第6話 中学からの友人 美琴 

「手許にあるのは【あ】【さ】【り】【の】。これ、何のことよ。次の言葉はひょっとして【ぱ】【す】【た】だったりして。…イタリア料理なの?」


 私は、さっき会ってきた桜田さんに『翔の今の彼女のことはよく知らない』と言われて、多少なりともショックを受けていた。だから、毒づくことも、面白いことを言うことも出来ないでいる。また、誰かに会いに行くのかぁ。ちょっと怖くなっちゃった。


「ありさ、元気出しなよ。今度会いに行く人は大丈夫。ありさのこと傷付けたりしないから」


 珍しくパニの口調が優しかったので、私は少し戸惑ったが、そのお蔭で残りの言葉を集める気力を取り戻すことができた。とにかく、早くパスワードを特定して、翔くんを助け出さなきゃ。




 気が付くと、私とパニはとあるお宅の居間にいた。座り心地の良いソファに腰掛けている。それにしても、このお部屋には見覚えがあるな…。


「ありさ、よう来てくれたね。中学生の頃はよくここでおしゃべりしとったね。何だか懐かしいわぁ。…お茶をれたでゆっくりしてってね。クッキーも食べてね。久しぶりに焼いてみたの」


 そう言いながら紅茶とお菓子を運んできてくれたのは、中学・高校と同じ学校に通った、同級生の横山よこやま美琴みことだった。彼女は、友だちから『ミコちゃん』と呼ばれていた。もちろん、私もそう呼んだ。




 ありさと私が出会ったのは、中学校に入学してからやね。部活がさ、同じでね。吹奏楽部。ありさがフルートで、私がコントラバスを担当しとった。楽器は違っても、ありさとは気が合ってよくしゃべっとったね。夏休みなんか、練習終わりにアイスを食べに行ったりしたね。楽しかったねぇ。


 高校も、同じ学校に進学して、一緒に吹奏楽部に入ったね。私たちは中学生の時と同じ楽器を選んだから、先輩たちに喜ばれたの、覚えとる?『初心者を指導するのって、結構大変なんや』って、上級生のヒトたち、みんな言っとったもん。まぁ、自分の練習もあるからね。


 中学でもそうやったけど、ウチの高校の吹奏楽部の雰囲気ってすごく良かったよね。強豪校やなかったでさぁ、『コンクールでは何が何でも上位に食い込まないかん』っていうギスギス感じが全くなくってさ。それでも、練習は真面目にやってさ。みんなで仲良く、楽しく、美しい音楽を作り上げようって意識が浸透しとって…。先生の指導の仕方が良かったんやろね。本当に良い部活やったと思うわ。


 ありさと私は、高校3年生の夏休みに、大学見学のために一緒に東京に行ったね。


 ありさは、地元の国立大学の教育学部を志望しとったから、わざわざ東京になんか行く必要はなかったけど、私に付き添ってくれたんやもんね。学校見学が目的とはいえ、旅行みたいで楽しかった。1泊したね。


 私は、J 大が第一志望やった。理由は、私のお父さんが J 大出身やったから。小さい頃から、お父さんの大学時代の話を聞き続けて育ったもんやで、いつの間にか J 大が大好きになっとったんやね。随分早い段階で J 大の教育学部に進学しようと決めとったよ。


 お父さんの母校やったとはいえ、 J 大の敷地内に入るのは初めてやったから、すごく緊張した。だからさ、仲の良いありさが一緒にいてくれて本当に助かったと思ったよ。

 自分の志望校を自分の目で確かめておくのは、すごく有意義なことやと実感したわ。私はこの大学に入りたいという気持ちが強まって、受験勉強をもっと頑張ろうって思えたもん。


  J 大を見学する他に特に予定はなかったから、私たちはちょっと足を伸ばして Z 大を見に行ってみることにしたんやったね。 Z 大は評判の良い学校で興味があったからね。もっと東京の電車に乗ってみたい気持ちもあったし。東京の電車って車両が長くてびっくりしたもんね(笑)。


  Z 大の敷地内に入ってみて思ったこと。それは、同じ東京都内にある大学でも J 大と Z 大では随分と雰囲気が違っているなぁ…ということやった。 J 大は泥臭いパワーがみなぎっている感じがした。そして、 Z 大は、もっと軽やかで優雅な空気が流れているような気がした。はたから見たら同じような私立の大学なのに、こうも違って感じるなんて面白かったわ。


 そしたらさ、びっくりする出来事が起こって…。


 えっ?何のことかって、ありさ、それをあんたが言うの?しらばっくれるのもいい加減にしやぁよ(笑)。私が驚いたのは、ありさがさぁ、いきなり Z 大生の一群に向かって走り出して行ったことやんか。そんでさ、1人の男子学生に話し掛けてさ…。何を話しとったかは聞こえんかったでわからんかったけども。『ありさは一体何をしとるんや』『あの人は知り合いなんやろか』って、頭の中は疑問でいっぱいやったよ。


 そんでさ、話が終わって私の所に戻って来た時の第一声がこれやもん。


「ミコちゃん。私、第一志望は Z 大に変えるわ。この大学の文学部に行く」

「えっ?…何で?」

「あの人にもう一度会いたいから」


 言葉を失ったわ。だって、地元の国立大学に進学しようとしとった人が、いきなり私大の、しかも下宿することが必要な学校を第一志望に変えるって…。しかも、教育学部に進む予定やったのに文学部に行くって…。その動機が『あの人に会いたい』って。今日初めて会った人やのに…。


「このことは内緒にしてね。これから、先生とか両親とか説得せんといかんで」


 そりゃあ、誰にも言わんといたよ。だって、絶対に理解してもらえへんやん。大人たちには。私にも、ちょっと難しいけど。…でも、友だちやでな。味方になるしかないやん。


 それでもさ、もしありさが Z 大に入学したら、 J 大に進んだ私とたまには一緒に遊べるかな…と思って楽しみになって来たのは事実やよ。でも、高校の先生方やありさのご両親を説得するのは大変やったんやない?


 でも、ありさは頑張った。渋る先生たちと嘆く両親を辛抱強く、粘り強く説得した。さらに、辛い受験勉強を乗り切って、見事に Z 大合格を勝ち取った。すごい。頭が下がるわ。


 例のあの人、私の予想に反して、割とすぐに見つかったんやったね。


 ありさ曰く「学年と所属するであろうゼミがわかっとったし。それに、『翔くん』って呼ばれとったで、すぐに突き止めることができたよ」


 それで、ありさはその『翔くん』に会ってどうしたいんやろう…と思いながら、私は静かに見守っとったんやけども。結局、あんたは本人には会いに行かんかったんやね。


「私のことなんか覚えとらんかもしれんし。それに、付き合っとる人がおったんやて。『筒井さん』っていう華やかな感じの人。そこに割り込んで行く勇気はないわ。学生生活は平和で楽しい日々にしたいしな」


 だから、ありさは、翔くんが主催するバスケットボールのサークルにも近寄らんかった。まぁ、あんたらしいと思ったよ。積極的に勝負を挑んで行くタイプやないもん、ありさは。でもさ、志望校を変えてまで追いかけて来たのに、何もせず、たまに見かけて幸せな気分に浸る…程度のことで満足しとって良いんかなぁ、とも感じたよ。


 そう。たまに見かけることは確実に出来たんやもんね。そこに、私はありさの強運を感じたよ。


 翔くんは、ありさの下宿の近くにある喫茶店で、週に何回かバイトをしとった。その店は、ありさの下宿からは近かったけれども、学校からは少し不便な場所にあったから、同じ大学の学生に会うことは滅多になかったんやってね。筒井さんも、その店には顔を出さんかったみたいやし。


 私は、ありさと一緒に何回かその喫茶店に行ったことがある。翔くんの顔も拝ませてもらった。接客しとる感じとか、かもし出す雰囲気とか素敵やなぁ…と思ったよ。だからさ、ありさ、頑張ってみれば良いのに…と思ったけれどもね。まぁ、私が口を出すことやないから。


 でも結局、それから数年後に、ありさと翔くんは付き合うことになって今に至るんやもんね。人生って何が起こるかわからんもんやねぇ。こういう言い方はあまり好きではないんやけど、ありさと翔くんには運命的なつながりがあったのかもしれん。


 まず、出会い方が劇的やった。翔くんに彼女がいたことが障害ではあったけれど、喫茶店での偶然の再会のお蔭で、自然に顔見知りになることが出来た。そして、ありさが念願の宮本ゼミに所属することがかなった時、卒業するはずだった翔くんが、大学院生としてゼミに残って勉強を続けることになった。


 全てが偶然の賜物たまものやけど、ありさはその偶然のチャンスを上手に生かすことに成功したんやと思う。そんなの、なかなか出来ることやないよ。すごいよ。


 私は、大学卒業後は、地元に戻って中学の数学の先生になった。みんな、生意気で憎たらしいけど可愛いよ。私はさ、中学生を教えたかったんや。小学生は子供すぎて自分には合わんと思ったし、高校生は大人すぎてつまらんなぁ…と感じたからね。部活は、吹奏楽部の顧問になれたよ。どうしても音楽の先生が中心になるけど。でも、私はコントラバスの指導ができるから、結構、頼りにされて居心地が良いんやて。毎日、楽しいよ。


 そうや。ありさに渡すものがあったんやった。

 この赤い封筒を受け取るために、今日は私に会いに来てくれたんやったもんね。

 中に何が入っとるのか、私は知らんのやわ。

 でも、ありさにとっては大切なものなんやね。きっと。


 あと、ありさに報告したいことがあったんやった。


 私が大学時代に付き合っとったヨシヒコくん。私が、卒業後は地元に帰ることになっとったからお別れしたんやけども…。私たち、連絡は取り合っとったんやね。たまに会って、近況報告したりもしとった。


 そしたらさ…。ヨシヒコくん、今の会社を辞めて、来月からウチらの地元の会社に勤めることになったの。そんでさ、私たち、また付き合ってみるかってことになって…。


 嬉しいよ。別に、嫌いになって別れた訳やなかったでさ。でも、ヨシヒコくんがこっちに来てくれるなんて、夢にも思わんかった。ホント、人生、何が起こるかわからんもんやねぇ。


 じゃあ、またね。こっちでさ、ありさと翔くんも一緒にダブルデートが出来たら良いね。




 私がミコちゃんから赤い封筒を受け取るや否や、私とパニは元の喫茶店に戻っていた。

 ミコちゃんとヨシヒコくん、上手くいくと良いなぁ…。


「ありさ、親友との再会の余韻はそのくらいにして。早く封筒を開けなよ」

 そう言って、パニが私をかした。

 

 封筒を開けると、中には白い紙が1枚入っていて、それにはこう記されていた。


【 み 】



 

 

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