悠久vs海淵

 『悠久世界』エヴァーグリーン本国、エヴァーライト皇国を照らす光


 ——大艦隊出発の前日。



 広大な世界の中心に座す山のような巨城。

 自然を統御する威光煌めく深緑の一室に、『悠久世界』に所属する〈異界侵蝕〉たちは集う。



「ねえ、この部屋明るくない? なんで電気ついてるのよ」



 豪奢な椅子に深く腰掛け、ゴスロリチックな改造軍服に身を包んだ少女、〈相剋相殺〉メイファン・リオ。

 少女の何気ない言葉に、隣で床に胡座をかく巨漢、〈破城槌〉タルラーが『何を当たり前のことを』と胡乱げな視線を向けた。


「おめえ何言ってんだ? 人が集まってんだからそりゃあ明るくするだろうが」


 肩をすくめる巨漢にメイファンがムッと頬を膨らませる。


「貴方こそ何言ってるのよ。私たち〈異界侵蝕〉よ? それがこうして集まってるなら、なんかこう……雰囲気があるべきよ! 薄暗く蝋燭灯したり!」


「俺たちがんな日陰者みてえなことしてどうすんだバカガキ」


「誰がバカですって!? 貴方こそ情緒を理解できてないバカ猿じゃない!」


「あぁん!?」


「なによ!?」


 水と油のように睨み合う二人を見て、菓子を茶で流し込んだ〈旅人〉ロードウィルが朗らかに笑う。


「そのくらいにしておきなさい二人とも。大方、最近読んだ本に影響されたのであろう。ところで……」


 たしなめられ大人しくなったメイファンとタルラーの視線を受け、ロードウィルはこてんと首を傾げた。


「船に乗って行くのは誰だったかのう?」


『ええ……』

 

 戦争に向けた最重要情報をあっさりと忘却していた老爺に、部屋にいた7人全員から困惑が洩れた。

 代表するように、薄氷色の髪の青年〈片天秤〉ジゼルが呆れてため息をついた。


「昨日も言ったじゃんお爺ちゃん! ギルベルト、シャクティ、タルラーが主力艦! フィラレンテが冒険者引き連れて二番艦だって!」


 小人族のジゼルの指摘に、ロードウィルは『ああそうじゃった』と蓄えた髭を触りながら朗々と笑う。

 そんな爺さんに金髪色黒の大柄な漢、〈金剛壊勿〉ギルベルト・エッケザックスがツッコミを入れた。


「おいおい、大丈夫かよ爺さん。ちゃんと留守番できんだろうな?」


「なに、心配するでない。メイファンとジゼルが居るでな」


「自分をカウントしてくれって話なんだがなあ」


 届かない願いにギルベルトが嘆息する中、一人、窓から城下を見下ろすアハトがロードウィルに問う。


「爺さん。アンタならこの戦争、誰に気をつける」


「居残りのジジイにはちと難しい問いかけじゃのう……ふむ」


 瞑目したロードウィルに全員の意識が集中する。

 主には『この爺さん寝てないだろうな?』という疑念だったが、予想に反してロードウィルは間もなく目を開けた。


「〈守護者〉や〈代行者〉、というのはちと安直すぎるでな。……そうじゃのう」


 老爺はひと呼吸置いた後、何かの眩しさに目を細めて呟いた。


「……物語に、気をつけることじゃ」


 ロードウィルの抽象的な物言いにジゼルが小首を傾げた。


「物語? お爺ちゃん、それどういうこと?」


「そのままの意味じゃ。アハトよ、お主ならわかるであろう」


 白羽の矢が立ったアハトは動じず、日々の営み、悠久に生きる人々を眺めながら頷いた。


「……《英雄叙事オラトリオ》と、終末挽歌ラメントだな」


 アハトの回答にタルラーが片眉を上げて疑問を呈する。


がか? 言っちゃ悪いが、どっちも敵じゃねえだろ」


 タルラーの言葉は事実である。

 仮に終末挽歌ラメントがこの戦争に介入した場合、まず間違いなく、悠久と海淵の集中砲火を受ける。


 『構造世界』の滅亡こそ取り立たされてはいるが、『極星世界』の〈魔王〉と接触したという情報は記憶に新しい。

 終末挽歌ラメントは単独で相手をするにはあまりにも危険な存在だが、複数の〈異界侵蝕〉がいれば撃退、あるいはも可能である。


 そして、《英雄叙事オラトリオ》に関しては〈異界侵蝕〉が一人いれば十分に対処可能な戦力である。


「……否」


 しかし、その前提をロードウィルは否定する。


「此度、気をつけるべきは終末挽歌ラメントではない。奴は、


『……?』


 疑問符を浮かべる後輩たちに、〈旅人〉の異名を冠する老爺は訥々と語る。


「物語とは、無数の文字、言葉によって紡がれるモノじゃ。そして、“言葉”とは時に強力無比な力を宿す。それを、お主らは知っているであろう」


「……なるほど」


 得心したのはギルベルト。

 自らに宿る力から答えに辿り着いた男は、ロードウィルに変わって正解を口にする。


「“概念”だな」


「正解じゃ。我らは、羊を羊と認識する。じゃが、それは誰かが『アレは羊だ』と名付けたからじゃ。ふむ……そうじゃの。その誰かが『アレは犬だ』と名付けたのなら、今の儂らはあの白い綿毛のような体毛に覆われた動物を“犬”と呼んでいたであろう」


 ジゼルがギギギ、と首を傾げた。


「こんがらがってきた……お爺ちゃん、何が言いたいの?」


「簡単な話じゃ。儂らは世界を言葉で認識する。言葉には、世界を形作る力があるんじゃよ。その究極が、其方ら『概念保有体』じゃ」


 いつになく饒舌なロードウィルの話に皆耳を傾ける。

 アハトも城下町から目を離し、ロードウィルの方を向いた。


「物語とは、その言葉のによって紡がれるもの。儂らがこうして話している間にも、物語は言葉を、記録を紡いでおる。それが、脅威でなくてなんだと言うのだ」


 ロードウィルの“言葉”には、強い説得力があった。

 否応なく理解させられる。侮ってはならないと。


「——心せよ。物語は、儂らの想像をいとも容易く超えてくるぞ」


 最古参の老爺の忠告に、その場に集った6人は静かに警戒を強めた。


 アハトは一人、また窓の外に視線を移す。


「想像を超える、か……」


 何かを期待するような、しかしどこか諦めを感じさせるようなアハトの呟きを、誰の耳も拾わなかった。




◆◆◆




 開戦当日、空模様は生憎の大雨だった。


 黒鉄の管制室から見える甲板に荒れ狂う大波が幾度となく激突する。

 七強世界の、それも海を統べる『海淵世界』の技術によって生み出された戦艦でなければうちのリーダーが使い物にならなくなっていたことだろう。


「イノリお前、本当に大丈夫か?」


「大丈夫大丈夫!」


 俺の心配をイノリは笑顔で一蹴する。


「この船が不思議と全然揺れないからね。あと成長して三半規管が強くなったのもあると思う!」


 以前は乗るのにも命懸けだった船に体調万全で乗れるのが楽しいのか、イノリは戦争を目前にしてもハイテンションだった。


 雷が轟き、大粒の雨が艦隊へと四方八方から叩きつけられる。


「リントルーデ、こんな状況で地上戦ができるとは思えないんだが」


 各戦艦に旗艦及び淵源城ノアの作戦司令室から下った、『地上戦の準備』という命令。

 大海すら狂わせる嵐の中に身を晒すなど、戦争以前に自殺行為に過ぎず。


 そもそもこの大海原のどこに地上戦を行える大地があるというのか。


 訝しむ俺の肩に手を置いたリントルーデがニヤリと笑う。


「安心するといいエトラヴァルト。戦争が始まれば、おのずと磐石な大地が現れよう。海は我らの味方だ」


「なら、良いんだけどな——見えたぞ」


「目がいいな。監視塔より先に視認するとは」


 豪雨と霧に曇る視界の遥か遠方。

 魄導によって強化された俺の蒼銀を纏う両眼が迫り来る大艦隊を捉えた。


「エトラヴァルト。開戦次第、貴殿は左翼端に走れ。角を削るのが最も手っ取り早い」


「了解。ラルフとストラは?」


「転移で既に各戦艦へ移っている。——イノリ殿も」


 名前を呼ばれたイノリは、武具の所在を確認してから頷いた。


「それじゃエトくん、また戦場で!」


「おう!」


 俺たちは互いに拳を突き合わせ、イノリは駆け足で管制室から出て行った。


「——さて、エトラヴァルト」


 臨戦態勢を取ったリントルーデにつられ、俺の呼吸が自然と浅くなる。


 浅くなった呼吸を深呼吸で落ち着け、前方を睨みつけた。


「「——来る」」


 瞬間、無数の光が水平線上を満たし、雷を切り裂く砲撃音が轟いた。





◆◆◆




 嵐の海の最前列を突き進む『悠久世界』の十艦の超弩級戦艦に備え付けられた無数の砲塔が全門余さず『海淵世界』の戦艦に照準を合わせた。


 旗艦艦橋に座す艦長の姿が全ての戦艦にホログラムで投影され、水平に振り下された右手に合わせ凄絶な輝きを伴い一斉掃射が敢行される。


 嵐の空と海を貫く“凍結弾”によって射線上のありとあらゆる水分が凝固・凝結。

 空中に氷のアーチを、海中に氷のトンネルを生み出した。


「——全軍、突撃用意!!」


 嵐を遮る結界が大艦隊上空へ展開され、長大な甲板に悠久世界の軍人たちが一糸乱れぬ隊列を組んだ。


 凍結弾は全て結界によって防がれたが、絶えず更新される耐衝撃魔法及び硬化魔法によって氷の進軍路は既に確保されている。


「突撃、開始——」


「——それを、この僕が許すと思うかい?」


 刹那、全ての進軍路が一斉に砕かれる。


 『海淵世界』大艦隊、旗艦艦橋の上部。

 怒気を滾らせた〈異界侵蝕〉が一人、〈代行者〉ノルンが世界を睥睨した。


「母なる海での蛮行、万死に値する! この海を汚す者はこの〈代行者〉が何人なんぴとたりとも許しはしない!!」


 雷鳴が轟き、あらゆる雨が停滞する。

 戦地に降り注ぐ雨粒が全て、時を止めたように静止し、次の瞬間、雨粒がノルンを中心に果てしない渦を巻く。


 ノルンは左手を腰に、右手を荒天に掲げた。


「手荒な歓迎で失礼するよ! 『我、海神の代行者ノルンが大いなる海に命ずる! 恵みの雨、命の揺籠、故郷の潮騒! 今こそ、我らの聖戦を見守りたまへ!』」


 祝詞と共に右手が握りしめられ、振り下ろされる。



 〈代行者〉ノルン。

 その身に宿すは、“水の概念”。

 世界の遍く水は、ノルンの支配下にある。



 振り下ろされた拳の先、海淵と悠久、両軍大艦隊直下の海が真っ二つに叩き割れた。


『なぁっ……!?』


 甲板に出ていた悠久世界の軍人たちが超越的な事象に脳髄を撃ち抜かれたような衝撃と、落下への果てしない恐怖を叩きつけられる。



「——全軍、出撃用意!!」



 その隙を、〈守護者〉リントルーデは見逃さない。

 ノルンによる海割りを事前に周知させていた『海淵世界』軍に死角はなく、全ての戦闘員が落下する戦艦の中で出撃の用意を整えていた。


 轟音と共に落着、そして第三王子の号砲が世界を裂いた。


「——全軍出撃!!」


 全門解放。

 あらゆる扉が開け放たれ、戦艦から雪崩のように十万以上もの兵士が一斉に戦場へ踏み出した。


「往け、勇敢なる海の戦士たちよ! 侵略者たちを返り討ちにするのだ!!」


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーー!!』


 雷鳴にも砲音にも負けない臓腑を震わせる悲鳴にも似た雄叫びと共に、『海淵世界』が戦士たちを戦場へ解き放った。



「——反重力結界作動! 砲撃で牽制しつつ、着陸と同時に迎撃陣を敷け!!」


 『悠久世界』旗艦から全戦艦へ通達。

 甲板の兵士たちを結界で守護しつつ、反重力結界により落下速度を低減、ただちに戦艦が姿勢制御を取り戻した。


 しかし、真っ二つに割れたとはいえ依然ここは海のど真ん中。

 四方を海面に囲まれた戦場は、〈代行者〉ノルンの独壇場である。


 大艦隊を挟む左右の海面からハリケーンが発生し強襲する。


「君たちに猶予は与えない!!」


「——なら無理やり作らせて貰おうかァッ!!」


 旗艦艦橋の防弾ガラスを叩き割り、一人の巨漢が迫るハリケーンへ両腕の裏拳を振るい、衝撃波のみで破壊した。


「ガハハハハッ! こんなもんかよ〈代行者〉ァ!」


 竜巻を死角に打ち出された数百の水槍を回し蹴り一撃で全て葬り去った男が雄叫びを上げる。

 その野蛮極まる様相に、ノルンが舌打ちをした。


「——っ! やっぱり来たか! リントルーデ!!」


 予想通りのマッチアップに、リントルーデからノルンへたった一言の指示が飛ぶ。


「迎撃しろ!」


「全く無茶言うよね〜ほんと!」


 両者、艦橋から飛び出し、両軍の頭上を超えて中央で激突する。


 極限まで圧縮を繰り返した水で編み込まれた鎧と、万物を破壊する肉体が正面からぶつかり合い、尋常ならざる一撃に両者の拳の間にあった体気が弾け凄まじい衝撃波を引き起こした。


「——ハッ、良いじゃねえかガキィ!」


 獰猛に笑う巨漢に対して、鎧纏う物静かな少年が嫌そうに顔を歪める。


「“破壊の概念保有体”、〈破城槌〉タルラー! 刻み込め! お前の命を壊す名だ!!」


「ごめんこうむるね! 〈代行者〉ノルン、作戦を遂行する!!」




 始まりを告げたのは、破壊を宿す男と水を司る少年。


 『悠久世界』エヴァーグリーンと、『海淵世界』アトランティス。

 後に“時代の転換点”として語られる、史上最大の戦争が幕を開けた。

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