第28話 アンドリューVS黒狼


 可憐とジークは戦いの邪魔にならないよう、神殿の入り口近くまで下がる。

 アンドリューはその可憐たちと距離をとるように、さらに前に出た。


「カレン様にいいところを見せられる数少ないチャンスだ。遠慮なく狩らせてもらうぞ」


 アンドリューの剣が、白い冷気を帯びる。


『グルル……』


 黒狼が低く唸る。

 そして凄まじいスピードで走り出し、アンドリューへと牙をむいて襲い掛かった。

 アンドリューは横に飛びのいて華麗に避けつつ剣で斬りつける。ひるがえった外套がいとうと鮮やかな身のこなしが闘牛士を彷彿とさせた。

 一方の黒狼は、血の代わりに黒いもやが噴き出したもののたいしてダメージを受けた様子はなく、ぐるりと彼のほうに向き直る。


「……なるほど。硬いなこれは。剣気を使ってこれか」


 黒狼がフェイントのように左右に素早く動きつつ、再度襲い掛かった。

 ギリギリまで引きつけたせいで鋭い爪で外套を破られたが、今度は横っ腹を斬りつける。

 先ほどよりは深く入ったものの、黒狼は倒れることなくすぐに振り返り牙をむいた。

 アンドリューがぐっと身を低くする。

 そして襲い来る黒狼を身軽に飛んで躱し、器用に空中で体をひねって黒狼の背に乗ると同時に、首のあたりに白く輝く剣を突き刺した。


『グオオオオッ』


 黒狼が叫び声をあげ、滅茶苦茶に首を振る。

 アンドリューは黒狼に乗ったまま突き刺した剣を抜こうとしたが、頑丈すぎる体に深く刺さった剣は一向に抜けず、前脚を振り上げ大きく体をしならせた黒狼に振り落とされてしまった。

 空中で体勢を変えて転ぶことなく着地したものの、彼の手に長剣はない。

 アンドリューが小さく舌打ちして腰の後ろの短剣を抜くのと、剣が刺さったまま半狂乱になった黒狼が目の前に迫るのは同時だった。

 黒狼はアンドリューを押し倒し、大きな口で噛みつこうとする。

 彼は押さえつけられたまま、脚で黒狼の下顎を押し上げることでかろうじて噛みつかれるのを防いだ。


「……!」


 可憐が息をのむ。大声で叫ばないのがやっとだった。

 押さえつけられているアンドリューの左腕から、じわじわと出血している。

 黒狼の左前脚による引っ掻き攻撃を逆手に持った短剣で防いでいるが、仰向けに倒れたままの体勢では防ぎきれずに傷が増えていく。

 首を振る黒狼の顎をなんとか押さえ続けているが、あの脚が外れればおしまいだと思った。


(どうしよう、アンドリュー卿が食い殺されてしまう……!)


 手を出せば失格。

 だが、このままでは、たとえ死なないまでも大けがをしてしまう。

 それなら、たとえ失格になろうとも魔獣に特効がある聖女パンチで助けたほうがいいのか。

 そう迷う可憐の前に、ジークが遮るように腕を出す。


「手をお出しになりませんよう。ここでカレン様に助けられれば、アンドリューの騎士としての誇りは打ち砕かれます。それは騎士にとって、命を失うも同然です」


 戦いから目をそらさずジークが言う。

 初めて聞く、厳しさを含んだ彼の声。

 可憐は、自分がいかに愚かなことをしようとしていたか思い知らされた。

 女神は最低限、命を保証してくれている。

 そんな状況下で、騎士の誇りをかけた“一騎討ち”に手を出せば、アンドリューの心をひどく傷つけることになる。


「……ごめんなさい。動揺のあまり、馬鹿なことをするところでした。止めてくださってありがとうございます」


 そう言う可憐を振り返るジークは、いつも通り穏やかな笑みを浮かべていた。


「馬鹿なこととは思いません。アンドリューに傷ついてほしくないと思うカレン様のその優しさは尊いものです。ただ、今はあいつを信じて見守ってやってください」


「わかりました」


 アンドリューに助力を頼んだ以上、信じて見守るのが務めなのだ。

 可憐は拳を握りしめ、顔を上げてアンドリューを見る。

 まだ膠着こうちゃく状態が続いていた。

 剣が刺さったままの黒狼は、そこから黒いもやが出ているもののまだ弱る様子はない。


「このままではらちが……明かないな……っ」


 そう言うアンドリューの口元には、笑みさえ浮かんでいる。

 彼は間をとるように短く息を吐くと、黒狼を押さえるために伸ばしていた脚を素早く縮めた。

 顎を押し上げていた足が急になくなってつんのめる黒狼のその下顎を、アンドリューが思い切り蹴り上げる。

 そしてよろける黒狼の胸元の毛を引っ掴み、その腹の下に滑り込んだ。

 短剣が冷気でまばゆいほどに白く輝き、ありったけの剣気を込めた一撃が黒狼の腹に深々と突き刺さる。


『グオォォォォッ』


 さらにそのまま胸元まで切り裂き、素早く黒狼の下から転がり出る。

 黒狼はよろよろと二・三歩足を進めたものの、力尽きたようにどさりと倒れこんだ。

 裂かれた腹から黒いもやが流れ出し、少しずつ狼の形を失っていく。

 やがて、完全に姿が消えた。

 短剣を構えていたアンドリューが、ようやく手を下ろして大きく息を吐いた。


「普通の狼と同じく腹側が弱くて助かった」


 短剣と床に落ちていた長剣を鞘に収め、アンドリューが乱れた髪をかき上げる。

 そして可憐たちの元へとゆっくりと戻ってきた。

 肩や腕から出血しているが、痛そうなそぶりも見せない。

 そうして可憐の前に立つと、いつも通りの甘い微笑を浮かべた。


「華麗なる戦いではなく泥臭い戦いになってしまいましたが、カレン様に勝利を捧げることができてよかったです」


「アンドリュー卿、ありがとうございます。今、傷を……」


 そう言って伸ばした可憐の手を、アンドリューが優しく掴む。

 ジークがぴくりと体を震わせた。


「いけません。カレン様はこれから試練を控えておられるのですから、力を温存しておかなければ」


「では、せめて外に出て手当てを受けてきてください」


「たいした傷ではありません。カレン様の麗しい手に触れたので、痛みなど吹き飛びました」


 手を握ったままのアンドリューにジークが何か言いかけたそのとき、女神の『オ~ホホホ』という高笑いが聞こえ、可憐は驚いて手を引っ込めた。


「カレン様?」


「あ、女神様の声が」


『見事な戦いであった。なかなか興奮したぞ。その騎士に褒美をくれてやろう』


 きらきらとした光の粒が、天からアンドリューへと降り注ぐ。

 アンドリューが驚いて肩や腕を見た。


「傷が……治りました。服の破れや血の跡までも消えるとは」


「女神様のお力です」


「白騎士アンドリュー、女神様に心より御礼申し上げます」


 アンドリューが胸に拳を当てて頭を下げる。


『うむ、苦しゅうない』


 女神が上機嫌に笑った。


「さて、ジーク。私がこの通り勝ったので、お前は無様に負けても構わないぞ」


「馬鹿を言え」


『あーその件じゃが。初戦であっさり勝ってしまったので、やはり全勝を試練クリアの条件としよう』


「ええっ!? 約束が違います! 嘘をつけないんじゃなかったんですか!?」


『嘘をついたわけではない。気が変わっただけじゃ』


「そんな!」


「カレン様、どうかなさいましたか?」


 ジークの問いに、可憐は困ったような顔を向ける。

 そして全勝を試練クリアの条件とされたことを伝えた。


「そうですか。それなら問題ありません。負けるつもりはありませんから」


「ジークさん……」


「ご心配なさらず」


 安心させるように可憐に笑みを向け、ジークは可憐たちから離れた。

 魔鳥がすぅっと空中に現れ、大きく羽ばたく。


 ジークが、ゆっくりと剣を抜いた。





 


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