第38話 王子
大神殿を訪れた翌日。
暇を持て余していた可憐は、王宮の広い庭園を散歩していた。
是非私に庭園をご案内させてくださいという青騎士団長の申し出を丁重に断り、セーラとともにぶらぶらと庭を歩いている。
計算しつくされたかのように整えられた庭園は美しいが、あまり心を動かされない。
庭だけにとどまらず、王宮の雰囲気が自分に合っていないという自覚があった。
そんな可憐の気持ちを感じ取ったのか、セーラが「街へ行ってみませんか?」と提案してくれる。
「街かぁ、いいね」
「はい。カフェでコーヒーを飲むのなんてどうですかぁ?」
「コーヒー飲みたい! 王宮は紅茶が多いんだよねー。じゃあさっそく行こっか」
「はぁい。じゃあ外出届だけ出して……」
セーラが不自然に言葉を切る。
何事かと思ったが、すぐにその原因がわかった。
少し先にある大きな木に背を預けて格好つけている男がいるのだ。
しかも可憐が一番会いたくない人物。
(うわ。見なかったことにしよう)
可憐は隠しもせずため息をついた。
「何か御用でしょうか、殿下」
仕方がなしに振り返る。
王子はそれには答えず、無遠慮に可憐を眺めた。
「ふん……当初とはまるで別人だな。まさかこんなに美しくなるとは。それも女神の力か?」
「そういうわけではございません。御用がないようですので、これで失礼いたします」
「待て、用はある! 聖女カレン、そなたを側室に迎えたいと伝えに来たのだ!」
「……はい?」
あまりに突拍子もない話に、可憐は眉根を寄せる。
王子は自信満々に笑みを浮かべた。
「正妃でなくて不満か? だがそれだけは無理なのだ。私には婚約者がいるからな」
セーラが後ろで小さく「えぇ……?」と漏らす。
(初対面であれだけコケにした相手を妻、しかも側室に迎えたいと言って受け入れてもらえると本気で思っているの? 頭の中どうなってるの?)
可憐は呆れすぎてとっさに言葉が出てこない。
そんな可憐を見て、王子は爽やかな笑みを浮かべた。
「面倒な公務は正妃に任せて贅沢な暮らしを享受できるのだ。悪い話ではあるまい?」
「悪い話です。お断りいたします」
にべもなく断られ、王子が目を見開く。
「なんだと!? なぜだ!」
「なぜって……失礼すぎる殿下のことがこれっぽっちも好きではない、むしろ嫌いだからです。逆になぜ私が受け入れると思っていたのか理解できません」
そこまで言われても、王子は傷つくどころかニヤリと笑う。
さすがに薄気味悪く感じた。
「そなたの気持ちは関係ない。私がそなたを欲したのだ、そなたはただ私の側にいればいい。断るというのなら、どこまででも追い続けるぞ。王子としての権力を使ってな」
その言葉に、可憐はため息をつく。
(結局この男は私を一人の人間として見ていないし、本気で好きなわけでもないんだ)
だから嫌いと言われても傷つきもしない。
この国では珍しい黒髪のスレンダー美人が手に入りさえすればそれでいいから。
聖女という立場も、結界強化が終わった今、お飾りの称号程度に思っているのだろう。
国王は強引なところはあれど悪い人間ではないが、その息子はまるでダメだな、と思った。
「聖女に強引な真似をすれば、陛下が黙っていないでしょう」
「父上は最近体調が
扱いやすいからでしょうね、とは思っても言わないが。
全然めげない王子に可憐は辟易した。
「とにかくお断りします。聖女を強引に側室にしたとなれば、殿下の評判は地に落ちるでしょう。ご
それだけ言って王子に背を向け歩き出す。
王子にはこれ以上何を言っても無駄なので、国王に相談しようと思った。
セーラも守るように可憐のすぐ後ろにつく。
「待て! どんな手段を使ってでも絶対に私の側室になってもらうぞ!」
背後から声が迫ってくる。ちらりと後ろを見ると、可憐に向かって手を伸ばしながら近づいてきていた。
あまりのしつこさに苛立ちがつのり、王家ともめるリスクを冒してでも聖女パンチをかましてやろうかと振り返ったその時、黒い何かが視界を遮った。
王子から守るかのように可憐を背にしているのは、ジーク。
可憐の胸が高鳴った。
「……ジークさん」
「団長ぉ」
王子が小さく舌打ちした。
「何をしている。どけ」
「どきません。嫌がる聖女様を追いかけ回すとは何事ですか」
「貴様、騎士団長ごときが生意気な! 下がれ!」
そう言われても、ジークは微動だにしない。
王子を見下ろすジークの表情は可憐からは見えなかったが、後ろ姿にさえ迫力がある。
周囲を見回すと、物陰に数人、青騎士がいた。
大ごとになりそうな気配に、さすがに焦る。
(このままだとジークさんやセーラに害が及ぶかもしれない)
可憐は、意を決した。
ジークの腕にそっと手を置く。大丈夫だというように。
振り返る彼の目を見て、うなずいてみせる。
可憐に何か策があるのだと感じ取ったジークは、固く握りしめていた拳をほどいた。
「殿下。本気なのですね。本気で、私が欲しいと」
「ん? あ、ああ、そうだ」
「左様ですか」
ジークの横をすり抜け、王子の前に立つ。
可憐が浮かべる妖艶とすら言える冷たい微笑に、王子は見とれた。
(王子の言う通り、いつまでも今の国王が健在だという保証はない。私がどれほど拒んでも、ジークさんや黒騎士たちを権力で追い込んで脅しの材料に使ってくるかもしれない。それなら)
もう一歩、王子に近づく。
王子が息をのんだ。
(王子自ら諦めるように仕向ければいい)
可憐が、不敵な笑みを浮かべた。
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