第3話 幼稚園の先生 織田
「『あ』って何のこと?これで、どうやって翔くんのことを助けられるの?」
私はイライラしながらパニに尋ねた。パニは、ちょっと愉快そうにこう言った。
「だからさ、これから何人ものヒトに会いに行くんだよ。ボクも、まさか
そして次の瞬間、私とパニはとある建物の前に立っていた。ここはどこよ?入り口の門に『ひまわり幼稚園』と書かれた看板が立っていた。私が通った幼稚園ではなかった。
すると、中から1人の女性がこちらに向かって歩いてきた。歳の頃は…。よくわからないけれど30代くらいかな?私の知らない人だった。
「こんにちは。あなたがありささん?私に話を聞きたいんですって?」
明るい声で、柔らかな笑顔を
「立ち話もなんですから、どうぞ園内にお入りになって下さい。お茶をお出ししますよ。美味しい麦茶です。園児たちも大好きなんですよ。」
私は、幼稚園の中にある談話室のような部屋に通された。小さな子供が通う場所だけあって、可愛らしい飾り物でいっぱいだ。自分の幼少期が思い起こされる。何だか懐かしい。
「私は、この幼稚園の教諭です。
翔くんのことは、とてもよく覚えています。たくさんの園児たちと過ごしてきたのに、20年以上も前の教え子のことが印象に残っているだなんて、不思議に思われるでしょう?でも、翔くんは、幼稚園児らしからぬ、他の誰とも違うお子さんでした。だから、私の心に強く刻み込まれているのです。
兄弟姉妹がいない子供は、幼稚園に入りたての頃は、他のお友だちと遊ぶのが難しいことがあります。普段は大人に囲まれているので、自分以外の子供と接することに慣れていないからです。だから、おもちゃを独り占めしたり、自分の思い通りにならないと癇癪を起こしたりする子が結構います。それでも、集団生活というものに慣れてくると、次第にみんなと楽しく過ごせるようになってきます。だから、入園して間もない子供たちは、特に注意深く見守る必要があるのです。
翔くんはひとりっ子でした。でも、翔くんは最初からみんなと仲良くすることができていました。自分が使っているおもちゃを取られても怒らないし、お砂場で一生懸命作ったトンネルを潰されても、ニコニコして気にしていませんでした。
翔くんのお母さんがとてもおっとりした方だったので、だから彼もゆったりとした優しい子に育ったのかもしれないと、私は考えました。
でも、私は翔くんを毎日見ていて、彼は単に優しい子だけでは済まされない何かがあるのではないかと感じました。彼が何をされてもニコニコしているのは、もちろん、気立ての優しい子だからに他ならないのですが…。
私には、翔くんは、何にもこだわらない淡白な子供に見えました。だから、おもちゃを取られても気にしないし、何をされても怒ることがないのだと思ったのです。
ところが、ある日、私は考えを改めました。翔くんが鉄棒に熱中する姿を目撃したからです。もちろん、翔くんは優しい子ですから、他のお友だちを押しのけて鉄棒の練習をするようなことはしません。きちんと順番を守り、自分が独り占めすることのないように気を付けていたようでした。
それでも、どうしてもたくさん練習したかったのでしょう。翔くんは、高い鉄棒を使うようになりました。彼だって、そんなに背が高い方ではなかったのに。でも、高い鉄棒はほとんど使われていませんでしたから、独占状態です。彼は、鉄棒を使うために必死に飛び上がったりして、大変そうでしたが、いつでも好きな時に練習できることに満足しているようでした。
その結果、翔くんはとても上手に鉄棒で回ることができるようになりました。体操の選手になれば良いのに…と誰もが思うくらいに。高い鉄棒で練習したので、見事なジャンプ力が身につきました。腕の力も強くなりましたね。
その次に翔くんが熱中したのは、オルガンを弾くことでした。弾くと言っても、オルガン教室に通っていた訳ではないようで、音を鳴らす程度のことでしたが。それでも、心の底から楽しそうにオルガンに触る翔くんを見るのが嬉しくて、私は、彼に簡単な曲の弾き方を教えてみることにしました。
まずは片手で。右手で、易しい旋律の童謡を一緒に弾きました。わかりやすいように、一緒に歌いながら弾きました。翔くんは、初めは、5本の指をバラバラに動かすことが難しかったようです。でも、すぐに慣れて、かわいいメロディを奏でることができるようになりました。
思ったよりもずっと翔くんの飲み込みが早かったので、私は、左手で簡単な伴奏を付けられないかと欲張りました。やはり片手から。左手で、易しい伴奏を一緒に弾きました。すると翔くんは、私が何も教えていないのに、自分から両手で弾き始めました。右手で主旋律、左手で伴奏。初心者は、右と左で違う動きをすることにとても苦労するものです。でも翔くんは、まだ4歳なのに、始めたばかりなのにすらすら弾けていました。
私は驚きました。心の底から感心しました。そして、これは是非とも翔くんのお母さんにお知らせしなければと思い、連絡帳にこう記しました。
【 翔くんはオルガンにとても興味を示しています。少し教えただけで、とても上手に弾くことができるのでびっくりしています。本格的にお稽古を始めても良いのではないでしょうか? 】
これを読んだ翔くんのお母さんは、半信半疑だったものの、ご実家からご自身が弾いておられたアップライトのピアノを送ってもらったそうです。そして、翔くんにおもちゃ代わりにと好きに触らせてみました。すると、私と練習した童謡を弾いただけでなく、テレビから聞こえてくる歌の旋律を再現したりして、お母さんをとても驚かせたそうです。ピアノを弾いている時はとても楽しそうに見えたので、お母さんは翔くんをピアノ教室に通わせることにしたそうです。
私は間違っていました。翔くんは、淡白な子供なんかじゃなかった。自分で自分の好きなことを見つけて、それに熱中する。すごい子供でした。集中力がすごくて、全く目移りしないんですよ。そういう幼稚園児には、なかなか出会えません。
翔くんも、今では25歳くらいかしら?
素敵な大人になっていることでしょうね。
そうそう。ありささん、あなたにこれをお渡ししなければ。
あなたは、この赤い封筒を受け取るために、私に会いに来てくれたんですからね。
中に何が入っているのか、私は知らないんです。でも、あなたにとっては、とても大切なものなんですよね。きっと。
さようなら。気を付けてお帰り下さいね。
私が織田先生から赤い封筒を受け取るや否や、私とパニは元の喫茶店に戻っていた。
やっぱり不思議な気分…。でも、今回も夢ではなかった。私の目の前には赤い封筒が2つ並んでいる。
「ありさ、織田先生からもらった封筒を開けなよ。今度はどんな文字が入っているかなぁ」
パニにそう言われて、私は封筒を開けた。
中には白い紙が1枚入っていた。そして、それにはこう記されていた」
【 さ 】
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