第37話 めげない男


 完全に、足が止まる。

 初めて男性にそんなことを言われた可憐は、激しく動揺していた。


「こんな状況で突然申し訳ありません。ですが、私があなたと二人きりになれる機会など、もう二度とないかもしれませんので」


 無視して足を進めることも振り返ることもできない可憐の前に、アンドリューが立つ。

 

「……アンドリュー卿」


「子爵家のことはもう関係ありません。あなたが聖女であることも。私はただ、あなたという一人の女性に惹かれているのです。今、私に対して男としての興味がないのはわかっています。だから、どうか私に機会を与えていただけませんか」


「機会?」


「私がどういう男かを知っていただく機会です。私はもっとカレン様と色々と話がしたいのです」


 広い神殿内が再び静寂に包まれる。

 しばし考え込み、可憐は顔を上げた。

 言葉を待つアンドリューは、どこか苦しげな表情をしている。


「アンドリュー卿。それは……できません。あなたはとても魅力的な男性ですが、そんなあなたについてこれ以上知っても、私の気持ちは揺るがないからです」


 その言葉に、彼が苦い微笑を浮かべた。


「ごめんなさい。あなたの気持ちに応えることはできません。私は……」


 可憐がその名前を口にする前に、彼の人差し指が唇にあてられる。

 驚いて、可憐は黙った。


「どうかその名は言わないでください。わかっていても、今は聞きたくはありません」


 彼が指を唇から離す。


「……ごめんなさい」


「謝罪なさらないでください。すべて承知の上でしたから。それでも、わずかな可能性に賭けずにはいられなかったのです。それほどまでにあなたに恋焦がれていますから」


 ストレートな言葉をぶつけられると、やはり動揺してしまう。

 これ以上ここにいるのは心臓がもちそうになかった。


「私はこれで失礼しますね。セーラが待っています」


 そう言って彼の横を通り抜けようと歩き出したが。


「このまま……あなたをどこか遠くに連れ去ってしまいましょうか」


 すれ違いざまに聞こえた不穏な言葉に、ぎくりとする。

 だがその動揺を隠し、可憐は笑みを浮かべた。


「アンドリュー卿はそういう人ではないと信じています」


 ふ、と彼が笑った。


「本当にあなたには敵いません。いい男にも悪い男にもなりきれない男にはふさわしい結末です」


 そう言って彼は、体ごと振り返って再び可憐を先導するように歩き出す。


「振られたからには、身を引かなければなりませんね」


「……」


 申し訳なくて、なんと返事をしていいかわからなかったが。


「あなたが既婚者となったそのときに、正式にあなたを諦めようと思います。人妻を狙うつもりはないので」


「……はい?」


 間の抜けた声を出してしまう。

 つまり、今はまだ諦めるつもりはないということ。

 彼は振り返り、にこりと笑った。


「強引な手段を取ったりあなたの恋を妨害したりすることはないのでご安心ください。ただ、この先、あなたの気持ちが変わることがないとも言い切れないでしょう。真面目な男ではなく陽気で楽しい男と付き合ってみたくなったら、是非お声をお掛けください。いつでもお待ちしております」


「ア、アンドリュー卿」


「ああ、もちろんデートだけでも喜んで承ります」


 では、と笑顔で扉を開ける彼を理解しきれず、混乱したまま大神殿から出る。

 門のところで待っていたセーラは、可憐に気づくとすぐに駆け寄ってきた。

 そのまま馬車に二人で乗り込む。


「ずいぶん待たせちゃってごめんね、セーラ」


「全然ですよぉ。……ところで聖女様、何かありましたか?」


「えっ!?」


 セーラの言葉に、思わず上ずった声を出してしまう。

 そんなにわかりやすく動揺した顔をしていたのか、と思った。

 彼女はそれ以上何も言わず、ただ可憐の言葉を待つ。


「ううん、特に何も」


「そうなんですね。わかりましたぁ」


 セーラがあっさり引き下がる。

 もしかしたら何か察しているのかもしれないと思いつつも、セーラがそれ以上言及してこないので、可憐はこっそり安堵の息を吐いた。


「あ、そうだ、団長ですけどぉ」


 団長、という言葉にドキッとする。


「ジークさんが何か?」


「明後日くらいから少しずつ時間があきそうだって今朝言っていました~」


「そうなんだ」


「それまでにやりたいことやどこか行きたいところがあったら、お気軽にお申しつけくださいね。どこまでもお供しますよぉ」


 セーラの明るい笑顔にほっとする。


「ありがとう、セーラ。あなたがいてくれてよかった」


「えへへー、そう言っていただけてうれしいですぅ」


 セーラと話すほどに、心が落ち着いていく。

 王宮までの短い道のり、二人は馬車の中でずっとおしゃべりに興じていた。 


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