宿主のはなし

 ——そも、“概念”とは。

 辞書的な説明をするなら、物事の共通項を抜き出した特定の意味だろうか。


 そして“概念保有体”は、有する“概念”に関わる事象に関してほぼ無制限の干渉権を有する。


 ノルンであれば水、ラルフが交戦したらしいシャクティならば音など、彼らは自在にそれを操り、干渉する。

 なのでそこから導き出される答えとして、“記録の概念保有体”となった俺は、“記録”という事象に精通することになるのだが……今回の議題はそこではない。


「ズバリ、そもそも“概念”とはなんなのか。わたしたちはここを徹底的に掘り下げるべきです」


 前提として、ストラは“概念”を力の単位とみなして今後の議論を進めようとしていた。


「って言ってもさ。私たち、概念に関して知ってる事なんて殆どないよね?」


 イノリは難しい顔で予備知識が足りなすぎると唸る。


「正直、議論のしようがないというか……」


「そんなことはありません。実のところ、私たちはかなり前から“それ”について知っていました」


「と言うと?」


「《終末挽歌ラメント》です」


 ストラは心底嫌そうな表情を浮かべその名前を挙げた。


「エト様、覚えていますか? アイツが“歪曲”と“再演”を『剥がした』と自白していたこと」


「そういえば、そんなこと言ってたな」


 ストラに言われて、『花冠世界』で初めてアイツと顔を合わせた時のことを思い出す。

 グレイギゼリアは確かに、アルラウネの改造に何かを付与していたことを仄めかしていた。


 加えて、“再演”を『剥がした』という発言。あの時は意味がわからなかったが、アレが“概念”を指しての文脈なら、何かしらの辻褄が合う。


「つまりアレか。ストラは“概念”それ自体が単一の力として存在していて、それを有するものが“概念保有体”と呼ばれていると?」


「はい、そう定義すべきかと。いえ、これ自体は少し考えればわかるのですが、重要なのはこの前提を共有しておくことです」


 俺の言葉に頷いたストラは、紙の上にスラスラと情報を書き加えていく。



・“概念”はそれ自体が独立した力

・その力を何らかの手段・きっかけで宿した“もの”を“概念保有体”と呼ぶ



 まとめられた情報とイノリが睨めっこをする。


「うんと、要するに〈勇者〉アハトは“剣の概念”を宿した“概念保有体”。ノルンさんは“水の概念”を宿した“概念保有体”……豊穣の地は“豊穣の概念”を宿した“概念保有た……土地?” みたいな感じ?」


「ものすごく言葉遊びの領域ですが、“そうです”と断言しておきましょう。仮定でもある程度下地を固めないと予測すら立ちません」


 なんとも頭痛のする話である。

 三人揃って顰めっ面を突き合わせる中、俺はふとここにいない約一名の存在を思い出した。


「あれ、そういやラルフが見えないんだが」


「あ、ラルフくんなら戦後はずっと本城の方にいるよ」


「そうなのか」


「うん。『王子としてやることがあるから。エトが起きたら宜しく伝えておいてくれ』って」


「なら、後で顔見せに行かないとな」


「エトくんの顛末聞いたらひっくり返るだろうねー……っとと、話戻さないと!」


 脱線しかけた話題をイノリが引き戻す。

 再び気まずい沈黙が流れることを覚悟した俺だったが、そのタイミングでストラが切り出した。


「……恐らくですが、“概念”と“保有体”は一対一の関係と見るべきでしょう。〈勇者〉しかり、ノルンさんしかり。一つの宿主に一つの概念——これが原則であると」


「……その仮定でいくと、《終末挽歌ラメント》はそれを逸脱しているな」


 俺たちが知るだけで最低でも三つ。蒐集、歪曲、再演……奴は三つの概念を所有している。


「そうですね。そして、エト様も例外に当てはまるかと」


「俺も?」

「エトくんも?」


 予想外の指摘に、俺とイノリはきょとんと目を丸くした。

 ピンとこない俺たち二人に、ストラは図解も用いて説明する。


「はい。先に言ったように、概念と保有体が一対一の関係を基本とするなら、今のエト様は明らかに基本から逸脱しています」


 一呼吸おいて、ストラはキリッとした表情で続ける。


「先の定義に依れば、《英雄叙事オラトリオ》とエト様と“記録の概念”はそれぞれが独立した存在です。しかし、元々は《英雄叙事オラトリオ》が“記録の概念”を宿していました。では、今は——誰が何を保有している状態なんでしょうか?」


「そういうことか……」


 宿主と呼ぶべき存在が二人いる——これは定義から逸脱する問題である。


「エトくんの主観だとどうなってるの?」


 イノリの問いに、俺は暫し考え込むように唸った。


「ん〜、ぶっちゃけ認識面での変化はないんだよな。元々|英雄叙事《オラトリオ》とは繋がってたわけだし」


 強いて言うなら、その繋がりがより密接になったと言うべきか。


 しかし現実問題、俺の魂は《英雄叙事オラトリオ》と同化した。これは心象風景の変化や《英雄叙事オラトリオ》の出力からわかる明確な変化だ。



 俺の魂と《英雄叙事オラトリオ》。

 以前、シャロンは二つの力の源泉があると話した。だが今、その二つは一本化されて巨大な一つの泉となった。


 前は《英雄叙事オラトリオ》へと道を切り替えなければ使えなかったシャロンたちの力を、アハトとの戦いで我が身のように扱ったのがその確かな証拠だ。


「俺自身が“記録の概念保有体”になったのは間違いない。今は、『俺が“記録”だ』と断言できる。


 俺の言葉に、ストラは『やはり』と呟いた。


「実は2日ほど前に、ノルンさんに“概念保有体”について尋ねてきました。情報の後出しになって申し訳ありません」


 律儀にお辞儀をしたストラに、俺は目線で続きを促した。


「わたしは以前から定義付けに迷っていました。《英雄叙事オラトリオ》は“記録の概念”なのか、“記録の概念保有体”なのか」


「それって力そのものなのか、その宿主なのか、どっちなのか〜みたいな話?」


 いよいよ言葉遊びが本格化してぷすぷすと思考回路をショートさせ始めたイノリが眉をひん曲げながら問うと、ストラは『その通りです』と頷いた。


「なので、その疑問を解消するためにノルンさんに認識面での話を伺ってきました。結論から言うと、ノルンさんは『自分こそが“水の概念保有体”だ』とおっしゃいました」


「それが大事なの?」


「はい。イノリ、思い出してみてください。これまでエト様は『《英雄叙事オラトリオ》を所有している』とは言っていましたが、『自分が概念保有体だ』という認識は持っていませんでした」


 ——あ、とイノリが声を洩らした。


 ストラの言うとおり、俺は過去、《英雄叙事オラトリオ》の所有者である自認はあったが、“概念保有体”であるという確信はなかった。


 だが今は違う。俺は、胸を張って『俺こそが“記録の概念保有体”だ』と言えるのだ。


 つまり、ここには無意識下で認識が激変するほどの変化があったのだ。


 ストラはなおも続ける。


「つい先ほど、エト様は自分を“記録”の持ち主だと断言しました。つまり、宿主の変化……最低でも主導権の移譲があったことは間違い無いでしょう」


「私の相棒がどんどん人間離れしていく件について」


 言い逃れのしようがない俺はイノリのジト目から逃げるように顔を背けた。


「——コホン」


 そんな俺たちに、ストラは咳払いで『続けますよ』と暗に告げる。


「さて、ここまでが。本命はここから……《英雄叙事オラトリオ》とは、元々何だったのでしょうか?」


「何って……“本”じゃないの?」


 そう答えたのはイノリ。


「本の形してるし、力を使う時にはバラバラページが出てくるし」


「そうですね。わたしもそう思ってました」


 まるで、今はそうじゃないとでも言いたげな表現だった。

 ストラは俺の胸に視線を遣る。


「エト様。今、《英雄叙事オラトリオ》を出すことはできますか?」


「できるぞ、ほら」


 俺は何の躊躇いもつっかえもなく、胸から一冊の本を出現させる。

 目立った外見的変化はなく、強いて挙げるなら中に俺のページが追加されたことだろうか。


「なにか、前と変わったことは?」


「特に無い。前より取り出しやすくなったくらいだな」


 頷いたストラは暫く無言を貫き、その後、言葉を選ぶように口を開いた。


「思ったんです。《英雄叙事オラトリオ》は、あまりにも“多芸”すぎると」


「「多芸……?」」


「はい。所有者の人生の記録、その仮定で魂の一部が焼き付く、所有者の能力の発露……ここまでならおよそ理解できます。ですがそもそも、《英雄叙事オラトリオ》が所有者を選ぶという行為自体が“記録”という字義から逸脱しているとは思いませんか?」



 その時、俺は不思議な納得を感じた。


 何故かはわからない。ただ、今まで漠然と『そういうものだ』と受け入れてきたものの輪郭が朧げながら見えた気がしたのだ。


「……ストラは、もう仮定を持ってるんだな?」


 頭から煙を上げてギブアップしたイノリに冷えたお茶を注ぎながら、ストラの返答を待つ。


「——はい。わたしは、《英雄叙事オラトリオ》は元々一つの生命体だったと予測します。この場合の生命体とは人間ではなく、セタスのような幻想生物、ないし“精霊”のような神秘的存在が該当します」




◆◆◆




 ——精霊。

 人間、魔物、幻想生物……そのいずれとも異なる“神秘”に属する生命体。

 定型を持たず、その存在は曖昧。探しても見つからないとすら言われるほど。


 彼らが生存する条件は“未知”であることとされている。


 なお、未知が既知にすり替わった時点で死んでしまうわけではなく、『力を削がれる』と言うべきだろう。


 名付けを得ることで力を増す数多と対を成す、“秘密”であることが力となる特異な命。


 精霊たちは自分たちで力を行使することはなく、ものないし、生命体に対して“加護”を授ける。


 ちょうど、『湖畔世界』フォーラルで俺とイノリが借りた“耐寒マント”は“熱の精霊”の加護を受けたものだったりする。


 多くの世界で精霊は力を削がれた。

 現代において全盛とは程遠くとも十全な力を扱えるのは、七強世界がひとつ、『幻窮世界』リプルレーゲンで揺蕩う精霊くらいなものだろう。


「……と、《英雄叙事オラトリオ》で得られる知識はこんなものか」


 俺が目覚めるまで交代制で看病をしてくれていたイノリとストラは、話がひと段落ついた時点で眠気の限界がきていた。


 二人を寝かせた俺は一人、《英雄叙事オラトリオ》の記録を読み漁るに至る。


「——珍しいねえ、あんたが自発的に調べ物なんて。レゾナ以来じゃないかい?」


「そんなことないだろ……ないよな?」


 図書館のような姿に変化した心象風景の中。


 いつの間にか背後の読書スペースで腰掛けていたエルレンシアのからかい口調に俺は不安げに確認する。

 エルレンシアは『さあ?』と肩をすくめた。



 記録の概念保有体らしく、歴代所有者の知識の集合知はそれなりの戦果を俺に齎した。


「前よりも調べやすくなったな……なんか、情報が近い」


「あんたが《英雄叙事オラトリオ》と混ざっちまったからだろうね。全くとんだ継承者だよ」


「褒め言葉として受け取っておくよ。……エルレンシアは生前、精霊については」


「本に穴が開くほど調べたさ」


 過去を懐かしむようにエルレンシアは目を細める。


「何がなんでも魔法を使いたかったからね。藁にも縋る思いだったよ。でも、レゾナの発達した学問で、あそこの精霊はほとんど力を失っていた」


 寂しそうに話す彼女だったが、その結果があの脳筋パワープレイ虹の魔剣なのだから、本当に人生とはわからないものである。


「精霊を調べたのは、《英雄叙事オラトリオ》の起源を知るためかい?」


「自分の体については知っておきたいからな。この様子だと、本格的に調べるには『幻窮世界』に行くべきなんだろうが……」


「——難しいであろうな」


 そう割り込んできたのは、〈鬼王〉スイレン。

 彼は、俺の様子を暫し伺った後、『変調はなさそうだな』と笑みを浮かべた。


「やっぱりか?」


 なんとなく察してはいた。

 スイレンは頷き、その根拠を話す。


「貴殿はあの〈勇者〉を退けた。その名声は、冒険者になる前に貴殿が求めた名声を遥かに上回るであろう。また、望む望まないに関わらず、貴殿の名前そのものに強い拘束力が生まれてしまう。今までのように、自由に冒険者として動くのは難しくなるであろうな」


「だよなあ……」


 当初の目的は、もう達成したと言っても過言ではない。

 だが、その代わりに自由が奪われた。

 レゾナやポラリス、アトランティスあたりには気軽に行けるだろうが、そのほかの世界……特に七強世界ともなるとどうしても政治的意味を勘ぐられそうだ。


 変化に喜びつつも悲しむ俺の横で、スイレンは一冊の本を手に取る。


「しかし……懐かしい名前であるな、『幻窮世界』とは」


「「——うん?」」


 スイレンの発言に、俺とエルレンシアが首を捻る。


「スイレン、行ったことあるのか?」

「意外だねえ、あの土地から出たことなんてないとばかり思っていたけど」


「ん? ああ、誤解させたようですまない。懐かしい、というのは某の次の所有者の話だ」


 《英雄叙事オラトリオ》に記録された者は、代々の継承者の人生を多少なり覗くことができる。

 スイレンは、その覗き見た旅路を懐かしんだのだと言う。


「その者は、自分に《英雄叙事オラトリオ》が宿ったことに気づいていた。気づいた上で、彼女は……継承権を自ら放棄したのだ」

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