第15話 アレクシス嬢は振り返らない
「本当に馬を使ってよろしいのですか?」
「ああ、かまわん。急いでいるのだろう」
森を出ると主の姿を確認した芦毛の馬が駆け寄ってくる。
「よーしよし、ペラージョ! そんなに俺に会いたかったか!? かわいいやつめ」
「ヒヒ~ン!」
ペラージョと呼ばれる馬は顔をイバンにこすりつけた。
「紹介しよう、こいつはペラージョっておいおい、まだ甘え足りないか?」
喋っている間も猛烈に擦り付け、ひげを舐めてくる。
「悪かった悪かった。寂しかったな」
「とても懐いていらっしゃるのですね」
「ははは、人間の部下もこれくらい愛想がよければいいのだがな」
近くで見るとより大きな馬だとわかる。身体のどこを見ても屈強で、たてがみが長い。どことなく雰囲気がイバンに似ていた。
飼い主に似てか、アレクシスも気に入ったようで顔を擦り付ける。
「まあまあ、私もあなたにお会いできてうれしいですわ」
背中に乗れと言わんばかりに態勢を低くする。
「可愛いだけじゃなく気品まで兼ねそろえているのですね」
「キヒ~ン」
イバンが手を差し伸べる。
「手を貸そうか」
「結構ですわ。お尻とか触られそうですし」
「深刻なまでに心境が悪いな、あはは」
アレクシスは手を借りないでひょいっと身軽に乗った。
「ぶおおお……!?」
乗った瞬間、ペラージョは小さく呻いた。
「どうした、ペラージョ。まるで重い荷物を背負ったような反応をして」
「お、おほほほ! どうしてでしょうね~、私ってばりんご数個分くらいの体重ですのに!」
首をぺちりぺちりと叩くと背筋をしゃんとさせる。
「それではイバン様。ここでひと時のお別れとさせていただきます」
「ああ、本当に帰っちまうんだな……ひどい仕打ちした野郎のもとに」
「ええ、帰らなくていけません。私はカルロス様と生涯を共にし支え続けると心に決めておりますので」
「バカ野郎。何度も振るんじゃないよ。とっとと行っちまえ、おもしろ女」
「私からの引導ですわ。いつまでも引きずってないで新しい恋を見つけてくださいまし」
手綱を握り、走りだそうとする直前、
「……おっといけませんわ。お別れの前に、一つお尋ねしたいことがありましたわ。ぜひともイバン様のお答えが聞きたいのです」
「ん? 俺にか? 別に構わんが」
「とある女性についてお尋ねしたいのです」
「女性! 俺の得意分野だ。いい女なら特にな」
「ええ、それでは……マリアという名前の女性をご存知でしょうか?」
カルロスの側にいた幼馴染という女性。
「マリア、か……」
イバンはあごひげを引っ張って記憶を辿る。
「マリア……ありきたりだが麗しい名前だ……しかし俺の女性遍歴にもないし……知人にもいないな……」
その答えをアレクシスは予想していた。
(やはり、そうでしたか……あの女、一体何者なのでしょう)
カルロスはマリアを幼馴染と呼んだ。しかしアレクシスは彼女の存在を知らない。カルロスとの婚約を結ぶまでに彼の交友関係を赤ん坊時代まで遡ってくまなく調べ上げたが、そこにマリアという名前はなかった。取りこぼしの可能性もあったが、カルロスと旧知の仲であるイバンの証言で確信に変わった。
(早く行かなくては……カルロス様は強力な幻覚魔法をかけられているんですわ)
ますます焦るアレクシス。一刻も早く出かけたい彼女を、
「なあ、アレクシス」
イバンは呼び止める。
「なんでしょう、イバン様」
彼は見送りには鋭すぎる真剣なまなざしを向けた。
「……そいつが、"黒幕"なんだな」
「……」
予想だにしない答えに沈黙してしまう。
「……いいか、アレクシス。俺にできることは少ない。少ないかもしれませんが、お前の力にはなれると思うんだ」
イバンを連れて行くのも手だ。きっと力になる。側にいるだけで心強い味方になる。しかし、
「いけませんわ、イバン様。あなたは南方の治世を任された身。ここを離れてはいけません。ましてや一人の女のために、命に背いてはなりませんよ」
あまりにも危険すぎる。カルロスだけでない、魔法の影響は城中に渡っている。
「そうかよ、また振られちまったな」
「ええ、でも本当にお気持ちはうれしいですのよ? それではこれ以上長居しては日が暮れてしまいますわ。イバン様、どうか神のご加護がありますように。それとまだまだ暑いですが飲む水にはお気を付けくださいまし」
手綱をぴしゃりと叩く。ペラージョは飼い主との別れに尾が引きながらも颯爽と駆けだした。
イバンは彼女が見えなくなるまでその場で立ち尽くした。
「行っちまったか……またここも寂しくなるなぁ」
少しセンチメンタルな気持ちになる。ちょっと泣こうと思ったが、
「イバンの旦那ぁ、寂しがらないでくだせえケロ。俺がいますケロぉ」
「ってゲレーロ!? ここまで来てたのか!? ってなんで大泣きしてるんだよ!?」
「あまりに旦那が不憫ケロ~! かわいそうだケロ~!」
蛙ながら男の辛い選択に同情を禁じ得なかったようだった。
雨のような涙がイバンをびしょびしょ濡らす。
「まったく……どうやら俺は女以外にはよくモテるようだったな」
自嘲気味に笑う。手痛い失恋の後だったが爽やかな笑顔だった。
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