出陣
——『なんでだよ! なんで親父は来なかったんだよ!!』
十二年前、ライラック・フォン・アトランティスは実母の遺体の前で泣き喚いた。
元々体の弱い母だった。日がな部屋の中で本を読んで過ごすような人で、外への用事は専らライラックの役割だった。
唯一例外は、源老に会いにいく時。
忙しく玉座を離れられない夫に会いにいく時だけは、ルイーゼは自らの足で外に出向いた。
そんな母が死んだ。
なんてことはないただの風邪。だが、ルイーゼには重すぎる風邪だった。
布団から起き上がれなくなるまでに二日と要らず。
食事が喉を通らなくなるまで一日。
そして、二度と目を覚まさなくなるまで僅か三日。
その間、源老ノルドレイはただの一度も見舞いに来なかった。
「なあ。なんで、親父は来なかったんだ?」
ライラックの悲痛な声音に、ルイーゼの死を悼む者たちは答えられなかった。
その答えを、彼らは持っていなかったから。
『源老はお忙しいから』なんて月並みな言葉で納得させられるとは思えなかった。
「母さん、楽しそうにしてたんだ。親父と話す時は、本読んでる時よりも、ずっとずっと楽しそうにしてたんだ」
全身を震わせ、涙を堪えようとして、しかし溢れる。
「待ってたはずなんだ、親父のこと、きっと。なあ……親父は、楽しく、なかったのか?」
幼いライラックは、腹の底から湧き上がる熱がなんなのかを自覚できなかった。
それが『怒り』であると知ったのは、もう少し後のこと。
「母さん、もう話せないのに……なんで、なんで親父は……!」
ルイーゼとラルフが暮らしてきた部屋に、幼い嗚咽が響き渡る。
小さくか細い、消え入りそうな泣き声だった。
◆◆◆
雨に打たれている気分だった。
ノアに雨は降らないが、ラルフは今、濡れたい気分だった。
整えられた石畳と傍を彩る低木。
清掃が行き届いた、源流血族が眠る墓地にて。
「何がしたかったんだよ、俺は……」
ティティアの元へ向かって欲しかった。
可能性が欲しかったのだ。源老はあの時、母ルイーゼの死に無関心ではなかったのだと。
本当に多忙で、行くことができなかったのだと。そういう
だが、結果はひどいものだった。
「わかってたろ、あの人は来ないって」
ラルフは目の前の墓碑に刻まれた『ルイーゼ』の名前に触れる。
「なあ。母さんは、あんなやつのどこが好きだったんだよ」
8年間見てきたのだ。幼くとも、記憶が曖昧だろうと間違うはずがない。母は、ノルドレイを好いていた。それは、そばに居たラルフが間違いなく証明できる。
だからこそ、理解できない。
「なんで最期まで、幸せそうな顔でいられたんだよ」
愛した相手が、体調を崩した時はおろか、死に際にすら顔を見せなかったというのに。
どうして、満足そうな顔ができたのか。
俯くラルフの背後で、石畳を鳴らす足音が一つ。
「……兄貴に教えてもらったのか? エト」
敢えて気配を強く出している仲間に、ラルフは振り返らず問いかけた。
「ああ。お前がいるならここだろうって」
エトはラルフの隣に立ち、敬礼を捧げて無言で祈る。
「……ルイーゼさんって言うのか。お前も、同じ名前持ってたな」
「ここを出る時、貰ったんだ」
貰った理由は、愛情と反抗心。
19歳を迎えた日、ライラックは家を出る決断をした。
同時に『海淵世界』の外で活動するにあたって、ライラックには偽名が必要だった。
しかし、全く新しい名前を用意することをライラックは拒んだ。
母が与えてくれた名前を塗り潰すことを良しとせず。
ライラックは始め、それぞれの頭文字を取って『ラファ』という名前を自分に与えた。
しかし、“アトランティス”の銘が入ることを許容できなかった。
だから、母の名を貰った。
——『ライラックが大きくなったら、一度くらいは外に出てもいいかもね』
それが幼い我が子を喜ばせるための方便だったことを、成長したライラックは理解していた。
しかし名前だけでも、外の世界へ連れて行きたいと思った。
だからルイーゼの名を貰い、『ラルフ』になった。
「兄貴から聞いたのか?」
その『聞いた』というのがラルフと源老の確執の根源を指していることを、エトは考えるまでもなく察した。
だから、首を横に振った。
「お前の母親が関わってるとだけな。それ以上は聞いてない」
「……そうか」
それきり、ラルフは口を閉ざした。
エトも自分から話しかけることはせず、墓地には沈黙が訪れた。
「なあ、エト。ガルシアさんは、どんな王子だったんだ?」
「……え?」
10分か、20分か。
判然としない長い時間が経った後、ラルフはふとそんなことを口にした。
予想外の質問にエトが戸惑う。
「ガルシアが、どんな王子だったか?」
「ああ。なんとなく話は聞いてたけど、詳しく知りたくなったんだ。ダメか?」
「……いや、ダメじゃない」
◆◆◆
少し場所を移して、俺とラルフはルイーゼの墓碑が見えるベンチに腰掛ける。
「正直な話、俺は王子としてのガルシアを殆ど知らないんだ。アイツ、畏まった態度取られるの苦手だったからさ」
相手の得手不得手に関わらず俺やアルスは思いきりタメ口だった、という事実は棚上げする。
「それでもいい。人柄とか、そういうのが知りてえんだ」
「だったら話せるな」
俺は目を閉じ、学園時代を追想する。
「まあ、とにかくガサツだったなあ」
自他共に認める不器用な男だった。
なんでも器用に天才以上にこなすアルスがそばに居たからか余計にそう感じてしまった、という面もあるだろうが。
ガルシアは、戦うこと以外に関しては並な王子だった。
「ガサツで不器用な奴だったけど、それでも丁寧に生きようとしていた」
粗暴な口調で後輩を怖がらせたり、不良と勘違いされて騒動に巻き込まれたり。
本人が王子として振る舞っていなかったことも合わさり、何かと厄介ごとの渦中に名前が上がったり、俺を巻き込んだりしてきた。
「アイツは否定するだろうけど、優しい奴だった」
リアの登下校に付き添ったり、彼女が休んだ人なんかも様子を見に行ったり。
なんだかんだ、俺もアドバイスを貰ったし、アルスが政治的ないし軍事的な使われ方をしないように兄や父である現王に頼み込んだり。
——『俺の利益のためにやっただけだ。一々恩義感じてんじゃねえ』
なんて嘯いて。
ガルシアは、『王子らしく在ろう』と足掻いていた。
「立派な王子なんだな、ガルシアさんは」
ラルフの評価に、自然と笑みが溢れる。
「そうだな。俺たちの、リステルの立派な誇りだ」
俺は隣で深海を見上げるラルフに聞く。
「なんで突然、ガルシアのことを?」
「……ガルシアさん、戦争で死んだって言ったろ。なんか、聞いてみたくなったんだ」
俯いたラルフは、右手の握り拳をゆっくりと開く。
きっと、万力で拳を握っていたのだろう。破けた手のひらは一年の旅の中で成長した再生力によって既に癒え、固まって変色した血がこびり付いていた。
「エトたちが尊敬する王子が、どんな人だったのか知りたくなったんだよ」
「ラルフ……」
「心配すんなよエト。今更戦う気がなくなったとは言わねえよ。元々、クソ親父のために帰ってきたわけじゃねえんだから」
そう告げるラルフの横顔は、しかし、どこか影があるように見えた。
「お前の旅先がここだった、それだけだ」
「……さっき、作戦司令室に報告が入った」
俺は、ラルフを探しに来る直前に入電した報せを告げる。
「今から一時間前、都市国家リーエンから大艦隊が出航した。敵軍規模、およそ45万人。戦場予定地への到着は約76時間後。予想より、半日進軍が早かった」
ベンチから立ち上がった俺は、ラルフに右手を差し出す。
「今から18時間後、俺たちは戦場へ向けて出発する。配置は予定通りだが、右翼に関しては指揮系統が変わるらしい。その辺は移動の艦内で行われる」
ゆっくりと俺を見上げたラルフの血がこびり付いた右手を掴み、強引に立ち上がらせた。
「もう、今更準備することなんてない」
俺は、ラルフの苦悩をわかってやれない。
肉親のいない俺は、どこまで行っても仮定でしか物事を語れない。だから寄り添い、慰めることができない。
「全部ぶちかましてやろうぜ、ラルフ」
俺にできるのは、焚き付けることだけ。
「剣闘大会の借りを返しに行くぞ!」
「……ああ、そうだな!」
ほんの少しだけ威勢を取り戻したラルフの気合の入った返事に、俺はニヤリと笑い返す。
頷いたラルフは俺の手を離し、母ルイーゼの墓碑に向き直った。
「……行ってきます、母さん」
俺とラルフは、二人肩を並べて墓地を去り。
予定通り18時間後、リントルーデと共に母艦へと乗り込んだ。
◆◆◆
「エト、緊張してる?」
もう馴染み深くなった
「シャロンか」
「誰も呼ばずに記録だけ眺めてるなんて珍しいね。探し物? 見つかった?」
「いや、アンタが言うように緊張してるからな。みんなの記録を読んで紛らわせてた」
馬鹿正直に緊張してると言った俺を、シャロンは特に笑わなかった。
「そりゃそうだね。『戦場全部掻き回せ』なんて無茶苦茶なオーダー受けてるんだから」
作戦第一段階の成功の鍵を握っているのは、比喩抜きで俺だ。
他にも数名の金級上位の冒険者が撹乱の役割を担っているとのことだが、リントルーデの見込みでは大きな成果は得られないらしい。
理由は単純明快。
此度の戦場には、金級クラスが平然と点在するのだから。
他の金級は、同程度の実力者と拮抗すると予想される。
「剣闘大会で視界をやってた
「だからこそ相手が未対策な……『悠久世界』の記録とは乖離したエトたちが刺さなくちゃいけないわけだ」
「俺に寄せられる信頼が厚すぎて涙が出るね」
改めて考えるまでもなく、既に限界ギリギリのやべえ作戦だ。
作戦司令室の見立てでは、異界掃討作戦及び此度の戦争に参加する冒険者の中に一定数のスパイが紛れ込んでいる。
勿論事前に身辺調査はすませてあるが、いかんせん、義勇兵として参戦を希望した冒険者は5000人にのぼる。数人の確認漏れはあるかもしれない——その前提で動くことは決して間違いじゃない。
「……ん? その理論なら、エトがこっちの暗器だって気づかれてるんじゃない?」
冒険者の士気を上げるためのプロパガンダに俺を使った。結果は成功だが、代価に俺と言う存在をこっちが重要視していることを知られてしまった可能性が極めて高い。
「まあそうだろうな。でも、実力自体は隠せてる。あとは俺が、相手が上方修正したはずの仮想の俺を超えられるかどうかだ」
「どう? 超えられそう?」
シャロンの問いに、身を起こした俺は拳を握って答える。
「超えてやるさ。なにがなんでも」
「……いい覚悟だね」
——外から、俺を呼ぶ声が聞こえる。
ミーティングだと俺を揺するイノリの声に、俺は意識を浮上させる。
背中にシャロンの言葉が届く。
「紡いでおいで、君の物語を!」
「ああ! 特大のやつを刻んでやるよ!」
互いに拳を突きつけ、本が閉じられた。
予想開戦時刻まで、残り56時間。
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