〈勇者〉vs〈英雄〉

 ——近づけない。


 世界を揺らす詠唱の激突を前にした〈守護者〉リントルーデは、自らがその一撃に対して何もできないことを本能で悟ってしまった。


 アハトとエトラヴァルト、両名の放出する規格外の魄導は他者の介入を許さない圧倒的な圧を世界に撒き散らす。


「俺に、できることは……!」


 自らの不甲斐なさに俯くリントルーデにできるのは、ただ。


「リンちゃん!」

「リントルーデ!」


 仲間の声に、ハッとして顔を上げる。


「そうだ……俺は、〈守護者〉リントルーデだ……!」


 男にできるのは、たった一つ。

 エトラヴァルトをアハトの魄導から守り。


 世界の未来を、たった一人の青年に託すことだけだった。


「紡げ、エトラヴァルト……! 俺たちが時間を稼ぐ……!!」


 詠唱の途上でありながら、アハトの魄導はすでにエトの領域を侵食しつつあった。

 絶対的な格の違い。積み上げてきた研鑽と、持って生まれた他の追随を許さない才覚。


「だから……〈勇者〉を超えろ! エトラヴァルト!!」


 怪物から一瞬を、1秒を奪う。

 リントルーデの神秘の海、イナのウロボロス、ラグナの振動がエトに降りかかるアハトの殺気を一身に受け止めた。


「『恒久の大地よ願え、望み、求めよ! 錆知らぬ鋼が奏でる永遠讃歌!』」


 しかし、詠唱は止まらない。

 一音、一句が世界を塗り替える暴力的な強制力を有する〈勇者〉の詩に呼応し凄まじさを増す覇気。


 それを真正面から受け取ってなお、エトラヴァルトは怯まない。


「『碑文をなぞり、足跡を辿る! 無窮の荒野、語り部が謡うは揺蕩う未来灯す篝火!』」


 澱みなく祝詞が紡がれる。

 世界を見渡す蒼銀の瞳から火花が散り、地平の彼方までその身を届けるように舞う無数のページが淡い光を放つ。


 エトラヴァルトの背に、膨大な道を幻視する。

 語り継がれてきた無数の物語、命の軌跡。

 その最前線に立つ青年は今、人類の限界点へと挑む。



「『我が身……世界を断つ!』」


 〈勇者〉アハトの魄導が、己が持つたった一振りの剣に収束し、


「『この手が綴るは未踏の地平!』」


 エトラヴァルトの銀の魄導が、全身を包むように渦を巻き、彼の胸元に寄り添う白紙のページに真新しい記述が生まれた。


「「——『概念昇格』!!」」


 瞬間、二人の概念保有体は世界の法則を捻じ曲げ、掌握した。



「——『魔剣断却』」


 アハトが握るは、万界見渡せどただ一振り、究極の一刀。

 其は、遍く魔剣を断ち切る絶滅の剣。


「——『終焉穿つ英傑の残照アニマ・オラトリオ』」


 エトラヴァルトが握る剣は、どこまでも彼の心と共に。

 其は、彼の者の道行きを刻む無二の長剣。



「行け……エトラヴァルトーーーッ!」

「エトちゃん……!!」

「君の愛に最大の敬意を!」


 自らを神速で追い越した青年の背に、リントルーデたちはあらん限りの声援を送った。


「〜〜〜〜〜〜オオッ!!」


 背中を押されたエトラヴァルトが限界を引きちぎり突貫を断行する。


 エトラヴァルトが選んだのは、“光”。

 自らを刹那、“光の概念保有体”に押し上げる。


 降臨する光速の斬撃。

 瞬きすら終わらない間に万の斬撃が世界と摩擦し、エトラヴァルトの全身が法則を超えた反動を受ける。

 表皮が破け、筋繊維が千切れ、骨が割れる。


「ーーーーーーーーーーッ!!」


 痛みも傷も全てを推進力に変えて、声なき雄叫びを上げ、エトラヴァルトは眼前の〈勇者〉へ最大の瞬撃を叩き込んだ。


「〈勇者〉の使命を……果たす!!」


 その全てを、〈勇者〉アハトは叩き落とした。

 最後の一刀、両者の中心で剣が交錯する。



「なんっ……!?」



 驚愕に目を見開いたのは、〈勇者〉アハト。


「なんで、折れない……!?」


 遍く魔剣を灰燼に帰す、“魔剣殺しの概念”を得たアハトの剣。万の剣戟を結びながら、エトラヴァルトの剣は健在だった。


「その、剣は——」


「——魔剣じゃねえ!!」


 至近距離、血反吐を撒き散らしながらエトが吼える。



 たった一手の差だった。


 エトラヴァルトの尋常ならざる精神力、凄まじい成長速度。〈勇者〉アハトをして脅威を感じずにはいられなかった。


 だから、完膚なきまでに——今一度魂を砕く。

 エトと命を共にする剣を、男のただ一振りの剣を破壊し、今度こそ殺し切ると。


 エトラヴァルトの正体不明のプレッシャーに、〈勇者〉アハトは、最後の局面、最後の一手を読み違えた。


「この剣は……俺と、アルスの……!」


 一瞬の心の隙。

 今日初めて生まれた動揺に、アハトの剣がほんの刹那鈍る。


「約束の……!!」


 今のエトラヴァルトは、その刹那を見逃さない。

 踏み込み、たった一つ、唯一の勝機を手繰り寄せる!


 その剣は、魔剣にあらず。ただ一人の少女が、愛する友のために鍛えた、たった一振りの剣。


 剣の銘は、“黎明記”。


 約束の丘に朝日を呼び記す——

唯一無二の“誓剣せいけん”である。


「エトラヴァルト……!」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーっっ!!!!」


 驚愕に目を見開く〈勇者〉に向けて、〈英雄〉は渾身の力で誓剣を振り抜いた。





◆◆◆





 世界を焼き尽くす閃光。

 その一瞬を、誰一人として捉えることができなかった。


「なんだ……!? 何がどうなった!?」


 カメラの復旧を急ぐ管制室に怒号が飛び交う中、間も無く一台の非常用カメラが復旧する。


「おい! 状況は!? 戦場は——リントルーデ様たちはどうなった!!?」


 悲鳴のような怒鳴り声を受けた観測班の男は、瞳孔を震わせながら目の前のモニターを凝視していた。

 そして、おもむろにマイクを取り、回線を開いた。


「…………て、います」


 その声は震えていた。


「海が…‥砕けています……!」


 違う、そうではないと男は首を振った。


「い、いえ……そうではなく。リントルーデ様、並びにイナ様、ラグナリオン様の存命を確認……いえ、それよりも……き、傷を」


 あり得ない、奇跡のような光景だと。

 男は、歓喜に声を震わせた。


「銀三級冒険者、エトラヴァルトが……! あの、〈勇者〉アハトに、傷を負わせています……っ!!」




◆◆◆





 戦場の声が爆発する。

 絶対の象徴であった〈勇者〉に、たった一人の冒険者が一矢報いたという情報に『海淵世界』は大きく湧き立った。


「馬鹿な……アハトが!?」


 眼前の敵対者のことなど忘れたようにシャクティが声を荒げた。


「やったのか、エト……!」


 ライラックは大番狂せを起こした友に歓喜の声を上げる。



「エトくん、良かった——!」

「流石です、エト様」


 イノリは相棒の無事に心から安堵し、ストラは信頼する仲間の成果に笑う。


「そっか、あの子がやってくれだんだ……」


 リーダーの……ヴァジラの仇に一矢報いたという情報に、アリアンは小さく嗚咽を漏らす。


『——全軍に告ぐ! 今すぐ、中央へ向けて進軍せよ!!』


 しかし、余韻に浸る暇はないと号令が轟く。


『この瞬間こそが戦の分水嶺である! 〈勇者〉が負傷した今、全軍をもって戦線を押し上げよ!!』



 瞬間、落雷のような怒号が戦場全体に轟いた。



「——テメェら聞けぇ!!」


 しかし、『悠久世界』もただ黙って見過ごすなどという愚行はしない。

 ギルベルト・エッケザックスは信じられない情報に混乱しながらも兵たちへ指揮を飛ばす。


「俺たちがやることは変わらねえ! 中央へ! 誰一人として通すんじゃねえぞ!!」


 開戦から今までで一番の勢いを見せる海淵軍を拳の一撃で吹き飛ばしながら、ギルベルトはあくまで冷静に現実的な試算を告げる。


「アハトは死んでねえ! 俺たちの〈勇者〉がたかが一撃程度で倒れるはずがねえ!! テメェら知ってんだろ!! アイツは悠久の、歴代最強の〈勇者〉だぞ!!」




◆◆◆






「…………ゴホッ」


 膝をついたアハトは地面に血塊を吐き出し、自分の左肩から右脇腹にかけて深々と刻まれた斬撃痕を撫でる。


 ——ギルベルトの言葉は正しい。

 エトラヴァルトの海を砕くほどの一撃は、確かにアハトに届いた。

 この戦争で唯一受けた傷。だが、それでも致命傷には至らなかった。



「化け物め……!」


 忌々しげに呟くリントルーデの視線の先で、力を使い果たしたエトラヴァルトは、剣を振り抜いた姿勢で、立ったまま意識を失っていた。


 白眼を剥いて誓剣を力の限り握り込む姿は、意識を失いながらも戦意が尽きていないことを証明しているようだった。


「……この傷は、生涯残る」


 鮮血を溢しながらも、アハトは問題なく立ち上がる。

 〈勇者〉の狂った頑強さは、未だ、健在である。


「エトラヴァルト。俺の期待は、間違っていなかった」


 

 〈勇者〉アハトは。

 悠久に仇なす存在を見逃すわけにはいかない。


 そもそも、アハトの体は依然動く。任務遂行に支障はなく、ゆえに、男は剣を持って立ち上がった。





◆◆◆





「中央へ急げ! 早く!」

「わかってるさ、でも!」

「敵の妨害が……!!」


 左右両翼から挟み込むように進軍する『海淵世界』。

 それに対して『悠久世界』は必死の抵抗を見せる。


 そもそも〈勇者〉という特大の個人戦力を除けば逆転していたはずの戦力差。

 しかし、〈勇者〉の下へは行かせないと団結した『悠久世界』の抵抗は、想定を遥かに上回る強度を見せる。


「〈勇者〉様の下へ行かせるなー!」

「我らの役割を果たすのだーー!」


 刻一刻と削られる時間に、『海淵世界』側に焦りが生じる。


「早く! 早く行かねえと!」

「クソッ、こいつら固え……!」


 〈勇者〉に傷を与えた。

 これは、裏を返せばという意味。

 そして、そんな事実を大々的に喧伝するのは、好機であると同時に窮地でもあるということ。


 即ち、現行の戦力では〈勇者〉アハトを止められないというSOSである。


 だから、『海淵世界』は総力を上げて中央へと殺到する。




 右翼端、ライラックとザインはシャクティによる執念の足止めを受けていた。


「——どこへ行くつもりだ! ライラック!?」


「いい加減しつけえ……!」

「ストーカー野郎が……!」


 鳴り響くオルガンの音がラルフたちを阻む。


 リンカたち魔法使いはすでに魔力切れでダウンしている。ザインの魔剣装填は打ち止めかつ、ライラックの海炎も魔力不足から万全の招来に至らない。


「クソ……エトのところに行きてえのに……!」




 最も中央戦場に近く、そして遠い場所。

 〈金剛壊勿〉ギルベルト・エッケザックスが立ちはだかる戦場から、一人の少女が抜け出す。


「イノリ、行きなさい!」

「ここは俺たちが!」


 スミレとスズランに背中を押され、魔眼を閻いたイノリが悠久軍の静止を突き破って中央へ急ぐ。


「エトくん、待ってて……!」


 いつものように万事を尽くし、全霊を賭したのだろう相棒の下へ、少女はただ一人時間を加速させる。




 左翼へ逃げた元中央の一団から、少女を背負った一人のエルフが飛び出す。


「すみません、ギルバートさん」


「構わないとも! 彼にはまだ、直接恩を返していないのだから……!」


 〈迅雷〉ギルバートは、未だ自分の足では立てないほどに消耗を残すストラを背負い中央へ急ぐ。





◆◆◆





「……頼む、皆。頼む……!」


 ただ一人、決して届かぬ玉座から。

 源老ノルドレイは、戦場に向けて祈りを捧げる。


 開戦から今まで、ノルドレイは全ての戦場を見渡してきた。

 それが源老の、海淵の統治者の責務だと豪語して。


 だから、源老には見えていた。

 中央へ急ぐ誰もが、アハトの進軍には間に合わないと。


「頼む……!!」


 拳を握りしめ、浮き上がりそうになる腰を必死に玉座に擦り付けて、源老は奇跡の到来を待ち侘びる。


「誰でもいい、リントルーデを……我が息子を」


 歯を食いしばる。


「彼を、エトラヴァルトを……ライラックの友を——!」


 寝不足から枯れた肌が割れ、血の涙を流すことにも気づかず、ノルドレイは声を振り絞る。


 投影される映像の向こうでは、エトラヴァルトを守るように立ち上がるリントルーデの姿があった。

 しかし、あまりにも足りない。届かない。


 すでに限界を超越したリントルーデでは、最早アハトには対抗できない。


「どうか届いてくれ……! 誰でもいい、誰か、あそこに……!!」


 左手で玉座を握りしめ、浮き上がる腰を必死に押さえつけ。

 唇を噛み切りながら、ノルドレイはあらん限りの祈りを捧げる。


「息子たちの笑顔を……守ってくれ……!!」




 剣は、無慈悲に振り下ろされる。


 一度起きた奇跡は。


 二度目の奇跡は、起こらなかった。


 祈りは、届かなかった。



 だが。




「——クカカッ」




 世界の我儘は、祈りを知らずともやってきた。





◆◆◆





 金色の魄導を纏う赤肌の拳が、アハトの剣を握り込んで受け止めた。


「お前は……!」


「なァ……テメェが傷を負うなんざ何年ぶりだぁ? アハト」


 意識を失ってなお、我儘にも剣を手放さないエトラヴァルトを左手で摘み上げ、赤肌の鬼人は乱雑にひょい、と後方へ投げ飛ばした。


「ちょちょちょなにやってんの!!?」


 羽のように宙を舞ったエトラヴァルトに目ん玉を飛び出させたイナが右手を変化させとぐろを巻き、クッションにしてボロボロの体を受け止めた。


 イナの気苦労など知ったこっちゃないと、男は「クカカ」と喉を鳴らした。


「クソガキテメェ、少し見ねえうちに随分と様変わりしたじゃねえか……ああ、


 男は静かに肩を震わせる。


「そうだよ、そう来ねえとなあ……! そうじゃなくっちゃつまらねえよなぁ!?」


「……なぜ、ここに」


 大柄な自分すら軽く上回る3Mを超える体躯。

 リントルーデは、本当にあり得ない乱入者をただただ見上げた。


「最高だ……面白くなってきたじゃねえか世界!!」


 リントルーデも、イナも、ラグナも……アハトすらをも意に介さず、男は声を上げて笑う。

 世界が……否、


「クカカカカ、カカカ、カーッカッカッカッカッカッカッカッカッカッカ——!!」



 笑い声一つで星を揺らす。

 暴虐そのものの降臨に、戦場全土が本能から動きを止めた。


「なぜ、お前がここにいる——」


 アハトもリントルーデと同様に、来るはずのない怪物に驚きを隠せず、その名を呼んだ。


「〈星震わせ〉バイパー!」


「決まってんだろ! こうした方が、俺が面白えからだ!!」


 暴虐の鬼人は、極めて我儘で自分勝手な感情でエトラヴァルトの死を握り潰した。

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