強制リフォーム

 本格開戦から僅か1日での電撃決着。

 『悠久世界』と『海淵世界』の戦争の結末は、両陣営に潜入していた各世界の工作員、及び『海淵世界』の議会によって瞬く間に全世界へと拡散された。


 報じ方は様々だったが、一様に共通していたのはその内容。いずれの媒体も、『悠久世界』の実質的敗北と〈勇者〉アハトの“敗走”を盛んに書き立てた。


 一部報道媒体によっては『〈勇者〉の剣は錆びついた』とまで断言し、『悠久世界』を盛んに貶める過激な報道内容は民衆の視線を釘付けにした。


 それほどまでに、今回の戦争の意味は大きい。

 『始原世界』と並び、事実上の“2強”だった『悠久世界』が敗北した。


 防衛のための一部戦力の温存、他世界の参戦、〈星震わせ〉の介入など様々なイレギュラーがあったにせよ、撤退は紛れもない事実であるために、報道や議論は熱を帯び加速の一途を辿る。





「……やっと目覚めたんだね、《英雄叙事オラトリオ》」


 とある世界の田舎町。

 素朴な丸太小屋の中で灰の髪の男が空虚な笑みを浮かべた。


「もう、君にも聞こえるだろう? この世界の悲鳴、嘆きが」


 机の上に放り投げられた新聞。

 『魔剣世界』の助力こそ書かれ、しかしその楔となったエトラヴァルト一行については病的なまでに秘匿されている。


 しかし、《終末挽歌ラメント》グレイギゼリアは確信していた。《英雄叙事オラトリオ》の目覚めを、世界が次のステップに進んだことを。


「生まれ変わらなくてはならない。この星は、“悲劇”を迎えなければ」


 分厚い一冊の本……《終末挽歌ラメント》に蒐集された数多の素材と悲劇を閲覧し、満足そうにグレイは頷いた。


「そろそろ僕も、本格的に動くとしよう。手始めに——うん。“歌い手”でも獲りに行こうかな」


 そう決めたグレイはパタンと本を閉じ、途端、彼がいた田舎町が忽然と姿を消した。

 後に残るのは、グレイギゼリアただ一人。


「《英雄叙事オラトリオ》は呼ばずとも来るだろう。さて……《残界断章バルカローレ》。君はどう出るかな?」


 ほんの少し、彼にしては愉快そうに笑みを浮かべた。





◆◆◆





「ただいまより〜、被告人エトラヴァルトの裁判を始めま〜す!!」


 俺は捕まっていた。

 それはもう思いっきり捕まっていた。


 スイレンとエルレンシアに傍を固められ、弁護人シャロンの魔法によって手枷足枷を嵌められ、裁判長ルーランシェの前に立たされていた。



 様変わりした《英雄叙事オラトリオ》の内部。

 以前は一枚の巨大なページを足場に、遠近感がおかしくなりそうな広大な暗闇に無数の紙が自由に舞い散る場所だった。


 だが、今はそうではない。


 はじめは石畳が延々と続く道。

 その次は、学園時代を思い出させる教室。

 そして今は、ゴリッゴリの法廷。


 そも、《英雄叙事オラトリオ》と俺の魂が真の意味で合一した時点で“内部”という表現は正しくない。


 ここは正しく俺の魂の中。

 ここは俺の心象風景なのだ。


 そんな場所で、心象風景の主である俺はガッツリ囚われの身になっていた。


 ついでに言うとこの心象風景は当然ながら俺主導なため、俺がこの裁判に心から屈服していることを、この法廷は外側から補強していることになる。

 つまり悲しいかな、始まる前から敗訴が確定しているのだ。



「目が覚めたら捕まってたんだが、なんでこうなった」


 俺の切な疑問に、弁護人と書かれたハリボテの紙細工を頭に乗せたシャロンが大袈裟な動作で頷いた。


「エト、君は〈勇者〉との戦いの中で自分が何をしたかわかってる?」


「そりゃもちろん。《英雄叙事オラトリオ》食って、俺が記録の概念保有体になった」


 いや、こうして《英雄叙事オラトリオ》としての権能が維持されている以上、俺自身が《英雄叙事オラトリオ》になった、と言った方がいいかもしれない。


 俺の率直な答えに、シャロンはうんうんと頷いた。


「そうだね。君には毎度のこと驚かされるけど、今回はもうぶっちぎりだよね。ところでエト」


「なんでしょう」


「突然自宅をぐっちゃぐちゃにシェイクにされた住民の気持ちって考えたことある?」


「…………」


 ……めっちゃキレてんじゃん。


 シャロンが見惚れるような笑顔で、見たことないくらいブチギレていた。


「……ちなみに聞くけど、どんな感じに」


 俺の質問に答えたのは、裁判長ルーランシェ。


「一軒家あるじゃん」


「おう」


「あれが突然ミキサーにかけられて」


「おう」


「扉とか窓とか部屋の大きさとか配置とか全部しっちゃかめっちゃかになって」


「……おう」


「ついでに家具の配置やその中に入ってた雑貨とかも全部しっちゃかめっちゃになって」


「…………」


「何がなんだかよくわかんないうちに〈勇者〉バケモノとの戦いに引っ張り出された感じだよね」


「すみませんでしたぁっ……!!」


 俺は渾身の土下座を繰り出した。


 精一杯の謝罪。黄金比の土下座に対して、ルーランシェが手に持つ木槌を振り下ろした。


「判決! 死刑!!」


 声音から察するに、きっとニッコニコだったことだろう。





◆◆◆





 ややあって。

 心象風景をいつかの会長室に寄せた俺は、皆とソファに腰掛ける。


「シャロンたちから見て、今の俺ってどんな感じだ?」


「なんで生きてるのかわからない」

「幽霊を相手にしてる気分だねえ」

「真っ当な人間ではなくなってしまったであろうな」

「家」


 上から順にシャロン、エルレンシア、スイレン、ルーシェの所感である。

 ルーシェはもう少し詳しく説明してほしい。


「実際問題、なんでエトが生きてるのか私たちには全くわからないんだよね」


 摩訶不思議であるとシャロンは肩をすくめる。


「《英雄叙事オラトリオ》と混ざり合ったからギリギリ生存しましたって、あまりにも意味がわからないよ」



 粘土をこねるように混ぜ合わせた。

 《英雄叙事オラトリオ》という膨大な生地に、俺の魂という素材を練り込んだ。


 大前提、《英雄叙事オラトリオ》は有する記録があまりにも膨大だ。言ってしまえば、これは情報の濁流。

 自分で言うのはどうかと思うが、常人であれば触れることすら躊躇われる言葉の砂嵐だ。


 そんな情報密度の極致みたいなものに、俺はあろうことか自分の魂を混ぜ込んだ。


 改めて言おう——マジでめちゃくちゃやってると。


「《英雄叙事オラトリオ》と元々共存してたから上手いこと生きてんのかなぁ」


 正確な理由がわからないからふんわりとした言葉選びしかできない。そんな俺に、スイレンが呆れ顔を向けた。


「まさかとは思うが、なんの確証もなくあの場で、この道を選んだのか?」


「いや、確証なくというか……こう、『なんかいける気がする』って妙な確信があったんだよ。ほら、エルレンシアならわかるだろ? 『なんか今なら魔法使える気がする』みたいなきっかけ」


「それはそうなんだけどね。アタイのそれとアンタのそれを一緒にするのは暴論だよ」


 ちょっと次元が違う、とエルレンシアにも擁護を放棄された。


「まあ、自分でもだいぶ博打だったとは思うよ」


 肩をすくめる俺を、側に近寄ったルーシェ(幼女形態)が『む〜』と唸りながら覗き込むように凝視する。


「どうした?」


「う〜ん。前みたくエトの気配は変わらず感じるな〜って」


「……つまり?」


「私たちみたいに残滓になったわけでも、別人になったわけでもない。魂がしっちゃかめっちゃかになったのに、全く変わらずエトラヴァルトのままってこと」


 それはとても良いことなんだが、原因が不明すぎて不気味だとルーシェに気味悪がられた。


 総括。


「終わりよければ全てよしだな!」


『なにも終わってないんだよなあ』


 この後、俺の暴挙のせいで整頓作業が待っているらしいシャロンたちの死んだ目でのツッコミを受け、この場はお開きとなった。



 ……これは完全に未来の話になるのだが。


 この時点でまだ縁を結んでいなかった残滓たちも総じてこのミキサー騒動に巻き込まれていたようで、この先、俺は縁を結ぶ度に土下座を強いられることになる。





◆◆◆





「あ、エトくん起きた!……え、早くない?」


「記録は4日と13時間、カンヘルと戦った時よりだいぶ早い目覚めです。賭けはイノリの負けですね」


「ちぇー。エトくんがもう3日寝ててくれたらなー」


「俺はなんで目覚めた側から非難されてんだよ……」


 俺が一週間以内に目覚めるか否かで賭けをしていたらしいイノリとストラの騒がしさに一瞬で思考が覚醒する。


 あと、首が苦しい。


「……持ち主を絞め殺そうとする鎖があるか、お前」


 アハトとの戦いで出番がなかったことが不満だったのだろうか、鎖は容赦なく俺の首に巻きつき、再び眠りに誘おうとしていた。

 なお、その先に待つのは永遠の眠りなので断固拒否する。


「……ここ、ゲストハウスか」


 てっきり医務室かどこかに運び込まれていると思っていたのだが。


「エトくんの自然治癒力が異常すぎて、逆に手を出せなかったんだって。だから家で経過観察って処置らしい」


「手のかからない患者は後回しってことだな」


「他に治療が必要な人も大勢いるしねー。どう? 起きられそう?」


「多分な」


 意を決して起き上がってみる。

 ——と、体はすんなりと動いてくれた。端々に小さな違和感は残っているが、ほぼ普段通りと見ていいだろう。


「大丈夫そうだね」


 と、イノリはホッとしたように胸を撫で下ろした。


「良かった、いつものエトくんだ」


「……?」


 何やら体以外に関しても心配をしてそうなイノリに眉を顰める。

 勘が働かない俺に、寝汗を拭くためのタオルを持ってきてくれたストラがそのわけを話す。


「気絶する前、エト様がなにやら不穏なことを宣っていたので、ずっと気を揉んでいたんですよ。『起きたらエトくんじゃなくなってるかも——』と、こんな具合に」


「余計なこと言わないでいーの! それにストラちゃんだって!」


「四六時中ベッドの周りをうろうろするイノリよりはマシです」


「だって心配するでしょ! 《英雄叙事オラトリオ》と混ざったとか不穏なこと言ってたし!」


「あー」


 理解する。

 意識を飛ばす前のバイパーとの曖昧な会話。事情を知らない二人からすれば不気味かつゾッとするものだっただろう。


「だから、変わらずエトくんのままで良かったーって……」


「——悪い、二人とも。食ったのは事実だ」


「「……え?」」


 二人の時間が止まる。

 目からハイライトが消え失せ、ギギギと音を立てて体が硬直した。


「俺、アハトに魂ぶった斬られてさ。生き延びるために《英雄叙事オラトリオ》と混ざったんだ」


「……エトくん」


 ……めきゃ、という洒落にならない音と共に、イノリが俺の両肩に両手を置いた。


正座しよっか洗いざらい全部話せ?」


「……っス」



 ややあって、一連の経緯を事細かに俺から聞かされたイノリは、それはもう形容し難い福笑いのような表情を浮かべていた。


「ごめんエトくん、なんで生きてるの?」


「正直俺にもよく分からん」


「エト様、いよいよ人類卒業してきましたね」


 ストラの言葉に全くもって反論できない俺は小さく肩をすくめた。



「エト様が生きているのは素直に嬉しいんですが、それ以前に無視できない疑問があります」


 話し合いの場所をリビングに移して、ストラはピンと人差し指を立てた。


「ずばり《英雄叙事オラトリオ》とは、“記録の概念保有体”とはなんなのか、です」


「やっぱ、そこだよな」

「そろそろ真面目に考えないとだよね……」


 実は、俺たちは過去何回かに渡って『《英雄叙事オラトリオ》とは?』という議論を重ねてきた。

 だが、そのいずれもが情報不足から不毛な議論にしかならず、結局議論は半ばで放置されてきた。


 嫌そうな顔をする俺たちに同意するように頷いたストラは、『もはや避けては通れません』と断言する。


「今まではそういうものとして放置してきましたが、エト様の生命に関わる以上先延ばしにはできません。幸い、わたしたちはこの戦争を経て多くの“サンプル”を獲得できました」


 ストラは紙の上に“音”、“無瑕”、“破壊”、“水”、“剣”の文字を書き起こす。


「アプローチの手段を変えましょう。そもそも、“概念保有体”とはなんなのか。まずはそこから詰めていきましょう」

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