第30話 ドーニャ・マリカと出会うアレクシス嬢
場所は市場の近くだとエルメスは説明した。時間は昼過ぎ。カスターニャ王国はランチが一日の内で最もたくさん食べる食事の時間となっている。そして飲酒も許されている。
「今がちょうどにぎわっている時間ですのね」
食堂や
パエリアとチェリソーを交互にかぶりつきビールを煽る男もいれば、
「ああ、どの料理もおいしそう。私も混ぜてほしいですわ」
「いけませんよ、カリーナ・サルスエラさん。あなたはこれからたくさん身体を動かすんですから、食事は厳禁です」
「……それでは
「もっと駄目に決まってるでしょう。逆になんでいいと思ったんです」
「仕方ありませんわね、夜の楽しみに取っておきましょう」
後ろ髪を引かれながらも練習会へと向かう。
練習会は狭まった路地の奥。近づくにつれ聞こえてくる。ギターと靴裏が地面を叩く音がフラメンコ独特の
「なーーにやってんだい! この尻でっかち!! 尻が重すぎてリズムに置いてかれてるわよ!!!」
訂正。罵声が飛んだ。
「おっと、ドーニャ・マリカは今日も元気そうだ」
エルメスは嬉しそうにニコニコ笑いながら奥に進む。
「だ、大丈夫ですの? あのような情熱的なお方に新参者がいきなり師事してもらうのは難しいですのよ」
アレクシスは心配ながらもついていくしかない。
「ごきげんよう、みなさん! みんなのムードメーカー、エルメスでーす! ピースピース」
練習ではあるが本番さながら真剣そのもの。そんな空気の中、空気を読まずに突撃。
(普通の商人なら職人の邪魔は絶対にしない……何か狙いがあるのですね!?)
意外と和やかな空気になるかと期待するも、
「素人は失せな!! 練習の邪魔だよ!!」
残念。エルメスは全く何の役にも立たなかった。
「帰りませんよー? 希望のホープ! 大型新人さん、連れてきたんですから~」
図太い神経で居座りを決める。おそらくこの男は平気で火に油を注ぐタイプだとアレクシスは直感した。
(あと、それを言うなら若手のホープですわ……)
ツッコミできる空気ではなかったので心の中に留めることにする。
「いまさら新人かい? 本番は明日だよ! あんたはカタツムリかい!? なめてんのか!? 塩なめさせてやろうか!?」
止まぬ罵声。独特でどことなく教養を感じさせなくもない。どこぞの村長よりも奇妙な説得力を感じてしまう。
威圧的な態度で圧倒するのはドーニャ・マリカ。フラメンコドレスと煙草の煙を身に纏っていた。声は酒と煙草でしゃがれている。鼻は鳥のくちばしのようによくとんがっており、顎の下にもちらりととんがりが伺える。頭髪には白髪を染めた形跡。背が高く青年のエルメスと同じくらいだった。
「ジャジャーン! こちらが! 期待の大新人です!」
彼は急に振り返り、後ろに立っていた新人アレクシスもといカリーナ・サルスエラを手招きする。
(エルメスさまのせいで第一印象最悪は決定ですわ……淑女としてもっと和やかな雰囲気で挨拶したかったですのに……)
嘆いていても仕方ない。今日の友は明日の敵、そんな厳しい社交界で鍛えられた彼女は気持ちを切り替え満面の笑みを浮かべて自己紹介する。
「初めまして、カリーナ・サルスエラと申します。何かと未熟者ではありますが少しでも芸を身に着けられるように全力を尽くしますわ」
どこに出しても恥ずかしくない完ぺきな振る舞いを見せた。
(決まった。どんな逆境も乗り越える。それが淑女でしてよ)
しかし逆境を乗り越えたと思ったのは彼女だけだった。
「未経験者のくせにもう芸名名乗ってるのかい! 癪に障る子だね!」
返ってドーニャ・マリカの反感を買ってしまった。
「それとあんたが
「えっと、それはどういう意味で……」
「そのまんまの意味だよ!」
彼女がぽかーんとしているとエルメスがこっそり耳打ちをする。
「サルスエラは料理だけでなく、オペラでもありますでしょう?」
「あー、そういう意味でしたの!」
ようやく理解して、手のひらをポンと叩く。
「失礼しまたわ、ドーニャ・マリカ。私、サルスエラは料理もオペラも好きですわ。ですが、今、やりたいのはフラメンコですわ! ぜひともお教えくださいまし!」
ドーニャ・マリカは煙草の煙を深く吸って、ゆっくりと吐く。
「なるほど、エルメス……確かにこいつは期待の大型新人だ……気に入ったよ」
「まあ! それでしたら私にフラメンコを教えて──」
「こんなボンボン、使えるか! とっとと帰れー!!」
「えええええええ!!!??」
第一印象、第二印象も最悪に終わった。
こうして彼女の弟子入りは大失敗に終わった。
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