〈勇者〉vs『海淵世界』④

 直感が、理性が、本能が。

 俺を構成する全細胞が“中央へ行け”とがなりたてていた。


 予測、思考するまでもなく誰なのかがわかる桁違いの覇気。

 四つの力がぶつかり合う戦場へ、今すぐに行かなくてはならないと。


「——余所見の暇はないぞ!」


「ったく……百も承知だ!」


 しかし、俺を取り囲む五人の金級冒険者がそれを許さない。

 俺が中央に意識を向けていることを理解した上で、彼らの目的は足止めに変化した。それゆえに、余計に出し抜けない。


「チッ……!」


 苛立ちから、思わず舌打ちが洩れる。

 そんな時だった。


『——エトラヴァルト。2秒後、その場に伏せてください』


 胸の校章から、穏やかな老婆の声が響いた。


「——っ!」


 懐かしい声に従い、俺は疑うことなくその場に全力で伏せる。


「お前、何を……、!?」


 瞬間、俺の真上に氷の華が咲き誇り、炸裂した花弁が驚愕した金級冒険者たちを吹き飛ばした。


「久しぶりね、エトラヴァルト」


 軽やかな着地音。

 立ち上がり横を見ると、そこには『魔剣世界』レゾナの魔法学院、その学園長であるエスメラルダが立っていた。


「なんでここに……ってのは、もう無粋か」


「ええ、そうね。……話したいことはたくさんありますが、我慢しましょう」


 嫋やかな仕草で杖を構えたエスメラルダは、俺を守るように魔法陣を展開……金級冒険者たちと対峙する。


「ここは私に任せてちょうだい」


「……ああ、頼んだ!」


 これ以上の言葉は必要ないと、俺はエスメラルダに全てを任せて一直線に中央を目指す。


「……! 行かせねえ!」


「私の生徒に、手出しは厳禁ですよ!」


 いち早く俺の離脱に気づいた男だったが、エスメラルダの恐るべき魔法の出の速さによって牽制され、その場に縫い止められた。


 その時点で、すでに彼らが俺に追いつくことは不可能だった。





◆◆◆





 ただ一人、900年を生きたエルフの中でも長寿、高齢に分類されるエスメラルダは、自分よりも遥かに若く、そしめ才気に溢れる者たちと向かい合う。


「後はもう、変わりゆく世界と子らを眺めるだけの人生だとばかり思っていたんですが……」


 老人であろうと容赦はしないとばかりに油断なく陣形を整える五人に、エスメラルダは良い心がけだと関心し。

 同時に、視線で『エトラヴァルトにだいぶ削られているらしい』と、自分が彼らの消耗に気づいていることを敢えて伝えた。


「頑張る彼女たちを見ると、不思議と思ってしまったのよねえ」


『…………!』


 その観察眼に、冒険者たちの目に警戒の色が強く出た。


 彼らが知る由はないが。

 目の前に立つ魔女は、エスメラルダ・バルディエレン。


「私も、あの人ほどではないにせよ、まだ成長できるのかもしれないって」


 かつて戦災孤児であった彼女は、エステラ・クルフロストによって拾われ、育てられ。

 そして彼女から、僅かとはいえ魔術を教わった。


「だから少し、無茶をしてみるわ」


 五行が描かれる。

 エスメラルダの背後にそれぞれ別個の属性で編み上げられた五つの華が咲き誇る。


「生徒の背中を見守るのが私の役目。だから、ここから先へ、あなたたちは絶対に行かせない」


 戦場の端で、魔女の弟子がその神秘の一端を開花させた。





◆◆◆





 アハトが剣を振り抜き、エトの体が大きく後方へ吹き飛ばされる。


「出し惜しみなしだ! 行くぞ《英雄叙事オラトリオ》!」


 空中で姿勢を制御し左手で大地を掴んだエトの胸から、無数のページが舞い散った。


「シャロン——!」


 エトの声に呼応し、アハトの視界をページが遮った次の瞬間、〈白鋼の乙女〉シャロンの姿がそこにあった。


 大地を掴む左手を中心に大規模な魔法陣が展開され、アハトの背後、リントルーデたちを隔離するように巨大な壁が生成される。


 エトラヴァルトが突貫する。

 変身を解除し、銀の魄導を放出した最大加速、真正面から渾身の一撃をアハトの胸部に見舞う。


 再び剣気での防御を試みたアハトは、触れるまでもなく蹴散らされた斬撃に実剣での迎撃を選択した。


 甲高い衝突音が鳴り響き、エトの一撃が防がれる。

 激突の余波に大地が抉れ、銀の魄導と剣気が空間を埋め尽くすほどの火花を散らした。


「おおっ!」

「フ——!」



 互いに踏み込み、かき消え、怒涛の剣戟の応酬が始まった。


 アハトの洗練された斬撃を、エトは神懸り的な反射神経で受け流す。


「——ッッ!」


 しかし、あっという間にエトの表情が険しくなる。


 一歩、一歩ずつ。

 アハトが前進し、その度に剣戟が激しさを増してゆく。

 歴代最強の〈勇者〉、その看板に偽りがあるなど最早疑うことすら馬鹿馬鹿しい。


 頂点の斬撃が、エトの踏ん張りを嘲笑うかの如く押し返す。


 エトが苦し紛れに生成した分断のための壁など剣戟の余波でとっくに砕け散った。


 大上段の斬り下ろし、袈裟斬り、斬り払い、突き、斬り上げ……エトの視界には、その全てが同時に、何倍、何十倍もの情報密度で押し寄せる。


「づぅっ……!?」


 瞬く間に防御を貫通され、エトの全身に夥しい切り傷が生み出される。


 それでも致命的な一撃を受けていないのは、エトの剣が決して砕けない、不壊の力を持っているがゆえに。

 エトの心が折れない限り健在の剣は、たとえアハトの斬撃であってもその輝きを濁らせることはなかった。


 だが、アハトの攻撃に対応できるか否か、それは全て、エトラヴァルトの技量にかかっている。


「強くなった、本当に」


 アハトは、エトの飛躍に掛け値なしの賛辞を送る。

 同時に、足りないと。

 袈裟斬りを囮に回し蹴りを叩き込んだ。


「だが、まだ弱い」


「がっ、〜〜〜〜〜!?」


 エトの全身の傷口が開き鮮血が舞い散り、口が求めてもいない血反吐を撒き散らした。


 盛大に地面を転がったエトは、しかし、直後立ち上がり、不屈を叫んで再び突貫した。



「え、と……ちゃん?」


 すんでのところで心の捕食を中断したイナは、予想外の増援に霞む視界を必死に開き、その戦いを見守る。


「……そう、だ。リンちゃん、たちは——」


「……無論、無事……だとも」


「まだ、死ねないさ……」


 イナとリントルーデ、ラグナリオンの三人はエトの細かな気配りか、はたまた偶然か。

 同じところに集められて転がされていた。


 大地を隆起させて転がすという雑な運搬方法であったが、彼らの耐久力を信じたがための雑対応だった。


「情けない……。〈守護者〉の名が、廃る……!」


 胸に深々三つの斬撃を刻まれたリントルーデは、悔しさを隠そうともせずに大地を握りしめた。

 唇を噛み締め血を流すリントルーデの横で、ラグナはイナの右半身に注目する。


「イナ、君の……体は?」


「いちおー……まだ、制御できるよ」


 びっしりと黒い鱗に覆われた再生した右腕を揺らし、イナはにへらと笑った。

 ざり、と大地を踏み締めて立ち上がる。


「エトちゃんに、頼り切りは……情けない、から——」


 その時、イナの真横に吹き飛ばされたエトが爆音と共に大地に激突した。


「かっ……!?」


 胸を深々と抉られたエトが煙の中から姿を現す。

 その体は、既に満身創痍だった。


「エト……!」


 立ちあがろうとするリントルーデを、エトは剣を握った手で制する。


「まだ、休んでろ……俺は、平気だ!」


 ——30秒。

 エトラヴァルトがアハトを前にして稼いだ時間である。

 傷の痛みが癒えるにはあまりにも足りない、しかし、〈異界侵蝕〉未満の個人が〈勇者〉相手に30秒稼ぐ……これは、偉業に他ならない。


 全身から血を流し、血反吐をこぼしながら。

 しかし、エトラヴァルトは前に進んだ。


「時間を稼ぐ……だから、死ぬ気で回復してくれ」


「どうして、そこまで——」


 ラグナは疑問だった。

 極星の使者として遣わされた、ここまでならまだわかる。だが、危険な戦場の最前線に、冒険者であるエトラヴァルトが『悠久世界』と敵対してまで赴く必要はどこにもないはずだと。


 死地でおもわずこぼれた疑問。

 エトは、荒い呼吸と共に答える。


「もし、海淵が落ちたら。……この、世情で、戦争を仕掛けてくる……そんな世界と、リステルが隣接することになる。悠久は……俺を、《英雄叙事オラトリオ》を危険視していた。そうなれば、俺はリステルを……守りきれない!」


 ここが瀬戸際なのだと、エトラヴァルトは剣を握る。


「だから……!」


 吹き荒れる剣気を切り飛ばし、疾走する。


 満身創痍、左腕が上がらないエトは、碑文の名前を呼ぶ。


「来い……《英雄叙事オラトリオ》ッ!」


 無数のページが舞い散り、夜天の鎧を纏った女……エルレンシアの姿へと変化した。


 《英雄叙事オラトリオ》の変身の副次的効果、肉体置換による怪我の一時的な快癒を目的とした本の使用。


「輝け、アルカンシェル——!!」


 虹の魔力が輝き、空間を薙ぎ払うように剣が振り抜かれた。


「影法師では、俺には届かないぞ」


 しかし、アハトはこれを一蹴する。

 左手の裏拳で魔力を全て吹き飛ばし、かつての英雄を剣の一太刀で斬り伏せた。


 左肩から袈裟に切り裂かれ、鮮血と共にページが溢れ変身が解ける。


「が、ぁあああああああああっ!?」


 変身時の怪我は、全てエトラヴァルトの魂と肉体へと直接反映される。


 魂がひび割れるこの世のものとは思えない痛みにエトラヴァルトが発狂し膝をついた。


「〜〜〜ぁ、ああ……《英雄叙事オラトリオ》……!!」


 直後、再びページが舞い散り〈鬼王〉スイレンの姿へと変わる。


「エトラヴァルト……!」


 逃げろ、と含みを持たせたリントルーデの言葉を無視し、エトは何度でもアハトへと挑みかかる。


「おおおおおおおおおおおおーーーーっ!!」


 〈勇者〉を斬る。時間を稼ぐ。

 そのために、自分の全てを使い果たしてでも。


「アンタが、死ねば……! ラルフが悲しむんだよ……!!」


 肉親の死など何度も経験させてなるものかと、エトは歯を食いしばる。


「ここが落ちれば……ラルフが、死ぬんだよ……!!」


 もう二度と、友を失う悲しみなど経験してなるものかと、エトは烈火の如く命を燃やす。


「そんなの、絶対に嫌なんだよ……!!」


 吹き荒れる剣気と激烈な剣戟を演じ、不退転の英雄の力を借りて一歩ずつ前進する。


「だめ……エトちゃん……!」


 ひび割れていた。

 エトの魂とリンクする不壊の剣に、ひびが入っていた。


 肉体のみならず魂を穿つアハトの超常的な斬撃。

 エトはそれを、己の身と剣で、たった一人で受け止め続けた。


「ダメ、だよ……! 君が、死ぬのは……!」


 いかにエトラヴァルトの魂が強靭であろうと、頂点の斬撃を己の魂で受け止め続けて無事でいられる道理はない。


 それでもスイレンの歩みは止まらず、アハトの眼前にまで届く。


「〈勇者〉ァ……!」


 しかし、無慈悲に。


「言っただろ、それじゃあ俺には届かない」


 横一文字に振り抜かれた剣の風圧がスイレンを押し戻し、両断された胸の傷口からページが吹きこぼれ、変身が解ける。


 見るも無惨な傷を負ったエトが、どしゃりと音を立てて地面の上に仰向けに崩れ落ちた。


「エトちゃん……! 君が、守るべきなのは……ここじゃないでしょ……!!」


「……うるせえ」


 幽鬼のような足取りで、ゆらゆらとエトラヴァルトが立ち上がる。


「遅えんだよ、もう……!」


 見捨てるには、もう、知りすぎた。


「一人でも欠けたら……! ハッピーエンドに、ならねえんだよ……!!」


 そう決めた。だから、今更退くなどという選択肢は、エトラヴァルトの中には断じて存在しない。


「応えろ、《英雄叙事オラトリオ》……!」


 四度目。

 舞い散るページの裏で、ルーランシェの全身が光を帯びる。


 絶速——光の踏み込みでエトラヴァルトが距離という概念を破壊し、アハトに肉薄する。


「収束顕現——!!」


 エトの背後に魄導を圧縮した六本の剣が顕現。

 光の加速で振り抜かれた愛剣と共に、六本の魄導剣がアハトを強襲した。


「……期待していた」


「……っ!?」


 それすらも、〈勇者〉アハトは受け止めた。


「だが、ここまでだ」


 隠しきれない落胆を映す瞳がエトラヴァルトの蒼銀纏う灰の瞳を射抜く。


「エトラヴァルト。俺は『悠久世界』の〈勇者〉だ。俺は、あの大地を守るために全力を尽くそう」


 その宣言は、言外に。

 それ以外の全てを、悠久の障害になり得るのならば斬滅するというアハトの覚悟だった。

 その剣で悲劇が生まれようと、悠久の大地を守るために、その全ての怨嗟を背負う意思表示だった。


「もう——峰打ちはできないぞ」


 ——バキンッ、と。


 致命的な音が響く。


 最後通告と共に、アハトがエトラヴァルトを剣ごと両断した。


 六本の魄導の剣が粉砕され、エトの体が袈裟に切り裂かれる。


「っ、ぁーーーーーーーーー」


 手を伸ばす……それすらできず。


 エトラヴァルトは、大地に膝をつく。


「…………、……!」


 声を出そうとして、喉が抉られていることに気づく。

 崩れ落ちる体を支えようとして、右手が握る剣が、木っ端微塵に砕け散っていることを知る。


 それはつまり。


 エトラヴァルトという人間の魂が、修復不可能なまでに砕かれていることを意味する。


「……………!」


 背後で、イナやリントルーデ、ラグナリオンが叫んでいる気がした。


 エトラヴァルトは、それを確認することなく、意識を深い深い闇へと沈める。



 死が、男を覆い尽くしていた。










物語は、まだ終わらない

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