回答は非常にシンプルだった。
「いいから! 教えなさい!」
一瞬エルメスの笑顔が固まる。
「……ははっ、未来のお姫様はなんとお優しく頼もしいことか。これだから投資のし甲斐がある」
すぐにいつもの調子を取り戻す。
「いいでしょう、お教えします。もう半年になりますでしょうか、このロデオに"ココ"が出没するようになったのです」
「ココ……お化けのことですよね? それも魔物や妖精のような実体はなく、童話に出てくる」
「ええ、そうです、そのココが出るんですよ、ここでは……な~んて」
しょうもないギャグも帰ってきた。
「真面目にやってくださいまし」
「たはは、申し訳ない……もっとも、ココはあくまで名前のみ。実際の被害としては若い娘が狙われて攫われるんですよ。それが今でも度々起きているのですよ、月に一度の程度で」
「まあ、人さらい! それも半年の間もそんな頻度で! まったく、アルフォンス様はなにをやっていますの!」
「ところどっこい、まだ話は続くのです。その攫われた娘さんたちは……三日後には普通に帰ってくるのです。ただし失踪した間の記憶は全く残っていない」
「普通に帰ってくる? 怪我はありませんの?」
「ええ、傷一つありません。ちょっと言いづらい話ではありますが、純潔も守られているようです」
「不可解な話ですわね」
「実はまだ終わりではないのです」
「まだありますの?」
「これで最後ですよ。その攫われた娘さんたちにはある共通点が二つあるんです。一つが帰ってくると必ず手には金貨一枚が握られているのです。そしてもう一つが、狙われるのはバイラオーラのみなんですよ」
アレクシスはふう、とため息をこぼす。
「……やってくれましたわね、エルメス」
「ははは、なんのことです?」
「さっきは心配したくせして、ちゃっかり私に全部を解決させようとしてますわね?」
「はっはっはー、ほんと何のことやらさっぱりー」
手のひらをグーパー開いて茶目っ気アピール。
「……では先ほど、ドーニャ・マリカが私を不合格にしたのもそれが理由だったのでしょうね。なんと心優しいお方なのでしょう」
ココに狙われているのがバイラオーラなら話としては筋は通るが、
「えっと……それはどうでしょう? 本当に気に食わなかっただけなのでは……」
「いいえ、そうに違いありませんわ。私はあの人の中に……淑女を見ましたわ」
「いきなり何を言い出すんだ、このひと」
「こうしていられませんわね、もっと集中してレッスンを積まないと」
そう言いながらアレクシスはステップを踏む。
「あはは、初めてにしてはお上手ですね……いや、めちゃくちゃ上手い?」
エルメスは気づく。アレクシスはすでにフラメンコの基本を習得していることに。
「舞踊はカルロス様の横に立つのに相応しい淑女になるために猛特訓しましたの。一芸は多芸に通ずるですわ」
「もしや僕と話している間も遠くのドーニャ・マリカの指導を受けていたと?!」
「時間は有限ですわ、こうでもして少しでも精進しませんと」
現在レッスンは通しで行われていた。
アレクシスは離れた位置にいながらもリズミカルな音楽に食いついていく。
そしてクライマックス、鋭い首の動きとギターの音切れが綺麗に重なった。
「オレー! オレー!」
エルメスは我慢していた拍手を送る。
すると向こうからドーニャ・マリカが怖い顔をして迫ってくる。
「あはは、もしかして拍手するタイミング間違えました?」
すぐさま詫びを入れるエルメスは、
「お前に用はないよ」
あっさりと一蹴される。
「……カリーナ・サルスエラといったか。ちょっとはできるようじゃないか」
あのドーニャ・マリカが称賛を送る。
しかしアレクシスは首を横に振った。
「いいえ、まだまだですわ。門前の小僧習わぬ経を読む。形はできていても真髄には程遠いですわ」
「ほう、よくわかってるじゃないかい」
ドーニャ・マリカはじろじろとアレクシスの身体を見る。まるで品定めをするような目つきだった。
「……体力も充分にあるようだね……なんだか顔にモヤがかかったように覚えづらいが……まあいいだろう」
彼女は用が済んだと背中を見せた。
「ドーニャ・マリカ。もう少しここで練習させてもらってもよろしいでしょうか」
そう問いかけると大きな背中を見せたまま答える。
「ああ? なに馬鹿なこと言ってるんだい」
「そうですか……情熱は届きませんでしたか……」
「……こっちに来て、練習しな。この私が直々にみっちり叩き込んでやる」
情熱は届いていた。
「もう、ドーニャ・マリカってば下げて落とすのがお上手ですわね!」
るんるんと練習に向かおうとするアレクシスを、
「ちょっとお待ちを!」
エルメスが手を引いて止める。
「なんですの! これからいいところですのに!」
「もうお忘れですか!? マラカスの魔法のこと! もう少しで三十分です!」
「ええ、もうそんな時間!?」
「怪しまれるといけません! マラカスは隠れて塗ってくださいね!」
「あ、あの、これから練習なんですのよ!?」
まごつく間もなかなか合流しようとしないのでドーニャ・マリカは怒鳴り声をあげる。
「おい、なにぼうっとしてんだい! エルメスがカタツムリなら、お前はナメクジかい!? これからみっちり四時間! 休憩なしでフラメンコがなんたるか学んでもらうよ!」
「四時間!? 休憩もなし!?」
考えがまとまらない。
アレクシスはとっさに手を挙げた。
「すみません! トイレにいかせてくださいまし!」
その後三十分ごとにトイレに行くことでマスカラの問題はクリアした。
ただしドーニャ・マリカからの印象は悪いままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます