第16話 番外編マリアとカルロスと

 歓迎会が波乱に満ちて閉じた夜。一年を通して雨が少ない王都に占いでも予見できなかった大雨が一日中降り注いでいた。

 王都中に不安が満ちる中、マリアは雨が滴る宮殿の窓を笑顔で眺めていた。豪華絢爛なドレスに身に纏い、気品があったがどこか裏を感じさせる。


「マリア様! マリア様!」


 すると給仕長が声を上げて追いかけてくる。


「どうしたのです。そんなに大声をあげて」

「し、しつれいしました」

「長年仕えているあなたが取り乱すとは珍しいですね。何があったのです?」

「どうもこうも結婚式についてですよ。聖歌隊の歌を失くすとは本当ですか? その他にも諸々の日程をキャンセルなど」

「ええ、事実です。カルロス様は歓迎会を終えてからというもの体調が優れません。恐らくはアレクシスのせいですわ……結婚式が長引いては身体に響いてしまいますわ」

「ですが結婚式も立派な王室行事の一つ。伝統をないがしろにしては」


 マリアの顔から微笑みが消え、給仕をぎろりと睨みつける。


「あなた、カルロス様の身体が大事ではないのです? 倒れてもいいから結婚式は全部やれとそう言いたいのですか?」

「いえ、滅相もございません……」

「給仕ごときが王室の決めごとに口を挟むなど許されることではありませんよ」

「は、はあ、仰る通りです。申し訳ございません」


 給仕長はぺこりぺこりと頭を下げる。正確にはマリアは王室入りはしてない。しかしあまりの図々しい態度に疑問を持たせなくなった。


「くだらないことを言ってないで仕事に戻りなさい。今の越権行為は聞かなかったことにしてあげます」


 マリアは追い払った給仕長の丸めた背中を眺めながら悦に浸る。


(あはは、愉快愉快。用済みとなればクビになるとも知らずにせっせと働く姿は滑稽ですね、給仕長)


 カルロスと結婚すれば王室に入ったも同然。人事も思うがまま。頭が上がらなかった元上司を簡単に首にできると思えば小言の一つ見逃してやらなくもない。


(ふふふ、長年働いていた職場に首を言いつけられたらどんな顔をするのでしょうね、見れるかしら)


 ふと窓から鐘楼が見えた。結婚式が開かれる大聖堂の一部。


(本当は明日にでも結婚式を開き聖歌隊も歌わせて盛大に開きたいところですが邪魔が入るかもしれませんしね。あぁ、忌まわしきはあの横恋慕女……! 私とカルロス様の、純愛を邪魔した、大罪人……!)


 マリアはカルロスとは言葉を交わずとも心は繋がっていた。目と目が合えば気持ちが伝わったし、結婚の約束もしていた……というのはマリアンヌ・フォンテーヌの中での話だ。


(鉄檻に閉じ込めて南の海まで吹っ飛ばしてやったのにどうしてこうも胸騒ぎがするのか……念には念を、指名手配もしたのに、ぜんぜん心が落ち着かない……)


 爪を噛む。彼女は苛立つと爪を噛む癖があった。親指の爪は使い古した鎌のようにギザギザになっていた。


(こういう時は愛しのカルロス様の顔を見るに限りますわ……こうして足を運んでいるのも元は彼の顔を見るためですからね)


 寝室へと向かい、ノックせずに入っていく。


「うう、うう、あああ、うう……!」


 カルロスはベッドの上で大量の汗を流し夢にうなされていた。これはただの夢ではない。


(ううん、さすが王族の血と呼ぶべきでしょうか……魔法に耐性があるようで……)


 今のカルロスは身体に侵入した菌と戦い熱を出している状態だった。

 意図して悪夢を見せ、精神をすり減らし記憶を改ざんしていた。

 マリアという幼馴染の記憶をねじ込んだのもこの手段。


(まったく、抵抗しなければ楽になれますのに……ですがこれはこれで苦痛で歪む顔が拝めて眼福ですわね……)


 ぞくりと背筋が震える。


「ふー……う、ふうう……!」


 若い男の唇。大きくて柔らかくて美味しそうに見えた。


「……ちょっとくらい、つまみ食いしてもいいわよね」


 ずっとずっと側で世話をしてきた。子供の頃から、ミルクだって飲ませたことがある。これくらいのご褒美は当然だ。

 舌なめずりをして、顔を近づかせる。

 あともう少しで唇と唇が触れる、その時だった。


「う、うわあああああああああ!!!」


 うなされていたカルロスは目を覚まし、勢いで上半身を起こす。


「いだっぁ」


 頭と頭が衝突する。


「く、頭に激痛が……ってマリア。どうしたんだい? 頭を押さえて」


 頭同士が衝突したはずなのにダメージはマリアのほうが大きかった。


「この石頭王子め……よくもこの私に怪我を……!」

「何か言ったかい、マリア」

「い、いいえ、なんでもありませんわ。それよりもカルロス様、またうなされていたようですね」


 本性が出かけるも慌てて演技に戻る。


「ああ、まただ……海に溺れる夢を見たんだ……」

「まあ、海……怖いですよね……この王都は海に面していない陸の土地。さぞ怖いでしょうに。もしや海にまつわるものにトラウマがあるのでは? そういえばあの女、アレクシスはイビツ島出身じゃないですか」


 マイナスイメージを植え付けようと誘導する。


「い、いや、彼女は関係ない……ほら、覚えているだろう? 僕がバレンヤロ海岸で海に溺れかけた話」


 バレンヤロとイビツ島は確かに航路でつながっているが遠く離れている。風に乗った帆船でも片道三時間は要する。魔法の箒での移動も技術上可能ではあるが海の上はマナが少ないため熟練の魔法使いや魔術師でなければ不可能だ。


「ああ、それで人魚に助けられたって話ですよね? ありえませんよ、人魚は五十年も前に駆逐されたんですから。カルロス様が生まれるよりもずっと前の話です。それに人魚が人を助けるなんてありえませんよ、逆ならまだしも」


 マリアはここぞとばかりに水の入ったコップを渡す。


「どうぞ、カルロス様。これを飲めば楽になれますから」

「生憎だがマリア。もう水はお腹いっぱいなんだ。これ以上飲んでは身体を壊してしまう。それに海に溺れかける夢を見た後に水はちょっと……ね」

「私のお水……飲めないんですか? せっかく用意したのに」


 わなわなと腕が震え、コップの水面が波を打つ。


「……マリア?」

「い、いえ、なんでもありません! でも悪夢を見たくないなら水を飲んでくださいね。ここに置いておきます。また人魚と会うようでしたら飲んでください」

「別に人魚と会うこと自体は悪夢ではないんだが……ただちょっと今でも思い出すんだ、彼女の手が温かくて、それで」

「あー、浮気! 浮気してますね、カルロス様!」

「う、浮気? 人聞きの悪いことを言わないでくれ。僕はただ昔のことを思い出しただけで」

「いいえ、浮気です! 私が決めました! もうっ、結婚するんですから、そんな昔の女なんかとっとと忘れて、私だけを見てくださいよねっ」


 わかりやすく拗ねるとカルロスはあっさりと折れる。


「あ、ああ、君の言う通りかもしれない……ちゃんと、君のことを見てあげないとね」

「ふふふ、それでこそお優しいカルロス様です」


 カルロスが枕に頭を戻すとマリアは布団をかけた。


「今はゆっくりお休みください。明日には……楽になると思っていますので」

「君も、早く寝ると良い。ウエディングドレス、楽しみにしてるよ」

「は、はい! 必ず素晴らしい結婚式にしましょう! うふふ!」


 ルンルンとステップしながらマリアは寝室を出た。

 廊下で歩きながら左手の薬指の指輪を見て、にんまりと笑顔を浮かべる。


「……あーあ、目を閉じた瞬間に時間が進み、結婚式になればいいのに。そうすれば指輪やカルロス様だけじゃない……この国全部が私の手中に……」


 暗い夜。指輪にはめ込まれた宝石は光を失っていた。

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