あなたがウサギを置いたから

内藤ふでばこ

第1話 待ち合わせ

 暑すぎる夏が終わり、残暑厳しい9月が過ぎ、やっと11月になった。私は、この時期の肌寒いくらいの気候が好きだ。程よく冷たい風を頬に受けると、気分がシャキっとして清々すがすがしい。あまり汗をかかなくなるから、お洋服を選ぶのも楽しいし、メイクの崩れも気にならない。今日は、土曜日。待ちに待ったデートの日!張り切って新しい口紅を付けてみた。


 私の名前は志木しきありさ。うさぎ年の24歳で、社会人2年目である。私の仕事は図書館司書。東京都内にある私立の中高一貫校で働いている。女子校である。


 私はこの仕事を気に入っているので、結婚した後も続けていきたいと思う。でも、自分のキャリアを突き詰めるとか、出世したいとかいう野心は皆無だ。もしも結婚したら家庭が第一。仕事と家事とを上手く両立させることが、私にとっては1番大切なことである。絶対に、仕事に傾き過ぎないこと。目指すは、万年ヒラ職員。これに尽きる。


 そんな私のデートのお相手は、八田はったしょううし年の26歳で、私と同じく社会人2年目だ。彼は大学院に行ったので、先輩ではあるが、社会人になったのは私と同じ年なのだ。彼は、某大手出版社で編集の仕事をしている。


 翔くんと付き合い始めたのは、私が大学3年生の時。彼は、私の所属したゼミの先輩だった。実は、ゼミに入る前から顔見知りではあった。私は、彼がバイトをしていた喫茶店の常連客だったからだ。でも、お互いをよく知るようになったのは、同じゼミに所属して、同じ教授に指導をしてもらうようになってからである。彼は、みんなに慕われる優しい先輩だった。


 男女を問わず、先輩後輩を問わず、誰からも好かれていた翔くんと、いたって普通の私が付き合うことになった時、私の周りは多少ザワついたようだ。でも、すごく嫉妬されるとか、嫌がらせを受けるということはなかった。やっぱり、大学生って大人なんだな…。


 このところ翔くんの仕事が忙しかったので、私たちは、なかなか会うことが出来なかった。連絡を取り合うこともとどこおるくらい、彼は忙しそうだった。学生時代に付き合い始めてから、こんなにすれ違ったことは1度もなかったので、私は寂しい気持ちでいっぱいだった。恋人同士だもの。すぐ近くで存在を感じたい。体温を感じたい。


 だから、久しぶりに翔くんからデートの誘いがあった時は、とても嬉しかった。何だかかしこまった様子で「大事な話があるから」と言われて。しかも、「駅の改札で会おう」という気軽なスタイルではなく、落ち着いた雰囲気の素敵なカフェでの待ち合わせとなったのだ。これは、ちょっと期待してしまう。ひょっとしたら、されるのかな…プロポーズ……!


 私たちは付き合い始めて4年目になる。実は、これまで2人の将来について深く話したことはなかった。でも、それは『まだ学生だから』とか『まだ仕事に慣れていないから』という状況にあって、お互いに変なプレッシャーを与えたくなかったからだと思っている。2人とも、社会人として仕事をしっかりと続けていきたいという点では一致していたし。


 それでも、そろそろ『結婚』について考えたいと、私は思っていた。翔くんと私の付き合いは、単なる学生時代の楽しい思い出とはならなかったから。大学を卒業した後も2人の恋心は冷めなかったし、お互いを思いやる心が深まっていくのを感じていた。20歳過ぎてからの3年余りの恋愛って、誰もがその先に『結婚』を思い描くと思う。私だけじゃないよね。


 待ち合わせの約束をした喫茶店に到着した。私は、はやる気持ちを抑えつつ店のドアを開けた。

「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」

 店内を見渡すと、翔くんはまだ来ていないようだった。


 どこの席にしようか…。大事な話をするのだから、奥の方の静かな席が良いなぁ。

 そう考えて奥の席に目を向けると、意外過ぎるモノが視界に飛び込んできてぎょっとした。

 あれに見えるは『うさこちゃん』?


 うさこちゃんとは、私の所有するウサギのぬいぐるみである。6歳の誕生日に父方の祖父から贈られた物で、子供の頃からずっと大切にしてきた。うさこちゃんは、職人さんによる手作りの特注品なので、持ち主の私が他のぬいぐるみと見違えることは絶対にない。絶対に。

 私は、小走りで、うさこちゃんの座っているテーブルに向かった。

 

 近くで見ると、やっぱりそのぬいぐるみは『うさこちゃん』に間違いなかった。

「どうしてこんな所にうさこちゃんが…」

 思わずそうつぶやくと、うさこちゃんの可愛い瞳がキラリと光った…!


「どうしてだと思う?ありさ」

「…!!」


 うさこちゃんが、言葉を発した…。信じられないけど、嘘みたいだけど、うさこちゃんが人間の言葉をしゃべった…。これって、ひょっとして、私が毎日のようにうさこちゃんに話しかけていたから、遂にぬいぐるみのうさこちゃんに魂が宿ったってこと?そうなの?だったら、すごく嬉しいな。


「ありさの頭の中ってお花畑なの?そんなことある訳ないじゃん。ピノキオじゃあるまいし」


 ぬいぐるみのうさこちゃんが苦々しげにそう言った。

 私の思い描いていたうさこちゃん像と、あまりにもかけ離れているその態度とその口調。

 私の中のうさこちゃんは、可愛くて優しい、ふわふわの女の子なのに。


 不服そうな私の様子を見て、そのぬいぐるみが不敵な笑みを浮かべた。


「うさこの様子がおかしいって顔に書いてあるよ、ありさ。おあいにくさま。今のボクはいつものうさこじゃない。ボクの名前は『パニ』っていうんだ」

「えっ?うさこちゃんじゃないの?『パニ』って誰?うさこちゃんは家にいるってこと?」


 はぁ〜、と長いため息をいた後、ぬいぐるみは私に説明し始めた。


「手短に言うと、肉体は『うさこ』で精神は『パニ』ってこと。だから、家にうさこはいない。ありさの目の前にいるウサギが、『うさこ』であり『パニ』である…わかった?そんなことよりもさ、何でパニがここにやって来たのか、その理由を考えて欲しいな」


 うさこちゃんの肉体を持つ『パニ』と名乗るぬいぐるみが、わざわざ私のデートの邪魔をしに来た理由…。そんなものわかる訳ないじゃない。そんな奇妙な考え事なんかしたくない。早く翔くん来ないかな。


「…わかった。ヒントをあげるよ。フランス語でウサギは何と言うんだっけ?ありさ、大学の第2外国語で勉強したからわかるでしょ」

うさぎ年だから覚えてる。【 Lapin(ラパン) 】でしょ?」

「その通り。じゃあ、ウサギのボクがここにいるのはどういう意味?フランス語の表現であるよ」


 ウサギという単語を使った表現は、たった1つだけ覚えている。でも、今のこの状況には相応ふさわしくないから、正解ではないだろう。早く翔くん来ないかな。


「わからない。もう、フランス語の勉強はしてないし」

「【 poser(置く)】という単語を使うんだよ、ありさ」

「それは絶対に有り得ない。大事な話があるからって、翔くんが言ったんだから!」


 思わず、私は声を荒げてしまった。そんな私を見て、パニはにんまりと笑う。

「何だ。わかってるんじゃん。言ってごらんよ。怖がらずに」

 私は渋々答えた。

「【 poser un lapin 】(約束をすっぽかす)」

「その通り。ありさ、翔は来ないよ。だから、ウサギのボクがここに置かれたんだ」


 私は、頭の中が真っ白になってしまった。すっぽかされただなんて。そんなことって…。大事な話があるって、翔くんが言ったのよ。


「ありさ、翔は、今どこかに閉じ込められているんだ。だからここには来られない。ねぇ、翔に会いたいでしょ?ボクが協力するからさ、一緒に翔を救出しよう」


 いきなり目の前に現れた『パニ』の言葉なんてにわかに信じることは出来なかった。でも、実際、翔くんはいつまで待ってもやって来ない。パニの言うように、どこかに閉じ込められているのだったら、一刻も早く助けなきゃ。でも、翔くんを救うために何が出来るのか、私には全く見当がつかない。


「ありさ、翔を見つけるにはパスワードが必要なんだ。これから、翔やありさにゆかりのある人と一緒にお茶を飲んで話を聞く。すると、別れ際に言葉をくれる。その言葉たちを集めていくと、パスワードにたどり着けるという訳さ」

「お茶を飲んで話を聞くだけでいいの?でも、誰に会えば良いのかが分からないわ」


 パニは、胸を張って自信に溢れた表情でこう言った。

「ありさ。その辺のことはさ、このパニに任せてくれれば大丈夫。ボクのパワーで何とかするからさ。一緒に翔を助けよう」


 翔くんを救出するため、そして、翔くんの大事な話を聞くため、私はパニと一緒に言葉探しをすることにした。それにしても、ウサギと一緒にお茶を飲むって、まるで…。





 


 

 


 

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