〈勇者〉vs〈  〉

 無数の文字が、歌が空を泳いでいた。

 ちぎれた本の破片が空間を揺蕩い、支離滅裂な情報が目の前を過ぎ去ってゆく。


 泥沼に沈む無数の本棚。

 落ちた本は燻んだ色をしていて、形も文字も分厚さも様々だった。


 椅子が、一つだけあった。


 たった一つだけ、ポツンと。寂しげに。


「……なんだ。もう来たのか?」


 その椅子には先客がいた。

 本を読んでいて、メガネをしていた。


「お前は、まだここに来るべきではないだろうに」


 その人は、一瞥を向けることなく、出口を指差した。


「あっちだ。お前はまだ、万事を尽くしていない。歌になるには、まだ早い」





 ◆◆◆




「…………来た。きた、きた、きたきたきたきたきた!!」


 その感情を、歓喜以外の言葉で表現することはできず。

 しかし、歓喜という言葉すら陳腐になるほどの天井知らずの振れ幅だった。


 フェレスを名乗る男は、開けた新たな未来にありったけの礼賛を贈った。





◆◆◆





 魂が砕けた、その筈だった。

 避けられない死を迎える、それが一人の男の旅の終点だった。


 ——否。


 事実、男は旅を終えた。

 エトラヴァルトという人間は、この瞬間、確かに死んだのだ。


 だから、それが立ち上がる姿を見て、誰もが……アハトすらも驚愕に目を見開いた。


「……なぜ」


 アハトの口から疑問が洩れる。

 あり得ないことだった。

 確かに魂を砕いた。その、剣ごと。


「どうやって」


 その剣が、再生していた。





◆◆◆





「——エト。私たちの魂の破片を食べて」


 《英雄叙事オラトリオ》の中、無数のページ舞い散る空間で、ルーシェは自らを差し出すように両手を広げた。


「このままじゃ、あと数秒で君は死ぬ。だから、私たちの魂で、君の魂をつぎはぎにして」


 君にならそれができると、ルーシェは言った。

 俺は反論しようとして——でも、四散する魂ではそれができなかった。


「私たちを受け入れることができた君なら、延命して……逃げるくらいなら、できるから」


 ——そうすれば、みんなはどうなる?


 俺の疑問は言葉にならなくて、だが、俺をよく知るみんなは答えを持っていた。

 シャロンがゆっくり首を横に振る。


「私たち残滓は消える。記録は残るだろうけど、こうして話すことはできなくなるね」


 ——嫌だ。


「君は嫌がるだろうけど、ここで死ぬのはもったいないでしょ?」


 だから、これでさようなら。

 そう言って、シャロンたちは自らの破片を俺へと直接委譲する。


 ——嫌だ!


 俺は、それを拒絶した。

 受け入れられなかった。彼らが善意であることを理解した上で、それでも。


「……ぉ、まえ、が」


 魂の拡散を加速させ、俺は言葉を、意思を紡ぐ。


「ルーシェ……お前、言った、だろ…………。かんぜん、むけつの、ハッピーエンド」


「エト……!?」


 自ら死を早める蛮行に目を揺らすルーランシェに、俺は無理やり笑いかける。


「お前、に……見せなきゃ。おまえ……が、いな、きゃ。意味が……ねえ……!!」


 ……嗚呼。


「ず……っと、見てた、んだろ? おれを……生まれたとき、から…………ずっと……!」


 バイパーが言っていた。俺は、生まれたその時から《英雄叙事オラトリオ》を抱えていたと。

 この矮小な体と記録は常に共にあったのだと。


「あんたら、欠けたら……それは、もう、俺じゃねえ……!!」


「でも、エト……! このままじゃ君は、ただ死んで!!」


 声を荒げるルーランシェの頭をぐりぐりと撫でて、無理やり黙らせる。


「今から……ちょっと。むちゃくちゃやってくる」


 俺は今から、わがままをやる。

 5000年の歴史の中で、誰一人としてやらなかった最悪の所業を。


 完全無欠のハッピーエンドを、目指してしまいたいと思ったから。


 俺は、不敵に笑った。


「行こうぜ……一緒に」





◆◆◆





「……ここじゃないよな」


 エトラヴァルトは、己の胸の内に問いかける。


「俺の……俺たちの旅の果ては、まだここじゃない……!」


 左手を胸に当て、心の在処を確かめる。


「関係ねえんだ、俺の肉体が変わろうと。俺の魂が砕けて……全く違う形になろうとも!」


 迸るプレッシャーは、死人のそれとは明らかに違った。


 エトの胸から一冊の本が浮かび上がる。


 ——《英雄叙事オラトリオ》。

 生まれた時からエトラヴァルトと共にある、5000年の歴史を、たくさんの英雄と、それ以上の無数の魂たちの旅路を記録した一冊の本。“記録の概念保有体”。


「俺は何があっても変わらねえ……!!」


 その本を。

 浮かび上がるページに。



 エトラヴァルトは、思い切り食らいついた。



「「「「————!!?」」」」


 眼前で突如として繰り広げられた蛮行に、誰もが言葉を失った。


 エトラヴァルトは躊躇いなく《英雄叙事オラトリオ》を噛み砕き、咀嚼し、嚥下する。


 ——刹那、エトラヴァルトの魂が《英雄叙事オラトリオ》と混ざり合う!


 これまでのような同居ではなく、比喩でもなく!

 たった一つのモノとして、まるで、それがあるべき姿であったかのように融合していく!


「……俺の名前は、エトラヴァルト」


 傷が癒える。

 新たな形を得た魂に肉体が呼応するように傷を癒やし、頑強さを増し、万年筆のインクをこぼしたように、銀の髪が一房、墨色に染まった。


「“記録の概念保有体”、エトラヴァルト=オラトリオ——!」


 魄導が吹き荒れる。

 全戦場に届く、すべての兵士の驚倒をさらう埒外の銀の暴風。

 無数のページがエトラヴァルトの内より出てて空に舞い散り、数多の物語の断片を世界に映し出した。



 シャクティが驚きからオルガンを奏でる手を止めた。

 ライラックとザインが背中を押されるように立ち上がった。

 ギルベルトが放心したように立ち尽くし、スズランとスミレが久方ぶりの驚愕に口角を吊り上げた。

 イノリは相棒の劇的な変化に身慄いし笑顔を浮かべ、ストラは安心したように息を吐いた。



「すべてのカメラを中央に……今すぐに!」


 上空、ノルンは可能性を感じていた。


「悠久に勝つには、これしかない!!」


 戦争の命運を決するために、中央戦場の死闘を映し出した。





◆◆◆




「俺は語り部で、継承者だ」


 エトラヴァルトは一歩、大地を踏みしめ、かつてない力が漲る全身に緊張を走らせた。


「この身は、遍く紡がれてきた物語たち。その最前線にある」


 再生した剣を、真っ向アハトに突きつける。


「俺は、俺の世界を……俺が繋いだ縁の全てを守り抜く!!」


 それがたとえ荒唐無稽な夢物語だったとしても。

 そんな無理無茶無謀を成し遂げるのが英雄なのだと、物語を紡いできた先人たちはエトラヴァルトに教えてくれた。


「〈勇者〉アハト。俺は今から……アンタを超える!!」


 踏み込み、掻き消える!


「——っ!?」


 アハトが目を見張るほどの初速、からの超加速。

 光と見紛うような速度で懐に潜り込んだエトラヴァルトが一閃、〈勇者〉アハトを防御の上から吹き飛ばす!


「オオッ!」


 さらに追従。

 両足で大地を削り制動をかけたアハトに大上段の切り下ろし、迎撃に振り抜かれた剣との接触点から膨大な火花飛び散り、比喩抜きに世界が震えた。


 神速の剣戟の応酬。

 反射的に二刀を構えたアハトに対して、エトラヴァルトはあくまで愛剣一本で応戦。


 頂点の剣技と円環の我流剣技が交錯し、瞬く間に大地が格子状に斬断された。


 エトラヴァルトの尋常ならざる成長速度にアハトは驚きを隠せなかった。


 一合打ち合う度に成長する。

 踏み込みの角度、深さ、肘のたたみ方、肩の入れ具合、脱力、手首の返し……あらゆる細かなズレを、一合毎に修正し進化させてゆく。



 ——引き出しているのか、《英雄叙事オラトリオ》から……いや。自分に蓄積された膨大な記録から!


 ——今この瞬間にも、5000年の記録を読み取って……!



 アハトの推測は正しい。

 1秒、一瞬毎にエトラヴァルトは膨大な記録を読み込み、自らの戦い方に改良を加え続けていた。


 加えて、自らが概念保有体になったことで魂の強度は数分前とは比較にならず。

 アハトの斬撃を直接撃ち込まれてなお動じない。


 だがそれでも、耐久力は上がっても。

 膨大な記録が後押ししようと、アハトとの絶対的な実力差は埋まらない。


「〜〜〜〜っ!!?」


 エトの円環の防御を打ち破り、アハトの凄まじい切り払いが超人的な反射で捩じ込まれた剣諸共エトを吹き飛ばした。


 その背中を追い越すように、三人の〈異界侵蝕〉が戦場に復帰する。


『叫べ! ウロボロス……!!』

「『方舟の護り手はここにあり!』」

「僕の心が! 愛に震えているぞ!!」


 イナ、リントルーデ、ラグナリオンの三名がエトへの追撃を妨害するようにアハトへと全力の一撃を叩き込んだ。


「エトラヴァルト! 俺たちが援護する!!」


 三度、神秘の海を顕現させたリントルーデが魂を震わせて叫んだ。


 空中で姿勢を整え、着地したエトは声の限り叫ぶ。


「頼んだ!」


 間髪入れずに応えたエトを中心に、白銀のページが舞い踊った。

 世界を明るく照らす開放の輝き、始まりの出会い。


「来てくれ、シャロン……!」


 瞬間、純白のドレスに身を包んだツインテールの英雄がエトラヴァルトの姿に重なった。


『——勿論、君の頼みならいくらでも!』


 エトラヴァルトが大地に両腕を突きつけ、巨大な魔法陣を生成——魄導の輝きで満たされ、轍の竜ウロボロスを模した十頭の鋼鉄の蛇が大地より現れ、リントルーデたちを追い越しアハトへと殺到する。


「フ——!」


 短い気合いと共に、わずか一振りで千の斬撃を生み出したアハトによってすべての蛇が砕かれる。

 だが、魔法陣はまだ消えていない。


「!?」


 どこからともなく銀の魄導が破片たちに供給され、再び蛇がアハトへ牙を剥いた。


『食い荒らせ、轍の竜よ……!』


 そこに、イナのウロボロスも加わり波状攻撃を仕掛ける。


「甘い……!」


 それでもアハトの牙城を崩すこと叶わず、鋼鉄の蛇が役目を終えたように頽れる。


 唯一、円環の権能により斬断を免れたウロボロスがアハトへ一騎打ちを挑む。

 アハトは目も眩む速度で“竜殺しの魔剣”を生成——直後、ウロボロスの口内に輝くに瞠目した。


『行けっ、エトちゃん!!』


「だからエトちゃん言うな!……エルレンシア!」


 口を開けたウロボロスの中からエトラヴァルトが飛び出し、剣を起点に放出された虹の魔力が一帯の瓦礫を吹き飛ばした。


「輝け、アルカンシェル……!!」

『本当の魔剣をくらいな!』


 夜天の鎧を着こなす黒髪の英雄の姿が重なり、先ほどとは桁違いの出力を有する——全盛期のエルレンシアすら凌ぐ魔剣が開放される。


「くっ……!?」


 至近距離から甚だしい魔力の爆発を受けたアハトが口端から苦しげな声を洩らす。


「——畳みかけろっ!!」


 好機と見たリントルーデが雄叫びを上げて突貫、虹の魔剣アルカンシェルと共振するように神秘の海をアハトへと叩き込んだ。

 荒れ狂う波濤の一撃に水飛沫が散り、アハトの体が宙へ浮く。


「『海を断つ』!!」


「……っ!?」


 しかし、直後に海を断つ魔剣をアハトが生成する。

 リントルーデの魔法を警戒するが故の迅速の判断。

 その眼前に、不倒の鬼人と姿を重ねるエトラヴァルトが立ちはだかった。


「行くぞ、スイレン!」

『貴殿の望むままに!』


 不退転の剣戟が海を断つ斬閃と対峙する。


「づっ……!?」


 これまでとは比較にならない重く強い一撃に、余波だけでエトの内蔵がひしゃげ、押し潰された肺から鮮血が逆流しエトの口元をよごした。


 しかし、不屈の鬼人と挑戦者は折れない。


「『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーっ!!』」


 ありったけの気合いと共に、〈勇者〉の“魔剣”を退ける!


「こっからだ、ルーランシェ!!」

『待ってたよ〜!』


 無数のページが舞い踊り、光が世界を満たし、収束する。


「『概念再現……!』」


 光速の踏み込み。

 刹那、アハトの動体視力を凌駕する光の斬撃が叩き込まれ、乱舞する。


「〜〜〜〜〜っ!?」


 アハトの最高速度に匹敵する光速の剣戟がエトラヴァルトの手に宿る。


「————ッッ!」


 眦を決したエトは、光速に千切れそうになる全身の悲鳴を一切無視して力の全てを斬撃に注ぎ込む。


 “光の概念保有体”ルーランシェ・エッテ・ヴァリオンの魂の残滓に、ほんの僅かひっかかっていた概念の欠片を燃焼させる。

 世界を焼き切らんばかりの凄絶な剣舞がアハトを窮地へと追い込む。


 イナも、リントルーデも、ラグナリオンも手を出せない超越した領域へ踏み込んでゆく。


「なぜだ、エトラヴァルト」


 かつてない凄絶な剣戟を受けながら。

 思わず、アハトは目の前の挑戦者に問いかけた。


「魂が砕けてなぜ動ける。全く別の形に変わって、なぜ生きていられる!」


 生命の根源を揺さぶられてなお挑みかかる青年に、アハトはこれまでのどんな相手にも感じなかった、初めての“圧”を覚えた。


「自らを作り変えるようなものだぞ!? どうしてお前は——!」


「——知るかよ、そんなこと」


 エトの返答は、おざなりなものだった。


「魂がどうとか、肉体がどうとか、そんなの関係ねえんだ」


 初めから、エトラヴァルトという個人は答えを得ている。


「生まれてから今日までのすべての記憶……すべての記録が俺を形作ってんだよ!」


 それは当然、ずっと共にあった《英雄叙事オラトリオ》も同様に。

 すべての記録がエトラヴァルトという個人を形作るのであれば、エトにとっては魂も、肉体も重要ではない。

 旅の軌跡が、思い出があればいい。


 それさえあれば、エトラヴァルトは決して揺るがない。


「〈勇者〉アハト。アンタが『悠久世界』の勇者であるように、俺も! リステルの英雄なんだよ……!!」


「……!」


 光速の斬撃が世界を軋ませる。

 エトの両腕は、すでに加速の代償に引きちぎれそうなほどにズタズタになっていた。

 だが、そんなものはどうでもいいと。


 エトは、眼前の〈勇者〉を、理不尽にも憧れた強さを越えんと雄叫びを上げる!


「俺の、記録の全てがそう在るんだよ……! 理由なんて知ったこっちゃねえ! 俺を構成する何もかもが、存在を叫んでんだよ……!!」


「……そうか」


 アハトは、ただ一言。

 納得も理解も言わず。


「ならば俺は〈勇者〉として! お前を倒そう、エトラヴァルト!!」


 ——加速する。

 ここにきて、エトの追従を引きちぎるようにアハトの斬閃が光速を超える。

 剣の概念保有体として既存の法則の限界点を塗り替える蛮行に、エトラヴァルトが弾き飛ばされた。


「『悠久の守護者が剣を呼ぶ!』」


 詠唱が響き渡り、世界を押し潰さんばかりに魄導が膨れ上がった。


「『守護の調べ 壊劫の楔 断界の理! 末日の拒絶、勇ましきを冠し生成流転を棄却する!』」


 問答無用で敵対者を斬り伏せる〈勇者〉の詠唱を前に、エトラヴァルトもまた、紡ぐ。


「『今ここに星々の輝きをうたう!』」


 銀の魄導と無数のページが嵐の如く舞い踊り、5000年の記録が世界の在り方を捻じ曲げる。


「『果てなき旅路 幻想の隆盛 旭光を呼ぶ群星よ、我らは明日への道を刻む!』」



 アハトとエトラヴァルト。

 互いに世界を背負う者同士でありながら、決定的にその在り方を異にする二人。


 ここに、〈勇者〉と〈英雄〉の最大の一撃が顕現する。

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