謁見

 凄まじい殺気だった。

 あの赤と青が混じった髪の女、鼻歌気分でこっちの意識が吹っ飛ぶような化け物じみた殺気を飛ばしてきた。


 俺は横を歩くイノリを、チラリと横目で確認する。

 俺の視線に気づいたイノリは顔に疑問符を浮かべるだけ——どうやら相殺は間に合ったらしく、イノリたちは殺気に気づいていなかった。


「さっきの人も源老に謁見を?」


 俺の疑問に、やや硬い足取りの近衛が振り向かず頷いた。


「はい。この廊下は謁見の間のみに続いています。彼女は謁見を終えた帰りだったのでしょう」


 護衛を引き連れていない……いや、必要ないだろうが。身勝手な立ち振る舞いの片鱗を見るに、冒険者か、或いはそれが許される身分の何者か。

 あれだけの殺気を軽々と放てる相応の身分……考えたくないものだ。


 奇妙な邂逅に意識を取られていると、間もなく重厚な扉が目に入った。

 歩幅を狭めた近衛が静かに告げる。


「これより先に源老が控えています。くれぐれも失礼のなきように」


 四人揃って頷くと、近衛も頷き返し、扉の前で声を張り上げた。


「源老、『極星世界』よりの使者をお連れしました!」


 静寂の後、小さな軋みを立てて扉が開かれ、蝶番が揺れた。


 扉の向こうには、三人の護衛と一組の男女。そして、玉座に座る壮年の男性がいた。


「……ぅゎ」


 部屋の重圧に気圧されたイノリが横で小さく呻き、俺の服の裾を控えめにつまんだ。


「大丈夫、基本は俺が話すから」


 カツ、コツと。俺たち四人の足音だけが響く。

 こちらを見定める視線。バクバクと鳴り響く心臓を必死に抑えようと努めるも、どうにも上手くいかなかった。


 〈魔王〉との初対面はあまりのフレンドリーさに相手が統治者であることを意識できなかった。

 事実、それはジルエスターが俺たちの緊張をほぐすように立ち回ったからで、そうならなかった未来は、きっとこうなっていたことだろう。


 理知的で鋭い源老の瞳が俺を射抜く。

 それ以上にヤバいのは、玉座の脇を固める近衛ではなく、明らかに王族関係者と思しき城を基調にした金の刺繍をあしらった服に身を包む青髪の男。

 澄んだ水のような瞳の放つ眼光は凄まじく、こちらの一挙手一投足を見逃さない、そんな圧を感じた。


 左胸に手を当て、敬礼。


「本日は拝謁の許可をいただきありがとうございます、源老。小世界リステル、メリディス国防騎士団所属エトラヴァルト、『極星世界』ポラリスの使者として参りました」


 全身のむず痒さに耐え、精一杯の敬語、敬意を言葉にする。


「こちらが、〈魔王〉ジルエスター・ウォーハイムからの書状です」


 封蝋が見える形で書状を差し出すと、例の青髪の男がこれを受け取った。


「ご足労感謝する、使者殿」


 青髪の男は堂々たる足取りで源老の前へ歩み寄り、書状を献上する。

 源老は無言でそれを受け取り、封蝋の真偽を確かめる様に一層眼光を鋭くした。


 一連の動作を見ていた俺は、青髪の武人に視線で咎められ慌てて頭を垂れる。

 前方で、パキッ、と封蝋が割れる音がした。


『…………』


 紙が擦れる音が響いた後、縦長の謁見の間に重苦しい静寂が流れる。

 時間にすればほんの1〜2分程度のことだったはずだ。だが、俺たちには一時間にも二時間にも、とてつもなく長く感じられた。


 暫くして、前方からこちらを射抜く視線を頭頂部に感じた。


「騎士エトラヴァルト、面を上げよ」


 初めて聞く源老の声は、優しくも激しい海のような響き。『海淵世界』の統治者であることを芯から理解させられる、そんな声だった。


 顔を上げた先、源老ノルドレイと視線が交錯する。

 〈魔王〉の書状は青髪の武人が持っており、彼もまた政治中枢に属する者であろうことは容易に想像できた。


「書状、確かに受け取った。大義である、小世界の騎士よ」


「お心遣い感謝いたします」


 頷いた源老は俺から視線を外し、青髪の武人と数瞬目配せ。源老に代わって、武人が口を開いた。


「第三王子リントルーデだ。源老の代理として、幾つか貴殿に確認したいことがある」


「なんなりと」


「では、一つ。貴殿の出身である小世界リステルは、我らが海に隣接した世界だったと記憶している。なにゆえ貴殿が極星の使者に選ばれたのだ」


 当然の疑問、そして、事前に想定していた問いかけだった。


 ——『普通、小世界の一兵卒が遠く離れた七強世界の使者に選ばれるなんてあり得ない。はっきり言って前代未聞だ』


 謁見前、ラルフはこう言った。


 ——『まず間違いなくそこは突っ込まれる。けど、こっちにやましいことはないから丁寧に、澱みなく答えればいい』


 その助言を受け、俺たちはいくつか想定される質問をリストアップし、事前に模範解答を用意した。

 内容は、正直半分くらい緊張で吹っ飛んでるけど。


「俺は、後ろの三人とパーティーを組み、冒険者として活動していました」


 俺は爆発しそうな心臓を必死に抑え、敬礼に使う右手で左胸を握りしめながら答える。


「その折、『極星世界』ポラリスに立ち寄る機会があり、〈魔王〉ジルエスター・ウォーハイムと知り合いました」


 俺の回答をリントルーデが訝しんだ。


「失礼ながら、銀級冒険者が極星の〈魔王〉と交流を持てるとは思えないな。かの男は確かに活動的ではあるが、貴殿らが個人的に交流を持てる様な相手ではないと記憶している」


「ポラリス所属の金二級冒険者、〈紅花吹雪〉のカルラは俺の師匠です。彼女の伝手で知り合う機会がありました」


「……なるほど。それであれば自ずと知り合う機会もあるだろう。だが、あくまで部外者である貴殿が此度の使者に選ばれた理由としては些か弱いな」


 こちらを探る様な澄んだ瞳。誠実で、嘘を許さない眼差しだった。


「『極星世界』は今、外部の者に頼らなくてはならない状況下にあると判断していいだろうか」


「それは言えません」


 俺は毅然とした態度で言い放つ。


「かの世界の内情を話す権限を、俺は持ち合わせていません」


「——承知した。貴殿の誠実に、これ以上の詮索は無粋というものだ。源老」


 リントルーデは源老へと向き直る。


「嘘はありません。書状の内容も真実でしょう」


 武人の進言に頷いた源老が再び俺を見る。


「……騎士エトラヴァルト。この書には、貴殿は義勇兵として此度の戦争に参加すると書いてある。それは真か?」


「此度の書状、俺は内容の一切を知りません。しかし『海淵世界』を、ひいては我が故郷リステルを守るためこの剣を振るうことには一抹の迷いもありません」


「……委細、承知した。リントルーデよ、のもてなしはお前に任せる。残りの公務はベラムとアイナンナに任せよ」


 あのクソ魔王、しれっと俺が参戦するのを確定させてやがった。元々そのつもりではあったが、相談の一つくらいはしておいてほしい。

 あの人、報告連絡相談が致命的に欠如してる気がする。


 まあそれはともかく。……認められた、ということなのだろうか。


 源老の指示に頷いたリントルーデが先程までの覇気を収め、穏やかな表情で近寄り右手を差し出した。

 俺たちは立ち上がり、代表として俺が手を取った。


「まずは詰問を詫びよう。誠実に答えてくれたこと、感謝する」


「いえ、統治者として当然の選択でしょう」


「理解、痛みいる」


 青髪の武人リントルーデは、


「第三王子、リントルーデ・フォン・アトランティスだ。エトラヴァルト殿、並びにその仲間たち。今から貴殿らをゲストハウスへ案内する。構わないか?」


「もちろん。でも、王子自らが……?


 あまりの待遇の良さに思わず疑問が漏れ、敬語が崩れてしまった。


「使者をもてなすのは当然のことだ。まして、『極星世界』の使者ともなれば、こちらも相応の態度を示さねばなるまい。——アイナンナ、後を頼む」


 リントルーデの言葉に、源老の側に控える金髪の女性が頷いた。


「うむ。——では行こう」


 俺たちは一礼し、リントルーデに先導され謁見の間から立ち去った。




◆◆◆




 長い長い廊下を暫く進んだ頃、突然リントルーデが足を止める。

 何事かと2Mの長身を見上げるエトたちの視線を受けながら、青髪の“兄”は腹違いの弟に柔らかな笑みを向けた。


「二年ぶりだな。無事に帰ってきてくれて嬉しいぞ、ライラック」


「……兄貴も、元気そうで良かった」


 ぶっきらぼうなラルフの言葉に、リントルーデは『ニィ』と笑みを深めた。


「はっはっは! 当然だとも! 俺は生まれて三十五年、一度も風邪をひいたことがないからな!」


 リントルーデの豪快な笑いが長い廊下に響く。


「感謝するぞ、エトラヴァルト。貴殿のお陰でまた弟の顔を見ることができた」


「俺は何もしてませんよ。ただ縁があって、それがここまで続いただけです」


「そう畏まる必要はない。貴殿らは客人である以前に我が肉親の友なのだ。堅苦しい言葉は不要。そも、エトラヴァルトよ。貴殿は敬語が苦手であろう?」


 あっさりと見抜かれ、精一杯の敬語が全くの飾りだったことに気付かされたエトは若干気まずそうに苦笑いを浮かべた。


「エトラヴァルトよ。俺は一つ気になっていることがある」


「エトでいい。なんでも聞いてくれ」


「うむ、ではエトよ。貴殿はどうやってあの〈魔王〉の信頼を勝ち取ったのだ? かの〈魔王〉は相当な慎重派だ。仮にカルラ殿の助力があっても、使者に選ばれるほど心を開かせるのは決して楽ではなかったはずだ」


 リントルーデの言葉に、エトたちは揃って首を傾げた。


「「「「〈魔王〉が慎重派?」」」」


「……むっ?」


 何やら認識の相違がある——それを悟ったリントルーデの表情が少しだけ強張った。


「俺の記憶違いだっただろうか?」


「いや、確かに慎重派っていう見方もできるとは思うんだけどな……」


 エトが思い出すのは、初対面のお茶目。


「初っ端からドッキリサプライズだったり、俺のこと連れ回してショッピングと買い食いしたり、かなり活発な印象があるというか……」


 エトの口から紡がれる、あまりにも自分の記憶にある威厳ある立ち姿とは異なる〈魔王〉の行動に、リントルーデは形容し難い困惑の表情を浮かべた。


「あの〈魔王〉が? ……そうか。外交以外で関わりを持てばそういうこともあるのか? いやしかし、そうなれば極星の住民たちからの人気の高さにも納得がいく……いやいや。いくらなんでも……」


「ラルフ。もしかしてあの時の〈魔王〉、めちゃくちゃテンション高かったんじゃねえか?」


「兄貴の反応見てる限りそうっぽいな……なんであんなにはっちゃけてたのかは何もわからねえけど」


 双方、疑問が深まるだけの時間が暫く続いた。

 少しして、リントルーデは恥ずかしそうに若干頬を染めて咳払いする。


「すまない。見苦しいところをみせたな」


「いや、俺たちもだいぶ混乱してるから……」


 リントルーデの知る〈魔王〉ジルエスターは厳格かつ慎重な男であり、エトラヴァルトたちの知る〈魔王〉はお茶目で奔放な立ち振る舞いが目立つ自由人だった。


 双方、人間誰しも表裏があるし、仕事中か否かでオンオフの切り替えがあることくらい当然理解している。

 だがあまりにも印象がかけ離れており、咀嚼にかなりの時間を要していた。


「ん゙ん゙っ! しかしライラックよ。お前はずいぶんと奇妙な縁を紡いだものだな。エトラヴァルトたちの胸のは『魔剣世界』レゾナの魔法学園のものだろう?」


 リントルーデの博識に、ストラが目を丸く見開いた。


「知っているのですか!?」


「当然だとも! 王子たるもの、外の世界に目を向けなくては話にならないからな!」


 誇るでもなく、それが当然であるとリントルーデは言う。しかし、長い間周辺世界との関係を絶ってきたレゾナの魔法学園に関する知識、それをすぐに引き出せる者は早々いない。

 たった一言で、リントルーデはストラから畏敬を勝ち取った。


「別に、俺が紡いだわけじゃねえよ。そこのエトとかイノリちゃんが大概引き寄せ体質なんだよ」


 トラブルとか色々、向こうから寄ってくるんだよというラルフの説明にイノリがムッと不満を表す。


「ラルフくん、流石の私もエトくんと同列にされるのは不服なんだけど?」


「イノリさんや、それを真っ向から言われる俺の気持ちを少しは考えてくれないか?」


「「「エト(くん)は自業自得(です)」」」


「はっはっは! 仲がいいようだな! ……ああ、安心した」


 四人の軽快な会話にリントルーデがまたしても豪快に笑う。その目元には、強い安堵が窺えた。


「俺たちの弟は、良い旅をできていたのだな」


「いつまでも子供扱いすんなって、兄貴」


「はっは! すまんな!」


 不満を口にするラルフだったが、その口元はほんの少しだけ弛んでいた。



 リントルーデとエトラヴァルトたちが打ち解けるのは早かった。

 元々第三王子のコミュニケーション能力が高いこともさることながら、“ライラック=ラルフ”という共通の人物がいたことから、両者の理解は両者が思うよりずっと早く、スムーズに進んだ。


 そうした談笑を経て、エトラヴァルトたちはゲストハウスに辿り着いた。

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