始動

「ほ、本当に海が割れっ……!? 事前に聞いてましたけどめちゃくちゃですね!?」


 数日前は数日前でエトの進化に驚かされたストラであったが、それが余裕で霞む超常だった。


 ストラの隣を走る海淵正規軍所属のトイも、切り分けられたケーキの断面のように分断された大海の壁に『ウヒャー!』と感嘆をもらした。


「こりゃすごいっすね〜! 噂に違わぬはちゃめちゃっぷりっす!」


 軽口を叩きながら走る二人を咎める者はいない。なにせ、ノルンの超常的な能力に度肝を抜かれたのは全員同じ、驚きは等しく訪れていた。


「トイさん! わたしたちの役目は——」


「ノルン様が予定通り戦場を作ってくれたっすからね! 次は僕らの番っす!」


 〈代行者〉ノルンが戦場構築により敵主力兵器を無力化、同時に〈破城槌〉タルラーとタイマンの状況を演じるのがあらゆる作戦の基盤。


 そしてノルンは見事に役割を果たした。

 次の役割を担うのは、バトンを受け継いだ30万の兵士である。


「僕らは中央を制圧! 悠久の軍を左右に分断して連携を断つっス!」


「了解です! 最初から全開で行きます!」


 座礁と言うにはあまりにも力技。

 海底に打ち上げられた戦艦から出撃した『悠久世界』の兵士たちが、先行する金一級冒険者フィラレンテに率いられ進軍を開始する。


 縦に切り分けられた五つの戦場の中央。

 敵軍の連携を乱す矛にして、自軍の戦略の心臓とも言える最も重要な基点。


「おい、変態のとこのちんちくりん! 砲撃の用意しとけ! 開幕にぶつけんぞ!」


「おそらくエト様とわたしのことでしょうが! あとで覚悟しておいてくださいね!」


 金五級冒険者〈落陽〉のヴァジラのあんまりな呼び方にストラは青筋を立てながらも魔法陣を構築。

 空間魔力を自らを介して陣へ供給し、発射態勢を維持。


 歴戦の冒険者と七強世界の精強な軍人たち。

 全力疾走の行軍速度は常人の比ではない。


 〈代行者〉ノルンによって生み出された巨大な戦場であっても、彼らにかかればものの数分で会敵に至る。


「敵影確認!」


 観測者の声に、めいめいが獲物を構える。

 ストラが待機させる砲撃が臨界を迎え、隣に躍り出たヴァジラが十の指に合計八枚の鋼鉄のチャクラムを構えた。


 視界に広がる無数の敵影の奥で魔法が輝き、双方、激突する。


「接敵——蹴散らせぇえええええええええええええ!!」


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー!!』


 怒号に負けじとイノリとヴァジラも叫ぶ。


「砲撃、行きます!!」


「『隷属 血盟 葬送の円環! 鋼の刃よ、血を喰らえ』!!」


 純白の極光が敵陣深く突き立ち、八つの爆炎刃が縦横無尽に駆け巡る。


 戦場の叫喚は瞬く間に広がり、戦火は全土に及ぶ。




◆◆◆




 右翼、雷鳴と轟風が爆ぜる。


「久しぶりだな、グルートよ!」


 銀一級冒険者〈迅雷〉のギルバートが挨拶がわりに撃ち込んだ迸る雷鳴を、金五級冒険者〈暴嵐〉のグルートは持ち前の付与エンチャントが生み出す嵐の壁で容易く防いだ。


「手荒な歓迎だな!」


 ぬかるんだ盤石ではない大地。しかし、二人の戦士が戦うのにはなんら問題はない。

 互いに先陣を切った二人の男が大海の壁を背景に正面から激突した。


「ギルバート! お前とこんな形で再開するとはな! 剣闘大会は残念だった!」


「ギルドの要請は断らない主義なんだよ、俺は!」


 雷雨が結界で防がれようと、歴戦の冒険者が衝突すればそれは局所的な災害となる。

 〈異界侵蝕〉のような出鱈目さはなくとも、嵐と雷が激しく火花を散らす光景は十分に常識外だった。


「——灼焔咆哮ッ!!」


 更に、炎星が降り注ぐ。

 ギルバートに一歩遅れて最前線に辿り着いたラルフの灼熱の一撃が嵐と雷の両者を吹き飛ばす勢いで荒れ狂った。


 味方にも関わらずあわや黒焦げにされるところだったギルバートが泡を食ってラルフに怒鳴る。


「ラルフ! 俺まで巻き込むな!」


「悪いギルバートさん! 余裕なかった!!」


 ラルフは嵐から一切目を逸らさず。

 不意の一撃すらしっかりと受け止めてみせたグルートを睨みつける。


「……お前も来たか、ラルフ」


 両腕を撃ち抜く確かな威力に戦慄するグルート。

 交わったラルフの獣の視線——それは復讐の渇望。


 かつて届かなかった相手が今、目の前にいる。

 ならば、選ぶ選択肢は一つ。

 ありえない速さで成長する友に追いつくために。

 かつての敗北を超えるために。


 ラルフは、グルートに剣を向けた。


「リベンジだ、〈暴嵐〉のグルート!!」


 赤き魄導の片鱗を滲ませるラルフの宣誓に、グルートは両手の戦斧を高らかに打ち鳴らし火花を散らせた。


「受けて立とう! ラルフよ!」




◆◆◆




「敵4〜8番艦、砲弾装纏! 砲撃来ます!」


「スティンガー装纏! 全て空中で迎撃する! タイミングは観測班に一任しろ!」


「右翼への支援砲撃急げ!」


「救護隊が出てる! 45秒遅らせろ!」


 戦艦の役割は、人を送り届けるだけではない。

 各戦場への支援砲撃、敵艦隊の妨害、情報共有の円滑化に作戦立案及び伝達。


 刻一刻と生き物のように変わる戦況を正確に把握し、支援し、時にはコントロールしてゆく。


 戦争における頭脳ブレインは、時に戦いの行末を左右する。



 ——しかし。


「「——報告! 報告!」」


 やはりと言うべきか。

 戦争の鍵を握るのは、戦場に立つ戦士たちである。



 地上戦の開幕から僅か5分。

 悠久、海淵両軍の旗艦管制室に緊急の報せが入った。


 両管制室の予測は、名のある冒険者かいずれかの将兵が討たれたというものだった。


 だが現実は、それを遥かに凌駕する。


「ほ、報告します!」


 『悠久世界』軍の管制室に、焦燥に塗れた声が響く。


「たった今入った情報です! 右翼端、!! 五千人が討ち取られました!!」


『なんだと!!?』


 それは悲鳴のような驚愕だった。

 たった5分で五千の精鋭が殲滅した。その報せは、戦場における頭脳をほんの少し停滞させるには十分な衝撃を持っていた。


「何があった!? 現在の状況は!?」


「げ、現在は予備隊が前線を上げています! しかし、状況は防戦一方……! た、たった一人に、我々は……!!」


「一人だと!? 相手の名前は!?」


 想定外にも程がある開幕の敗戦。

 だが、母艦で温存するギルベルトやシャクティはこの展開に少しだけ納得していた。


「ギルベルト。これは……」


「ああ。爺さんの忠告通りだったってわけだ」




◆◆◆




 その報せは、海淵にも等しく届く。


「——左翼端、圧勝! 敵軍およそ五千人が敗走しました!!」


「そうか……!」


 報告を受けたリントルーデは、それが誰によってもたらされたものなのか、問うまでもなくわかりきっていた。


「成果を挙げた者は!?」


「——銀三級冒険者、エトラヴァルト!」


 鍵の躍動に、リントルーデはこっそり、しかし力強く拳を握った。




◆◆◆




 ——かつて、これ程までに力の差を如実に叩きつけられたことがあっただろうか。


 金二級冒険者、〈砕拳〉のミトスは目の前の光景に正しく絶望した。


 戦場を銀の斬撃が席巻する。

 空間を縦横無尽に疾る変幻自在の斬撃が、一閃刻まれる度に武器が砕け、防具が千切れ飛ぶ。


「怯むなぁ! 敵は一人だ! 囲んで叩けぇ!!」


 勇敢な冒険者どうぎょうの声に奮い立った十数人が全方位からの同時攻撃を仕掛けた。

 しかし次の瞬間、円環の斬撃が球状に膨れ上がり全員纏めて吹き飛ばした。


『ぎゃあああああああああああああああああ!!?』


 名だたる銀級上位を散歩のついでのように一掃した男の名は、エトラヴァルト。

 つい最近まで……否、今ですらミトスの遥か格下の銀三級冒険者。


「その……筈だろ」



 仲間の悲鳴が響く。


「コイツ、反応速度が……視野が尋常じゃねえ!」

「こっちの動きが、全部見切られてる!?」


 死角だろうと不意を突こうと関係ない。

 背中にも目が付いてんじゃないか、と言いたくなる空間把握能力。


「あの剣に触れるなーーー!」

「打ち合うな! 武器諸共粉々にされるぞ!!」

「無茶言うな! ならどうやって近づけばいいんだよ!?」


 重量の想定すら馬鹿馬鹿しい、まず間違いなく“魔剣”に分類される針のような質量塊から繰り出される一撃必殺、防御不可能の斬撃。


「魔法が全部切り裂かれる!?」

「魔力も闘気も関係ねえ! 全部、全部跳ね返される!?」


 そして、魔力でも闘気でもない奔流。

 金級冒険者の一部、そしてその上の化け物たちが使うとまことしやかに囁かれる力。

 飛来する魔法を悉く切り裂き、力自慢の戦士の全力を圧砕する出鱈目な銀の輝き。

 

 エトラヴァルトは自分より遥かに格上であるはずの冒険者、屈強な悠久軍人を次々と戦闘不能へと追い込んでゆく。


 蛮勇、或いは自棄になって飛び出した兵士たちの防具を一刀で葬り去り——ミトスと、目が合った。


「——ッッッ!!?」


 次の瞬間、凄絶な銀の一撃がミトスの拳と衝突する。

 竜の鱗すら砕き、その奥の魔石にすら届くミトス渾身の拳による迎撃は、惨敗。

 ミトスが力の境地を馬鹿みたいに放出する馬鹿みたいに重い一撃に紙吹雪のように吹っ飛ばされた。


 下にいた筈だ。

 気にする意味すらなかった筈だ。

 こんなところで、出会うことなんてなかった筈だ。


「ふざけんな……この戦場で、不殺を貫く余裕があるだと……!?」


 武器と防具を砕き、利き腕、或いは軸足の腱を正確に断つ。

 その部位の損傷は、回復魔法であっても相応の治療時間を必要とする。まして、斬られたのではなく“抉られた”のであれば、相当な時間を拘束される。

 それは事実上、この戦争への復帰が不可能であることを指す。


「ふざけてんじゃねえぞ、銀級がぁっ!!」


 エトラヴァルトは間違いなく、それを理解した上でを与え続けていた。


「戦争で! そんな舐め腐った態度がぁ!!」


 怒りに任せて突貫する。

 同胞を盾に、囮に、肉薄したミトスの拳を、エトラヴァルトは物質化した魄導の籠手と聖女の鎖のわけ身によって受け止め切った。


「なぜ殺さねえ! 酔ってんのか!? 侮ってんのか!?」


 問答など無意味だと理解しながらも、ミトスは問いかけを止められなかった。


「憐れんでんじゃねえぞ銀級! こっちは死ぬ覚悟くらいできてんだよ!!」


「——アンタに、その覚悟があるように」


「!?」


 ミトスが拮抗していると踏んだ同胞たちがエトラヴァルトを囲み、突貫する。


 眼前、エトラヴァルトが眦を決した。


「俺にも、“守る覚悟”があるっ!!」


 覚悟と共に吹き荒れた魄導が攻撃の一切合切を押し退けた。


『がああああああああああああああああああああっ!!』


 ミトスを含めた全員が踏ん張りきれず吹き飛ばされ。


「……ざ、けんな」


 視界を覆う銀の奔流に戦意が砕け散った。


「俺は、侵略をしに来たんじゃない。虐殺をしに来たんでもない」


 斬閃。


 ミトスたちの武器を砕き、利き腕と軸足の腱を切り裂いたエトラヴァルトが宣誓する。


「俺はここに! 俺の全てを守りに来たんだ!」


 不撓不屈の覚悟に戦場が震えた。


 一つの懸念があった。

 仮にエトラヴァルトがこの戦場で武功を上げたとして。

 殺戮によって恨みを集積した未来では、リステルが報復の憂き目に会うのではないかと。

 当然、殺さなくとも恨まれることはあるだろう。

 だが、連鎖は確実に小さくなる。


 故にこそ、エトラヴァルトは不殺を選んだ。


「俺の未来には、一つの悲劇も必要ない! だから俺は、お前たちを殺さず斬る!!」


 その数分後。エトラヴァルトは宣言通り、五千人の戦線復帰が不可能な負傷兵を生み出し、開幕の大勝を飾った。




◆◆◆




「……やはり、来よったか」


 戦場の様子は、遠く離れたエヴァーライト王国を照らす光の一室にまで届く。


 留守番を言い渡されていたロードウィルは、右翼の大敗以上にそれを成した人物と手段へと興味を向けた。


「《英雄叙事オラトリオ》。よもやここまで育っておったとは」


 ただ不殺を貫くだけでは、他の戦場に大きな皺寄せが向かい、結果的により多くが死ぬ。

 だが、応急処置だけでもそれなりに手間がかかる腱の断裂を徹底しているのであれば話は変わってくる。


 野戦病院は怪我人によって飽和し、機能が著しく低下——最悪の場合麻痺に至る。


 五千、六千、七千……時間が経つごとに、《英雄叙事オラトリオ》への対策が確立されペースは落ちるだろう。

 だが相当数の——少なくとも二万の兵士は《英雄叙事オラトリオ》によって再起不能にされ、後方支援への大打撃となるとロードウィルは読んでいた。


 一つの臓器の麻痺は、巡り巡って全ての臓器に影響を与える。


 治療の不在は最前線で戦う者たちに強い死の気配を突きつける。覚悟の有無に関わらず、当たり前にあるものがなくなる。人間にとって、それはこの上ないストレスになるのだ。


「……よく考えておる。何処ぞのおてんば娘の記録でも読んだか」


 エトラヴァルトの思考と行動を高く評価したロードウィルが、重い腰を上げた。


「……さて。儂も出るとしよう」


「あれ、お爺ちゃん行っていいの?」


 携帯ゲーム機から顔を上げた〈片天秤〉ジゼルの問いに、ロードウィルは『特例措置じゃ』と堂々と宣った。


「と言っても、戦場に向かうわけではないがのう。あそこはタルラーたちに任せれば良い」


「じゃあ何処行くのさ」


「簡単な話じゃ。心臓を潰せば自ずと手も止まる」


 ジゼルの問いを全て曖昧に返したロードウィルは、杖をついて転移魔法を実行する。


「——ジジイはジジイらしく、老獪に行くとするかのう」


 ロードウィルが転移で消え、残されたジゼルは暫くしてからふと顔を上げた。


「ねえメイファン」


「…………」


「メイファンってば! ……あ、今はランファン?」


「そうだけど」


 ぶっきらぼうな仲間の返事を特に気にした様子もなく、ジゼルはランファンを遊びに誘った。


「ちょうどいいや。暇だから対戦付き合ってよ」


「ゲーム機貸して」


「はいはい。サブ機でいい?」


「メイン」


「……。わかったよ」


 若干不満そうに手に持つ端末を貸したジゼルは、二台目を取り出して暫く無言でゲームに興じる。

 その間にも流れてくる戦況報告を、二人はラジオ感覚で聞き流す。


「覇天の奴ら、来ると思う?」


「来ない。アレは、案外臆病。もし来るなら、それは私たちの過半数が死んだ時」


「それなら安心だ。……【救世の徒】は?」


「そっちも来ない。


「えっ、いつの間に……」


 普段も今も、煙に巻いた発言しかしない爺さんが知らないうちにどでかい約束をひとつ取り付けていたことに、ジゼルは操作を誤って残機を一つ減らすほど驚いた。


「まあ、それなら遠慮なく暇してようかな」


「うん」


 それっきり戦争から興味を失った二人の〈異界侵蝕〉は、呑気に協力プレイを始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る