記憶の鍵

 戦後処理がひと段落と言って良いところまで片付き、叙勲式が行われたのは終戦から40日後のことだった。


 『悠久世界』とは水面下で交渉が進んでいたらしく、停戦合意は既に(非公式ながら)結ばれたそうだ。

 後に、中立地帯での正式な調印が行われるとのこと。


 かくいう俺たちは、戦勝の立役者ということでそれなりの期間『海淵世界』に拘束されることがほぼ確定してしまった。


 具体的には、最低でもあと二ヶ月ほど。


 要するに、二ヶ月くらい割と暇になった。


「会食とか凱旋とかちょいちょい駆り出されるけど、それ以外は基本暇なんだよなあ」


 一ヶ月間は安静に、というお達しもされてしまったため、鍛錬もしばらくはお預け。やることと言えば惰眠を貪るくらいである。


 がしかし、一年半にも及ぶ冒険者生活(その半分くらいサボってたけど)によって規則正しい生活が染み付いてしまってそうもいかない。


「騎士になりたての頃はいくらでもサボれたんだけど……」


 時計塔の屋上に上がる。

 ノアの街並みを一望できるここの屋上は、自動昇降機で行ける展望台から更に階段を使わなくては辿り着けない。

 一段一段、噛み締めるように登る。


 出陣前にも訪れた、ちょうどあの時と同じ。人工太陽がもたらす夕暮れ。

 時計の秒針が刻む音だけが響く静寂で、俺はもう一人の登頂者に声をかけた。


「——ここなら誰にも聞かれないぞ、イノリ」


 しばらく、時間をおいて。


 ギギ……と錆が擦れる音と共に屋上の扉が開かれ、よく見知った俺の相棒が屋上へと登ってきた。


「エトくん、いつから気づいてたの?」


「玄関からだな」


「最初からじゃん!」


「最近、なんか話したそうにしてたからな」


 俺はシャロンの魔法でベンチを生成し、イノリに手招きをする。

 彼女は渋々、しかし確かな足取りで俺の隣に腰を下ろした。

 どこかよそよそしく、イノリは街を見下ろしながら口を開いた。


「なんか、すごいことになっちゃったね」


「そうだな」


「一代限り、なんだっけ? それでも爵位を貰ったなんて」


「全くだ」


「凄いよね。極星と海淵、二つの七強世界から感謝されるなんて」


「ああ」


「アルダートで会った時じゃ、考えられないね。2年も経たずにこんなところに来ちゃって……」


「本当になあ」


「………………」


 イノリが口を閉ざす。

 憂を帯びた横顔。キュッと口元を引き結んだ少女は、無意識の発露か、左の小指が俺の服の裾を引っ掛けた。


「……エトくんは、さ。この後、どうするの?」


 聞きたくない、あるいは知りたくない……そんな感情を窺わせる、恐れを含んだ問いだった。


「リステルはもう、二つの世界の後ろ盾を手に入れたでしょ。『海淵世界』は、恒久的に……ずっと支援してくれるって」


 イノリの言うとおり、恒久的な支援。それはつまり、俺が死んだ後も縁が途切れないことを意味する。


 長い旅路になると思っていた。

 俺も……きっと、イノリも。


「エトくんの目標、達成じゃん? それにエトくん、すごく有名になっちゃったし。だから、この先は——」


 意を決したように拳を握ったイノリが、勢いよく俺の方を振り向いた。


「エトく、」


 振り向いて、シャロンの姿になった俺を見た。


「——なんで変身してるの!!?」


 仰天したイノリが俺の両肩を掴み問い糺す。


「ねえ、私、今大事な話してたよね!? なんで? なんで今笑わせにきたの!? 気づいたら頭身も性別も変わってるのなんで!!?」


「なんでってそりゃ、お前が余計な心配してるからだよ」


 俺は軽く小突くようにイノリの額にデコピンを当てる。


「あたっ!?」


 反射的に両手で額を抑えたその手ごと押さえ込むように、俺はイノリの頭を強引に撫でる。


「終わらねえよ、まだ」


 力強く、断言する。


「約束しただろ、最後まで一緒に走り抜けてやるって」


 俺は、今度はエルレンシアに変身する。


「目立ち具合とか色々気にしてるんだろうけどさ、こうやって衆目掻い潜る方法ならいくらでもある。覚えてるか? 俺、シーナのお守りする時にエルレンシアとして冒険者登録してるんだぞ?」


 懐かしきかな、カンヘル戦の後、金欠でなりふり構っていられなかった時の話だ。


「まだ、お前の兄さんと姉さんが見つかってないだろ? 俺はまだ、お前との旅を終わらせる気はねえよ」


「……そっか」


 すう——とイノリの肩から力が抜けた。

 少女の目尻に、うっすらと涙が溜まる。


「……なんか、さ」


 湿った声でイノリが心情を吐露する。


「エトくんが、すごく遠くに行っちゃったなって。あの〈勇者〉と戦場で戦って生き延びれるくらい強くなって……なんか、どんどん突き放されてるみたいで」


 焦りがあったのだと、無理に苦笑いした。


「よかった。エトくん、ちゃんと覚えててくれて。……ねえ」


 イノリの双眸が、真っ直ぐに俺の目を射抜く。


「おう」


 言葉を受け止める用意をした俺に、イノリは眉をひん曲げた。


「エトくん、いつまで変身したままなの?」


「…………なんか、戻るタイミング見失った」


「普段は嫌がるくせにこう言う時だけ……!」


「お前の言葉遮って戻るのはなんか違うじゃん……!」


「真面目な話をしたいのに……! エトくんがなんか凄いノイズ撒き散らしてくる……!!」


 冤罪だ、と声高に叫ぶことができない俺は変身を解除して、身を乗り出して街を眺める。


「見ろイノリ! あそこで狼煙が上がってるぞ! 多分祭りだ!」


「そんな子供騙しを……いや本当に燃えてるの!?」


 俺が指差した先、街の一角で盛大な狼煙が上がっていた。多分、どデカい火を起こしている。


「連日どこかで勝利祝いで祭りやってるからな。……食べにいくか?」


 俺の提案に、イノリの腹の虫が鳴り響いた。


「……今日は奢られてあげる!」


「よし! それじゃ行くか!」


 立ち上がった俺は生成したベンチを指先で撫でて解体し、ついでにルーシェに変身する。


「——だからなんで変身するの!!?」


「仕方ねえだろ、素顔で出歩くと騒ぎになんだから」


 まさか自分がそんな扱いを受ける日が来るとは思わなかった。

 いや、リステルでも一時期似たようなことはあったが……正直ここは規模が違うのだ。


「それもそっか……」


 納得してくれたらしいイノリは、長い長い階段を降りながら今後の展望に『うーん』と頭を悩ませる。


「兄ぃを探すにしても、方法は考えないとだねー」


「リントルーデあたりに頼んでみるのも手じゃないか?」


「あ、それはもうやってもらってるんだよね。名前と、一応外見も伝えたよ」


 実は事前打診の時に頼んでいた、とイノリは明かす。しかし、捜査の調子は芳しくないらしい。


「外見はもう何年も前の話だから、実質名前だけでの捜索になってるみたいなの」


「それは……キツイな」


 いくら七強世界と言えど、名前一つで特定の個人を見つけるのは至難の業だ。

 まさか他世界の戸籍を漁るわけにもいかない。そもそも、イノリは自分がいた元の世界の名前を知らないのだ。捜索は困難を極めるだろう。


「となると、やっぱ自分の足で探すのが一番良いのか……前、写真があったろ? ああいう手がかりになりそうなものってないのか?」


 イノリは、またも『うーん』と唸り声を上げた。


「あそこまで直接的なのは思い当たらないなあ……強いて言えば、兄ぃの着てる服かな?」


「服? そんなの目印になるのか?」


「うん。兄ぃ、すごくこだわってたから」


 訝しむ俺に、イノリはボロボロの写真を取り出して俺に見せる。


「ほら、私の右にいるのが兄ぃなんだけど……このコート。凄いボロボロでしょ?」


 イノリが指の先、彼女の言うとおり、顔を確認できない推定男性が着た真っ黒なコートは、裾どころか腰の丈あたりまでボロボロに破けていた。


 ——チクリと、脳の奥が疼いた。


「これ、貰い物らしいんだ。兄ぃ、すごく大切にしてたから……きっと、ボロボロでも、今も着てると思うの」


「そう、なのか」


 揺れる黒いコート。

 フードの暗がりから覗く視線。

 追いかけることができなかった、雑踏に消える後ろ姿。


 ——ズキズキと、脳が痛み悲鳴を上げる。


 思い出を懐かしむように微笑むイノリの横顔が、ふと疑問に変わる。


「エトくん、どうしたの? 元に戻って……具合悪いの?」


「俺が性転換することが当たり前みたいな論調やめろ。いや……なんか、忘れてるような」


 記憶の、記録の奥底を刺激されるような。

 何か、メスが入れられているような。


「本当に大丈夫? 顔色悪いよ? ……お祭り、今日はやめとく?」


 よほどひどい顔をしているのか、イノリは心配そうに俺を見つめる。


 記憶が、蓋が。


『——お前が守れ、エトラヴァルト』


 今、割れる。


 ほんの一瞬、俺の全身から銀の奔流が吹き出し螺旋階段を激しく揺らした。


「わっ——!? なに? 敵!?」


 突然魄導を放出した俺に驚き、イノリは腰から短刀を抜き放った。

 俺はその手を掴み静止を図る。


「——いや、違う。ちょっと……洗脳を解いてた」


「せんの……どういうこと?」


 困惑するイノリに、俺は深呼吸を一つ。

 頭痛を収め、正しい記憶を伝える。


「会ってたんだ、俺」


「エトくん……?」


「『羅針世界』だ。イノリ、覚えてるか?」


「え、あうん。確か『極星世界』の窓口だったよね?」


 頷く。

 頷いて、もう一度。自分の記録に齟齬がないことを確かめる。


 ——もう、間違いようがなかった。


「あそこだ! 俺はあの世界で……お前の兄貴と! シンと会ってたんだよ!」


「兄ぃと——」


 ゆっくりと。

 言葉の意味を噛み砕いたイノリの両目が、真ん丸に、精一杯見開かれた。


「——へ? え、その。…………うえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!?」








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これにて第七章、完結です。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

面白い、続きが読みたい、早く次を書け等思ってくださった方、是非ブックマーク、評価(青い星)、感想をお願いします。作者のモチベに繋がりますので是非……!



それでは次章でまたお会いしましょう。

第八章『ネバーランドへ連れてって』、暫しお待ちいただけると幸いです。

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