第2話 仕立て屋 麟太郎
「ありさはボクのことを何も知らないでしょ。だから、まずはボクを作ってくれた
と言って、パニはいたずらっぽくウィンクした。
すると、次の瞬間、私はパニと共に麟太郎さんの作業場にいた。
「パニじゃないか。あ…今はうさこちゃんか。久しぶりだね。元気そうで良かった」
さっきまであんなに元気に動き回っておしゃべりしていたのに、ここに着いた途端にお
あなたが
今ちょうど、コーヒーを
私の名前は
私がパニを手掛けたのは38歳の時でした。
私の店は元々は、洋服の注文だけで商売をしておりました。でも、時代の流れとともに、洋服を型紙から仕立てるお客さまが減少しました。安価な既製品であっても見栄えの良い服が増えてきましたから、多くの人がそちらの方に流れて行ってしまったのでしょう。仕立て屋でしつらえる洋服の方が、自分の身体に合っているので美しく着られます。丁寧に仕上げますから型崩れしません。傷んだら、仕立て直しも可能です。ですから、長い目で見たら、そんなに高価ではないと思うのですがね。
でも、客足が遠のいたのは事実ですから、私は経営を立て直さなければなりませんでした。そこで、私は既製服のサイズ直しの注文も積極的に受けることにしました。お店の経営はそれで何とか持ち直しましたが、私は根っからの仕立て屋だったのでしょう。『型紙を起こしてイチから作りたい』という願望を抑えきれずに、何となく物足りない気持ちを抱えて暮らしておりました。
そんな折、思いついたのが『ぬいぐるみを作る』ことでした。当時、結婚の際に、新郎新婦の生まれた時の体重と同じ重さのぬいぐるみを作製して、婚礼のお祝いの品として新婚夫婦に贈るということが流行っていたのです。それにヒントを得て、私は、お客さまの望むぬいぐるみを手作りしようと考えました。さらに、そのぬいぐるみに着せるための洋服を仕立てて、それと一緒にお渡しできたら楽しいのではないかと思いました。
『手作りのぬいぐるみ』事業は見事に当たりました。反響がとても大きくて、今では、服よりもぬいぐるみの注文の方が多いくらいです。今でもメインは洋服の仕立て屋のつもりなんですがね。
ありささんのおじいさまである
志木さんは、元々、私の店の顧客で、ご家族皆さまのお洋服を仕立てておりました。ご自宅で書道教室を営んでおられた優吾さんと、同じくご自宅で編み物教室を開かれていた奥様の
優吾さんが、初めて私にぬいぐるみの依頼をしたのは、ありささんのお姉さんの
優吾さんの言い分はこうでした。
「6歳ともなれば、未熟ながらも分別がついてくる。お稽古事も6歳から始めるのが良いと言われているでしょう?僕はね、赤ちゃんのおもちゃではなく、生涯の友だちと言えるようなぬいぐるみを贈りたいんです。自分で名前を付けて、ずっと大切にして欲しい」
私は感激しました。依頼主さまから『一生モノをよろしく頼む』と言って頂けたのですからね。いつでも仕事には全力を注ぎますが、この時は一層張り切りました。
鮎子さんのためにお作りしたのは、犬のぬいぐるみです。鮎子さんが
一通り仕上がったところで、優吾さんが鮎子さんと一緒に店を訪れてくれました。私がお願いしていたのです。持ち主となる方にぬいぐるみの名前を付けてもらわないと、それ用の洋服を仕立てることができませんからね。実物を見ないと、名前を思い付かないでしょうから。遠くのお客さまには写真をお送りするのですが、
「ポチ
私の仕上げた犬のぬいぐるみを見るなり、鮎子さんはそう言いました。
私は『ポチ丸』のための洋服を3着作りました。そして、完成したぬいぐるみをお届けした際に「新しいお洋服を追加することも出来ますよ」と、お伝えしました。鮎子さんは、ポチ丸をぎゅっと抱えて、嬉しそうに笑っていました。
そして5年後、再び優吾さんからぬいぐるみの製作依頼を受けました。それが、ありささん、
実は、私は、ぬいぐるみを作る時に、仮の名前を付けて話しかけているのです。1日中、作業場にこもって1人で仕事をしているものですからね、話し相手になってもらっているのですよ。そこには、もらわれていく先で可愛がってもらえるよう人間に慣らしておこう…というねらいもありました。
ポチ丸のことは『パピーちゃん』と呼んでいました。完全に女の子扱いしていましたよ。でも、これは仮の名前で、受け入れ先で付けられる名前が本当の名前だから、作業場の名は封印しなければなるまいよ…と繰り返し言い聞かせました。だから、鮎子さんのお家に行った後は、完璧な「ポチ丸」であったと保証します。
ありささんは「うさこちゃん」と名付けましたね。可愛らしい名前だと思いました。
私はあの子を『パニ』と呼んでいました。私のパニは元気な男の子で、一緒に遊んだり、悪ふざけをしたりしている妄想をして楽しんでいました。それでも、「うさこちゃん」という新しい名前をもらってからは、完璧に「うさこモード」に切り替えましたよ。プロフェッショナルとはそういうことです。パニも、うさこちゃんになりきりました。私の教え通りにね。
だから、びっくりしたんですよ。あなたが、うさこちゃんを抱えて私の目の前に現れた時…。
一瞬ですが「あ、パニがいる…」と感じたのです。そんなはずはないと思い、改めてぬいぐるみを見つめたら、そこにいたのは『パニ』ではなく『うさこちゃん』でしたが。いやぁ、ホッとしましたよ。ありささんから本当の名前を受け取って、私のパニは完全に封印されたはずですからね。
懐かしい話はこれくらいにしておきましょうか。
そうそう、うっかり忘れるところでした。あなたにこれをお渡ししなくては。
この赤い封筒を受け取るために、今日は私に会いに来てくれたんですよね。
中に何が入っているのか、私は存じません。でも、あなたにとっては重要なものなんですよね。きっと。
さようなら。今度いらっしゃる時は、是非、お洋服の仕立ての注文をして下さいね。
私が麟太郎さんから赤い封筒を受け取るや否や、私とパニは元の喫茶店に戻っていた。
何だか、不思議な気分。私は夢を見ていたんだろうか?
でも、夢でなかったことは、私が手に持っている赤い封筒が証明している。
「ありさ、封筒を開けてみなよ。中に、翔を見つけるヒントが入っているから」
パニにそう言われて、恐る恐る封筒を開けてみると、中には白い紙が1枚入っていた。そして、それにはこう記されていた。
【 あ 】
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