第4話 ありさの姉 鮎子 

「これまでに集まった文字は『あ』と『さ』。…ねぇ、パニ、何文字集めたらパスワードになるの?翔くん、危険な目に遭ってないよね」

 私はパニに尋ねた。一刻も早く翔くんを助け出したいのに、先が見えなくて焦る。


「ボクも詳しいことはよく知らないんだよね。でも、ふた文字でないことだけは確かだよ。だって、パスワードって4文字以上が基本じゃない?」


 パニの緊張感が微塵みじんも感じられないおっとりとした物言いに、カチンとした私。でも、いつの間にか、次の場所への移動が済んでいた。ここは既に喫茶店内ではない。それは、見覚えのある場所だった。私の父方の祖父の家。そして今は、祖父母と姉夫婦が暮らす家。


「よう来たね。仕事には慣れてきたかね。ありさ、おじいちゃんの家に来るのは久しぶりやろ。ゆっくりしてきゃあね。あれ?うさこちゃんも連れて来たの。ポチ丸と一緒に遊ばせようか」


 私の5歳年上の姉、鮎子あゆこが入り口の門の前に立っていた。姉は地元の大型書店で働いている。書籍の仕入れを担当しているとのことだ。正社員として入社したのだが、今は嘱託社員にしてもらったらしい。時々、おじいちゃんの書道教室を手伝っていたら、徐々に書道関連の仕事が増えてきたからだという。


 姉は、4年前に結婚した。夫となった省吾しょうごさんは、志木しき家の婿養子となった。これから先も、省吾さんは姉と共に、祖父母の土地と家を受け継いで、ここで暮らしてゆくのだろう。


 姉は結婚後間もなく妊娠し、男の子が生まれた。その赤ちゃんは、お父さんである省吾さんとおじいちゃんの名前の優吾ゆうごから1《ひと》文字取って、修吾しゅうごと命名された。おじいちゃんは大層喜んだという。そして今現在、姉は第2子を妊娠中である。8ヶ月に入ったとのことだ。


「ありさ、頂き物の玉露をれたで飲んでね。玉露って美味しく淹れるの難しいけど、今日は上手に出来たと思うわ」





 考えてみたらさぁ、ありさと2人だけでじっくり話すことって、あんまりなかったね。私は、高校卒業と同時におじいちゃんの家に引っ越して、この家から大学に通ったからね。住民票も、こちらに移してまったし。まぁ、お父さんの家にもちょくちょく帰っとったけど。歳がさ、5つも離れとるとさ、子供の頃は大きな差を感じるもんね。


 おじいちゃんが、親戚一同を集めて『鮎子あゆこに婿養子を取らせて、この家を継いでもらう』と宣言したのは、ありさが生まれて半年くらい経った時やったらしい。それ以前から『鮎子にこの家に入ってもらう』と言い続けてきたみたいやけど、誰も本気と受け取ってなかった。お酒の席での戯言たわごとやと思っとったみたい。


 ありさも知っての通り、おじいちゃんには4人の子供がおる。上から、長女の百子ももこ、長男の玄次郎げんじろう、次男の朱三郎じゅさぶろう、三男の青四郎せいしろう(青四郎が私たちのお父さん)。ちなみに、地元に残っとるのはお父さんの青四郎だけで、あとの3人は県外で所帯を持った。おじいちゃんの援助を得て、家も購入済み。


 伯母さん、伯父さんたちは『鮎子に家を渡すとなると、相続の時、青四郎の取り分が多くなるやないか』と、口を揃えて言ったんやって。それに対し、おじいちゃんは毅然とこう言い放った…と後に本人から聞いた。


「お前ら、もう自分の家を持ったで、この家には住まへんのやろ?相続したところで、売ってまうんやろ?古い家なんか、幾らにもならんぞ。この土地は広いけど、田舎は地価が安いでたかが知れとるぞ。更地にするにはお金が掛かるし、更地にしたら固定資産税が跳ね上がるで、お前らの取り分なんてスズメの涙やぞ」


「鮎子には、財産を渡すんやない。家の管理と固定資産税の支払いを託すんや。加えて、俺とお母さんの介護も任せるんや。お前らには生命保険を残すから、この土地と家は鮎子に渡してくれ」


 ここまで言われてしまうと、伯母さんも伯父さんたちも何も言うことはできなかった。そして、次に生まれてきたのは罪悪感。あの小さな鮎子に全部を背負わせても良いんやろか…?


 最初に口を開いたのは、百子伯母さんやった。

「お父さん。よくわかりました。お父さんがそこまで言うんやったら、鮎子に全てを任せましょう。でも、あの子はまだ5歳やし。あの子が20歳になった時に、きちんと意思確認をしてあげて欲しい」


 3人の弟たちは、最年長の百子伯母さんは頭が上がらんで、「百子姉ちゃんがそう言うなら…」という事で、おじいちゃんの家を継ぐのは私に決定した。取り敢えずは。


 そんな大人たちのやり取りは全く知らんかったけども、私は、ありさが生まれてから、おじいちゃんの家に行くことが増えたよ。お父さんの家から近かったでね。幼稚園の帰りに寄ったり、お休みの日は、朝から入り浸ったりすることもよくあった。


 …理由?何でやったかなぁ?お母さんは、赤ちゃんのありさのお世話で忙しそうにしとったで、ちょっと寂しかったのかもしれん。


 おじいちゃんの家に行くと、書道教室の生徒さんに混じってお習字のお稽古をしたり、編み物教室の生徒さんと一緒に毛糸を編んだりできて、すごく楽しかったんやよ。みんな「鮎ちゃん」「鮎ちゃん」って可愛がってくれたし、おじいちゃんもおばあちゃんも嬉しそうにしてくれとったしね。ピアノの練習もおじいちゃんの家でやっとったよ。百子伯母さんのピアノがあったでね。


 ず〜っとおじいちゃんに『この家を継ぐのは鮎子』と言われ続けてきたから、私は小さい頃から『大きくなったらこの家で暮らす。ムコヨーシをとる』という自覚があったの。あんまり意味はわかっとらんかったけど。


 だからさぁ、男の子の友だちの家に遊びに行った時は、その子のお母さんに必ずこう質問したんやて。

「ねぇ、おばちゃんのお家は〇〇くんをムコヨーシに出せる?」

 大抵のお母さんは、びっくりして目がまん丸になっとった。そして答えはいつも同じ。

「鮎ちゃん、ウチは婿養子には出せんねぇ…」


 中学を卒業する頃まで、『婿養子の質問』はしとったよ(高校入学以降はその質問をするのを止めた。年齢的に実感がありすぎるというか。子供の無邪気な質問とは言えんくなったで)。結局、婿養子になっても構わないと思っとる人は1人も見つけられんかったけども、色々な人に尋ね続けてきて本当に良かったと思った。何故なら、早い段階から現実を知ることができたから。


 婿養子を迎えるのは、本当に難しいことや。

 

 高校時代も大学に入学してからも、彼氏が出来たりして、充分に青春を謳歌できたよ。でも、歴代の彼氏たちは、所詮、青春の1ページ。キラキラしたまぶしい思い出に過ぎないと、私にはわかっとった。彼らには、志木家に入るとか考えられへんかったやろね。まだ子供やもん。


 私に必要なのは、婿養子。

 でも、自分の力だけでおムコさんを見つけることは、絶対に不可能や。

 これまで、それなりにモテてきたんやけどな(笑)。


 だから、20歳になる年のお正月、年始の挨拶のためにおじいちゃんの家に集まった親戚一同に、お手製の見合い写真と釣り書きを配ったんや。私のお見合い相手を見つけてもらう目的で。


 結構、頑張ったよ。写真は振袖姿とワンピース姿と普段着。色々な姿を見てもらいたかったでね。釣り書きも正直に詳しく書いた。後で「こんなの聞いとらんかった」って言われても困るし。


 相手に求める条件は5つ。

1 健康であること

2 仕事をしていること

3 共働きを認めてくれること

4 優しく思いやりがあること

5 婿養子であることを楽しめること


 お母さんは怒ったよ。まだ学生なのに…って。でも、すぐに相手が見つかるとは限らんでね。少しくらい早めの方が良いんや。『先手必勝』『鉄は熱いうちに打て』って言うやろ。


 おじいちゃんですら、私の見合い宣言に少し戸惑ったようやった。すぐに状況を飲み込んで、ものすごく協力的やったのは、百子伯母さんやったよ。お見合いの厳しさを身近に感じとったんやろうね。ご近所のお子さんたちが、婚活に苦戦しとるのを目の当たりにしとったんやって。


 宣言が功を奏して、たくさんの見合い話が舞い込んできた。それでも、全員と会った訳ではないよ。やっぱり選ぶよ。慎重にね。『この人や!』と思える人には、なかなか巡り会えんかったな。


 省吾さんと出会ったのは、見合い宣言をしてから2年余り経ってからやった。紹介してくれたのは百子伯母さん。省吾さんは、この家から割と近くにある『もりの動物病院』に勤務する獣医さん。3人兄弟の末っ子や。


 省吾さんの実家の小野おの家は、隣のA県のP市にある。お父さんは獣医でP市内で開業(百子伯母さんは、そこで飼い犬を診てもらっとるんやと)。その病院は長男が継ぐから、2男と3男には獣医にならないよう申し渡しとったらしい。商売敵になったら困ると言う理由でね。2男はその言いつけを守り、人間のお医者さんになった。でも、3男の省吾さんは、うっかり獣医師になってまった。それで、彼の実家から離れたG県R市(私たちが住んどる場所やね)にある『もりの動物病院』で働くことになったの。


 この『うっかり獣医師になった』というのが、おっとりしとって良いなぁ…と思ったの。写真も素敵やったしね。それで会うことになって。それからは、トントン拍子に話が進んだよ。


 ありさはさぁ、東京で就職したやん。結婚もそっちでするかもしれんけど、実家の方は心配せんでも良いからね。いざとなったら、ウチの子供を実家に送り込むで。私みたいに。私は、子沢山の予定やで大丈夫やよ。ありさの好きなようにすれば良いんやでね。


 そうや。ありさに渡すものがあったんやった。

 この封筒を受け取るために、今日はわざわざ来てくれたんやもんね。

 中に何が入っとるのかは、私も知らんのやわ。でも、ありさにとっては大切なものなんやろね。きっと。


 じゃあ、またね。今度はゆっくりしてってね。

 何か美味しいものをご馳走するでね。子供たちと遊んでやってね。




 私が姉から赤い封筒を受け取るや否や、私とパニは元の喫茶店に戻っていた。注文した覚えのないチョコレートが置かれてある。美味しそう。


「ありさ、チョコ食べなよ。一息入れないとね。ねぇ、今度はどんな文字が書かれてあったの?」


 私は封筒を開けた。中には白い紙が入っていて、こう記されていた。


【 り 】






 


 




 

 

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